エピローグ 戦勝パーティ?!
時は更に進み、月下の戦争から一週間後。
疲れは消え、念の為の安静も終わり、戦闘のごたごたも粗方片付いて、少年少女は以前と変わらぬ不自由ない夏休みを謳歌していた。
これは、そんなある日の総学での出来事だ。
「ったく。相変わらず外は暑くて敵わねーぜ」
「しょうがないんじゃない、クーリエ。むしろ暑くなかったら異常気象でしょ」
アスファルトで舗装された道を肩を並べて歩くのは、リエラと世羅の二人組みである。
彼女等は薄着に汗を滲ませながらも、近くの模擬戦場を目指していた。目的は当然模擬戦であり、暫く動かしていなかった身体の鈍りを取ろうと、リエラから声を掛けたのが始まりだ。
待ち合わせを昼前に設定し、揃って寮から出たのが十分前。それから今まで、ずっと灼熱のアスファルトの上を歩いているのだから、文句の一つも出るというものである。
「お前さ、私と違って魔法使いなんだろ。だったら少しは涼しくしたり出来ねーのかよ」
「えぇ? そりゃまあ、ちょっとは出来るけど。そういう補助的な魔法、私苦手なんだよねー」
「それでもいいからやってくれよ。模擬戦場まで、まだ少し掛かるしな」
「んー、いいけど。あんまり効果には期待しないでよ?」
しぶしぶ、リエラは温度調節の魔法を自分達に掛ける。
ふわり、とほんの少しだけ二人の纏う空気が和らぎ……それで終わる。
「……おい。一℃も下がってないぞ」
「御免、今の私じゃこれが限界。これでも成長した方なんだけどね」
「くっそ。戦闘以外出来ねぇのかよ、脳筋女……!」
「しょうがないでしょ。剣しか使えないあんたには言われたくないけど」
暑さに気力を奪われているせいか、二人の会話にはどうにも覇気が無い。
特にリエラは顕著だ。どれ位気力が無いのかと言えば、空を飛ぶなりしてさっさと模擬戦場に行けば良いのでは? という提案すら頭から捻り出せない位、気力不十分である。
無論、それは世羅の方も同様であるが。魔導機の無闇な使用を控えるという名目を考慮するにしても、世羅の方は空を走る歩法を会得しており、引っ張っていく事も出来るはずなのだが。思い浮かばないのか、それともこの猛暑の中走るのが嫌なだけなのか。
真実はともかく。結局二人は満足な涼も得られず、ゾンビのようにあーだのうーだの口から吐きながら、のろのろと模擬戦場を目指していた。ダラダラするほど熱に晒されることになるという事実は、当然頭からすっぽ抜けている。
「あーあー。誘いになんか乗らずに、部屋で過ごしてれば良かったかなぁ」
「ちょっと、責任をこっちに擦り付けないでよ。私の提案にノリノリで乗ってきたくせに」
「そりゃだってさぁ。今日はシショーが出かけるって言うから、自主練になったしさ。丁度良いかと……」
愚痴りながら左手の刀を握り締める。
黒い鞘が、夏陽を浴びて熱を持ち始めていた。急がないと魔法使いでもないのに、炎属性が付与出来てしまうかもしれない。
下らない事を考えながら、世羅は脚を進める。隣を歩くリエラの真っ赤な髪に、妙に暑苦しい気分になりつい目を背け――。
「? どうしたの、クーリエ?」
「ん、あぁいや。あれ」
奇妙なものを見つけ、足を止め指差した。
「きゃきゃきゃきゃきゃ~。おっ掃除おっ掃除楽しいな~。きゃきゃきゃきゃきゃきゃ!」
「……何あれ。凄いチャラそうというか、チンピラみたいなんだけど」
「多分、用務員じゃないか? 作業着だし、箒持ってるし」
二人がいぶかしむ前で、その用務員(?)の男は忙しなく箒を動かし、辺りを掃いて行く。
ただ良く見れば、その掃除の仕方は何とも雑で、悪い意味での適当だった。ちっとも掃除が出来ているようには思えない。
「っていうかこの学園内の掃除って、基本的に物宮研究部製の自動掃除機か、テイカーの用務員さんが能力を使って行っているものじゃないの?」
「ああ、そのはずだけど。おかしいな、学園に在籍している者で、テイカーじゃない人間なんて居ないはずだし。もしかして私と同じ様な融通の利かないタイプか?」
「あー、かもね。身体強化しか出来ないとか。掃除には役に立たない、特殊系とか」
それらしい答えを見つけ、二人は勝手に納得した。茹った頭では、もうまともに思考する事すら出来なかったのである。
間も無く、用務員が箒を振り回しながら去っていくと、二人もまた思い出したように脚を動かし始める。その頭からはもうすっかり、先程の用務員の事は忘れ去られていた。
「とりあえず、急ぎましょ」
「おう。そうしよう」
だらだらと歩みを再開させ、十秒。
「あ……」
「ん……? 今度はどうしたの、クーリエ」
またも脚を止めた少女に、リエラは半眼で問い掛ける。
その目には『早く行こうや』とはっきりと描かれていたが、世羅の視線は斜め前方に固定されている為気付いてすらもらえない。
世羅が、すっと道脇のベンチを指差す。
「ほらあれ。あそこのベンチ」
「んん……? あれって確か……『永天』?」
「ああ。間違い無い、学内ランキング第一位――八之瀬久遠だ」
直接会ったことの無い二人でも、流石にこの有名人の顔くらいは知っていた。
学園最強。あのレストをして『絶対に勝てない』と言うほどの少年が、暢気に木陰のベンチに横たわり、寝息を立てていたのである。
普通ならばもっと驚くべき所なのだろうが……暑さにやられた二人の思考は、もう完全に麻痺していた。
「幾ら影の中とはいえ、こんな外で寝て暑くないのかね?」
「大丈夫なんじゃないの? 学園で一番の人だし。不思議パワーで何とかしてるんでしょ」
「にしたってなぁ。おまけに何か子供を抱きしめて寝てるし。あれじゃあ余計に暑いだろ」
「それも不思議パワーで解決でしょ。幸せそうな顔してるし。親戚の子か何かかな?」
「分からんぞ。物宮博士もあんな子供だし、飛び級かもな」
ぼーっと、茹った頭で当ての無い会話を交わす。
が、やがて興味を失ったのか、二人は揃って前を向くとのろのろと、
「まぁいいや。行きましょ」
「ああ。早く行こう」
模擬戦場を目指して、再度行進し始めた。
灼熱のアスファルトの上を焼かれながら進んでいく。
結局、彼女等が模擬戦場に着いたのはそれから更に十分後の事だった。
~~~~~~
「で。なーんでこうなる訳?」
辿り着いた模擬戦場で、リエラは溜息と共にぼやく。
此処は第七模擬戦場。彼女等が当初目指していた模擬戦場とは、近いが別の場所である。
「私はわざわざ二週間も前から、あの中規模模擬戦場の使用申請を出しておいたんだけど。それを取り上げられた上、強制連行って。どうよ?」
「ははは、そう文句ばかり言わないでくれ。良いじゃないか、こっちの方が設備が整っているのだから。それに取り上げたのではないよ、ただ元々此処を予約していた子達に代わりに渡しただけだ」
気楽に言うのは、何故かマントを纏った姿のレストである。
戦闘時以外には早々見ないその姿を疑問視しながらも、リエラは呆れたように頭を振る。
「それは分かるけど、何となく納得行かないでしょ。此処の優先権があんたにあるのは知ってるけどさぁ……別に私を巻き込まなくても良くない?」
「いやいや。今回は君達の為に此処を取ったようなものなのだから、居てくれないと困るんだよ」
「君達、ねぇ……」
口を一文字に閉じながらも周囲を見渡す。
藤吾が手を振っていた。綾香が苦笑している。ニーラは何時も通り無表情だ。
一緒に連れてこられた世羅は空調の効いた室内にシャツの胸元をパタパタして喜んでいるし、何故か端っこの方には腕を組み不機嫌そうな荘厳まで居る。
見慣れた面子と言われればその通りなのだが、リエラにはどうにも不思議でしょうがない。
「何であんたがわざわざ私達の為に、この模擬戦場を用意するわけ? 何かしたいなら別に私が元々予約しておいた模擬戦場でも良くない?」
「確かに、それでも悪くは無いが。せっかくのパーティーだ、大きな会場でやりたいじゃないか」
「パーティー? って何の?」
「遅ればせながら、一週間前の戦争の勝利を祝う。という名目で、皆で騒ごうというだけのパーティーさ」
言って、楽しげに口角を吊り上げるレスト。
リエラが訝しげな顔でもう一度周囲を見渡せば、成る程確かにテーブルや食事が今正に用意されている所であり、祝勝会らしくはあるだろう。
「けどさ、わざわざ模擬戦場でやらなくても。此処糞ほど広いし、こんな人数じゃ落ち着かないだけじゃない?」
「? まさかとは思うが。ただ食事をする為だけに、この場所を確保したとでも?」
「……あぁ、まあ。そんな気はしてた」
レストの言いたい事を察し、リエラの顔が露骨に歪む。
そもそも最初から分かっていた事だ。彼があのマントを着けていた時点で、戦う気満々だという事は。
「で? まずは食事? それとも模擬戦?」
「話が早くて助かるよ。けど少し待ってくれないか? まだメンバーが揃っていないんだ」
「へ? これ以上、誰が来んのよ?」
「ああ、それは……ん。丁度来たみたいだ」
言いながら振り向くレストに合わせ、リエラも振り向く。
そうして目をパチクリ。言葉を失った。
「実は、あんな戦いの後とはいえ君達がだらけ過ぎではないか……という話を彼等としてね。せっかくだから皆で稽古をつけてやろうか、という流れになったんだ」
「……冗談でしょ。あんた一人でも、何時もボロボロにされるってのに」
そこに居たのは、レストに負けず劣らずの強者ばかりであったのだ。
『極剣』四字練夜。『無現』菜々乃七海。『速狂士』物宮西加。先日の戦いに参加したナインテイカー達である。
思わず目を擦る。が、現実は変わらず。どれだけ否定しようとしても彼等の姿が消えることは無い。
「……ぃ……ゃ……」
「どうかしたかい? リエラ」
「い……いやぁぁぁああああああ!! 絶対に嫌! 地獄になる未来しか見えないぃぃぃぃぃいい!!」
発狂したように騒ぎ出す。
そんな彼女にレストは肩を竦め、綾香は苦笑を濃くし、藤吾は諦めろとばかりに達観した目を向ける。
最早逃げ道は無かった。微かな希望を胸に荘厳を見やれば、彼はじっと目を閉じ佇んでいる。
動じていない、と感心しかけ……良く見れば手元がプルプルと震えていた。実はびびっているらしい。
(なら、クーリエは……!)
元々、圧倒的強者であるレストとの戦いを恐れ、躊躇っていた世羅である。彼女ならば自分の味方になって、この状況に否を突きつけてくれるのではないか、と期待するリエラだが。
「へっ上等。それでこそやりがいがあるってもんだぜ!」
(えぇー。何か超気合入ってるし)
拳を握り、やる気を露にする少女に思わず頬を引くつかせる。
訳が分からない。彼女はこんな、戦闘意欲に溢れている人間だったか?
「ね、ねぇクーリエ。あんた一体どうしたの?」
「は? どうしたのって、何がだよ」
「いや、だってさ。こんな無茶苦茶な戦い、どう考えたっておかしいでしょ。何でそんなにやる気なの?」
「何でって……そりゃ決まってるだろ」
未だ信じられない様子のリエラに、世羅はにやりと不敵な笑みを浮かべて、
「もっと強くなる為さ。剣の極みに至ってシショーに追いつく為には、ナインテイカーのような強者ともガンガン戦わなきゃならない。だったら此処でびびってはいられないだろ」
「いや、でもこの間まではさ」
「前は前、今は今だ。……お前から学んだんだぜ? 『細かい事は考えず、がむしゃらに立ち向かっていく強さ』って奴をさ」
表情を快活な笑みへと代え、世羅は呆然とするリエラの背中を勢い良く叩くと、腕を回しながらレストの下へと近づいて行く。
気付いたレストが振り向いた。
「おや。愛しの師匠の下へ行かなくて良いのかい?」
「うるせー。確かにシショーとも戦いたいけど……まずは、あんたに約束を果たして貰わなきゃな」
「約束?」
「忘れたとは言わせねぇぞ。海に付いて行く代わりに私と戦う。あの約束、まだ果たせてねぇだろ?」
「……ふふ、そうだね。まずはその約束をきっちり果たしてから、か。ところでその約束――戦う理由はまだ、シショーの名誉の為かい?」
「いいや。シショーの件ならもうとっくに解決してるよ。この間の戦争の活躍を見てた連中が結構居たらしくてな、いまや学園の中は『やっぱりナインテイカーは凄いんだな』って話で一杯だ。シショーの評価も鰻上りだよ」
ま、それが正しい評価なんだけど。
肩を竦めてそう言う世羅に、では、とレストは問い掛ける。
「何故、君はまだ私と戦おうとするんだい? 強くなりたいにしても、魔法による砲撃ばかりを使う私から君が学べることなどほとんどないと思うが」
「別に。そういう相手との戦い方、ってのは学べるし。それに――」
「それに?」
「何かムカつくのさ。あんたのその面が」
「……く、くくっ。そうか、面が気に入らないか。それは仕方が無いな」
「ああ、仕方が無い。だからっ」
しゅらり、世羅がその手の鞘から刀を抜き放つ。
レストの魔力が昂ぶった。他の面々も模擬戦の開始を予感し、各々戦闘体勢を整える。
「いざ尋常に……勝負っ!」
「ああ、真正面から受けて立とう。さぁ――場所を、変えようか」
その言葉を契機に、世界が広がる。
レストが、世羅が、藤吾が、綾香が、ニーラが、荘厳が、四字が、七海が、西加が。次々と闇に――彼の世界に吞み込まれていく。
そんな中、最後に残ったリエラ・リヒテンファールはというと。
「ま、不味いっ。そうだ、直ぐにこの模擬戦場から逃げ出せば――ああっ、間に合わない!? の、吞み込まれ……!」
逃亡に失敗し。バクン、と閉じた世界に、食われるように巻き込まれてしまったのであった。
その後の模擬戦は……銀河が一つ二つ消える程の激戦であったことは、此処に記しておく。
~~~~~~
「あれが九天島か。中々大きい島じゃないか」
「はい、お父様。私楽しみで仕方ありません。もうすぐ世界一と名高い、第一魔導総合学園に通う事が出来るのですね」
「ああ。今回は視察だが……新学期から、さっそく通ってもらうつもりだ。準備は既に出来ているな?」
「勿論ですお父様。日本語もばっちり。万事抜かりありません」
「はは、気合が入っているようで結構。さて……噂には聞いているが、どんな所かな。実際に見る、総学というものは」
「楽しみですね。お父様っ」
島を見下ろす飛行機の中で、少女と父は期待に胸を躍らせる。
新たな来訪者は、果たしてこの島に何を齎すのか――。
夏はもう少しだけ、続きそうだ。
―― ナインテイカー第三章 完 ――




