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Loyal Tomboy  作者: EN
第六話「死に化粧」
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06-05:○ローゼイト・サーペント[5]

第六話:「死に化粧」

section05「ローゼイト・サーペント」


しかし、そんなある時、私は不思議な老婆と出会う事になる。


それは、裕福な身分を持つと思われる高価な衣装を身にまとい、眩いほどの装飾品を身につけた小柄な老婆であり、真昼時とは言え無法地帯と化した危険なスラム街の中を、右手に持った杖に頼りヨタヨタと彷徨さまよい歩いていたのだ。


私は一瞬、その老婆の余りに無防備な姿に強い警戒心を抱いてしまうと、崩れかけた建物の影からじっとその様子を観察している事しか出来なかった。


この頃になると、リトバリエジ都市周辺の余りの治安の悪さに、ごうを煮やしたトゥアム共和国政府が、このスラム街の取締りを強化し始めた為、私はそれまでのように、簡単に獲物を得る事が出来なくなっていたのだ。


何か武器を隠し持っているのだろうか。


それとも何か別の罠なのだろうか。


私の脳裏で渦巻く様々な憶測から、鳴り響く警戒心が払拭ふっしょくされる事は無かったが、それでも他の略奪者に先を越される可能性もあったため、私は念入りに周囲の状況を見渡すと、思い切って老婆の前へと姿を現した。


勿論、老婆から見えないように後ろ回した右手にはナイフを握り締めており、いつでもこの老婆に襲い掛かる準備は出来ていたつもりだった。


しかし、激しい殺意を放って睨み付ける私の姿を見つけるや否や、事もあろうか老婆の方から私の方に歩み寄って来るではないか。


老婆の動きは、まさに老婆たるゆっくりとした動きでしかなかったが、私は老婆が自分の目の前に到達するまで、全く一歩も動く事が出来なかった。


やがて老婆は、そんな私の姿をマジマジと覗き込むと、疲れたように大きな溜め息を吐き出して、その場へと座り込んでしまった。



狩りをする野生の動物は、相手が逃げるから追うのである。


逃げもせず堂々とその場に居座る獲物を前に、狩る側の動物はしばし襲う事を躊躇ちゅうちょしてしまう事がある。



それがまさにこの時の私を現すに相応ふさわしい言葉だった。


自分が狩られる側の人間であると言う事実に気付きもせず、堂々と狩る側の人間の前に座り込んで見せた老婆に対して、私は少なからず恐怖心を抱いてしまった。



お嬢さんは、何でこんなところに居るの?



それが、老婆の発した最初の言葉だった。


私はその問いかけに対して、特に返事を返すつもりなど無かったのだが、他に行く当ても無いからだと言う、ありきたりな言葉を返してしまった。


私はこの老婆から金目の物を奪い取る為に姿を現したのであって、老婆との会話を希望していた訳ではない。


私はさっさとこの無防備なる老婆を食い物にする為に、後ろ手に隠し持ったナイフを強く握り締めた。


しかし、激しい敵意を放つ私とは対照的に、それに何ら脅える様子も無く、全く逃げ出す様子も無い老婆の振る舞いは、まるで私の抱いた鋭い毒牙をも完全に抜き去ってしまうような、そんな不思議な雰囲気をかもし出しているようにも見えた。


そしてこの老婆との間に生じた、長い長い沈黙の時の果てに、後ろ手に隠し持ったナイフを、とりあえず一旦小さなさやへと仕舞い込むと、やがて私は老婆から少し距離を置いた階段の下へと、静かに座り込んでしまった。


私が直ぐにその場を立ち去らなかったのは、この身なりの良い老婆の事を、簡単に諦める事が出来なかった為であるが、それでも余りに普通の会話をやり取りする事になってしまった経緯いきさつから、私は振り上げた拳の下ろし所にきゅうしてしまったのかも知れない。


私はじっと両膝を抱え込んだまま、しばらくの間その老婆の姿を見つめていたのだが、再び襲い掛かる為の攻撃的意思が自分の中で沸き起こることも無く、やがて軽い溜め息と共に視線を足元へと落としてしまった。



この後、私はどうすればいいのだろう。


もう、この老婆に襲い掛かろうという気持ちは、完全に無くなってしまった。


かと言って、無闇にスラム街を徘徊はいかいしたところで、次なる獲物に簡単に巡り会える保証は何処にも無いし、逆に巡回する保安官と出会でくわしてしまう可能性だってある。


このままいつものよう廃墟に戻り、たった一人の時間を無為に過ごしたところで、私の頭の中で反芻はんすうされる疑念が整理される事も無し、またいつものように考える事に疲れ果てて眠り込んでしまうのがオチだった。



私は階段の下に座り込んだまま、抱えた膝の間に顔を埋め、何処を見るでもなく、何をするでもなく、ただ静かに時が流れ去るのを待っていた。


勿論、別にそれによって何か事態が好転する事を期待していた訳ではない。


しかしこの時、小さく身体をすぼめて、完全に自分一人だけの世界にふさぎこんでいた私に対し、不思議と愛嬌あいきょうのある笑みを浮かべていた老婆は、やがて優しい語り口調を持って私の心に触れ始めたのだ。


普段から人と関わり合う事を嫌い、自分一人の時間を好んで過ごす事が多かった私にとって、それは直ぐにでも逃げ出したくなるほどのまとわりを感じるものであったが、知的でいて温和な空気を奏で出すこの老婆の雰囲気に、私は既に飲み込まれてしまっていたのかもしれない。


まずこの老婆は「チピタ」と言う名前である事を明かし、不思議な間を取りながら、ゆっくりと話をし始めたのだ。


勿論、最初はお互いに差し障りの無い程度の会話だったが、私の事を根掘り葉掘り聞き出すような無粋な態度を見せる様子も無く、自分の過去を主体にして言葉を連ねる老婆の話に、私はじっと耳を傾けていた。


それまで他人事にはほとんど関心を寄せなかった私が、ここまで老婆の話に聞き入ってしまったのも、この老婆の語り口調や言い回しが巧みであったからなのだろうが、私はそれ以上に、話の途中に時折交えられる老婆の優しげな笑顔に、不思議と心が引き寄せられるような印象を受け、時折投げかけられる老婆の問いに対しても、妙に躊躇ためらう事無く、短い返事を返してしまうのだった。


小さく老いてしまったその身体とは裏腹に、大きく優しげに広げられた暖かな雰囲気。


私は今だかつて感じた事も無いような居心地の良さの中に浸り、しまいには、この老婆の微笑ほほえみに釣られて、思わずニッコリと微笑み返してしまいそうになる。


まわしい過去の記憶で多くを埋め尽くされていた私にとって、他人との会話の中に楽しさを覚えるなど、本当に久しぶりの事だったし、私はこの時、必死に平静さを装っては見たものの、沸き起こる興味心からチラチラと老婆の姿を伺う自分の視線を、完全には押さえ付ける事が出来なかった。



しかしやがて、老婆の身の上話が、自分の家族の話へと展開すると、次第に老婆の言葉がにごり始める。


どうやらこの老婆は、このスラム街の程近くにある高級住宅街で、一人息子とその妻、そして二人の孫達と一緒に、幸せな日々を送っていた言う事なのだが、そこまで話を進めた時点で、突如として老婆は深い悲しみの表情を浮かべて口を閉ざしてしまったのだ。


不思議に思った私は、全くこの老婆の思いを察する事も無く、無神経にもその理由を問いかけてしまったのだが、老婆はそんな私に対して再び優しく微笑みかけると、ゆっくりと私に答えを示してくれた。



それは半年ほど前に、スラム街付近の街道沿いを歩いていた息子夫婦と孫達が、突然暴漢達の集団に襲われ、全員殺されてしまったのだと言う事だった。



私はこの時、悲しげな笑みを浮かべて老婆が放った言葉を、今でも忘れる事が出来ない。


一瞬ハッとして、私は老婆に向けた視線を即座に切り捨てた。


そして、地面に落とした視線を挙動不審に這いずり回して、必死に激しく動揺してしまった自分の心を落ち着けるよう、努力する他無かった。



もしかしたら、私が殺したのかもしれない・・・。



私が今まで襲ってきた人間の中に、そのような子供達二人を連れた夫婦が含まれていたのかと言われれば、解らないとしか答えることが出来ない。


このスラム街に流れ着いてから1年以上が経過する中、それまで自分が食い物にしてきた他の人間達の事など、少しも気にかけたことは無かったし、その一つ一つをつぶさに記憶しているはずも無かった。


もし、私が殺した人間の中に、この老婆の家族が含まれているとしたら・・・。


私は今までに感じた事も無い強い恐怖心にさいなまれながらも、恐る恐る老婆の方へと再び視線を向けた。


すると老婆は、その話を聞いておびえる私を、優しくなだめるかのように、再度暖かい笑みを持ってこう言ったのだ。



お嬢さん。長い人生辛い事ばかりではないのよ。


辛い事もあれば楽しい事もある。


それが人生なのよ。


こんな老い先短い私のような人間にだって、楽しい日々が待っているかもしれない。


貴方にだって、きっと楽しい日々が訪れるに違いないわ。きっとね。


そうだわ。他に行く当ても無いのなら、私の家にいらっしゃいな。


私も一人で寂しいし、息子夫婦が使っていた部屋でよければ、いつまで居てもらっても構わないわよ。



恐らく老婆は、私が過去に一体何をしてきた人間なのか、全く知らないのだろう。


私は数多くの人間達の命を奪ってきた殺人者であり、数多くの物を奪ってきた略奪者。


私はその老婆の優しい誘いに黙って下をうつむくと、小さく首を横に振ってみせる事しか出来なかった。



私は知らなかった。いえ、知ろうとしなかった。


自分がそれまで犯してきた、人の命を奪うと言う行為が、一体どういうものであるのかを。


人を一人殺すと言う事は、その人と関わりの強かった残された者達に、深い悲しみを与えてしまうもの。


その悲しみは、その人との関わり合いが強ければ強いほど大きくなり、どんなに些細な関わり合いであっても、人々の感情に何らかの感傷を与えるもの。


こんな私でさえ、自分の両親が死んだ事を告げられた時、部屋の隅で泣いていたと言うのに・・・。


私が人を殺す事に、何ら躊躇ためらいを覚えなかったのは、殺される側の人間との関わりが全く無かったから。


人との関わり合いを嫌い、他人との交わりをかたくなに避けてきたから。


もしそこに、何らかの友好的関係を構築するに至っていたのなら、私はその人を殺す事が出来るのだろうか。


私に対して優しく微笑みかけてくれるこの老婆を、私は殺す事が出来るのだろうか。



やがて老婆は、少し残念そうに溜め息を付いた後で、右手に持った杖を使ってゆっくり重たい腰を持ち上げると、じっと下をうつむく私の傍に歩み寄ってきて、優しく私の頭をでてくれた。


私が不意に老婆の顔を見上げると、そこには変わらぬ老婆の優しい笑顔がある。


私はこの時、最後の別れを告げた老婆に対して、全く一言も言葉を返す事が出来なかった。


そして、覚束おぼつかない足取りで立ち去る老婆の後姿を、見えなくなるまでじっと見つめていた。



私にはもう、この老婆を殺す事など、出来やしないのだろう・・・。



自分が生きるために人を殺す。


これは私の中で、至って普通の行動だった。


自分が生きるために人から物を奪う。


これも私の中で、至って普通の行動だった。



自分がこれまでしてきた数々の行動は、悪い事なのだろうか。


自分の愛する者を失った老婆を前にして、あんなにも後ろめたい気持ちを抱いてしまうなんて・・・。


人との交わりに安らかな感情を芽生えさせつつも、人との間に築かれた関係性が壊れてしまう事に恐怖し、それまでの自分を押し殺さなければならないなんて・・・。


幼い頃から父に教えられたことは、間違いだったのだろうか。


人を殺せば認められる。人を殺せば誉められる。


これは一体、なんだったんだろうか・・・。


今までの私は、すべて間違っていたのだろうか・・・。


私の心の中は寒かった。


私はそれまでの自分自身の全てを、否定された気分だった。


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