第28話 ソロモンの小さな鍵
◇◇◇
◽︎アトリア・シリウス『ジラトの迷宮』地下二階
ーーそこにはただ純粋な怒りがあった。第三者から見てもしっかりとその目に刻み込まれるであろうほどの怒り。
否、殺意である。
バイツプラントの行動により、捕食されたアトリアは、今現在どうなっているのかシリウスは見当もつかない。
それ故に残されるのはアトリアを守ることが出来なかった己の非力さと、バイツプラント及びペドロリーノへの憎しみのみである。
「あ、あああああああああああ!!!」
シリウスは眼前でアトリアが捕食されるのをこの目で見た。見間違いなんてことはあり得ない。
だからこそ絶望に打ちひしがれている。
「よくやったバイツプラント!お前の天敵である炎属性の魔法を使うあの小娘はこれで死んだ!」
さりげなく言い放ったペドロリーノの言霊は、絶望に瀕しているシリウスの中の何かを切った。
「………」
力無くシリウスはその場でへたり込んで俯く。
その背中からは最早、生気の一つも感じられない。
ーー死んだ。アトリアが死んだ。
さっきまで会話をしていたはずのあの優しい少女が。
何度も仲間として朝日を共に浴びていた、水色の髪の少女が。あの、生意気な態度をとっているスライムが。死んだ。
…だからどうした。アトリアが死んでもやることは変わらない。
私の目的は目の前の敵を排除すること。
でも、少し変わったとしたら。
その結末が予定していたものよりも凄惨になるということだけだ。
「つまんないなぁ。これだから絆の強い人間は面白みがないんだ。…トドメだ、バイツプラント」
バイツプラントはペドロリーノの命令を受けて、またしても蕾を窄めようとその巨体を前傾姿勢へと変える。
そしてバイツプラントはただ俯く銀髪の少女を、捕食出来なかった。
『KA!?』
一瞬バイツプラント自身も何が起きたのか理解出来なかった。
ただ、捕食に失敗したということだけは辛うじて分かったのかもう一度体制を立て直す。
『KAKAKA????』
だが、ここでもう一つ問題が発生する。
もうバイツプラントは捕食自体が出来なくなってしまったのだ。
なぜなら、窄めようとした蕾の下半分の花弁が跡形もなく吹き飛んでいるから。
『KYAAAAAAAAAA!?!?』
「何だ、何をされたんだバイツプラント!?」
もくもくと花弁が煙を上げる中、手をかざしてゆっくりと2人に歩み寄る少女がいた。
その顔は笑っており、だが瞳には一切の同情など見せない、殺意だけが灯された真紅の眼光が見えるのみ。
「呪い殺す…骨の髄までだ!」
シリウスは服の裾から布で簡単に作れるような人形を取り出す。
そしてバイツプラントの灰になった花弁の粉を人形に擦り付けた。
「【ソロモンの小さな鍵】」
スキルの詠唱と共にシリウスの持つ人形が淡く光りだす。
シリウスは人形に手を当て呪文を唱え始める。
「我、汝ら72柱の悪魔を召喚す。我が友アトリアの弔いの為、憎き外道を葬る為、今一度我に力を与えよ…」
「呪術!?しかも召喚だと!…ちっ、バイツプラントまだ間に合う。そこの小娘を殺せ!」
バイツプラントは命令されるよりも先に動いていた。
ーーここで目の前の人間を殺さなければ殺られるのはこっちだ。全てを切り捨ててでも殺す。
だが、それでもやはりシリウスの詠唱の方が刹那だが早い。
「己が身に宿る業火で焼き尽くせ〈ベリアル〉!」
瞬間、シリウスの手にしていた人形は光の粒子となり宙で舞い始める。
それはバイツプラントとシリウスの間に立つように集まり、やがて巨大な人影を形作った。
全身は燃え上がる炎を纏っており、下半身を目視することが出来ない。
頭上には赤黒く染まった天使の光輪が回転している。
それは最早天使の物とは大きくかけ離れている。その姿は正しく悪魔。
『GOAAAAA!!!』
ベリアルは両手から豪炎を噴き出し、前方のバイツプラントに攻撃を仕掛ける。
それに対してバイツプラントは自身から伸びているツルを駆使して防御姿勢で迎え撃つ。
『KYAAAAKAKAKA!!』
初弾は辛うじて防いだものの、炎に植物が勝てるはずもなくツルは凄まじい燃焼を繰り返していった。
「このままだと負ける…!バイツプラント、時間を稼げ!ボクが何とかする!」
ペドロリーノは即座に風属性の魔法を放つ。
その威力は普通であれば木々の数十本は切り倒せるものだが、ベリアルは鬱陶しそうにそれを払い除ける。
結果的に広い範囲にまで火の粉が飛んだだけだった。
「クソっ!化け物かあいつは!」
ペドロリーノは悪態をつきながらも風属性魔法を放ち続ける。この状況を見れば優勢なのはシリウスだ。
しかし内心で舌打ちしているのはそんな彼女の方だった。
「(召喚術式は長く持たない…早いうちにサイカさんと合流できれば…)」
ベリアルの攻撃は確かに強力だが、10分もすればその力の殆どが失われる。
消耗戦になれば負けるのは目に見えているのだ。
「ベリアル、地下三階に降りるよ。アトリアが死なない程度にフロアを爆破して」
バイツプラントに捕食されたアトリアは普通なら死んでいる。
だが、ベリアルの出現によりフロア全体が超高温の中、炎が酸素を奪っている。
つまりバイツプラント自身の生命活動が弱ってきているのだ。
丸呑みされたアトリアはシリウスの予測ではまだ死んでいない。
完全に消化されてしまう前に階下にいるサイカと共にバイツプラントを始末する手立てだ。
『AAAAAAAAA!!!』
ベリアルは命令に従い、火の粉を最大限広げる。
そして頭上の光輪が高速で回転し悲鳴を上げる。
連鎖的に火の粉を通じて爆発が広がり、地下二階の床は崩れ去った。




