B エピメテウスの煮え湯【サーラ】
B エピメテウスの煮え湯【サーラ】
――落ち着かない。会って間もないことを差し引いても、どこかザワザワと胸騒ぎがする。
「苺も林檎も、まだ青い実しか残っていませんでしたので、梨と葡萄で代用いたしましたが、よろしかったでしょうか」
クラシカルなメイド服を着た女が、銀製のアントレーを開けながら言った。すると、その黄金色の円盤に目が釘付けになったシエルが、口の端に涎を湛えながら言う。
「わぁ、美味しそう。ねぇ、食べていいよね。早く食べようよ、サーラ」
サーラは、瞳をキラキラと輝かせているシエルを窘めつつ、女に至極あっさりと事務的に言う。
「落ち着け、シエル。そんなに見張らなくとも、パイは逃げないから。――賢明な判断だ。結構」
「はい。それでは、切り分けます」
そう言うと、女は窓からの光を刃に反射させながら、湯気立つパイにサクサクとナイフを入れていく。
――機転が利くし、仕事ぶりも申し分ない。なのに、フィアやヤヨイのように気が置けないのは、何故なのだろう。私の中に居る何かが、警鐘を鳴らしているような。
サーラが難しい顔をしながら考え事をし、シエルがそわそわと待ちきれない様子で座る前で、女は、三十六度に切り分けたパイを乗せた皿を並べていく。
――空腹で考えるのは、よそう。頭が働かない。
「いただきます」
「いただきまーす」
サーラとシエルは、デザートフォークを手に取り、パイの端を一口大に切って上品に口へと運ぶ。そのあいだに、女はケトルからティーカップに熱湯を注ぎ、ジャイロ効果の弱まった独楽のようにユラリユラリと回転させたあと、すぐに熱湯をボウルに捨て、一旦、カップを台車に置いた。そして女は、シュガーポットを開け、シュガートングで中に入っている白い立方体を摘みながら、サーラに向かって確認するように語尾を上げて言う。
「お紅茶は、デザートと同じタイミングで。お砂糖は、シエルさまが三つ、サーラさまが二つ、ですよね」
サーラは、パイを飲み込んでから簡潔に言う。
「あぁ、そうだ。細かいことまで覚えているんだな。感心だ」
――一度しか言った覚えがないのに。記憶力が良いんだな。
「お褒めにあずかり、光栄です」
女は簡単に会釈をすると、ティーポットからティーカップに紅茶を注ぎ、金の縁取りに紺の絵付けが施された青いカップには二つ、銀の縁取りに紅の絵付けが施された赤いカップには三つの立方体を入れた。それから女は、それぞれに揃いのティースプーンとソーサーを添え、赤いほうをシエルの前に、青いほうをサーラの前に置く。女の所作をつぶさに観察しつつも、サーラはシエルに注意する。
「ときどき口の中を潤しておかないと、喉を詰まらせるからな、シエル」
「わかってるよ、サーラ」
そう言いながら、シエルは少し膨れた様子でフォークを端に置き、ティースプーンを緋色の液面に差し込んで軽く掻き混ぜると、ティーカップを持ち上げ、フーフーと口を尖らせながら冷ましつつ、紅茶を口に含む。サーラは、それをやれやれと呆れた様子で横目に見ながら、立方体が形を失うまで掻き混ぜ、紅茶を啜る。
――いつもと味が違うな。
「茶葉を変えたの」
か、と続けようとしたところで、サーラは眉間に皺を寄せ、テーブルに肘をつくと、額を片手で押さえ、何度も瞬きを繰り返す。その横で、シエルは眠そうにコクリコクリと頭を振ると、目蓋を閉じ、背凭れに寄りかかるようにして寝てしまう。
――おかしい。急に睡魔が襲ってきた。
サーラは両手の甲で両目を擦ったり、頬を叩いたりしていたが、やがてテーブルに突っ伏して寝息をたて始める。女は、二人が完全に寝てしまったのを見てとると、口元に不敵な笑みを湛えながらサーラに近付き、サーラの片腕を自分の首の後ろに回し、そのまま抱え上げる。
――くっ。直感は正しかったんだな。ティースプーンが、僅かに黒ずんでた。