I 後悔を役立たせる【グレイ】
I 後悔を役立たせる【グレイ】
「どうだった。初めての学校は」
グレイはミルクパンを火にかけ、中のココアを木箆でかき回しながら、ソファーに座っているメイとセプトに向かって声を掛ける。セプトが答えに窮していると、メイが溌溂とした調子でハキハキと言う。
「とっても楽しかったわ。お友だちも、たくさん出来たの。セプトは、輪から離れたところにいたみたいだったけど」
メイがセプトのほうを向きながら言うと、セプトは慌てて言う。
「いや、ほら。まだ、今日は初めてだったから、様子を見てただけさ。緊張してたし、戸惑ってたし。あっ、でも。すぐに、慣れるから」
――何を怯えてるんだろう、セプトは。もしかして、何かクラスメイトから嫌がらせでも受けたのだろうか。
セプトが、しどろもどろに答えていると、磨りガラスの嵌った引き戸の向こうから、フィアの声が聞こえる。
「メイ。お風呂が沸いたから、いらっしゃい」
「はーい。――それじゃあ、お先にお風呂にしちゃいます」
メイは、引き戸に向かって元気よく返事をすると、トンと両足を揃えてソファーから降り立ち、パタパタと駆けて行き、引き戸の向こうへと姿を消す。グレイは、火掻き棒で火力をとろ火にすると、玉杓子で二つのマグカップにココアを注ぎ、それを両手に握ってソファーに静々と歩み寄り、片方のカップをセプトに渡しながら、何でもない風を装って言う。
「まだ熱いから、舌を火傷するなよ」
セプトは、差し出されたカップを慎重に受け取り、口を尖らせてフーフーと冷ましてから一口啜る。グレイは先程までメイが座っていた場所に腰を下ろし、ココアを一口含んでから、わざとらしく目線をあさっての方向に移して言う。
「このココアには、他人の心を読むことができる薬を入れてある。辛い、怖い、面白くない。そんな心の声が聞こえるぞ、セプト」
「えっ」
セプトは思わず、目を丸くして驚きながら白茶けた液面を見る。
――図星だったか。まぁ、社交的なメイと違って、内向的なセプトは、なかなかクラスに馴染めないだろうな。
セプトは、慎重にもう一口ココアを啜ると、しばらく難しい顔をしていたが、やがて眉間を寄せながら、腹立たしげにグレイを睨みながら言う。
「心の声なんか、聞こえないじゃないか。鎌をかけやがったな」
「人聞きが悪いな。本音を引き出すための一つの策さ。騙したわけじゃない。それとも、自白剤をブレンドしたほうがよかったのか、セプト」
グレイは、からかうような調子で言っていたが、話しているうちに段々とセプトの表情が険しくなってくるのを見て、すぐに真面目な調子に切り替えて話を接ぐ。
「そう怒るな。学校に馴染めなかった、かつての自分と重ねて見てただけだ」
「グレイも、学校が苦手だったのか」
セプトが質問すると、グレイは遠い目をしながら言う。
「苦手と言うより、一方的に嫌ってたと言ったほうが正しいかな。別に、理不尽なことをさせられた訳じゃない。むしろ、クラスメイトは皆、誰に対しても分け隔てなく親切だった。だけど俺は、その優しさが怖かったんだ。だから、恐怖から逃げようとした。でも、逃げ切れなかった」
グレイが言葉を区切ると、セプトは続きを促すように言う。
「それで、どうしたんだ、グレイは」
「親父の部屋にある薬棚から劇物をくすねて、服毒自殺しようとした。そしたら、まさに飲もうとした直前に見つかって、こっぴどく叱られたよ。普段、理知的な親父が、珍しく感情的になったんで、よく覚えてる」
セプトは、ゴクリと生唾を飲み込む。グレイは、もう一口ココアを含んでから、セプトの背中にソッと手を置いて言う。
「そのあと、洗いざらい白状させられてから、親父に言われたんだ。『お互いのことをよく知らないと、真に仲良くなることはできない。心から話したければ、まず自分から勇気を出して声をかけることだ。相手のことを知りたければ、先に自分のことを教えることだ』とな」
「でも、急に僕から声を掛けたら、やっぱり変だよ」
口をへの字に曲げながらセプトが反論すると、グレイは困ったように笑いながら言う。
「たしかに。俺も初めは奇妙に思われたさ。教室で寡黙を貫いてきた男が、急に自分から話しかけるようになったんだからな。だが、ひと月もすれば、それが当たり前になって、誰も疑問に思わなくなった。そのとき俺は『何でもっと早く打ち解けようとしなかったのか』と思ったんだ」
グレイは、カップに残ったココアを一気に飲み干し、ソファーから立ち上がる。
「続きは、布団の中で考えてみろ。明日、どう行動するかはセプトの勝手だけど、俺としては、自分と同じ後悔をしてほしくないな」
そう言うと、グレイは神妙な顔で空になったカップを水で濯ぎ、近くにある布巾で軽く拭いて棚の上に置く。
――この場は、助言だけで良いだろう。それを受け容れるかどうかは、セプト次第だ。