第一話 ニュー・チャレンジャー
八月、初頭。正に夏真っ盛りのこの時期。
一年中四季が固定されている九天島にも、流石に季節感はある。特に夏休みを貰った学生達は顕著で、夏の南区の海岸には海水浴を楽しもうとする老若男女の姿があった。
何百、或いは千をも超える人々が海に集う。その歓声溢れる集団の中に――彼等の姿もまた、あった。
「ふむ。流石に混んでいるようだね」
「……人が多いのは、苦手です」
青色の水着を履き、パーカーを羽織った金髪の美丈夫、レスト・リヴェルスタ。
そして、揃えるように上下青の水着を着け、腰にパレオを巻いた格好の従者、ニーラだ。
褐色の肌に汗を浮かべ人ごみを眺める彼女を心配するように、隣に立つ少女がその顔を覗き込む。
「大丈夫? ニーラちゃん。何だったら少し休む?」
「いえ……大丈夫です。リエラさん」
燃えるような真っ赤な髪を後ろで括り、同色のビキニを着けその豊満な身体を惜しげもなく晒す彼女の名は、リエラ・リヒテンファール。ちょっとした事情から先の二人と寮の同室に住み、暮らす少女である。
相変わらずニーラに対し過保護気味なその様子に、着替えを終え後ろからやってきた二人の友人がつい苦笑を浮かべた。
「そこまで心配しないでも良いだろぉに。人混みにもみくちゃにされた訳でもないんだしよ」
「ふふ。リエラさんのあれはもう、癖みたいなものですから」
上から順に、お調子者染みた少年、芦名藤吾。
そして大和撫子と形容するのが相応しい黒髪の美少女、二条綾香である。
藤吾はといえば海パン一つの格好で、良く鍛えられた肉体が陽に輝いていた。一方の綾香はタンキニタイプの水着で、露出は少ないものの、透き通るように白い肌が砂浜に映えて美しい。
それぞれ方向性は異なるものの、平均以上に容姿の整った集団という事もあって、人の多いこの場所でもそれなりに注目を受けていた。ただ、ナンパ目的でもない限り皆海を楽しむ事に忙しいのか、その視線も直ぐに方々に散っていく。
余計な注目を浴びないように、レストが魔法を使っているという事は……多分、ない。
――そう。一見すれば海水浴に来た平凡な学生にしか見えない彼等だが、一つだげ、常人とは違う点があった。
彼等は皆、テイカーと呼ばれる『特殊な力を扱う者達』なのである。
といっても、この島に居る住人はほとんどテイカーなので、この場所に限っては彼等は特別でも何でもないのだが。
実際、今この海岸に居る人間の九十九パーセントはテイカーである。魔法で砂のお城を作ったり、超能力で波に乗ったりしている人々の姿を見れば、それが実感出来るだろう。
さて。そんな種種様々な人波に混じり、早速海を楽しもうとした彼等だが――そこに後ろから、近づいて来る足音が一つ。
熱された砂を鳴らし、レスト達の数歩後ろで止まった音の正体は……一人の少女であった。
「ちっ……。何で私まで、こんな所に……」
拗ねたように薄茶色の頭髪を掻きながら、悪態を吐く不良染みた少女。
その声に反応し振り向いたリエラが、肩を竦める。
「諦めなさい。レストの気まぐれに巻き込まれた時点で、あんたの負けよ」
「糞がっ。大体なんだよこの水着、ちょっと小さすぎるだろ……!」
気炎を巻く彼女の姿は、世の男性諸君には目に毒な程扇情的だった。
面積のかなり少ない三角ビキニ。流石に倫理的に問題になる程ではないが、彼女自身のスレンダーな体躯と相まって、思わず身体の各部に目がいってしまう。
注がれる周囲の男性からの視線に、反射的に身体を腕で隠しながら。少女は今朝の自分の行動を大層後悔したのであった。
~~~~~~
朝。良く晴れ渡る空が気持ち良い、早朝の事。
レスト達御一行、計五名は、外行きの服装に身を包み揃って寮の前に立っていた。
彼等の目的は海。かねてより計画していた海水浴に出かける事である。
「でもさ、わざわざ電車で行く必要あるの? レストなら転移魔法で海まで一発でしょ」
寝起きの身体を起こすように軽く腕を動かしながら、リエラが問う。
彼の実力は此処数ヶ月でよ~く身に沁みている。わざわざ電車を使い、時間と賃金を掛けなくても直ぐに目的地まで到着出来るはずだ。
学生の身である彼女にしてみれば、電車代だって馬鹿にならないのである。
「却下だよ。そんな事、情緒がない。目的地に到着するまでの過程も楽しんでこその『遊び』だろう?」
「そうかもしれないけどさ~……」
「何だったら、費用は全て私が出そう。それでも不服かい?」
「本当!? 気前良いじゃない! そうこなくっちゃあねー!」
一転、鼻歌を歌い出すリエラ。
割と常識人な藤吾がそれで良いのか、と小声で突っ込むが、今の彼女の耳には入らない。
(はぁ。……後で俺も交渉してみようかな)
藤吾も大概であった。
仕方がない。彼も学生、しかもちょっとした事情から、つい先日貯めておいた資金のほとんどを使い果たしてしまったのだ。自業自得ではあるのだが、今は藁にも縋りたい気分であった。
「さて、それじゃあそろそろ行こうか。今からなら、十時頃には海に着くだろう」
「はい。行きましょう、師匠」
さり気なく、綾香がレストの腕を取る。
対抗するように、ニーラが無表情で反対側の腕に引っ付いた。
綾香はまだしも最近ちょっと主張が強くなってきた従者の姿に、少しだけ驚いて。レスト達はゆっくりと桜咲く道を歩いて行く。
「そういえば、こうして五人で学園から出るのって何気に初めて?」
「ああ、確かにな。ただ遊びに行くにしても、距離があるからなぁ。五人揃ったら模擬戦に興じる事も多かったし」
無駄に長い学外への道を歩きながら、ふと気になり問い掛ける。
良く共に行動する五人だが、こうして揃って学外へ遊びに行く、というのは初めての経験だった。
その事実に、そういえばこの学園に来てからまだ二ヶ月程度しか経っていないんだな、何て思って。つい、リエラは苦笑する。
随分と濃い二ヶ月だった。レストに関係する事は特にだ。
自分の苦労の源でもある彼をちょっとだけ睨み……溜息と共に、不満を吐き出す。
(どうせ何言っても、こいつは変わらないし)
短い付き合いの中で悟った事実だ。
レスト・リヴェルスタという人間は、滅多な事では揺るがない。というか、揺らいだ所を見た試しがない。
まあ、こいつはこれで良いのだろう。その方がむしろ安心する。
ちょっと失礼な事を考えながら、リエラは前方へと視線を戻し……そこで、気付く。
「……? 何? あの子」
広い道の真ん中に、少女が一人立っていた。それもまるで此方の行く手を塞ぐように。
おまけに鋭い双眸で獲物を狙うように此方を睨み付けて来ているのだから、尋常では無い。
咄嗟に隣の藤吾に問い掛ける。
「知り合い?」
「いや、知らねぇ。あやっちは?」
「あの人……どうして……」
「? 何だ、知ってるのか?」
「あ、はい。私の所属している『九式研究部』の部員の一人です。名前は確か、世羅・ヴォルミット・クーリエさん。私達と同じ、二年生だったはずです」
言われ、改めて一同は少女――世羅を見やる。
薄茶色の頭髪を肩程で切った、刺々しい雰囲気の少女だった。身長は女性としては少々高く、リエラよりも頭半個分大きい。背には、野球部の持つバットケースのような物を引っさげている。
そして黒と銀という、独特の虹彩を持ったオッドアイが特徴的な少女でもあった。
「おい」
と、こそこそと話し合っている間に、世羅が口を開く。
少し低めの、重さのある声だった。気の弱い幼児ならそれだけで泣き出してしまうような。
「お前が、レスト・リヴェルスタだな?」
少女が集団の中央に立つ青年を一層強く睨み付ける。
ああ、何かそんな気はしていた。とリエラは内心思った。
「ああ、そうだが。何か用かな?」
「私と、戦え」
突然の問いにも平然と返すレストに、世羅は言葉短く畳み掛ける。
いきなりの戦闘要求。いや、挑戦か? 何にしろそういう事か、と周囲の反応は一致した。
レストは『ナインテイカー』と呼ばれる学内ランキング上位九名の一人である。そんな彼に挑もうとする人間というのは、確かに僅かながら存在するのだ。
最も、大半の人間はあまりの実力差にそもそも挑もうとすらしないのだが……世の中、何事にも例外はある。リエラや、此処には居ないが古賀荘厳という生徒などが良い例だろう。
そんな『挑む者』の一人であるリエラは、今正に挑戦者と化している少女へと憐憫の目を向けた。
はっきり言って、レストの実力は異常である。彼に挑むなど無謀の極みに過ぎない。
自分を棚に上げてそう思う辺り、自信家の彼女らしかった。
「ふむ。戦え、か……」
「そうだ。まさか逃げないだろ? 『魔導戦将』様ともあろう者が、よ」
通称まで持ち出して露骨に挑発してくる少女に、しかしレストは揺るがない。
ゆっくりと考えるように二・三秒黙った後。
「断る。私は今から友人達と海に行く所でね、君の相手をしている暇はないんだ」
「はあっ!?」
まさか本当に断られるとは思っていなかったのか、世羅が素っ頓狂な声を出す。
硬直する彼女を余所に、レストは皆を促すとそのまま少女の横をすり抜けた。
「っ! ちょっと待て!」
慌てて世羅が振り向き、肩を掴む。いや掴もうとした。
だが肝心のレストは柳のように軽やかに身を揺らしその手を避けると、振り返りもせずにスタスタと歩いて行く。
無視されている――。これには流石に、少女も怒気を露にした。
「こんのっ……! だったら、これでどうだっ!」
風が走った。否、そう錯覚する程に鋭い『何か』が、レストの髪を微かに撫でた。
瞬間。はらりと彼の髪が一筋、舞い落ちる。
思わず驚愕した(レストを除く)一同が振り向けば――少し離れた所に立つ少女の右手に、いつの間にか『白銀』が握られていた。
太陽の光を受けて鈍く輝き。落ちてきた桜の花びらが、乗っただけでするりと切れる。それは正に、斬るという意思の究極系。
「次は、腕を一本。貰うぜ」
ふん、と鼻を鳴らす世羅の手には、無骨な日本刀が一本。
それを構える彼女の姿は、正に剣士であった――。




