第十八話 変貌
「ゲゲゲゲゲゲ……ギイィ――!?」
金切り声、とでも言おうか。甲高い断末魔が漏れたのは、警官隊と戦う醜悪な悪魔の喉からであった。
それも一つでは無い。ほとんど同時に、三十以上。空中から影が二つ、悪魔の軍団の中央に落ちて来たかと思えば、衝撃が弾け彼等を切り刻んだのだ。
突然の事態に警官隊は揃って警戒を露にした。場慣れしていない新人に至っては目を丸くして驚いている。
対する悪魔達もまた同様で、自分達の中央に降ってきた謎の脅威に、ビクリと身を震わせ動きを止めた。
人も、悪魔も、この場の誰もが衝撃の元を見る。
注目を集め即席のステージに立つのは、まだ年若い少年少女。
「流石にやっるね~。相変わらず、惚れ惚れするような剣の腕だよ!」
「世辞は無用。斬られ、堕ちろ」
刀と拳。相反する二つで鍔迫り合う、菜々乃七海と四字練夜だ。
二人の武器がギリギリと押し合う度、周囲の空間が微かに歪む。強すぎる力の激突は、それだけで世界に影響を与えていた。
「ゲ、ゲゲ、ゲゲッゲ?」
「ギーギギギ、ゲッゲ」
悪魔達が困惑した様子で顔を見合わせる。
明らかな脅威なのだが、どうするべきか判断がつかないのだ。悪魔は人間と比べても本能的な部分が強い、だから直感的に理解出来る。あの二人に近づいたら、死ぬだろうと。
まして今は、上官であるモーゲルラッハから受けた命令がある。『余計な事をせず、とにかく封印を目指しなさい』という命令が。
結果、そもそも眼中に入れられていないという理由もあって、悪魔達は様子見をするに留まっていた。
やがて、押し合っていた二人が離れる。と思えば姿を消し、何処かへと消え去った。
空に走る衝撃から、恐らくは跳んで移動しながら戦っているのだろう。最も、この場の誰も視認出来なかった為、予想でしかないのだが。
「ギギ……ゲゲゲ」「ゲッ。ゲッゲゲー」
「あ、悪魔共が来るぞっ! 総員迎撃!」「「了解!」」
嵐のように来て嵐のように去って行った二人に、暫く呆けていた一同だが、数秒経って気付いたように動き出す。
再び始まった彼等の戦いは、また一進一退の様相を呈していた。
~~~~~~
荘厳が参戦して尚、戦況は厳しい。
前衛役の彼が加わった事で、リエラが中衛にシフト。全体の火力や柔軟性は飛躍的に上がったが、それを加味しても尚、アンマリー・ロッテという女性の力は異常であった。
まるで檻の中の動物を見るように此方を観察し、攻めの全てを容易く捌いてくる。どれだけ皆で攻撃を仕掛けても、未だその柔肌に傷一つ付けられない。
気付けば、此方ばかりがボロボロで。真の強者というものの実力を、漸くリエラ達は把握し始めていた。
「合わせろ、二人共!」
藤吾が叫びと共に槍を突き出す。
了承の頷きを返し、世羅と荘厳が手の獲物を振りかぶった。三者三様の強撃が、風切音を立ててアンマリーを襲う。
「いいですね、諦めない心。若く、雄雄しく……素敵です。ああ、早く食べてしまいたい」
メイスの一振りで全てをなぎ払い、天使は頬に片手を当てた。
薄く開かれた目の奥に、黒々しい輝きが見える。絶望的な悪意。いや、それは天使という種族の本能なのだろう。
人間の魂を奪い、喰らう。瞳の奥底に秘める本能が、リエラ達に黒い輝きを見せているのだ。
「こんのっ。いい加減、隙の一つも見せろっての!」
弾き飛ばされた藤吾達の隙を埋めるように、中距離に居たリエラが距離を詰める。
背後の二人からの援護を受けながらアンマリーへと切りかかり、藤吾達が復帰すると素早く交代。再び炎弾や炎鞭による攻撃に切り替えた。
手数や攻撃の種類という点では、彼女達の方が圧倒的に上だ。にも関わらず、アンマリーはメイス一本で、その全てを破砕していた。
正に隔絶した実力差。このままでは、長くは持たないとリエラは判断する。
(早く一撃撃ちこまないと……! でも、どうやって。せめて一瞬、隙が出来ればっ)
歯噛みし、鞭を振るう。
と、直近に気配を感じた。振り返らないまま、背後へと問い掛ける。
「ニーラちゃん……?」
「……リエラさん。私と綾香さんで、隙を作ります。その間に一撃を」
小さな少女の小さな声に、目を見開く。
一体、どうするつもりなのだろうか。疑問に思うが、同時にこうも思っていた。
(何か、手があるんだ。この子と綾香がそう言うって事は。なら――)
「分かった。お願いっ」
信頼を言葉に乗せ、リエラは飛び出す。
藤吾達が驚いた様子を見せた。交錯の中、素早くアイコンタクト。
詳細はまだしも、伝えたい所は伝わったらしい。何か手がある、と感じ取った三人は、リエラと共にアンマリーを激しく攻め立てる。
攻めに力を回すという事は、守りが薄くなるという事だ。当然、攻める彼女等四人の危険はこれまでの比では無い。まして、今はニーラ達からの援護も途絶えているのだから。
だがそれでも、これまでの学園生活、そしてこの戦いの中で積み上げられた信頼に迷いは無い。四人はただお互いを支え合い、反撃の機を作り出す為攻め続ける。
その光景を目にしながら。ニーラと綾香は、身の内の魔力を激しく昂ぶらせた。
「サポート。お願いします、綾香さん」
「はい、勿論です。練習の成果、今こそ見せましょうっ」
ニーラが術式を造り、魔力を注ぎ込む。
綾香が、その全てを支えた。二人掛かりで一つの魔法を編み上げる。
「制御しきれるだけの魔力を籠めます。綾香さんっ」
「はいっ。準備、万端です!」
空に浮かぶ、直径三メートル近い魔法陣。
魔力が光と化して明滅し、月夜に輝きを生み出した。限界まで籠めた魔力を、そして難度の高い魔法を制御する為、二人は必死で歯を食いしばる。
「あら? 何をしているのでしょうか」
溢れ出す輝きと感じる膨大な魔力の鼓動に、漸く目を向けるアンマリー。
その行進を、リエラ達四人が阻んだ。二人の魔法構築を邪魔させない為、渾身の力で切りかかる。
アンマリーが、少しだけ低い声を出した。
「厄介そうですね。撃たせないべきでしょうか」
恐らくは砲撃魔法。二人の魔法をそう見て取った彼女は、この戦いで始めて全力でメイスを振るう。
横一回転、なぎ払われた鈍器が、リエラ達を呆気なく吹き飛ばした。皆が地に這い蹲る姿に目も向けず、天使は左手に神力を集めると槍を生み出す。
「これで、貫いてさしあげましょう――」
振りかぶり、投擲しようとした瞬間。
二条の光線が彼女の顔面へと迫り、アンマリーは咄嗟に矛先を変え槍を放つ。
光線を掻き消し、槍が夜空へと消えていった。発射元であろう三角錐の浮遊砲台、その一機を貫いて。
「へへ。竹中んねるを、忘れてくれるなよ」
「……余計な邪魔をしてくれますね」
ニヤリと笑う藤吾に、唇を尖らせるアンマリー。
刹那、空に浮かぶ魔法陣が一層の輝きを放った。
「放ちます。綾香さんっ」
「はいっ。行きましょう、ニーラさんっ」
天に掲げていた二人の腕が前――アンマリーの方向へと向けられ、魔法陣が追随するように彼女等の前方へと移動する。
標的に狙いを定め、より力を集束させる為に二メートル程まで縮められた魔法陣から、極光が溢れ出した。
――それは、以前ニーラが師であるレストから教わった砲撃魔法。中々実戦に使えるレベルまで達せず、ここ数日の特訓の中、綾香の補助付きで漸く形に出来た、高威力砲撃。
その名を、
「「炸裂せよ。『ル・ラ・レイラ』――!」」
光の奔流が、アンマリーへと解き放たれた。
裂撃魔法『ル・ラ・レイラ』。別名『聖極十字』とも呼ばれるそれが、唸りを上げて宙を駆ける。
アンマリーが、盾にするようにメイスを前に出した。二つの力がぶつかり合う。
「くっ……。思ったより、重いようですね」
苦悶の声を漏らすアンマリー。
じりじりと脚が後ろに下がっていく。仕方なく、神力を解放し押し返そうとした、その瞬間。
砲撃が弾けた。
「これは――!」
ル・ラ・レイラは、単なる砲撃魔法では無い。裂撃魔法の名が示す通り、敵に着弾後に力を炸裂させ、更なるダメージを与える攻撃魔法だ。
今もそう。着弾地点であるメイスを中心に炸裂した力は、美しい光の十字を描き出し、アンマリーへと更なる衝撃を齎した。
砲撃が終わる。アンマリーに傷は無い。だが、メイスを持つ手は大きく打ち上げられ、身体は泳ぎ、死に体と化している。
その隙を、彼女は見逃さない。
「機構解放」
声が聞こえた。強く、凛々しい――燃え盛る炎のような少女の声が。
咄嗟に首を動かし、振り向く。アンマリーの目に、真っ赤な髪を靡かせて、剣を引き絞る少女の姿が映った。
天使の彼女とは違う、背の機械的な翼から炎が噴出す。
少し細くなった大剣を紅蓮の炎が包み込んだ。
「アグナダイバーァァァアアアアアアアア!!」
あらん限りの力で叫び、リエラは赤き剣を振るう。
死に体のアンマリーに、それを避ける術は無い。必殺の一撃は、吸い込まれるように彼女の背中を切り裂いた。
そう、誰もが思った。当の本人――アンマリー以外は。
「成る程。少し、侮っていたようだ」
「なっ……!?」
己が真機を塞き止められ、リエラは一杯に目を見開く。
真っ白な翼が、アンマリーを守るように包み込み、防御壁と化していた。それ自体は良い。ありえない事ではない。
リエラが驚いているのは、その強度だ。
斬れると思っていた。世羅の刀を止めた時のように力を集中されても、この一撃ならば充分切り裂けると、そう思っていた。
だが実際には、翼はびくともしない。理由ははっきりしていた。上がっているのだ、相手の力が。それも桁違いに。
(力を、隠していた? でも――)
六人に増えた事もあり、先程までの攻防でアンマリーの底は薄っすらと見えていたはずだ。
どう考えても辻褄が合わない。彼女がこんな力を出せる事は、今の自分の一撃を防げる事は、ありえない――
「見なくても分かるぞ。間抜けな顔をしているな? 貴様」
「っ!」
尊大な声と共に翼が羽ばたき、真機を押し返される。
今度は、リエラの身体が泳ぐ番だった。ゆっくりと時が流れる感覚の中、彼女は目にする。
振り向いたアンマリーの姿が、前と変わっている事を。
薄茶色だった髪は真っ白に染まり、穏やかそうな目も今は鋭くつり上がっていた。おまけに、顔の各種パーツの形も微妙に変わっており、まるで別人のようだ。
同じなのは体型と、服装と、翼と、その手のメイスくらい。だが別人のはずがない、彼女は確かにそこに居たのだから。
(神力を使って、姿を変えた? でも、この力は)
「知れ。これが我の、真なる力だ!」
咄嗟に背の翼から炎を噴出し、避けようとしたリエラだがもう遅い。
これまでの比では無い力と速度で振るわれたメイスは、防御も回避も許さず、彼女の横腹を的確に捉えた。
「あっ、がっ……!」
脇腹から、ミシミシと音が鳴る。
骨の折れる音がした。腎臓の破裂する音がした。
それ等全てを他人事のように聞きながら、くの字に曲がったリエラの身体は、砲弾のように吹っ飛んでいく。
コンクリートを叩く音が三回。土を叩く音が一回。計百メートル以上は吹き飛んで、大木の幹に当たってへし折ってから、漸く彼女の身体は停止する。
意識は、無い。
「リエラ、さん。……リエラさんっ!」
常からは考えられぬ程の大声で叫んだニーラに続き、皆が口々に彼女の名を呼ぶ。
だがやはり、ぐったりと横たわる彼女が動くことは無かった。
その脇腹から血が滲み出て行く光景を眺めながら、アンマリー。
「ふん。人間とは、やはり貧弱だ。軽く撫でただけでも、直ぐに崩壊してしまう」
つまらなそうに鼻を鳴らし、メイスを地に突き立てる。
彼女の身から溢れ出る圧倒的な神力に、藤吾達の総身が震えた。本能で理解する。勝てない、と。
「まあいい。残り五体。精々足掻いて見せろよ? 人間」
冷たい響きを言葉に乗せて。
本性を露にしたアンマリーの虐殺が、始まった。




