第二話 戦う理由
「あれって、まさか……ただの、日本刀?」
突如戦いを挑んできた少女が出した獲物に、リエラは信じられない、といった面持ちで呟いた。
それは彼女の武器が真剣であったから、ではない。何の変哲もない『刀』であったからこそ、驚いたのだ。
自分達テイカーが使う武器は、基本的には『魔導機』と呼ばれる魔法やその他力の使用をサポートしてくれる万能武装である。
だが少女の持つ武器からは、そういった魔導機にあるはずの力の流れが感じ取れなかったのだ。これは彼女の持つ刀が、特殊な力を持たないただの鋼の塊である事を意味している。
ありえない、とリエラは思った。他の面々も同様だろう。
テイカーはそれこそ銃弾を弾き、大木をなぎ払うような戦闘力を有しているのだ。そんな常人を超えた相手にただの刀で対抗しようなど、無謀に過ぎる。
或いは少女が刀に魔力を纏わせ強化しているのならば、まだ理解出来たのだが……彼女にはそれすらない。身に宿す魔力すらほとんどなく、純粋に、唯々刀を構えているのだ。
詰まり彼女は何の変哲も無い普通の剣士で。しかしそれだけでは、納得できぬ事もある。
もし彼女が普通の剣士だというのなら、一体どうやって離れた場所からレストの髪を切ったのだ?
とてもあの刀の届く間合いではなかった。一撃離脱? いや、そんな気配もなかったはず。
リエラも、藤吾も、ニーラも、揃っていぶかしみ。一人だけ――疑念以上に怒りを燃やす少女が存在していた。
「……師匠の、髪を。下賎な女如きがっ……!」
「あ、綾香?」
隣から立ち昇る怒気に、リエラの頬を冷や汗が伝う。
止める暇も無かった。綾香から放出された魔力が形を成し、弾丸と化して飛翔する。
愛しい師を傷つけた売女を滅ぼそうと、乳白色の魔力弾が群れを成して世羅を襲った。
「此処で死んで、詫びなさいっ!」
完全に暴走している。分かっているが、リエラも藤吾も止められない。
下手に口を出せば、自分達にまで火の粉が飛びかねないからだ。自らの巻いた火種だし、悪いが彼女には犠牲になってもらおう。
二人が同情の視線を向ける先で、少女がそっと刀を腰溜めに構え――
「邪魔すんじゃねぇ!」
刹那、銀が奔った。
その数七つ。空間を切り裂く曲線が、飛来した弾丸の全てを切り落とす。
「うっそ!? 魔力は感じなかったけど」
「超能力や呪術を使った様子もない。まさか……備えた身体能力だけで、やったのか?」
リエラが叫び、藤吾が眉を顰める。
どうやら彼女は『異常な身体能力』を持つタイプのテイカーらしい。はっきり言って、超がつく程の希少種だ。
だが同時に。それだけではない事を、レストは見抜いていた。
「身体能力だけではないよ。彼女のあれは、むしろ研ぎ澄まされた技による所が大きい」
綾香が撃った魔力弾は、激情の中にありながらも的確に相手を打倒する為の軌道を描いていた。
十四の弾丸による包囲攻撃。それを的確に捌く事は、決して身体能力だけで出来る事ではないのだ。
彼女は、卓越した剣の腕を持つ。それを理解した一同の警戒度が一段階上がる。
といっても、然程脅威と感じている訳ではない。同じ学園に通う同級生であるし、何より狙われているのはあのレストなのだ。
幾ら優れているとはいえ、あの程度の剣術で彼がどうにかなるとは思えない。というのがリエラ達の総意であった。
というか、そもそもだ。
「何であんた、レストと戦いたい訳? 単なる力試し? もしくは名を上げたいとか?」
「はっ、お前には関係ないだろうが。けどまあ、そうだな。理由位は話しておくか」
存外、素直だ。顔には出さずそう思う一行。
「お前を倒す事でな。シショーの強さを証明すんだよ!」
「シショー? って……師匠?」
思わず、レストに目を向ける。
一番聞きなれている『師匠』といえば、綾香が彼を呼ぶ時のものだ。
が、少女までレストの弟子という事はないだろう。そんな話は聞いた事がないし、そもそもレストの強さを証明するためにレストを襲う、何て道理が通らない。
しかしそうなると、彼女の言うシショーとは誰なのか……?
「あー、理由は分かったわ。確かに弟子のあんたがレストを倒せば、自動的にそのシショーとやらもレストより強いって事になる……かもね?」
「ですがリエラさん。それならそもそも、そのシショーさんが戦いに来ればいいのでは? 強さを証明するならそちらの方が確実でしょう?」
綾香の言う事も最もだった。
仮に弟子である世羅がレストを倒したとして、イコールその師がレストより強いと認められるかといえば、実はそうではない。
戦いには相性というものがあるし、何より直接倒した訳ではないのなら、強さを主張しても難癖を付けられるのは確実だ。レストを倒す事で強さを証明したいのなら、そのシショー本人が戦うほかないのである。
それ位の事、誰だって直ぐに分かりそうなものなのだが。
「もしかして、あんたの独断?」
「ぐっ!? ……悪いかよ。シショーはそういう事に拘る人じゃねぇんだ。だから、私がやるしかないんだよ!」
「いや、師匠思いなのは良いけどさ。そもそもその師匠って誰なの? ていうか、レストを倒してまで強さを証明する必要があるわけ?」
そう言えば世羅は僅かに俯いて、
「……私のシショーは、極剣だ」
「え?」
「だからっ! 『極剣』、四字練夜だって言ってんだ!」
本日最大の驚愕が一同を支配した。
あのレストでさえ、ほう、と驚いた様子を見せている。
四字練夜――通称『極剣』。学内ランキングの第八位に位置する、ナインテイカーの一人である。
卓越した剣の腕を持ち、先日行われた高天試験では他の参加者を歯牙にも掛けず、その力の一端を衆目に知らしめた。通称通り、正に剣の極致に居ると言っても過言ではない人物だ。
確かに彼が師だというのなら、世羅が魔導機でもないただの刀を使っている事にも納得がいく。むしろ彼の弟子だというのに魔法に頼ってなどいれば、そっちの方が驚きだ。
そう、誰もが思う程に。垣間見た四字練夜の剣は、人の心を打ったのである。
彼女の言葉を何度か頭の中で反芻し、事実を正しく認識して――だからこそ、リエラは疑問の声を上げる。
「ちょ、ちょっと待って。あの四字練夜なら、もうとっくに誰もが強さを認めてるでしょ。今更弟子のあんたが出張ってきてまで、証明する必要はないと思うんだけど?」
「……確かにな。私だってそう思ってたよ、つい最近までは」
俯いたまま呟くように漏らす彼女に、眼を細める。
つまり、何か事情が出来たということだ。弟子である以上ナインテイカーがどれ程の力を持つか良く理解しているはずの彼女が、レストに挑まなければならない程の事情が。
つい黙ってその理由を考え込めば、答えは脳内より先に世羅の口から放たれた。
「この間の、高天試験。あの試験で……師匠が、『暴君』に負けた」
憧れのスポーツ選手が敗北した事を語る時のような、苦々しい口調だった。
『暴君』。それはレストや四字と同じくナインテイカーの一人であり、この学園の教師でもある女傑、エミリア・エトランジェに付けられた通称である。
先月の試験の最終関門として立ちはだかった彼女に対し、参加者として戦いを挑んだ四字は、激闘の末敗北を喫したのだ。最もその戦いの全容に関しては、あまりにレベルが高過ぎてほとんどの者が理解出来ていなかったが。
そう、理解出来なかった。どころか目にする事すら出来なかった。その事実が重要なのだ。
「それからだ。学園の中で『実は四字練夜は大したことないんじゃないか』って陰口が横行し始めたのは。自分達が師匠の強さを理解出来ないからって、どいつもこいつも、好き勝手言いやがって……!」
詰まりは、そういう事だった。
本来ならば圧倒的な力の差があるにも関わらず、戦いのほとんどを理解出来なかったせいで、一部の人間が勘違いしてしまったのだ。『ああして暴君にボロボロにされて負けた極剣は、実は弱いのではないか』と。
勿論そんな訳はない。彼は最終関門に辿り着くまでの過程で他の参加者を圧倒しているし、僅かに見せた暴君との戦いの一端だけでも、自分達より上だと大半の人間は理解出来るはずだ。
だが都合の良い部分だけを見て他者をこき下ろす人間というのも、確かに一定数存在する。今回の件は、そんな一部の陰口が世羅の耳に入った事が発端だった。
師の悪口を聞いた彼女は、当然激怒した。始めこそ馬鹿な奴等だ、と気にもせず抑えられていたが、二度も三度も聞いていれば流石に堪忍袋の緒も切れる。
幾度か、師の悪口を言っていた奴等を殴り倒した。けれど学園に薄く広がった極剣の実力への疑問を、消し去る事は出来なかった。
師への疑わしげな視線に自分のこと以上に憤り。一度皆にはっきりと実力を示したらどうか、と本人に直接言ってみたものの、
『……好きに言わせておけ』
と、一顧だにせずあしらわれる始末。
これまでの付き合いから『この人は自分から実力を誇示するような真似はしないだろう』と悟った世羅は、考えた。どうすれば師の実力を皆に知らしめる事が出来るのか、と。
そうして辿り着いたのが――弟子の自分がナインテイカーを倒せば、師の実力も認められるのではないか、という考えだったのだ。
「馬鹿な考えだって事位、私にだって分かってる。けどな、頭の悪い私には、そんな方法位しか思いつかなかったんだよっ……」
搾り出すように語る世良の表情は暗く、苦しいものだった。
恐らく自分でも分かっているのだろう。こんな事をした所で大した結果は得られないだろう、と。
むしろ下手をすれば、弟子である己の方が強いのではないか、と更に師の評価を下げる事に繋がってしまうかもしれない。
だが、そこまで分かっていて尚。何かせずには居られなかったのだ。
それ程までに世羅・ヴォルミット・クーリエという人間は、四字練夜を敬愛しているのである。
「だから私と戦え、レスト・リヴェルスタ。……本当は『暴君』が良かったんだけどな。担当する部活の大会とかで、学園に居なかったんだ。糞ったれ、間の悪い」
後半は独り言にも近い愚痴だった。
要するに、レストは代替品なのだ。だがそれでも、彼女の戦うという意思は、師の悪評を覆すという意思は、まごうことなき本物だ。
ちらり、リエラは先程から黙りっぱなしのレストを盗み見る。
此処まで熱い想いをぶつかられたのなら、流石にこの男でも無下に断ることは出来まい、と思った。そして同時に、だからといってわざと負ける事もしまい、と。
「ねぇ、レスト。此処まで言ってるんだし戦ってあげたら? 一度負かさないと諦めてくれないでしょ、多分」
海はちょっと位遅れても問題ないしさ、と小声で促すリエラ。
共に聞いていた綾香も、小さく頷いて同意を示している。
「勝負、か……」
少女らの言葉にレストは数秒、考え込み。
直後、良い事を思いついた、とばかりにわざとらしく手を叩く。
「そうだ、良い事を思いついたよ」
「「良い事?」」
実際に口にも出した彼に、周囲の少女達は揃って首を傾けた。
残る藤吾はというと、絶対良い事じゃないだろ、と喉から出かけた言葉を飲み込んで、一歩離れた所から事態の推移を見守っている。
中途半端に口を出して両者から口撃されるのは勘弁だった。微妙に苦労人な彼に染み付いた、悲しき性だ。
そうして止める者も居ないままにレストは、
「君も一緒に、海に行こう」
「はぁ!?」
驚愕する少女へと、にこやかな笑みで手を差し伸べたのであった。
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「くうぅぅぅぅぅ……」
所変わって、再び海。
砂浜に敷かれたシートの上でパラソルの影に隠れながら、世羅は体育座りの体勢で唸っていた。
今思えば何と馬鹿な事を、と思う。レストに挑んだ事ではない、彼の『付いて来れば戦ってあげよう』という誘いにほいほい乗って、こうして海まで来てしまった事がだ。
始めはいぶかしんだものの、電車代や駅で買った弁当代を全て出して貰った事で少し警戒心が緩んでしまい、リエラや藤吾といった同級生達との会話が予想外に弾んだ事で距離が縮まり、近づいて来る海の美麗な景色に子供のように感嘆の声を上げた所で、すっかり集団に取り込まれてしまった。
おまけに海に来たのに水着も着ない、泳ぎもしないというのはおかしいだろうという彼等の言葉に押されたあげく、水着なんて用意していないと断れば何処からともなく取り出された水着を手渡され。あれよあれよという間に、こんな恥ずかしい格好にされている。
全く以って屈辱だった。今すぐ踵を返して帰りたい所だが、まだ勝負をしていない以上むざむざと学園に帰る訳にもいかない。そもそも電車賃すらまともにないので、帰れない。
「財布位、常に持ち歩いてるべきだった……糞っ」
仕方ないだろう。学園から出る予定など無かったのだ。
それに死闘になると分かっている場所に財布など持って行けば、攻撃の余波であえなく消滅しかねない。極限の戦闘の最中に、財布を落としたからちょっと待って、とはいかないのだ。
この時ばかりは魔導機を所持していない己を恨んだ世羅だった。持っていれば、財布だろうが水着だろうが異空間に仕舞っておく事が出来たのだから。
「ていうか何時になったら戦う気になんだよ、あいつは」
陰惨な気分に陥っている自分とは裏腹に、海を満喫する一団に視線を移す。
海辺で戯れるリエラ、綾香、ニーラの三人。浜辺に線を書いたり棒を立てたりして、何かを作っているレストと藤吾の二人。
どちらも実に楽しそうに笑っていて、時折合流しては一層遊びに拍車を掛けている。実に健全な、高校生の夏休みのそれだった。
「いっそ割り込んで、早く私と戦えって主張してみるか?」
一瞬、本気で考えた世羅だったが……結局すぐに却下する。
幾ら師匠の悪評を払拭する為とはいえ、あの穏やかで幸せで平凡な空間をぶち壊すのは、流石の彼女でも躊躇われたのだ。
態度や外見こそ不良のような彼女だが、その中身は意外と心優しい少女であるらしかった。
「はぁ。しゃーねー、決闘前の準備運動代わりに、ちょっと海でも泳いでくるか――「ねぇ」うおわぁあっ!?」
あんまりにも暇なので体を動かそうと立ち上がりかけた世羅だったが、突如目の前に現れた顔面に驚き、ひっくり返るように腰を落とす。
「ちょ、大丈夫?」
「あ、当たり前だ! それより、何か用かよっ?」
慌てて体裁を取り繕いながらも、抗議の意思と共に目の前の少女を睨み付ける。
睨まれた少女――リエラは御免御免と軽く謝りながら、砂浜の一角を指差した。
「レストがさ、戦うからクーリエを呼んで来い、って」
「戦う!? 本当か!?」
此処に来るまでに少しばかり仲良くなった事で、名前で呼び合うようになった彼女に詰め寄り、聞き返す。
あまりの勢いに仰け反りながらも、リエラはしっかりと二度頷いて、
「う、うん。本当だけど――」
「よっしゃあ! やっと来たか、待たせやがって。ぶった切ってやる!」
近くに置いてあった日本刀を手に取り、ぶんぶんと振り回しながら駆けて行く世羅の背中を呆然と見送る。
そうして、呟いた。
「でも、戦いの形式は――って、もう聞いちゃいないか」
こんな場所で、血で血を洗う決闘など出来る訳がない。
そんな簡単な事実にも気付かぬ少女へと、同情の目を向けるリエラであった。




