竹中・The・Movie~芦名藤吾、男の決戦~
――手を伸ばす。額から汗を滲ませ、ぎゅっと唇を引き結び、己の欲する物を手繰り寄せるように、ただ懸命に右手を伸ばす。
触れたそれを力強く握り締め、決死の思いを籠めて引き寄せる。胸の前に掲げた右手に収まるは、何の変哲も無い一枚の小さな紙片。
だがこれこそが己の命運を左右する運命の一枚だと、俺は知っている。周囲から掛かる視線が重い、半分は期待で、半分は憎悪で。
けれどその重さにも負けず、俺はゆっくりと右手から紙片を解き放った。そうして、折り畳まれたその紙を丁寧に丁寧に広げていく。
やがて、開かれたその中に書かれていた文字を見た時――俺は思わず、涙を流していた。
「どっちだ!?」「どっちなんだ!?」「早く教えろ!」「愚図愚図するな!」
囃し立てる周囲の声も、今は気にならない。
万感の思いを籠めて、俺は握り締めた左の拳を一気に天へと突き上げる。
「――当たりだ……っ!」
多分、涙が流れていたと思う。
周囲がシンと静まりかえる中、俺の前に立つ老人が、静寂を破るように一際大きな声で叫びを上げた。
「は~い一等賞! 『竹中の里』、スペシャルジャンボクッションねー!!」
とある駄菓子屋での、芦名藤吾の一幕である。
~~~~~~
そもそもの始まりを話すとすれば、彼が寮の自室で目覚めたその時からになるだろう。
夏休みに入って数日。日課の鍛練こそ続けているものの、健全な男子高校生らしく宿題も録にせず自堕落な日々を送っていた藤吾は、今日も今日とてお昼前に起床した。
欠伸一つ、思い切り伸びをして、そこそこに広い部屋の中をぐるりと見渡す。ルームメイトときっちり半分こされたスペース、その自分側には、所狭しと茶色い三角錐――竹中の里に関連するグッズが並べられていた。
幸せな光景に気分を好くしながら、藤吾はベッドから這い出ると私服に着替えだす。適当なポロシャツとズボンをタンスから引っ張り出しただけの格好は、実にラフで動きやすい。
そうして顔を洗い、眠気を飛ばすと、空きを訴える胃を満足させる為に昼食の準備に取り掛かった。といっても大した物では無い、買い置きしてあったカップ麺を作るだけだ。
食堂に行っても良かったが、今日はこれが食べたい気分だった。皆にもあるだろう、何だか無性にジャンクな物が食べたい、そんな時が。
お湯を沸かし、粉末スープと加薬をあけたカップの中に注ぎ込み、三分。出来上がった味噌ラーメンをテレビを見ながら割り箸を使ってずずずと啜っている時、ガチャリと玄関の扉が開く音がした。
チャイムの音が無かったし、来客ではあるまい――そんな予想を裏付けるように、入って来たのは共にこの部屋に暮らす同居人。
「何だ、カップ麺なんか喰ってるのか? しけた奴だな」
「……俺が何喰ってたって、お前には関係ないだろうが。金田」
「さんをつけろと言ってるだろう! たけのこ野郎!」
いきなり喧嘩を売ってきたこの男こそ、藤吾のルームメイト。名を、金田という。
ぼさぼさの黒髪にやんちゃな顔を吊り下げた、生意気そうな少年だ。入学した時から共に同じ部屋で過ごしているというのに、どうにも険悪な関係が続いている、所謂悪友という奴でもあった。
最も、その原因はこの部屋の彼のスペース、そこに並んでいる物を見れば一目瞭然だろう。
傘のような形をした、茶色の物体。それらが所狭しと空間を占拠しているのである。
そう――彼はその名に呼応するように、『金田の山』派だったのだ。
共に日本を代表する国民的チョコ菓子の『竹中の里』と『金田の山』だが、同時にその二つを巡る信者達による諍いは荒く激しい。
通称『金田・竹中戦争』と呼ばれるそれに例外は無く、藤吾と金田もまた互いを敵視し争っている、という訳なのだ。
そんな、何故か此方のことを『たけのこ野郎』と呼んで来る(竹中はドリルを模しているのに、おかしいね?)金田と何時ものように口論を繰り広げていた藤吾だったが、ついいきり立ってテーブルを叩いた途端、その衝撃で食べかけのカップラーメンがずり落ちてしまう。
あ、と気付いた時にはもう遅い。憐れ、貴重な食事は床にぶちまけられ――
「手間を掛けさせんな。愚図が」
無かった。落ちたカップラーメンは、その中身共々床に触れる寸前で停止していたのだ。
そのまま、カップ麺は時を遡るように空中を翔けると、テーブルの上にストンと着地する。麺も、スープも、きっちりと無事だった。
「……礼は言わないからな」
「ああ、いらんよ。別にお前の為じゃない、床が汚れるのが嫌だっただけだ」
そう、この不可思議な現象は金田によるものである。
それも魔法では無い。彼の持つ、物を自由自在に操る能力――念動力によるものだ。
彼は大多数が魔法使いのテイカーの中では珍しい、超能力者と呼ばれる者の一人だったのである。
「それにしても今頃ご起床とは。随分余裕なんだな、お前は」
「? 何の事だ?」
仇敵に助けられ気まずい思いを抱きながら食事を再開してみれば、そんな言葉を投げ掛けられた。
思わず首を捻る。はて、今日は特別な行事も無く、何時もと変わらない平凡な一日のはずだったが。
そう考えていると、金田に嘲るように嗤われる。
「本当に分かっていないのか? くくく、これは滑稽だな。所詮、お前の竹中愛などそんなものか」
「なんだと! 手前、良い度胸してんじゃ……!」
腰を浮かし、掴み掛かろうとした瞬間。携帯がけたたましい音を立てて鳴り響く。
何度か金田と携帯との間で視線を往復させた後、ちっと舌打ちして、携帯を手に取った。
総学入学以来変えていない、二世代程前のスマホである。画面を見てみれば、メールの到着を知らせる通知が数件入っていた。
しかもその差出人が全て同じなのだ。どうやら朝から頻繁に来ていたらしいそのメールの、最新のものを何だろうかと疑問に思いながらも読み進め。
「なっ、これ……マジかよ!?」
驚愕と共に上着を羽織り、財布をポケットに突っ込んで、藤吾は部屋を出た。
部屋に残された食べかけのカップラーメンに、金田が眉を顰めたのは……完全な余談である。
~~~~~~
部屋を出てから一時間。電車を乗り継ぎ、住宅街を主とする秋の西区にやって来た藤吾は、その健脚を活かして走り続けていた。
魔法まで使い、何処までも加速する。そうして汗だくになりながら辿り着いたのは――古ぼけた、一軒の駄菓子屋。
裏山に広がる紅葉が美しい、昔ながらのこじんまりとした店である。しかし、普段は近所のガキ共しか来ないこの場所が、今は壮絶な熱気に包まれていた。
その異様な雰囲気に出遅れた事を悟り、舌打ちしながら店の暖簾を潜る。案の定、狭い店内はその許容量以上の人間で溢れており、足の踏み場も録に無い。
それでも決死の覚悟で、荒ぶる人並みを掻き分けレジに向かおうとした所で。
「ぐぎゃああああああああああああああああ!!」
店内、どころか辺り一帯に響くような悲痛な絶叫が、藤吾の耳を劈いた。
漸く乗り越えた人垣の最前線で音の元凶を見やれば、皆に囲まれるように一人の男が膝を付いている。四つんばいになった彼の顔は俯いていてよく分からなかったが、恐らくは絶望的な表情をしているのだろうと、すすけた背中だけでも容易に予想が付いた。
かさり、小さな音を立て一枚の紙が地面に落ちる。覗き込んだその表面に書かれていたのは黒く太い、『四等』の文字。
――ああ、彼は駄目だったのか。
直ぐに察した。同情の念が湧き、しかし同時にほっとする。
何故ならレジの向こうに見える棚には、お目当ての品がまだ残っていたのだから。
そして、藤吾は一歩前に出る。己の覚悟を示すように、財布をレジに叩きつけて。
「何でも良い。三万円分、買う」
ざわり、周囲が浮き足立つ。本気か? と問い掛ける視線が四方八方から突き刺さるが全て無視して、開いた財布から諭吉を三枚――ほぼ全財産を、店主へと突きつける。
「これで百回、くじが引けるよな?」
「おお。それじゃあ、この菓子を買ってもらおうかの。在庫が余っていたし」
店主の老人が差し出してくる段ボール箱を半ば無視し、藤吾はくじを催促する。
そう、彼が此処に来た理由はただ一つ。とあるくじを引くためである。
そのくじの名は、『竹中の里、四十五周年記念スペシャルアニバーサリーキャンペーンくじ!!』。
もう分かっただろう。このくじを引くために、藤吾は三万円という高校生にとって大金と呼べる額を支払ってまで、お菓子を購入したのだ。
このくじは、キャンペーン協賛の店舗で三百円買い物をする事で一枚引く事が出来る。あくまでおまけの要素が強く、はずれも多いため、本気で当てようと思えば万単位の投資が必要であるだろうというのが藤吾の判断であった。
だがそれにしたって、駄菓子屋で三万円はやりすぎだと思うのだが……その行為をけなしたり、嘲るような人間は此処には居ない。
なにせ今この場に居るのは、(店主を除いて)全てが竹中の里を愛し、くじを引きに来た強者達だけなのだから。
「ほい、じゃあどうぞ」
店主の差し出した大きなくじ箱に、藤吾は躊躇い無く手を入れる。
既に夢破れた者、その様に怖気づいた者、機を窺っていた者。周囲のありとあらゆる者からの、ありとあらゆる感情の乗った視線を受けながら、一枚目の紙をぐっと引き出す。
催促する周囲の目に促され、開けたそこに書かれていたのは――外れ、の二文字。
「流石に一枚目じゃ無理、か」
誰にも聴こえない程小さな声で呟いて、藤吾は更なる希望を掴もうと箱に手を入れる。
彼がお目当ての賞品を手に入れる為、幾十というくじを引くその間に。部屋を出る前、金田が言っていた言葉の意味を説明しておこう。
そもそもの前提として、藤吾はこのくじ、このキャンペーンが行われる事を知っていた。当然だろう、竹中愛に溢れた彼がこんな情報を見逃す訳が無い。
勿論日にちも把握していたし、馴染みのこの店が協賛店である事も知っていた。この日の為に短期のバイトをし、軍資金も手に入れた。
だが――そこまで準備していたにも関わらず、夏休みという寝てばかりの毎日は、彼から曜日感覚というものを奪って行ったのだ。
要するに。彼は、くじの開催日を明日だと勘違いしていたのである。
そして、店に来ない彼を心配した竹中仲間からのメールがあれであり。漸く自身の間違いに気付いた彼は、取るものも取らず駄菓子屋へと駆けつけた訳だ。
話を戻そう。金田は、今日がキャンペーン開始日だと知っていた。別段竹中になど興味は無い、しかし金田について調べれば、同じ会社の竹中の情報も自然と目に入る。
だから彼は藤吾を嘲ったのだ。キャンペーン日もきちんと把握せず、お前は暢気に寝ているだけか、と。
そこに、一応報せておいてやろうかという親切心は……多分無い。多分。
「また外れ……っ!」
苦虫を噛み潰した顔で、藤吾は呻く。
これで引いたくじは六十四枚目。既に、一等以外の景品は全て彼の手の内にある。
だがそんな事は問題ではないのだ。最も重要なのは一等、一メートルを超える巨大な『竹中の里スペシャルジャンボクッション』。
何処からかは知らないが、事前にネット上にリークされた情報では、その当選確率は僅か一パーセントだという。他の等品と比べても、これだけが群を抜いて確立が低いのだ。
故に、藤吾は三万円もの軍資金を用意した。当選率一パーセントならば、百回引けば百パーセント。
そんな単純な考えでくじ引きに挑んだ藤吾だが……確立は、所詮確立。百回引いた所で出ない事もあると、八十八回目のくじが三等だった時点で、漸く彼は理解した。
「後、十二回……!」
焦りながら引いたくじの結果は、六等。まだ一等は出てくれない。
口内が乾き出す。手が震える。
それでも、引いて……また、六等。
「くそっ……!」
思わず吐き捨てながら、新たなくじを手に取った。
結果は……外れ。残り、九枚。
「頼む……頼む……!」
最早、それは祈りだった。彼だけでは無い、共に此処までの道程を見守ってきた周囲の人々、その半数近くまでもが彼の成功を祈っている。
残りの半数は――真逆。失敗した者達は、俺と同じになれと。まだ引いていない者は、残しておけと。そう、彼を汚泥の海へと引きずり込もうと怨讐の念を積もらせる。
その全てを跳ね除けるように。藤吾はまた、箱へと手を伸ばす。
残り、八枚。
七枚。
六枚。
五枚。
四枚。
三枚。
まだ引けない。まだ来ない。
何時になったら来てくれる? どうしてこんなにも引けないんだ? もっと早く、それこそ三十枚目、四十枚目で引けていてもおかしくないだろうに。
こんな、こんなに引いているのに。俺が、駄目なのか? 俺の竹中愛が、足りないから?
切羽詰った頭で引いた紙をゆっくりと広げる。今日、九十九回目の動作の果てに得られたものは。
「はい、二等ね~」
違うっ! ちくしょう、そうじゃないんだ!
泣き出したい気分だった。今すぐ大声を上げて、がむしゃらに暴れ出したい気分だった。
何で、何で、何で、何で、何で――
ぐるぐると思考が回る。渇きを通り越して吐き気がした。体はふらつき、視界が歪んでいく。
暗く、暗く、真っ暗になっていく視界。遂には、音さえ微塵も聞こえなくなって――
『藤吾……』
はっと、顔を上げる。
天から降り注ぐ……優しい女性の声が、確かに聞こえた。
開けた視界の先に映るのは、真っ白な空間と、ぽつんと一人佇む褐色の女性。
『貴女、は?』
『私は竹中。竹中の里に宿る、女神です』
常人が聞けば、眉を顰め正気を疑う発言だろう。
しかし、藤吾には理解出来た。誰よりも竹中を愛してきた彼だからこそ、彼女は真実『竹中の神』なのだと……理屈ではなく直感で、理解した。
慈愛の意を滲ませて、女神は言う。
『諦めてはなりません、藤吾よ』
『し、しかし女神様。残るはもう、一回だけで……』
『それがどうしたというのです』
藤吾の弱気な発言を叱責するように、女神は語りかけた。
まだ終わってはいないのだと、彼に伝える為に。
『運良く、引くのでは無いのです。本当に貴方が竹中の里を愛しているというのなら。本当に、心の底から一等が欲しいというのなら。手の内に転がり込むのを待つのではなく……引き寄せるのです、貴方が』
『引き、寄せる。俺が、俺の意思で……』
『そうです。さあ引きなさい、藤吾よ。貴方の愛を、私に見せて下さい!』
すぅ、と女神が消えて行く。後に残ったのは、見慣れた駄菓子屋の天井だけ。
古ぼけた木目の天板に、神は居ない。けれど藤吾の胸に、彼女の言葉はしっかりと残っていた。
「――行きます。女神様」
誰もが彼は狂ったのだと思った。もう無理だと、誰もが無意識に思う中で……藤吾だけがただ一人、信じていた。
「俺は……引くっ!」
伸ばした右手がくじを掴む。迷う事無く、そのくじを引き寄せ――
そうして、彼は勝利した。
~~~~~~
駄菓子屋を出た時。気付けば陽は傾き、すっかり夕方になっていた。
茜色に染まる坂道を、上機嫌に鼻歌を歌いながら歩いて行く。手には一メートルを超える大きな大きな、竹中のクッション。
街行く人々からの視線が突き刺さるが、その程度なんのその。むしろ、藤吾は自身の成果を見せびらかしたい気分であった。
だからこそ、残りの景品は魔導機に仕舞ったにも関わらず、これだけは手に持って歩いているのだ。正直歩き辛いが、今はその不便ささえ愛おしい。
柔らかなその肢体を、一撫で。
「さあ、帰ろう。俺達の家へ」
後に目撃者は語る。
夕焼けに照らされたその背中は、何かを成し遂げた漢の背中であった、と。
―― 完 ――
「あ、あれ……? 電車賃が、足りない……?」
そうして、漢は途方に暮れた。処分に困る、微妙な駄菓子の山と共に。




