プロローグ 持たざる者
青く透き通るような空、吹き抜ける柔らかな風
天頂には太陽が燦燦と輝き地表の生きとし生けるものへ恵みを降り注いでいる
まさしく平和な昼下がりといった時間
「ぬわーーっ!!」
平穏な時間を切り裂き、突如として慟哭がこだまする。
声の主を探すと地面に男が煙をあげながら転がっていた。
「やれやれ…これしきの魔法も防げんのか、アルトやぃ。」
男の傍らには白髭を蓄えた老人が佇んでいた。
穏やかな口調で語りながらも眉間に皺を寄せ、どこか困ったような表情だ。
そんな老人が手に携えた木の根を模した杖はまだ紫電を纏っている。
「…人に魔法ぶちあてて言うことがソレか…よ…。」
「ほ、相変わらず口だけは元気じゃの。」
―――魔法
それは世にあまねく魔力を使役し、神の如き超常の御業を引き起こす技だ。
魔力はすべからく万物に宿り宿主に力を貸す。
基本的な魔法、例えば少しばかりの火花を出す魔法や筋力を強化する魔法であれば一般人でも使えるようになる。
ハズなのだが…
「このワシが師事しとるんじゃから魔法の一つでも覚えんかい、逆にワシが自信無くしそうじゃぞ…。」
わざと泣き真似をする姿が腹立たしい事この上ないが、ジジイの台詞にぐうの音も出ない。
そう、このジジイが言う通り俺は魔法が使えない。
魔力は人並みに宿しているし、魔法の訓練もそれなりにしてきた。
だが、魔法の神様は俺に微笑まなかった。
周りの同世代が様々な魔法を覚える中、俺は初級中の初級、発火の魔法すら使えなかった。
身分が低くても魔法や武術に秀でていれば出世するチャンスはある、だがそんなものは俺と無縁な存在だった。
そんな息子の惨状を目にして俺の親がツテを辿って弟子入りさせたのがこのジジイ。
ヘソほどまでに伸びた白髭に皺だらけの顔、枯れた古木のような雰囲気を漂わせる魔術師
【瓦礫山のガラン】
本人曰く、一昔前に名をはせた魔術師だというが正直聞いたこともない。
確かに様々な魔法を行使しているあたり並みの魔術師でないことは嫌でも解るが俺からすると根無し草のスケベジジイだ。
「ほーれ、立たんか。」
「あいつつつっ!?」
ジジイが杖を翳すと温かな光が俺に降り注ぎ、焼け焦げた傷が音を立てて治っていく、これも魔法の力だ。
対象者の魔力に働きかけ、傷の再生を促す…これだけでも高等技術なのだが嫌味にもジジイはこういう魔法をサラッと使ってくる。
「なぁ…いつになったら俺は魔法が使えるようになるんだ?」
修行と称されたジジイの魔法を身体に受ける訓練を始めて2年
日に日に身体は頑丈になっていくが全然魔法が使える兆しは見えない。
魔法に対する耐性はガシガシ上がっているが使うほうはからきしだ。
「もう一度そのあたり説明してやっても良いが…今日は仕事じゃなかったかの?」
「うわっしまった!!」
全く成果の出ない修行に苦言を呈そうとしたが、ジジイの言葉で我に返った。
今日は麓の街で仕事があるんだった。
魔法が使えない俺に出来る仕事は少ない、遅れたら次の仕事をもらえるか解らない。
急いで身支度を整え仕事道具の入った革袋を担いで家を飛び出した。
「行ってくるわ!」
「うむ、行ってくるのじゃぞー。あ、そうそうまた暫く…」
後ろでジジイが何か言っていた気がするがそれどころじゃない。
逸る気持ちのままに俺は山を転がるように駆けたのだった。
◇
「アルトー、直りそうかー?夜の営業に使うんだけどよー」
今日の仕事は酒場の火が付かなくなったオーブンの修理。
塊肉が丸ごと焼けるほど巨大なオーブンに身体を突っ込んで俺は作業をしていた。
「うーん、もうちょい…どわっ!」
一際大きい汚れの塊を取り除いた瞬間降り注いだ煤をもろにかぶって悶絶する。
たまらず身体を引き抜くと、そこには不安げな酒場の店主の顔があった。
「おいおい!?大丈夫か!?」
「うぇっ…大丈夫大丈夫。一応今ので詰まりは直ったから動きはすると思うよ。」
「本当か?」
「ほら。」
台に設けられたつまみを回して見せると煌々とした炎がともった。
食材を調理するのにも十分力強い炎だ、大丈夫だろう。
「おぉ!助かったよ。名物のグリルが作れなくなるところだった。」
「良かった、あの名物が食べれないと怒るやつもいるだろうに。」
「まーなぁ、だけど遺物を直せる奴ってそういないからさ。」
「それじゃ今までどうしてたのさ。」
「叩きゃ直るって聞いてた。」
「…勘弁してくれ。」
遺物というのはこの世界が出来上がる前に存在したとされる文明、通称【旧時代】に作られた道具の総称だ。
【旧時代】はかなり高度な技術を持った文明だったらしく、現代に残された遺物も時折魔法を凌ぐ力を持っていたりする。
だが、歴史上何故かとある時代を基点にパッタリと滅んでしまったという。
理由に興味がわかない事もないが旧時代に関する研究は然程進んでおらず、いまだに解っていないらしい。
そんな旧時代の遺産、遺物は旧時代の遺跡で主に発掘されるのだが、大半は壊れてしまってガラクタになっている。
ただ時々こうして稼働するものが現存しており、物好きな人はこうして愛用していたりするのだ。
「普段はこうやって中の汚れを落としてやってくれよ、そうしないと今日みたいに壊れるから。」
「解った、そんな細かい所まで掃除してなかったからな、気を付ける。」
幸い俺は商人だった親の影響で小さい頃から市場に流れてくる遺物を見る機会が多かったし、捨てられる金にならないガラクタ遺物をおもちゃ代わりにして遊んでいたので簡単な遺物なら修理したり出来るのだ。
(本当はこれで食っていきたいぐらいなんだけどな)
魔法や剣術の修行をしているよりこっちのほうが性に合ってる。
ただ、稼働している遺物というのがあまり多くないので食っていける程の稼ぎにならないのが現状だ。
虚しい気持ちにかられつつ後片付けをしていると、耳障りな声が後ろから投げかけられた。
「あれぇ?”能無し”のアルトじゃないかぁ!」
【能無し】それは魔法が使えない無能者を蔑む差別用語。
頭の片隅にチリっとした不快さを感じつつ振り向くと革鎧に身を包んだ大柄な男が薄ら笑いを浮かべてこちらを見ていた。
「…ヴィンスか。」
切り揃えられた短髪にガッシリとした身体。
薄ら笑いを浮かべた顔には確かな自信がにじみ出ている。
この男はヴィンス、冒険者だ。
冒険者とは金銭等の報酬を受け取る代わりに魔法や剣術・武術を行使して様々な依頼を行う職業、つまるところ荒事もなんでもござれのよろず屋だ。
腕っぷしが物を言うし、刹那的な職業柄冒険者にはガラが悪いやつが多い、コイツはその筆頭だ。
今日の仕事場はこういった冒険者の元締めにあたる【ギルド】に併設された酒場だったので、出くわすかもしれないと思っていたが…本当に会うとはツイてない。
「おいおい、【さん】をつけろよ”能無し”アルトちゃぁん?」
「…なんだよ、酒場に来るにゃ早い時間だぞ。」
「いやぁ俺様ほど有能だとラクショーすぎてなぁ、もう終わってんだよ。」
ヴィンスが指さした先ではギルドの職員がヴィンスのパーティーメンバーに報酬の支払い計算をしているのが見て取れた。
まだ昼下がりだというのにもう依頼をこなしてきたのか。
コイツは性根が腐っちゃいるが腕が立つ、悔しいがこの町でも指折りの実力者だ。
魔法と剣術を高いレベルで習得し、誰も受けないような難しい依頼を達成してきたことからこの町
で奴に逆らう人間は少ない。
「そうか、すごいな。」
「いつまでもガラクタ弄りばっかしてる能無しとは違うんだぁよ」
「そうだな。俺なんかと話してると時間の無駄だろ、それじゃ。」
煽るヴィンスを無視して、報酬の入った革袋を掴んで立ち去ろうとする。
「オイ」
ドスのきいた声が耳に届いたかと思うと体を衝撃を襲った。
上下が解らなくなるほどの勢いで頭が揺さぶられ、眩暈がする。
だが、状態は解っている。
どうせいつものことだ。
「無視してんじゃねぇぞ能無しィ!せっかく俺様が話してやってるんだから有難く思えよ、なぁ!?」
「…ゲホッ」
口の中に鉄の味が広がる。
鈍い痛みに頭がさえ、視覚が元に戻ると散らばった酒場の椅子とテーブル。
遠巻きに野次馬たちがこちらを好奇の目で見ている。
これもまたいつもの事だ。
俺の胸倉をつかみながらヴィンスが何か喚いている。
唾が顔に当たるが特に思う事は無い。
勇気がある物は立ち向かうのだろう。
怒りに震える者は拳を握るのだろう。
だが俺はどれも持ち合わせていない。
魔術の才能も
立ち向かう勇気も
どれも持ち合わせていない俺に出来る事はただ願う事だけだった。
(”力”があったら違うのかなぁ…)
そう思いながら俺は流れに身を任せた。