第二十三話 駆ける者
『ただいま』
『あ、レストさんっ! ほんとに速かったなー、何して……あの』
『ん?』
『その腕のは、何でせう?』
ドアの開く小さな音と共に声を掛け、放送室に入って来たレストへと振り向いた安奈は、その姿を見た瞬間頬を引く付かせた。
無理もあるまい。何せ今のレストの腕には、なにやら気を失っているらしい美少女が抱えられていたのだから。
戸惑う安奈に軽く視線を返した後、席の近くまで来た彼は、ちらりと自身の従者へと目を向ける。
それだけで主の意を理解して、リッカはパイプ椅子から跳ね立つと、レストの席を壁際に片付ける。
『あの、何をしてんだいっ?』
『それはもっちろん、レスト様の新しい席を用意するんですよー!」
落ちていたテンションが急速浮上、途端に騒がしくなった彼女が何も無い空間に手を伸ばして引っ張ると、何故かそこには大きなソファが。
目をぱちくりと瞬かせる安奈を置いて、ソファを放送機材の前にセット。出来上がった即席の放送席に、ありがとうと一つ言ってからレストは座り込む。
そうして、未だ意識を取り戻さない綾香をソファに横たえた。頭は自身の太ももに、要するに膝枕の形である。
男である彼がするというのに、その姿はやけに魅力的で似合っていた。
『さて。それでは改めて実況に戻ろうか』
『あー……そうだねっ! とりあえず、今の状況は――』
さらりと流す彼に従って、安奈もまた異常を華麗にスルーした。
どうにもあまり突っ込むべきではなさそうだ。下手に突っついて竜の頭を引っぱたくような真似はしたくない。それに、あの少女が誰であろうと実況には関係ないし。
レストに気を取られ、目を離していた――といっても、僅かな間だが――試験の状況を確認する為、安奈はモニターに目を向ける。
各種映像に問題は無し。上位陣をきちんと捉え、各所に中継出来ている。後は、念の為に全体の動きを把握するためのレーダーマップを――
『あれっ?』
そこで、気付いた。探索魔法を応用した設備により、参加者の位置や動きを光点で示してくれるレーダーに映る、『異常な存在』に。
『……どうかしましたか?』
『いんや、それがさっ』
突如動きを止め、食い入るように専用モニターを見る安奈に小首を傾げ、問い掛けるニーラ。
そんな彼女に、モニターから目を離さないまま安奈は答える。
『なんかおかしいんだよね、これっ。もしかして、壊れちまったのかなぁ?』
『ふむ。私が見る限り、正常だと思うが』
『え-!? だってレストさんっ、これを見てくれよ!』
モニターを指差し、安奈は訴えた。
映るレーダーマップの『異常』を見て、しかしレストは眉一つ動かさず、
『やはり、正常だよ。どこにも異常などありはしない』
『ええっ!? いやだって、これが本当に正常だとしたら……速すぎるっ!』
二人が注目するそのモニターを、ニーラとリッカも覗き込む。
広いコースの全体図に、無数に蠢く参加者達を示す光点。その中の一角、安奈の指差す先で、一つの点が動いていた。
ただ、その速度は他の光点の比では無い。
『もんの凄い速度で、コースや障害を次々に走破していってるぜ! 他の参加者達からの妨害もあるだろうに、まるでお構いなし! こんなのありえないって!?』
『高速で全てかわして突き進めば、可能だろうさ』
『いやいやいや! だってこのモニターが示す通りならこの選手、音速の倍……いや三倍以上は出ているぞ!? しかもそれを維持し続けるなんて、正気のテイカーじゃありえない! ましてそんな選手が中盤以下の位置にいたなんて、もっとありえないっての!』
『そうだね。普通なら、そうかもしれない。だが……世の中は、普通だけでは計れないものだ』
『一体、どうなっているんだぁ!? モニター、中継……出すよっ!』
切り替わる中継モニター。一つとなった巨大な画面に映し出される、少年の姿。
風が、駆けていた。巨大な槍を携えて、その身に吹き荒れる疾風を纏い、男は空を駆け抜ける。
放たれる幾多のトラップを自慢の速度一つで抜き去って、他の参加者が彼の存在を意識するよりも早く突き抜けて。
「藤吾っ!?」
走りながら中継を見ていたリエラが、思わず驚愕の声を上げる。
「あらぁ? 藤吾さん?」
先頭を飛ぶ礼菜が、彼女にしては珍しい本気の驚きの声を上げる。
『こ、この選手は……!?』
まるでノーチェックだった選手の躍動に、安奈が呆然と声を上げる。
その横で。レストは一人、満足そうにただ無言。
『検索……出たっ! 参加者リストによるとこの選手の名前は、芦名藤吾!』
素早く自身の端末を操作して、判明した名前を学内ネットワークの検索欄に打ち込む安奈。
程なくして上がってきた情報を、彼女は素早く読み上げる。
『所属は二年A組、近接戦闘型のテイカーで学内ランキングは……嘘っ、四千四百五十八位!? あの速さで!?』
目を丸くする安奈だが、本当の異常はその後に来た。
『いや……ちょっと待った、この人おかしいっ。この順位なのに、通称がある!?』
この学園では特別上位に在る者、或いは異常と呼べる程に突出した何かを持つ者には、通称が付けられる。レストの『魔導戦将』、エミリアの『暴君』などがその良い例だろう。
だが当然ながら、それを得る為の壁は厚い。ランキングの順位にしてみればおおよそ三百番以内、突出した能力ならばその分野で五本の指に入るレベル。少なくとも学園全体で見ても五百人と居ない、通称持ちとはある種の選ばれた者なのである。
そしてそれら通称持ちは皆有名で、基本的にほとんどの生徒・教師が名前位は知っているものだ。ましてそれがテイカー研究会のメンバーともなれば尚のこと。
実況まで任される安奈が把握していないということは、それ自体が即ち異常であった。
だからこその困惑と驚愕に包まれて、彼女はその名を読み上げる。
『芦名藤吾。通称は……風神槍破!』
神をも越えて、男は駆ける。踏みにじられた友の為、己が信念さえも置き去りにして。
「これは、少々面倒なことになりそうですねぇ……」
何処までも真っ直ぐなその姿に、先頭を行く少女が不快そうに呟いた。




