scene.5 四年越しの覚悟
長らく会っていなかった俺たちは、辛うじて高校はどこ受かっただとか大学はどこだとか、二言三言、連絡を交わすだけだった。
まさか、こんなかたちで再会するとは思っていなかった。俺の心が決まったとき、区切りがついたとき、迎えに行こうと思っていた。なのに、それは許されなかった。
「なんでっ……!!よりによって愁が、不治の病に侵されるんだよ……っ」
家に帰った俺は玄関に入ってすぐにくずおれた。
どうするのが、最善なんだろう。
泣きじゃくりながら、必死に、必死にそれだけを考えた。
………………もう、どうしようもないんだ。時間は、巻き戻らない。愁の病気は、きっと、いや決して直らない。
その事実が俺の頭を支配したとき、俺の意識は途絶えていた。
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その日、俺はスマホの通知音で目を覚ました。
「んん……」
布団に潜ったまま腕を伸ばし画面を開く。案の定愁からだった。
“先輩、家の前まで来ましたよ、呼び鈴鳴らしても大丈夫ですか?”
時計を見ると、約束の時間の五分前だった。俺はベッドから起き上がり縁に座った。そしてすぐに愁に返事を送る。
“いや、大丈夫、今から開けに行くから待ってて”
自分の部屋を出て階段を降り、玄関に向かう。つっかけを履いて扉を開けると感じる、夏の蒸し暑い空気。そこには、額にうっすらと汗をかいたいかにも夏というような短パンに白いノースリーブの愁がいた。
「はよーございまっす、先輩!」
太陽みたいに明るい笑顔で、愁が言った。
「……はよ。今起きたばっかだからもうちょい待ってて」
「見ればわかりますよ、寝起きの顔だなって。わかりました、待ってます」
そう言ってクスクスと笑う。
「るせ。中入って」
俺は家の中に愁を招き入れた。
「お邪魔しまーす」
「今、家に人いないから。椅子座ってくつろいでて」
愁をリビングに通し、冷蔵庫から出したオレンジジュースを氷の入ったコップに注いでテーブルの上に置いた。
「どうぞ」
「あ、すいません、ありがとうございます」
そう言って、美味しそうにジュースを飲む。相当喉が乾いていたようでゴクゴクと一気に飲んでいた。
そんな愁を尻目に、俺は急いで出掛ける準備を始める。バタバタと慌ただしく動き回る俺に、
「そんな急がなくてもだいじょぶっすよ」
と、可笑しそうに愁が言う。
「うし、準備も整ったし、行くか!」
そう言って俺は、自分の部屋の扉の前に置いておいた荷物を掴んでまたリビングに向かった。
「愁~、お待たせ、もう行けるぞ」
「おっけです!!あ、コップは洗っておいときました」
ほんと、細かいとこまで気が利く。
「おー、サンキュ」
「あっづ……」
玄関の扉を開くと本当に蒸し暑かった。特にひなたは焼けるように暑い。汗がどっと出てくる。
「っすねぇ……」
「行くか……」
俺たちは自転車に跨がってペダルをこぎ始めた。
この日、自転車をこいでいる時の爽やかな風が肌に心地よかったのを覚えている。
自転車に乗っているのに、人通りが少なくて広い道なんかで悪ふざけをしたり坂道をノーブレーキで降りていったりした。
そういえば途中、温くなった飲み物を飲むために公園で一休みした時があった。
思えばあの時、初めて愁に、あるいは自分に対して、違和感を感じたのだった。感じたことのない奇妙な気持ちに襲われたからか、それとも新しく買ったキンキンに冷えた飲み物を飲んだからなのか、どちらかは判らないが一瞬、悪寒が走った。
あぁ、そんなこともあったなといやに懐かしく感じたとき、ハッと目が覚めた。
▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼
「はあっ、はぁっ、……はっ……」
何故だか息が切れていた。その理由はすぐにわかった。目の前に広がるのは、滅茶苦茶に荒らされた部屋。恐らく自分でやったのだろう。玄関で倒れた筈なのに、キッチンまで来ていたから。止めどなく流れていた筈の涙は、とっくに乾いていた。
「はっ、はぁ……はぁ…………ははっ、何なんだ、ほんとに。続きなんて、見たくもないのに。」
あの時のことは、まだ思い出したくないのに。忘れていて、いたいのに……。
きっと、久々に愁に会ってしまったからだ。愁が記憶の引き金になっているに違いない。
……嫌だ。愁にまた、なにもしないまま会えなくなるのは嫌だ。あの時のようにはもう、なりたくない。あの夏の記憶を全て思い出してしまうよりも、辛い。
もう一度、愁にきちんと向き合おう。過去に置いてきぼりにした愁を、俺に会いに来てくれた愁を、そして二人の間に突きつけられた覆すことの出来ない現実を受け止めよう。一時も視線を逸らすこと無く。
失われたときはもう、元には戻らない。残された、一瞬とも思えるような時間を、精一杯に生きるしかないんだ。きっとそれはもう、愁はわかっている。だから、会いに来てくれたに違いないんだ。
時間切れになる前に、俺ももう、覚悟を決めなければならない。