第二十二話 皆と共に
月光に照らされた九式記念公園に、静寂が満ちる。
ゆっくりと風が吹いた。草木の揺れに合わせ、服の裾を揺らし――アンマリー・ロッテは、目の前に倒れる少女をじっと見下ろす。
肩は抉れ、脚は内肉が露出し、全身から血を垂れ流す。死んだように満身創痍の状態だが、まだ命は尽きていない。極限まで力を振り絞った反動で意識を失っているだけだ。
「……最後の一撃。素直に驚嘆だな、まさか人間があれ程の剣を見せるとは。いや、人間だからこそ、か」
必殺の力を籠めた投槍を、真っ二つ……どころか完全消滅させた、世羅の剣。
その斬撃の素晴らしさが、アンマリーには全てでは無いが理解出来ていた。
何せ剣の道に関し造詣が深いわけでもない彼女でさえ、心を打たれたのだ。振るわれた剣技を見た瞬間、思わず呼吸さえ忘れ、立ち尽くしてしまう程に。
それは正に、剣における一つの極み。基本を何処までも突き詰めたからこそ生まれる、芸術と呼んでも差し支えないだろう。
「飾り気など何一つ無い。演武のように、他人に見せる為のものでもない。ただ何処までも極められた武技は、それだけで他者を魅入らせる――という事か」
パチパチパチ、と乾いた音が、静かな公園に響き渡る。
自然と出た拍手に、アンマリーは不快感を抱く事は無かった。人間相手の賞賛だというのに、むしろ当然だと思っている自分が居る。
「剣鬼の状態では恐らく放てなかっただろう。あれの状態も悪くなかったが、剣に心が乗っていなかった。乗せる心が死んでいるのだから当たり前だろうが。だが、先程の一撃は……確かに心が乗っていた」
自分でも驚くほど穏やかな声と共に、彼女は倒れる世羅へと近づいて行く。
傍に立ち見下ろした少女の顔は、妙に満足気だった。つい苦笑し、鼻を鳴らしてしまう。
「ふんっ、我を倒した訳でもないというのに、随分と暢気な娘だ。まあ、そんな事を考えている余裕すら無かったのだろうが」
嗜めるように言いながら、アンマリーは左手を天に掲げる。
先の鋭い、手刀の形。狙いは倒れる少女の胸元だ。
「先の一撃を見て、殺すのが惜しくなった。が、同時に野放しにしておくのも危険だと思えたのでな。予定通り貰うぞ、貴様の魂を」
穏やかな風を切り裂いて、手刀が振り下ろされる。
抵抗は無く、呆気なく世羅の胸は貫かれた。引き抜けば手には輝く小さな球体――世羅の魂。
ついでに仕舞っておいた四つの魂を取り出し、五つとなった少年少女の命の輝きを左手に乗せて、アンマリーは目を細める。
「どれも魅力的な魂だ。祝いの食事としてこれ以上に相応しいものはあるまい。くく、楽しみだ――」
月光で調理するように左手を掲げ、うっとりと魂の煌きを見詰めるアンマリー。
漸く味わえるご馳走と、悲願である主の復活を前に、彼女は僅かばかりの陶酔に浸って。
「……ああ。そういえば、忘れていたな」
高速で空を駆けた影に、手の輝きを奪い取られた。
焦る事もなく宙の残火を追って視線を落とせば、背の翼から火を噴いた少女が奪い取った魂を大事そうに抱えているではないか。
「貴様の魂はまだ、抜き取っていなかったか。我としたことがうっかりしていたな」
地に置いていたメイスを再び持ち上げながら、アンマリーは己を睨む少女――リエラ・リヒテンファールに嗤い掛ける。
余裕綽々の強者に、リエラは思わず歯噛みした。脇腹の痛みは激しく、地に打ち付けられたせいか全身には痣が出来ている。世羅に負けず劣らず、満身創痍の状態だった。
得意では無い治癒魔法で応急処置を施しながら、彼女は真機を握り締める。
(とりあえず奪ったけど。どうやらこれが皆の魂、って事で良いみたいね。それにしてもちょっと寝ている間に私一人か。ほんと、笑っちゃうくらい酷い状況)
地に倒れ付す皆を見渡し、リエラは下唇をぎゅっと噛む。
目が覚めた時には既に皆は倒れ、丁度世羅に手刀が振り下ろされる所だった。そこから無理矢理全身に魔力を叩き込み、身体を起こして、陶酔するアンマリーの隙を突いて魂を取り返したのだ。
これが本当に彼女等の魂なのか、魂について詳しくない己には判断がつかない。だがそれ以外に考えようもなく、だからこそなんとしても守らなければならない。
(あいつの本気が私よりも遥かに強いのは、良く分かった。このままじゃ勝ち目は無い……。せめて、皆の魂を元に戻せれば)
上手くいくかは分からないが、魂を抜き取られただけだというのなら、戻せば蘇生出来るかもしれない。
幸いと言うべきか。アンマリーの手刀は霊的な干渉だったらしく、胸に直接穴が空いた訳ではないのだ。肉体が死んでいないのならば、蘇生出来る可能性は確かにあった。
(でも、出来る? あいつがそんな真似を見逃すとは思えない。そもそも魂って、どうやって戻したら――)
「無粋なものだな、全く」
聞こえた声に、リエラは即座に思考を中断。憮然とした顔のアンマリーを改めて睨みつける。
鋭い視線を向けられ、しかし揺らぐ事なく天使は続けた。
「せっかく良い気分に浸っていたというのに、余計な邪魔をしてくれる。大人しく倒れていれば良かったものを」
「そういう訳にもいかないでしょ。友達の魂が喰われかけてるってのにさ。それにあのまま倒れてたら封印が解かれて、どのみち私も死んじゃうしね」
「どのみち死ぬのは、今も変わらないと思うがな。貴様では私に到底届かぬ事はとうに理解しているだろう。ましてその身体で、何が出来る?」
「……さあね。でも諦める気には、なれないかな」
息も絶え絶えに答える少女に、アンマリーが呆れた様子で首を回す。
全身から放出された神力が、強い圧力を生み出した。抵抗は無駄だと告げられていると理解して、しかしリエラに諦めは無い。
(此処で私が倒れれば、此処で私が抵抗を止めれば。皆が死んでしまう。それだけは出来ないっ)
彼女には覚悟があった。今までも命懸けの戦場に挑む覚悟はあったが、それとはまた少し違う。
最後まで戦う覚悟。どんなに苦しく、勝ち目が薄くとも、それでも戦い続ける覚悟。大切な人達を守る為、絶望と苦しみに立ち向かう覚悟だ。
「絶対に、負けない。絶対に、諦めない。必ず皆を、守ってみせる!」
左手に持つ魂の温かさを感じながら、リエラは魔力を昂ぶらせ周囲に炎を侍らせた。
真っ赤な輝きの中に、ほんのりと白の混じった、豪炎を。
アンマリーがほう、と感心した声を漏らす。
「その力、一体何だ? どこかで感じた事があるような……。薄くていまいち判然とせんな」
「さあね。私も、詳しくは知らない」
自分の炎に自分で驚きながら、リエラは返す。
ずっと引き出したいと願い、しかし叶わなかった力がそこにはあった。かつてレストとの戦いで引き出した、心の力。
(今更出てくるなんてね。しかもこんな状況でも少しだけ、か)
感じる力の量は、かつての戦いには到底及ばない。精々が、先日の高天試験で引き出せたものより僅かに上、という程度だ。
(これじゃあ厳しい。けど、それでもやるしかない)
ゼロよりはマシだと、リエラは自身を奮起させる。
勝率は増した。一パーセントが二パーセントになったような、僅かな増加かもしれないが、それでも何も無いよりは遥かにマシだ。
眼球を忙しなく動かし、皆の位置を確認する。倒れる彼女等の下までどうにかして辿り着き、まずは魂を戻さなければ。
「皆が戻れば勝てる、などと考えているのなら。甘えが過ぎるぞ」
リエラの目論見を看破し、アンマリーが嘲笑する。
ギリ、とリエラの歯が音を立てた。
「やってみなくちゃ、分からないんじゃない?」
「分かるさ。見ていなかったから知らんだろうが、貴様が倒れてから貴様の仲間達はどれだけ持ったと思う? ――四人で三十秒。残るそこの剣士も、十分と経たずに力尽きた。本気を出しただけでそれなのだ、我が全力を出せばもっと短くなるだろう」
「でも、それはあんたの変貌に驚いていたからで――」
「変わらんさ、今でも。隙無く構えていても、結果は同じだ。まして我に唯一対抗できたそこの剣士は、限界まで力を使い果たした事で倒れたのだ。魂を戻した所で、戦闘に参加する事は出来まい」
「…………」
「貴様が多少力を上げようと、全体の戦力は低下した状態だという事だ。それで、我に勝てると? 寝言は寝て言うべきだな」
アンマリーの言い分が、リエラには良く理解出来ていた。
皆を復活させたところで勝機など無い。逃げるだけなら出来るかもしれないが、そもそも逃げれば封印が解かれ島が壊滅し、自分達も結局死ぬ。
八方塞の状況だ。唯一打開の道があるとすれば、耐えて耐えて耐え続けて、増援を待つ事だが――
(そんな不確かなもの、待ってはいられないしね。そもそもあいつ相手に有効な増援なんて、現状ナインテイカーくらいしか思いつかないし。肝心のレストは追い詰められて、他のナインテイカーもまるで来る気配は無い。頼りにするのは神頼みよりも厳しい、か)
自分達で何とかするしかない。自覚し、リエラは魔力を振り絞る。
炎が凝固し、周囲に三本の槍が現れた。その矛先を天使な修道女へと向けながら、魂を懐に仕舞い込み、両手で真機を握り締める。
「あくまで抵抗するか。ならばお前の魂も奪い取り、フルコースを完成させるとしよう」
「――行けっ!」
撃ち放たれた三本の炎槍と、極光の槍がぶつかり合う。
生み出したたった一本の神槍で炎を消し飛ばし、アンマリーは仲間の下へ飛翔するリエラへと踏み込むと、勢い良くメイスを振るう。
「力は上がったが、動きが鈍いぞ!」
「く、うっ……!」
辛うじて弾き、リエラは苦悶の声を上げる。
動く度全身が痛んだ。特に脇腹は酷い、呼吸するだけで激痛が走る程だ。
だが隙を見せた瞬間に死ぬと分かっているから、動きを止めない。痛みも苦しみも強靭な心で押さえつけ、必死に真機を振り上げる。
「こんのおっ!」
大剣と炎弾による連携攻撃が、アンマリーに叩きつけられる。
が、目立った戦果は上げられない。羽ばたき一つで攻撃の全ては無効化され、逆にメイスを振り上げられる。
「ほんと、翼もメイスも何もかも……厄介すぎるっ」
障壁で稼いだ刹那の時間に身を逃しながら、リエラは愚痴った。
強大な力は、それだけで特殊な能力を上回るほどに厄介だ。何せ対処法が無い、突くべき弱点が見当たらない。
おまけに余裕を見せておきながら、アンマリーには容赦が無かった。皆に近づこうとする自分を、的確に押し止めてくる。復活されても勝てると分かっていながら、それをさせようとしないのだ。
「もう少し慢心して、遊んでくれればいいものをっ」
「充分遊んだとも。だが流石に時間を掛けすぎた、これ以上は不測の事態を招きかねん。失敗だけは、する訳にはいかないのでなっ」
アンマリーの攻勢が激しさを増す。
暴風の如く吹き荒れるメイスが、数多の殴打をリエラに浴びせた。真機で、障壁で、炎で懸命に防ぐ彼女だが、戦況は完全に防戦一方だ。
失われた血液のせいか、鈍い頭で必死に打開の策を考える。だがアンマリーの絶対的な力を崩す策が浮かんでくることは、終ぞ無い。
「く、うぅ……それ、でもっ!」
抵抗を止める事無く、真機の先から鞭を伸ばす。
リエラの魔力が炎と化し、不規則な機動でアンマリーに迫った。近づかせないようにしながら移動し、最も近い藤吾の下へと飛翔する。
残り数十メートル。普通に走ったって二十秒と掛からないその距離が、今は異常に遠かった。
「行かせはしない。早々に、死ね!」
翼をぐるりと身に纏い、アンマリーが強攻策で鞭の檻を突き抜ける。
真っ白な弾丸は瞬く間に加速し、リエラへと追いついた。咄嗟に真機で斬り付ける彼女だが、杜撰な剣撃を純白の翼は通さない。
巨岩を殴りつけたような衝撃に手を痺れさせ、リエラはその場に停止した。彼女を追い抜かしたアンマリーが、目的地との間に割り込んできたからだ。
まるで門番のように道を塞ぐ天使に、リエラは苦々しく吐き捨てる。
「はっ、誰が死んでやるもんですか。むしろ死ぬのは、あんたの方よ」
「醜い強がりだな。時には諦めも美徳だぞ?」
「状況によるでしょ。少なくとも、今は違う」
じわり、全身から出る冷や汗が、夜風を受けて微かに冷える。
運動により発露する汗より、痛みにより噴出する汗のほうが、遥かに多かった。血が足りないせいか全身が凍ったように冷たくなり、気を抜けば即座に脚が崩れ落ちそうだ。
(でも、まだ戦える。まだ、可能性はあるっ)
自らを奮起させ、真機を構える。
荒々しく息を吐き、リエラは炎を剣に纏わせた。もう一発、今度は防がれることなくアグナダイバーをぶちかまし、その隙に蘇生を試みるしかないとの判断だった。
(正直、魔力は限界に近い。こんな状態で放った一撃が、どれだけ有効かも分からないけど……他に、手は無い)
このままいけば、間も無く自身がガス欠に陥ることは明白だ。
何せずっと機構解放の状態を維持しているのだ。魔力は湯水の如く流れ出て行く。心の力も、レストの時のように無尽蔵に湧いてくる感覚は無く、あくまで基礎能力の底上げ程度でしかない。
この調子では多分、五分と持たない。それがリエラの出した結論だった。それも相手に負けるのではなく、自滅という、最悪の形でだ。
(やるだけやれば良い、って訳じゃないけど。何もしないまま勝手に終わるなんて、そんなのだけは、嫌!)
心のままに、リエラは魔法を練り上げた。
白光混じりの炎が、轟々と真機を包み燃え盛る。全てを賭けた最後の博打へ、彼女は正に全身全霊を以って望もうとしていた。
対するアンマリーは、彼女の覚悟を目ざとく読み取りメイスを担ぐ。
「勝負を賭ける気か。良いだろう、来い。天上たる者の最後の慈悲だ、受けて立ってやる」
「調子に乗って。舐めんじゃない、ってーのっ!」
ドン、と足裏に爆発を巻き起こし、リエラは飛んだ。
背の翼から放たれた噴炎が更に身体を加速させる。音よりも速き世界の中、悠然と佇む天使に向かって、彼女は先行させるように一発の炎弾を撃ち放つ。
「牽制のつもりか? 無意味だな」
アンマリーは、その炎弾をまるで気に留めない。何故なら気にする必要が無いからだ。
矮小な炎弾は例え直撃した所でダメージなど皆無である。恐らくは気を引く為の悪あがきだろう、と当たりをつけた彼女は、遅れて迫るリエラ本体だけに注意を向け、メイスを握る手に力を籠めた。
「さあ、死の時だ――むっ!?」
だが、彼女の予想は大きく外れる事になる。
炎弾が、自らに当たる寸前で起動を変えたのだ。野球選手のフォークよりも鋭角に、カクンと地面へ直下降。そのまま地面に接触すると、一気に燃え広がりアンマリーをぐるりと炎で囲い込む。
立ち昇る炎は彼女を完全に包み込み、外界から遮断した。ドームのような、檻のような炎の膜に、アンマリーは「下らん」と吐き捨てメイスを払う。
「目くらましなど、今更通じると思うのか?」
横薙ぎの暴威で炎を欠片も残さず消し飛ばし、本命を素早く探す。
アンマリーの視界の端に影が映った。低く地を這うように己に向かってくる、人型の影が。
「そこかっ」
迎撃の為、天使のたおやかな脚が突き出される。
見た目とは裏腹に巨岩をも砕く威力で以って繰り出された蹴りは、迫る影を容赦なく打ち抜いて。
「これは……炎による、分身?」
影は揺らめき、炎となって散り消えた。
瞬間、頭上に影が掛かる。雲では無い。翼を持った人の形は、間違いなく――
「本命は、上か!」
天を仰ぐアンマリーの目に映る、炎剣を振りかぶる少女の姿。
そのまま加速し落下してくるリエラへと、迎撃のメイスを振り上げる。
二つがかち合う――直前で、リエラの翼が火を噴いた。
「アグナ……」
(こいつ、始めからこのつもりで――)
身を捻りメイスをかわす少女に、アンマリーは確信する。
この一連の流れは、彼女が事前に用意し、想定していたものだと。自身は見事に踊らされたのだ、と。
捻りをそのまま力に変えて、リエラは剣を解き放つ。白光が、一際強く豪炎を彩った。
「ダイバァァアアアアアアアア!!」
お返しなのか、偶然か。放たれた一撃は、吸い込まれるようにアンマリーの横っ腹に直撃し、激しく彼女を吹き飛ばす。
二度、三度、アスファルトの地面を凹ませ砕いて。砲弾の如く吹っ飛んだアンマリーは、数多の木々をなぎ倒し、草木に紛れて姿を消した。
今しかない、と痛む体を動かして、リエラは皆の下へと駆ける。もう、飛ぶための魔力すら残ってはいなかった。
「流石に、限界。とにかく、魂を押し入れて。後の事は、後で考えれば、それで良い、や」
息も絶え絶えに、彼女は一歩一歩踏み締めるように脚を進める。
小学生にも追いつかれるような小走りが、今の彼女の限界だった。出血と消耗でぼやける頭で、とにかく蘇生だけを目指してひた走る。
後十メートル。未だアンマリーが起き上がってくる気配は無い。軽く息を吐き、リエラは懐の魂を取りだして、
「少々、痛かったな。流石の我も」
耳元で、軽やかに妖艶な声がした。
ぞくりと背筋が粟立ち、振り返りざま反射的に真機を薙ぐ。
白魚のような指が、赤き刃を掴み取った。
「そんな……!?」
「もう限界のようだな。このような貧弱な攻撃、素手でも充分。全く、よく梃子摺らせてくれたものだ」
嘆息と共に、アンマリーのメイスがリエラを襲う。
咄嗟に障壁を張ろうとし、しかしもう魔力が無い。薄紙のような障壁が不恰好に出現し、一切の抵抗無く破れ去る。
少女の身体を、巨大な鈍器が打ち据えた。
「がっ……!」
「これで今度こそ終わりだ。人間にしては良くやった、褒めてやろう。感謝し、我と主にその魂を捧げるがいい」
振り上げられる鋭き手刀。
その脅威を認識し、地に倒れたリエラは半ば本能で搾りかすのような魔力を引き出すと、翼に籠めて羽ばたいた。
刹那の間で、手刀が地面に突き刺さる。無事脅威を避けきって、しかしリエラはもう限界を超えている。
自分が今どんな状況にあるかも分からず、ロケット花火のように発射された彼女は、着地も出来ず地に堕ちた。ごろごろと転がり速度を落として、冷たい地面に横たわる。
意識は、辛うじて繋ぎ止められていた。もう、身を起こす余力すら無かったが。
「無駄に痛みを長引かせることもなかろうに。憐れだな」
水の中のように、靄がかった声が聞こえる。
それが敵のものである事は分かる。だがもう、何を言っているのか、意味まで頭が回らない。
リエラの視界に映るのは、アスファルトの灰色だけだ。微かに顔を動かせば、やはり靄がかった視界の中に、佇む天使の姿が見える。
(立た、なきゃ。皆、を、蘇生、しなきゃ)
そう思うのに、身体はちっとも動いてくれない。
魔力は底を尽いた。体力も底を尽いた。そして今、最後に残った気力さえもが尽きようとしていた。
(ああ。もう、意識、が――)
景色が黒に呑まれて行く。不思議と安心するような、心地良いような、奇妙な感覚と共にリエラの意識は闇に堕ちて――
『――リエラさんっ!』
微かに聞こえた少女の声が、彼女の意識を引きとめた。
(だ、れ? ……ニーラ、ちゃん?)
愛する少女の呼び掛けに視界が色を取り戻す。
何処からの声なのか、漠然と理解出来た。倒れたまま、左手へと視線を向ける。
五つの魂が、此方を励ますように輝いていた。
「み、ん、な……」
頭がおかしくなったのか。いや、そんな事は無い。確かに聞こえる、皆の声が。
『リっちゃん!』『リエラさん』『リエラ・リヒテンファール』『リエラっ』
「わ、たし……」
口々に己の名を呼ぶ彼等に答えるように、自然とリエラは呟いていた。
震える唇で、言葉を紡ぐ。
「私、一人じゃ。あいつに、勝てない。だから、お願い……皆の力を、貸して。皆を……そしてこの島を、守る、為にっ」
口から血反吐を吐きながら、神に縋るように彼女は願った。
そしてその願いに、五人は満場一致で返してくれる。
『『『『『勿論っ』』』』』
胸の奥が、柔らかい温かさに包まれた気がした。
微かに湧き出た心力で腕を動かし、魂をひしと胸に搔き抱く。
「む……? まだ動けるのか? いい加減しつこいな」
メイスを地に突き立て、服に付いた汚れを払っていたアンマリーは、リエラの様子に脱力する。
一度ならず二度までも興を殺ぐ人間に、感心よりも呆れが出ていた。だから思わずメイスに寄り掛かり、暢気に溜息など吐いたのだ。
その余裕が、致命傷になるとも知らないで。
「――行こう、皆」
瞳を閉じ、呟くリエラ。
月光を浴びるその姿はまるで、聖母のように美しかった――。
「くうっ!? また目眩ましか? 猪口才なっ」
瞬間、リエラを中心として溢れ出した眩い光に、アンマリーは腕を掲げて両目を守る。
ややあって。収まった光に彼女が腕を下げた時、その視界に映ったのは、
「何だ……? あれは。白い、炎?」
円を成し立ち昇る、真っ白な炎であった。
混じりでは無い。完全な白と化した炎は、リエラの倒れていた場所を守るように轟々と燃えている。
激しく、強く。なのに温かく穏やかに。見るものを引き込み魅了する、それはまるで地上から見上げた太陽のよう。
何処か神々しく非現実的な光景にアンマリーはただ見入り、立ち尽くして。
炎の幕が、上がった。
「…………」
現れるのは少女、リエラ・リヒテンファール。
だが違う。力が違う。姿が違う。
白炎を残火と纏い、雄雄しくその脚で立つ彼女の髪は……真っ白に染まっていた――。




