第三十話 笑って、許して
すっかり意気消沈し、意識を保っているかも定かでは無い副会長の姿に、少しばかりかわいそうだな何て同情を抱いて。
けどまあ自業自得か、と納得した藤吾は、さてこれからどうしようかと頭を悩ませた。
忘れがちだが、今は高天試験の真っ最中。当然参加者としては、ゴールを目指して走り出すのが勤勉な生徒というものなのだが。
「でもなぁ。もう魔力も体力も限界なんだよなー」
立っているのがやっと、という言葉がこれ程似合う事も珍しい。
一歩踏み出そうとするだけで身体は揺らぎ、踏み出さなくても結局ふらつく。
身体の内に意識を巡らせれば、飲み終わったジュースの缶をひっくり返した時より少ない魔力が、かろうじて残っているのみ。
多分、身体強化も録に掛けられない。魔力弾一つ作れるかさえ怪しい。
「目的は果たしたし、もうリタイアしても良いんだけど……まだ身体は動くのに、諦めるのもどうなんだ?」
そう、動くのだ。例えどれだけ辛くても、余力僅かでも、一応まだ歩く事位なら何とか出来る。
怪我は多いが、それも今すぐ治療しなければならない程、危険な訳でもない。かろうじて、レース続行は可能なのだ。
「ん~……」
腕を組み、暫く熟考。
続行か棄権か、二つの意見がぶつかり合い――男のプライド、という自分にしか理解出来ないような理由で、出来るだけ進んでみようと結論を出し。
「とりあえず、自分で空けたこの道を戻らなきゃいけないのか――ぉあああっ!?」
歩き出そうとした所で目の前を何かが高速で通過して、咄嗟に飛び退き悲鳴を上げた。
その大きな影は空中を真っ直ぐにすっ飛んで、
「あ、副会長」
動きを停めていた副会長に激しく衝突。彼女を遥か彼方に吹っと飛ばし、代わりに近くの地面に転がって、やがて停止した。
動きを停めた影を凝視する。影は、人間だった。それも、藤吾も良く知っている――といっても、一方的にだが――人間だ。
「な、何で――四字練夜が此処に?」
影の正体は、黒い制服を纏った男子生徒――『極剣』の異名を持つナインテイカーの一人、四字練夜であった。
彼はその手に抜き身の刀を持ったまま、仰向けに倒れ気を失っている。その制服も身体もぼろぼろであり、相当に激しい戦いを行っていた事は想像に難く無い。
予想外の事態に、一瞬頭が空っぽになった藤吾だが……はっ、と脳内を駆け巡った嫌な想像に、冷や汗を垂れ流す。
「ま、待てよ。こいつがこうして此処に居る、って事は……」
ぎぎぎ、と音が鳴りそうな程ぎこちない動作で振り返る。その、ほんの数秒にも満たない時間があまりに長く恐ろしいものな気がして、心臓はバクバクと音を立てて激しく動悸を増していく。
じゃりじゃり、と地を踏み締める音がする。もう逃げられない――そう悟った藤吾は、意を決して背後を見た。
「ふー。流石にしんどいわ」
「ぼ、暴君だああああああああああああああああ!!」
咄嗟に叫んでいた。
そこに立っていたのが、長い赤毛を揺らした美しい女性――『暴君』エミリア・エトランジェであったから。
残念ながら、想像は想像で終わってくれなかったらしい。あわわあわわと体を震わせる藤吾は、最早恐慌状態だ。
「ん?」
挙動不審な彼に、暴君の視線が突き刺さる。断言は出来ないが、どうも不機嫌のようだった。多分、森の中で熊と出遭ってしまった時のような悲鳴を上げられた事が、癪に障ったのだろう。
藤吾とて一介の男児、女性相手にそのような真似はしたくなかったのだが……仕方が無い。何せ相手は暴君、それも全身傷だらけの血塗れで、たった今人を殺してきましたと言われれば信じてしまいそうな凄惨な格好なのだから。
ただでさえ気を抜いていた所に、こんなキリングマシーンみたいな女傑が現れたら、そら悲鳴の一つも上げたくなるわ。むしろ漏らさなかっただけ賞賛して欲しい。
「あんた、試験の参加者でしょ?」
「え、はい、まあ生徒ですし……」
「じゃ、とりあえずぶっ飛ばすから」
「えええー!?」と絶叫を上げた藤吾は悪く無い。
冗談かとも思ったが、大剣を肩に担ぐ彼女は戦意満々だ。本気で彼を圧し潰すつもりらしい。
冷静に考えれば当たり前の事である。彼女はこの試験の最終関門として、参加者達を一人残らず打ちのめすのが仕事なのだ。例え立っているのがやっとなぼろぼろの少年でも、その標的に違いは無いという事なのだろう。
で、蛇どころか大竜に睨まれた蛙状態の藤吾はというと、
「あー、痛たたたたたー! あー駄目だこれ、もう身体が動かないやー! 魔力もすっからかんだし、ゴールを目指すなんて無理だなー!」
清々しい位の棒読みで、体を抑えてその場に蹲った。
「いやーしょうがないなー、これはもうリタイアするしか無いなー! 本当に残念だけど、俺は此処までだなー!」
遂には大の字で床に寝転がってしまう始末。
男のプライドは何処へ行ったって? 無茶言うな、幾ら消耗しているといってもナインテイカーと正面切って戦えるものか。消耗具合でいえば此方の方が圧倒的に上だし。
「ふーん……」
「いや本当、嘘じゃないっすよ! あ、ほらレスト! どうせ見てるんだろ、さっさとその監視魔法で俺を回収してくれー!」
後半はもう懇願に近かった。
せっかく此処まで頑張ったのに、わざわざ暴君にぶん殴られて余計な痛みを負いたくなど無い。特に自分は、優勝にも興味は無いのだから尚更だ。
『えー、そんな事言わずに試しに戦ってみたらどうだい?』
「戦える状態だと思ってんのか! 第一エミリア先生と言ったら、お前が以前引き分けたって言ってた人だろう!? 俺が勝てる訳無いだろうがー!」
そう訴えれば、マイクの向こうから溜息を吐く音が聞こえる。
良いから早く回収してくれ、と藤吾は再度懇願し叫んだ。段々と後ろからの視線がきつくなってきているのだ、もう若干の猶予も無い。
『はぁ。しょうがないな』
藤吾の悲痛な叫びが功を奏したのか。手の掛かる子供に向けるような声と共に監視魔法が淡く光ると、そこから照射された光が藤吾の体を優しく包む。
本来であれば脱落者を回収する、謂わば落伍者の証であるはずのそれが、今はまさしく救いの光。他の参加者達とは真反対に、喜色満面の顔で藤吾は転移魔法で姿を消して――
「はー、助かった……って、レスト? それにニーラちゃんも。何故?」
本来ならば脱落者用の大部屋に転移するはずが、何故か目の前に現れた見知った友人達と放送機材(+波野安奈)に、間抜けな声を漏らしたのであった。
幾度か周囲を見渡して見るが、やっぱり此処は放送室のようである。理由は分からないが、恐らくレストが転移魔法に手を加えて自分を此処に連れて来たのだろう。
すぐさま状況を悟った藤吾は、考えるよりも聞くが速いかと、優雅に紅茶なんぞ飲んでいる友人に素直に尋ねてみた。
「なあ、何でわざわざ俺を此処に転移させたんだ?」
「君と話したいという人が居るからだよ。ほら」
え? と再度間抜けな声を漏らしながら指差された先を見れば、そこには僅かに顔を俯かせた黒髪の大和撫子――二条綾香が。
少しだけ、抜けていた気が引き締まる。副会長の事について何か有るのだろうと、それ位は然して賢くない藤吾にでもすぐ分かった。
「あー、えーと、そのだな……」
「藤吾さん……その……」
向き合った二人は、互いに目線を逸らしながらどもってしまう。
二人共、何か言いたいのに何を言えば良いのか分からない。そんな、もどかしい感覚にどうしようもなく捉われているのだ。
この時ばかりは、レスト達も余計な口出しをする事なく、ただ見守っていた。放送第一の波野安奈でさえ、一時的にマイクの電源を切っている程だ。
一秒、二秒、三秒。一分を超えて尚、二人の会話に進展は無い。ずっと口ごもり、何かを言い出そうとしては止める、その繰り返し。
(あー、何やってんだ俺はっ!)
ガリガリと頭を掻き、藤吾は内心叫びを上げた。
何時までこんなやり取りをしているんだ。此処は、男の俺が覚悟決めて切り出さなきゃ駄目だろう!
決意を固め、大きく息を吸う。躊躇い泳ぐ心を無理矢理引きとめて、藤吾は出来る限り大きな声で、第一声を喉から発した。
「あやっち!」
「は、はいっ!?」
「――すまなかった!」
深深と、九十度を超えて体を折り曲げながら、頭を下げる。
突然の行動と謝罪に綾香は目を点にしていたが、彼の言葉と行動を受け止めると、慌てた様子で顔を上げるよう促した。
「そ、そんな、止めて下さい藤吾さん! 謝るなら私の方です、私のせいでこんなに傷ついて、あんな苦労を掛けて……」
「いーや、あやっちは何も悪く無い。……俺は、事情を知らないとはいえあやっちと副会長を無理に引き合わせるような真似をしちまってた。あやっちはあんなにはっきりと嫌がってたのに、自分勝手に……。だから、ごめん」
「藤吾さん……」
形だけでは無い、それは藤吾の心からの謝罪であった。
本人としては、二人の仲を取り持とうとする善意からの行動だったのかもしれない。だが実際にした事は、綾香のトラウマを抉り副会長にレストへと近づく口実を与えただけだ。
そしてそれがより一層綾香の心を傷つけ、追い詰めた。その重さを、藤吾は良く理解している。
だから、ひたすらに頭を下げる。必死に、真摯に。
「こんな謝罪一つで許される事じゃないのは分かってる。俺をどうしてくれたって良い。けど……それだけは、伝えておきたかったから」
そのまま微動だにせず、藤吾は頭を下げ続けた。
沈黙が放送室を支配する。ややあって、綾香が数歩踏み出し、自分の前に静かに立つ。
「っ!」
ぎゅっと、唇を引き結ぶ。
殴られようが、魔法で撃たれようが、受け入れるだけの覚悟はあった。それだけ、自分のした事は残酷な行為だったのだから。
目蓋を強く閉じ、下される裁きを待つ。ゆっくりと近づいて来る綾香の両手の気配を感じ、身体をがちがちに硬直させ――
「頭を上げてください、藤吾さん」
頭にそっと両手を添えられ、顔を上げさせられた。
思わず開いた両目に入って来たのは、此方を覗き込む綾香の優しい表情。何で――そう問いかけるより早く、彼女の真っ赤な唇が言葉を紡ぐ。
「私は、貴方を責めたりなんてしません。確かに、副会長の事は色々とショックで、傷付きもしましたけれど……」
「うっ」
「でも、悪いのはあくまで藤吾くんではなく、副会長ですから。だから、もう良いんです。それに……」
「それに?」
聞き返す藤吾に、綾香は微笑んで。
「あの糞売女は藤吾くんがぶっ飛ばしてくれましたから。だから、もう満足です」
普段の彼女らしくない乱暴な言葉でそう断言した綾香に、一瞬言葉を失った。
視界の端ではニーラまでもが呆気にとられている。レストは憎らしい程いつも通りだが。
「そ、そうか」
頬を引くつかせながら、それだけ返すのが精一杯だった。綾香から立ち昇る暗黒のオーラを前にして、これ以上罰を、などと言える訳が無かったのだ。
下手すれば死ぬ。悪いとは思っているが、流石に俺もまだ死にたくは無い。
自分の正直な生存本能に従って、藤吾は綾香の言葉を受け入れた。他に選択肢が無かったとも言える。
「それに、私も悪いと思っているんです」
オーラを消し、少ししゅんとした表情になって、綾香は続ける。
「もっと早く、皆さんにきちんと事情を話しておくべきでした。そうすれば余計な勘違いなどなく、あの女にも騙される事は無かったのに……」
「いやでも、それは仕方ないって。だって、なあ?」
直接言うのは憚られて、助けを請うようにレストへと同意を求める藤吾。
が、彼は素知らぬ顔で紅茶を口に運ぶのみ。
(あんの野郎……!)
「ですから、今度からはきちんと話すことにします。何かあった時は……大切な、頼れる友人に」
そう言って微笑む綾香の顔は。今度は、純粋に温かく美しかった。
だから、藤吾も余計な罪悪感は捨てて、笑って返す。
「そっか。なら待ってるよ、そんな面倒な事態に成らない事を祈りながら」
「ふふ。そうですね、それが一番です」
もう、二人の間にギクシャクとした空気は無かった。そこにあったのは、以前と同じ……いやそれ以上に深く結びついた、絆の強さ。
「いやー、良い友情だねー。で、もう放送再開して良い?」
「もう少し自重した方が良いと思うよ」
小声でやりとりしながら、レストと安奈、そして無言で佇むニーラもまた、その穏やかな空気にゆっくりと身を委ね。
『うわぁああああああああああああああああああ!?』
「「「「!?」」」」
突如モニターから迸った絶叫に、目を見開いて飛び跳ねた(一名は除く)。
何事!? と急いでモニターへと目を向ければ、そこには。
『ちょ、ちょっと! ナインテイカー同士で戦ってたはずなのに、全然消耗してないんだけど!? どうなってんのよあれ!』
『違う! あれで消耗しているんだ、消耗していてあの強さなんだ! ふざけてるっ!』
『ぬう、何てパワーだ。まるでマウンテンゴリラ……があっ!?』
『荘厳ー! ちくしょう、暴君が何だ! やってやらー! ……ぎゃぁぁぁああああああ!?』
戦線に復帰したらしい『暴君』によって蹂躙される、参加者一同の姿が映っていた。
皆と共にその様子を眺めながら、藤吾。
「リタイアして良かったー」
どうやら今回の試験では、完走者は出なさそうである。




