第二十六話 二人、友の為に
『何か』が広がる。藤吾と礼菜、二人の居る空間を丸ごと呑み込むように、『何か』が。
それは恐らく何らかの力場だと、そう藤吾には感じられた。しかし感じただけ、その正体までは掴めない。
目を凝らす。が、特に周囲に変化は見られない。殺風景な試験場の通路も、聳え立つ灰色の壁も、目だった変化は何一つとして存在しない。
(レストがやるような空間の侵食や置き換え、ましてや創造じゃあないみたいだな)
早々あの親友のようなぶっ飛んだ真似が出来るとは思えないが、警戒しておくに越したことは無い。機構解放による力は時に常識を壊して超える。何が起こっても、不思議ではないのだ。
予想が付かない事態にも動じず、藤吾は冷静だった。とうに覚悟を決めた彼の心は、この程度では揺るがない。隙無く真機を構え、相手の出方を窺う。
慎重を期して動かない、そんな彼に礼菜がいやらしく笑った。
「警戒ですかぁ? 無駄ですよぉ、もうとっくに無駄。此処は既に私の領域ですぅ。この中に居る時点で――藤吾くんにぃ、勝ち目はありえません」
「っ!? は、や――」
礼菜が一瞬で加速する。気付いた時には目の前、考えている時間は無い。
だが同時に、彼の本能は現状を即座に正しく判断した。即ち、俺の速さならば避けられる、と。
本能の導きに従い藤吾はその足を動かして、
「なっ……!」
「遅い、ですねぇ」
避けきれず、礼菜の双剣によってその身を浅く切り裂かれた。
胸に刻まれた薄い傷跡。裂かれた制服の隙間から覗く傷と滲む血を信じられないものを見るように眺めながら、藤吾は慌てて距離を取る。
しかしその動きもやはり先程と同様、明らかに自分が想定したものよりも遅い。
(こいつは――)
「どうなっている、と思っていますねぇ。藤吾くん?」
「っ」
図星を当てられ、小さく眉間に皺が寄る。
おかしい。確かに自分は、あの一撃をかわせたはずだ。確かに自分は、今の倍は距離を取ろうとしたはずだ。
夢想などでは無い、それは確実に自分の実力ならばこなせる事のはず。今更自分の力も把握しきれていないなどと、幾ら馬鹿な己でもそこまで愚かな訳が無い。
まさか、これが――
「そうですぅ。貴方の思っている通り……これが、私の機構解放。『其が半生我に在り』ですぅ」
微かに発光する両手の真機を見せびらかしながら、礼菜は続ける。
「もう気付いてると思いますから、教えちゃいますけどぉ。これは、展開された特異な力場の範囲内に存在する敵の『力』、その半分を奪ってしまう技なんですぅ。しかも奪っているのですから当然、その力はそのままそっくり私に上乗せされる。この意味が、分かりますかぁ?」
彼女の言葉が嘘では無いと、藤吾には理解出来る。急激に弱まった自身の力と、逆に増した彼女の力が何よりの証拠だ。
「貴方はもう、私に勝てないということですよぉ」
獲物を狩る捕食者の目で、礼菜は唇に舌を這わせた。
仮に、藤吾が百の力を持っていたとする。その場合、彼女の力場の中に居る間は五十の力を奪われ、残る五十の力で戦わなければならないということだ。
対して礼菜は、元々持っている自身の力に加え、藤吾から奪った五十の力を上乗せできる。詰まりどう足掻いた所で、礼菜の力は確実に対象を上回るのである。
ならば距離を取れば良いと思うかもしれないが、それこそ悪手。彼女の支配領域は相当に広い、もしこの力場から出るのならば、必然的に戦いは長距離での射撃戦へと移行する。
そうなれば、中・遠距離にも秀でた礼菜と、苦手な藤吾。勝敗は、火を見るよりも明らかであった。
(どうする。ヒット・アンド・アウェイ……いや駄目だな。一度距離を取っても結局近づけば、副会長の領域に入っちまう。力を奪われることには変わりない)
厄介を通り越して、凶悪に過ぎる力であった。遠距離戦の苦手な藤吾では、攻略の手立てが無い。いや彼だけでは無い、あらゆる近接型の天敵と言ってもいい技だ。
これが、九条礼菜の隠し玉。彼女をその地位に至らせた、真の切り札。
「ふふふ。どうやら私はぁ、相当に侮られていたみたいですねぇ」
攻略法を見つけようと脳をフル回転させ、動きの止まった藤吾へと、礼菜が言う。
「藤吾くんも聞いた通り、確かに私は対戦相手を誘惑しぃ、堕として……要するに不正を働いて、今の『学内ランキング十六位』という順位まで上がってきましたぁ。ですが、これも貴方は聞いていたはずですよぉ? その不正がばれない程度の実力はある、とぉ」
勝ちを譲ってもらうにしても、あまりに実力差があっては敗北が露骨になり、直ぐに不正がばれてしまう。故に未だ不正の発覚していない彼女には、そうと気付かれないだけの実力が備わっていることは、最早道理であった。
事前に調べるだけの暇が無かった藤吾には、知る由もなかったのだ。礼菜が取引を持ちかけた相手が、全て遠距離戦闘を得意とする――彼女の『領域』の外で戦える――テイカーであったということは。それ以外のテイカーには、純粋にその実力で勝って来たということは。
礼菜は、確かに不正によって勝ちあがってきたが。その実力の全てが張りぼてな訳ではないのである。
「さて。それじゃあ戦いを再開しましょうかぁ? 最も、これから先が戦いと呼べるものかどうかは、また別ですがぁ」
「――ふー……」
自身から奪い取った力をその身に滾らせる礼菜を前に、深呼吸一つ。脳に酸素を巡らせて、鈍り掛けていた頭を活性化させた藤吾は、弱った力でそれでも槍を握り締める。
どうやって攻略すれば良いのかなど分からない。けれどそれでも、退くという選択肢は微塵も無かった。
脳裏に浮かぶ踏みにじられた友人の姿に再度覚悟を強くして、勢い良く地を蹴り踏み出す。
絶対的に己を上回る力の持ち主へ、それでも藤吾は果敢に挑みかかって行った。
~~~~~~
『おっとぉ!? 何だ、中継が映らなくなってしまったぞ!? ちょっと待って、せっかくの副会長とダークホースの対決が見られないなんて、そんなのありかぁ!?』
狼狽する実況者の声を放送で聞きながら、参加者達は皆コースを懸命に疾走していた。
今、この学園でもっとも注目されているであろうあの二人に先を行かれてしまった他の生徒達だが、それでも諦めるにはまだ早い。あの二人は勝手に潰しあってくれているようだし、最終関門もある。まだ、逆転の目は残されているのだ。
だからこそ、互いに争いながらも皆前へ前へと進んでいたのだが――。
「ん? 何だ?」
団子状になって争い駆ける上位陣、その一人が訝しげに目を細める。
視線の先、コースの中央には、見慣れぬ誰かが佇んでいた。
もう少しであの二人に追いつける、という時に道を塞ぐように現れた人影に、思わず眉を顰める。
他の参加者であれば足を止めているのはおかしいし、かといってこんな所に妨害の教師が居ないことは、先行したあの二人の映像で判明していることだ。
(まあ何であれ、先に進むだけだ)
そう結論付けて、男子生徒を含めた上位陣は先を急いだ。
もしかしたら暴れたいだけ、他者の妨害をしたいだけの参加者かもしれないが、どっちにしろ知ったことでは無い。邪魔をするのなら、なぎ倒して進めば良い。
そう考え、距離を詰めた彼等の目に映ったのは――赤き大剣を握り締め、真紅の長髪を靡かせて、仁王立ちする美しい少女の姿。
一瞬、最終関門であるあの教師を思い浮かべた一同だが、すぐに頭を振ってその考えを消し去った。彼女はまだ『極剣』との戦いの最中のはずだし、終わったとしてもこんな場所に居るはずが無い。
何より少女は自分達と同じこの学園の制服に身を包んでいるのだ、参加者の一人であることは明白だった。
すっ、と少女から放出される強力な魔力の波動。
「邪魔する気か? ならっ」
攻撃の意図を感じ取り、男子生徒は先手必勝とばかりに魔法を繰り出した。流石最上位に居るだけあって、威力も速度も申し分ない炎による一撃が、少女へと線を引いて飛翔する。
そんな人一人を気絶させるに十分な攻撃を前に、両手で握った大剣を天へと掲げた少女は、
「はぁあっ!」
気合一閃、隆起する魔力と共にその凶器を思い切り振り下ろした。
放出されたのは、通路を埋め尽くすような巨大な炎。最早津波にも等しいその炎波を前にちっぽけな火線は呑み込まれ、自身に迫る災害に一同は急いで足を止めると防御魔法を展開する。
やがて。炎が過ぎ去った時には、上位陣の三分の一が気を失い脱落を余儀なくされていた。
「思ったより残った、か」
監視魔法によって回収されていく脱落者と、己を睨む残存者を眺めながら、少女――リエラ・リヒテンファールはその手の魔導真機『アルダ・ハインツェリオン』を肩に担ぐ。
この先の戦いを考えればもう少し減らしたかった所だが、贅沢は言うまい。此処まで残っただけあって皆精鋭揃いだ、むしろ初撃であれだけ持っていけただけ幸運だろう。
「全く。あいつのこと言えない位、私も馬鹿よね」
自重するように、しかし笑いながらリエラは呟く。
彼女が何故、ゴールも目指さずこんな――他の参加者を妨害するような――真似をしているのかといえば、それは単純に彼等をこの先に行かせない為だった。
より正確に言えば、この先で行われているであろう『友人』の戦いに、他者を介入させない為である。
「ま、しょうがないか。だって、あいつの――藤吾のあんな顔を見たら、邪魔させる訳にはいかないじゃない」
リエラは藤吾に何があったのか、その事情の一切を知らない。恐らくは副会長と何かあったのだろうとは思うが、それも所詮は憶測に過ぎない。
だが、それでも。あの藤吾が、あんなにも慕っていたはずの副会長と戦おうとしているという事実。そして何より、中継で一瞬だけ見えた彼の表情。
あんなものを見せられてまで、自分の優勝なんてものに拘る程……リエラ・リヒテンファールという少女は薄情な性格ではなかった。詰まりは、そういうことなのだ。
「敵は多数、魔力はそこそこ。しかも一人でも通した時点で私の負け、か」
此方を警戒しながらも魔法を練り上げ、今にも襲い掛かってきそうな参加者達を見渡しながら、リエラは真機を上段に構える。
「十分上等、文句なし。幾らでも、何人でも……掛かって来なさい!」
その身から赤熱の炎を噴き出して。逆境にも負けず、少女は不敵に笑ってみせる。
直後、色とりどりの光弾を号砲に、たった一人の防衛戦が始まった。




