第二十三話 融合
暗き公園を、白炎が照らし出す。
真機を片手に佇み、じっとアンマリーを見詰めるリエラの姿は、これまでとは大きく変貌を遂げていた。
血のように赤い髪は真っ白に。同じくルビーのように赤かった瞳は明るい銀に。全身の傷跡は溢れる生命力によって残らず消え去り、付着していた血液は白炎に包まれ蒸発していく。
そして、左手。硬く握り締められたその甲には、光を放ち輝く、美しい紋章が刻まれていたのだ。
自身とはまた違う変貌を目の当たりにし、アンマリーは眉間を顰める。瀕死の状態からの突然の変化を疑問に思い、しかし彼女の賢明な頭がすぐさま答えを見つけ出す。
「我が抜き取った五つの魂。あれを自らの内に取り込んだのか。まあ、そうすれば確かに力は上がるだろうが……愚かだな」
答えに至り、だからこそアンマリーは嘲笑う。
「それで我に勝てるとでも思ったのか? 貴様等六人の力を合わせた程度で? 全く度し難い。度し難い馬鹿だ。忘れたのか? 貴様等は六人がかりで我に手も脚も出なかったのだぞ? それを一つに合わせたからといって、結果が変わると思うのか?」
アンマリーの主張は、全くの正論だった。
十の力を六つ束ねた所で、百には勝てない。リエラ達とて同じだ。魂を融合させた所で、その力は元々の個が持っていた力の総量を超える事は決して無い。
何故なら魂とはその人の根幹。根本的な力の器であり、融合とは掛け算ではなく足し算である。ならば六つの魂が合わさっても、アンマリーに及ぶわけが無いのだ。
「本当に手間の掛かる餓鬼共だ。良いだろう、ならば今度こそ完全に打ち砕き、屈服させ、その魂を喰らってやろ――」
言葉はそこまでだった。
呆れたように首を振り、アンマリーがメイスを引き抜いた、その瞬間。
彼女の頬に、力強い拳が突き刺さったのだ。
「う、ぉ……っ!?」
短い唸り声を上げ、アンマリーの身体が矢のように吹き飛ぶ。
あまりの威力と衝撃に脳は一時的な混乱をきたし、視界がぐるぐると反転する。
それを見送り、拳を突き出した体勢のリエラは、ぐっと地面を足で押し込んだ。
少女の姿が搔き消える。高速で吹き飛ぶアンマリーへと即座に追いつき、リエラは右脚を振り上げた。
「がっ!」
反応すら許されず、天使が無様に宙を舞う。
右脚を降ろし、体勢を整えたリエラは空飛ぶ天使をじっと見詰め、背の翼から白炎を噴出した。飛翔した身体が雷の如き速さで目標に追いつく。
「く、そ……!?」
痛みに顔を歪めながらも、羽ばたき一つで何とかコントロールを取り戻したアンマリーの視線と、リエラの視線が重なり合う。
一瞬の空白。落ち着いた、冷静な瞳を驚愕の瞳で見詰め返し、アンマリーは弾かれたようにメイスを振るった。
切り裂かれる空。だが、少女の身体には掠りもしない。
目標を見失ったアンマリーが目を見開き――背後から気配。
「後ろ――!?」
急いで振り向けば、既に大剣を振り上げたリエラの姿が目に映る。
迅雷の如き一撃が振り下ろされ、防御に回した翼ごと、アンマリーを地表へと打ち落とす。
アスファルトが砕け剥がれ、噴煙を上げて天使は地面に墜落した。それを追うことも無く、ゆっくりと地に降り立って、リエラはただ毅然と立つ。
だんっ、と音を立てて、アンマリーの手がアスファルトを叩いた。
「かはっ、がぁっ。どうなっている、奴は。何なんだ、この力は」
口の端から血を漏らしながら、呻く。
与えられた三撃は、確かにアンマリーの身体にダメージを刻んでいた。それも一瞬で余裕が消えるほどの大ダメージだ。
四肢を動かし、メイスを支えにして立ち上がりながら、彼女は感じる力に顔を歪める。
「馬鹿な。奴から感じるこの強大な力、これは総量も然ることながら……神力、だと? 奴は、奴等は、神になったとでも言うのか!?」
つい先程までは薄っすらとしか感じ取れず、判然としなかった力。その正体に気付き、アンマリーは愕然とした。
即座に否定しようとするが、出来ない。吞み込まれそうなほど巨大な力から感じる神威は、確かに神である事の証明だ。神に仕える自らが間違えるはずが無い。
「有り得ん。有り得ん有り得ん! 奴は確かに人間だ、それ以外の何者でもないっ。たかが人間の魂を六つ集めた所で、こんな巨大な力に、それも神威を纏った力になるものか! 一体貴様、どうなっている!?」
「分からない? ま、でしょうね」
慄く天使に、悠然とリエラは言葉を紡ぐ。
「確かに私達の魂を集めた所で、こんな力は出せないでしょうね。あんたに届く事もない。そう、普通なら。でもさ、残念ながら私は、ちょっとだけ普通じゃないのよ」
「普通じゃ、ない?」
「そう。私には、他の人には無い不思議な力がある。レスト曰く『心の力』。心の強さに、想いの強さに反応して力を増す、特別な力」
「それが、何だと言うんだっ」
「分からない? 重要なのは、六つの魂が一つになった事じゃない。六つの心が、一つになった事なのよ」
「心、が……?」
リエラ達六人は皆、それぞれが強い心を持った者達だ。
レストに『輝く心の持ち主』として目をかけられているリエラと荘厳。誰かの為にと、努力を重ね強くなろうと出来るニーラ。高天試験を経て、大きく心を成長させた藤吾と綾香。そして、余計な迷いや悩みを捨て、剣の領域にまで至った世羅。
一人ではまだ、録に心の力を引き出せないかもしれない。けれど六人集まれば。六つの心が、一つになれば。
「こうして、力を引き出せる」
「こうして、お前に追いつける」
「こうして、貴女を超えられる」
「……皆さんの心と一緒なら」
「絶望とて、跳ね返し」
「むかつく天使を、ぶっ飛ばせる!」
身体は一つ。だが六つの声を口から発し、リエラは答えた。
彼女は一人であって一人ではない。今も皆は、共にあるのだ。
「「「「「「さあ、覚悟を決めろ、アンマリー・ロッテ。懺悔の時間は与えない。裁きの時だ!」」」」」」
剣先を突きつけ、六にして一のリエラは宣言する。
白き炎が立ち昇り、彼女の周囲を彩った。左手の紋章が光を放ち、闇夜に希望を照らし出す。
思わずひれ伏してしまいそうな神々しさと、威圧感。それ等を受け、アンマリーは強く歯を打ち合わせ、底の無い怒気を露にする。
「人間如きが、天使たる我を裁くだと!? 調子に乗るものいい加減にしろ……っ。ならばその驕りも、心も。我の全力を以って打ち砕いてやる!」
天使が、身の内に秘める力の全てを解放する。
背から新たな翼が出現した。四つとなった純白の翼を羽ばたかせ、周囲に羽を舞い散らせながら、アンマリーはメイスを堅く握る。
その身からは先程までと比べ倍する力が発せられており、彼女の言った通り全力である事が窺えた。そこに居るだけで世界が彼女に染まっていくような、圧倒的で暴力的で膨大な力。
だが、リエラは染まらない。強い意志を瞳に宿し、地を踏み締める足に力を入れる。
アンマリーもまた、ほとんど同時に地を蹴った。飛び出した二人の武器が、重い音を立ててぶつかり合う。
拮抗は一瞬。押し負け、吹き飛ばされたのは――アンマリー。
「くぅぅ……!? これでも、押し負けるだとっ」
「どうした、天使様よ」「この程度が、全力か?」「なら……貴女は私達に、傷一つ付けられませんね」
「人間如きがっ。天使たる我を見下すか!」
「お前と一緒にするなよ。別に見下してるわけじゃねぇ」「……ただ、事実を言っているだけです」「だから、油断も慢心も無い。だから、あんたは私達に決して勝てない。それが全てよ」
一歩、リエラは踏み出した。反射的にアンマリーが一歩下がる。
完全に無意識の反応で、だからこそ本心を如実に表していた。本当は気圧されているのだ。全力を出した自身よりも、遥かに大きく感じる相手の力に。
だが彼女にはプライドがある。天使として、人間如きに負ける訳にはいかないというプライドが。それが彼女に退く事を、逃げる事を良しとさせない。
故に己を奮い立たせ、アンマリーは猛牛のように突っ込んだ。再び、重い音が公園に響き渡る。
「我は、我は主の祝福を受けし天使だぞっ。その我が人間如きに敗北する? そのようなこと有り得ない。有り得て良いはずが無い!」
「そうやって見下してるから駄目なのよ。って、言っても変わらないんでしょうね、あんたは」
「変わる必要など無い。我が貴様等に負ける事など、無いのだからっ!」
「どうしようもない奴。なら――ぶっ潰してあげるわ!」
アンマリーを蹴飛ばし距離を取ったリエラが、真っ白な炎弾を形成する。
腹部に走る激痛に身を屈める天使には、それを避ける余裕は無い。翼を纏って急いで防御するも、万を超える温度の炎に殺到されれば、中の彼女は蒸し焼きだ。
必死で耐えるアンマリーの顔を、苦渋と汗が彩った。このままでは焼き殺される――悟り、彼女は刹那の隙に翼を解くと空へ向かって羽ばたいて、
「貴様、いつの間に……!」
上空には既に、リエラが静かに佇んでいた。
驚く間もなく、白き鞭が振るわれる。しなり、うねる鞭の速度はあまりに速く、アンマリーを以ってしても全てを見切るのは不可能だ。
まるで空間を埋め尽くすかのような白線に、アンマリー・ロッテという存在が次々と削られていく。がむしゃらに動き回り、運の良さだけで辛うじて凌ぐ彼女には、最早リエラ本体を見ている余裕すら微塵も無い。
「避けるのに必死で隙だらけだぜ?」
「ご、あっ!?」
少年の声と共に真機がアンマリーを打ち据える。
地に落ちていく彼女へと、リエラは力を練り上げた。あっという間に集った力が真っ白な風と化し、頭上に竜巻を作り出す。
竜巻が、振り下ろされた。スパークを伴った暴風が、瞬く間にアンマリーを吞み込んでいく。
全身を切り刻まれ、雷撃で焼かれ、アンマリーは声にならない悲鳴を上げる。だがそれすらも竜巻に吞み込まれ、纏めて地面に叩きつけられた。
「ま、だだ。この程度で……がっ!? これ、は……重力、だと!?」
懸命に立ち上がり、再度羽ばたこうとしたアンマリーの周囲が、彼女ごと大きく陥没する。
自らを抑える力に必死で抗いながら、天使は歯を食いしばった。あまりの負荷に骨が軋み、脚が砕けかけるが、それでも何とか堪え重い足で力場の外へと無理矢理逃れる。
直後。横合いから伸びてきた捕縛魔法が、彼女に巻きつきその動きを停止させた。
「糞っ。こんなもので、我を抑えられると思うな!」
全身に力を籠めるアンマリーだが、一向に拘束は緩まない。
彼女が抵抗を続ける間に地上へと降りて来たリエラの頭上に、巨大な魔法陣が描き出された。光を宿す陣が瞬きの間に完成し、少女の意思に応じて前方へと移動する。
「炸裂せよ。ル・ラ・レイラ――」
静かな宣言と共に、光砲は撃ち放たれた。
未だ拘束を破れぬアンマリーに抵抗の術は無い。自身の身体よりも大きな砲撃を全身で受け止め、苦しみの声を上げる彼女に、更なる追撃が齎される。
砲撃が炸裂。美しい十字を描いて、光が弾けた。瞬間的に増した衝撃を一身に叩き込まれ、天を仰ぐようにその場に膝から崩れ落ちていく。
それでも意地なのか。意識を朦朧とさせながらも、アンマリーの身体は完全には倒れない。脳に神力を巡らせて、ぼやけた意識を叩き起こす。
「やっと、やっと分かった。貴様は、貴様等は危険だ。ナインテイカーなどよりも、警戒するべきは貴様等だった……!」
「……いや、それは違うと思うけどね。実際何があったのか私達は知らないけど。多分、あんたはナインテイカーの実力ってやつを勘違いしていると思う。って、聞いてないか」
「排除する、此処で。我の力、その全てを使いきってでも!」
ボロボロの翼を広げ、アンマリーは上空へと飛翔した。
あえて追わず、リエラは地上から天使を見上げる。
空に、巨大な槍が生み出された。
「消し飛ばしてやるぞ。どうせ封印を力尽くで破ることは出来んのだ、ならばどれだけ大きな一撃を撃ち込もうとも、封印に影響は無いっ。この島ごと、貴様を消し飛ばしてやるっ!」
メイスを投げ捨て、掲げられたアンマリーの右腕。その先に造られていく神力の槍は、時間と共にどんどんと大きさを増して行き、ついには十階建てのビルにも匹敵する巨槍へと成長する。
籠められた力の量も当然膨大だ。後先も考えず全力を注ぎ込まれた神槍は、彼女の言葉通り九天島を跡形も無く消し飛ばすだろう。
だからこそ、リエラに避けるという選択肢は無い。そして始めから、そのつもりも無い。
「行くわよ、皆」
決着をつけるべく、リエラは真機を振り上げた。
両手で握り締め、心を籠める。六つの心が力を生み出し、引き出された心力が光となって、掲げた真機へと集っていく。
まるで、神話のように美しい光景だった。地上に生まれた新たな神話の目撃者となり、しかし認める訳にはいかず、アンマリーは渾身の力で咆哮する。
「最早魂などいらん。原子をも破壊する我が神槍を以って、存在の欠片も残さず消え失せろ――!」
破壊の神槍が、地上へと侵攻した。
轟音を上げ落ちてくる脅威に、けれど揺るがず、リエラは覚悟の燃える瞳で狙いを定める。
互いの距離が中ほどまで詰まった時。遂に、剣は振り下ろされた。
「「「「「「絶望を、切り裂けっ。レギオン・ディス・セイバァァァァァアアアーーーー!!」」」」」」
極光が迸り、夜空を閃光が貫いた。
彼女等の心をそのまま力に変換したような、あまりに眩くあまりに美しい極光は、一切の拮抗を許さず巨大な神槍を消し飛ばす。
そのまま、空へと立ち昇る光がアンマリーを吞み込んだ。咄嗟に防備を固める彼女だが、砲撃でもあり斬撃でもある極光は、身を覆った翼をあっという間に削りきる。
「我が、負けるというのか。人間如きに、天使たるこの我が――!」
断末魔の叫びを上げて。天使の姿は、極光の中に消え去った。




