第二話 予兆
炎のように真っ赤な長髪がさらりと魅力的な肢体を流れ、ベッドの上に薄く拡がる。
夜、学園寮の一室にて。リエラ・リヒテンファールは自らのベッドに寝転がり、本を読んでいた。
風呂上りのパジャマ姿でパタパタと脚を動かす。それ程厚くない文庫のカバーを見る限りそれは恋愛物のようで、普段は大雑把な所が目立つ彼女も、少女らしい嗜好をしているという事なのだろう。
目線をゆっくりと動かし、少女がまた一つページを捲る。
「ふんふ~ん……ん?」
楽しげに鼻歌を歌っていたリエラは、ふと気付いたように身を起こした。
本に栞を挟み、振り返る。思った通り、玄関から部屋に入ってくる同居人の姿があった。
「おかえりー、レスト」
「ああ、ただいま」
双方、すっかり慣れた応対である。
次いでリエラは、青年の後ろに付いて入って来た銀髪褐色・メイド服の従者、ニーラにも「おかえり」と言って片手を振る。
彼女が小柄な身体を小さく畳み、礼をした。がさり、とその手の袋が音を立てる。
「それでは、私は夕食の準備に取り掛かります」
「頼むよ、ニーラ」
台所に消えていく少女を見送り、レスト。
部屋のテーブル近くに腰を下ろそうとして、パン、と気付いたように手を打ち合わせる。
腕を横に伸ばした。空間が歪み、中の物を魔法で引き出す。
「何? それ」
「座椅子だよ。知らないかい?」
「いや、知ってるけど……」
一人用の座椅子をテーブル前に下ろし、レストは満足気に座り込む。
体重を預けられた背もたれが、きし、と小さく軋んだ。
「さっきニーラと購買に行った時、端の方に置いてあったんだ。値段も安かったからね、つい買ってしまった」
「幾ら規模が大きいからって普通、購買に座椅子なんて売ってる……?」
「普通はクッション程度だろうね。けど、割と学生からの要望が多かったらしく、試験的に入荷してみたらしい。結構売れているそうだよ?」
「まあ確かに、部屋の様式によっては良いでしょうけどね……」
この学園寮は、部屋によって様式がまちまちだ。
ある部屋は和室だし、ある部屋は洋室だし、その中でもフローリングの床にテーブルと椅子、という組み合わせもあれば、カーペットと低いテーブルがあって直に座り込む場合もある。
ここら辺は生徒によって自由に変える事が出来、だからこそ年月が経つ中で好きに改造されてきた訳だが、実際大幅な変更を行うにはお金が掛かる。
学生の身分では中々根本的な変更は難しいのだ。だからこそ部屋に合ったちょっとした家具、というのは意外と需要があるのである。
「面倒な寮よねぇ、此処も」
「如何せん世界中から学生が集まる上、部屋数が多いからね。要望に応えつつ無駄な手間や浪費を防ぐには、学生自身に任せるしかないのさ」
「その結果カオスな部屋もあるって聞いたけど。詳しくは知らないけど魔改造され過ぎて、怪しい儀式場みたいになってるとか……」
「ルームメイトは堪ったものではないだろうね。いや、同類なのかな?」
下らない話をしている間に、台所からは美味しそうな匂いが漂ってくる。
ぐー、とリエラの腹が鳴った。恥ずかしがる……こともなく、彼女は大の字にベッドに倒れこむ。
「あー、お腹減ったー」
「お昼は抜いたんだっけ? 大変そうだね、ダイエットは」
「言わないで。くぅぅ、夏休みだからってダラダラし過ぎたー!」
そのまま暴れる少女に、レストは呆れ顔。
「私には分からないんだが、そんなに気にする事かい? 普通に暮らして普通に食べていれば、体重なんて適正なものになると思うのだが」
「そりゃ体質次第でしょ。第一あんたは魔法でどうにでも出来るんだから気にする必要もないじゃない。この万能者がっ」
「はっはっは、褒められているか貶されているか分からないから、褒められていると受け取っておこう。どうもありがとう」
「ぐぬぬぬ……」
どうも口では勝てそうに無い。
口撃を諦め、リエラは再度起き上がると胡坐を描く。短いズボンから伸びる白い足が目に眩しいが、レストはまるで気にする素振りも無く、
「そうだ、学生寮と言えば」
「ん?」
話を戻し、切り出す。
リエラが疑問気に首を傾げた。
「知っているかい? 今度、増築するそうだよ」
「え、本当? 何時?」
「何段階かに分けて行うそうだが、第一段階は三日後に始まり……夏休みが終わるまでには完了させるそうだ」
「早っ。何だろ、満員だってのは聞いてたけど。急ぐ理由でもあるのかな?」
「さぁ。どうだろうね」
曖昧な答えを返すレストを、リエラはじろっと睨み付ける。
彼がこの程度の情報の答えを知らないはずが無いのだ。これまでの経験からそう理解している彼女は、数秒そのまま睨み続け、しかし直ぐに諦めたように溜息を吐く。
「別にどうでもいっか。たいした理由じゃないだろうし。精々、転校生が来るとかそんな所でしょ」
疑問を適当に押し流し、リエラはベッドを降りてテーブルに着く。
計ったようにピッタリと、ニーラが完成した食事を運んできた。げに恐ろしきは野生の勘、という事であろうか。
「何か失礼なこと考えてない? レスト」
「そんな事は無いさ。さあ、夕食にしよう」
三人食卓を囲み、手を合わせ。
「「「いただきます」」」
合唱と共に、彼等は揃って箸を取った。
~~~~~~
そんな日の深夜。
電気の消えた部屋の中、ベッドで寝息を立てていたリエラは、ふと感じた気配に目を開ける。
「ん~……?」
重たい目蓋を擦り身を起こせば、床に伸びる影が目に入る。
視線を上へ。窓際に置かれた座椅子に身を預ける、同居者が居た。
「何してるの? レスト」
のそりとベッドから這い出て彼に近づく。
振り向いたレストの金色の髪が、月光に照らされて淡く輝いていた。
薄く笑い、彼が手に持っていたグラスをテーブルの上に置く。
「やあ。起こしてしまったかな?」
「う~ん、そうと言えばそうだけど……。何かあったの?」
「どうしてそう思うんだい?」
「いや、だって。あんたが気配を私に気取らせるなんて、どう考えてもおかしいでしょ」
レスト・リヴェルスタはリエラよりも遥か上の、絶対的な実力者である。
それでいて『多少は』気遣いもする。こんな深夜に、他者に気配を察知されて起こしてしまうなどという醜態を晒す事は、通常では有り得ないのだ。
ある種の信頼とも取れる彼女の言葉に、レストは苦笑。
「ふふ、実はちょっと考え事をしていてね。上の空になっていたようだ」
「へぇ、あんたが上の空ねぇ。そんなに大事な事なの? その考え事は」
ん~、と月を眺め少し考え込み、
「大事ではあるが……それ以上に厄介な事、かな」
返された答えに、リエラは飛び上がりそうなほど驚いた。
この男が厄介と断言する。それも表面状だけのものではなく、上の空になるほど心底に。
(一体どんな問題事よ……)
まさか、この間のような――。
そう、先日の悪魔や天使との戦闘を思い返し頬を引くつかせるリエラに、レストは肩を揺らして笑う。
「心配要らないよ。今回の件は君達には完全に無関係な事だ。関係あるのはニーラくらいだが……問題になるのは、私だけだろうね」
「はぁ? 何その分かり辛い言い方」
「こうとしか言いようがないのだから仕方が無い。まあとにかく、君達が気にする必要は無いという事だよ。別に害もないしね。私以外には」
「ふ~ん……」
気になったリエラだが、それ以上は聞かなかった。
彼がこうしてはぐらかす以上、答えは返らないと判断したのだ。それに彼以外に害が無いというのなら、特に警戒する意味も無い。
ぶっちゃけ、彼が幾ら困ろうとリエラには知ったことでは無いのである。むしろ普段困らされている人間として、良い気味だと思うくらいだ。
「ま、頑張ってね。良く分かんないけど」
ふぁ~、と欠伸を浮かべて、リエラは背を向ける。
ぶり返してきた眠気に抗う事なく、ベッドに飛び込む。そうして直ぐに寝息を立て始める彼女に肩を竦め、レストはグラスを手に取り一口。
「しかし、本当にどうしたものか。このままだと、下手をすれば私は殺されるかもしれないな」
言葉とは裏腹に、彼の顔は楽しそうに歪んでいた。
 




