第二十一話 無情
「何、してるんですか」
未だ目の前の光景が信じられないと、今居る場所が現実かどうかも定かでは無いような不安定な精神で、藤吾は力なく呟いた。
けれど彼のその問いに、礼菜は何一つ答えることは無く、
「あ~、分かりましたぁ。貴方は協力者だったので、入り口に張った結界の設定から漏れてしまったんですねぇ。ん~、敵や邪魔者だけを遮るようにしたのが、間違いでしたかぁ」
「そんなことは、どうでも良いでしょう! 早くその脚をどけて下さい!」
「んん? あ~、これ、ですかぁ?」
まるで慌てず、まるで動じず。更に脚をぐりぐりと動かし、綾香の頭を地に擦り付ける。
その異常な光景に声を荒げて、藤吾は叫ぶ。
「止めて下さい、礼菜さんっ!」
「ど~してですかぁ? 彼女は私の優勝を妨害しようとした、敵なんですよぉ」
「だからって、そんな真似!」
「だってぇ。こうしていると、気持ち良いじゃないですかぁ」
その言葉は。混沌の渦中にある藤吾の頭を、激しく殴りつけ打ち据えた。
「そ、んな……礼菜さん、何、言って……」
「そう驚かなくてもぉ。普通、こうして他人を足蹴にすることなんて出来ないでしょう? だからこそ、希少価値があって……素晴らしいんですよぉ」
「嘘、だ……まさか、本当に……? じゃあさっきの話も、全部……」
「あれ、聞いていたんですかぁ? 乙女の内緒話を盗み聞きとは、藤吾くんも人が悪いですねぇ」
にっこりと笑うその顔は、まるで普段と変わらなかった。いつも向けてくれていた、あの柔らかくて優しい笑顔。
なのに――今はそれがどうしようもなく不気味で、恐ろしい。
「まぁそんなことはどうでも良いとしてぇ、です」
秘密を知られた。その事実にもやはり全く動じることなく、礼菜はそっと手を伸ばす。
己に伸ばされた細く白い導きに、困惑する藤吾。そんな彼へと、彼女は、
「さぁ藤吾くん。やっと合流出来たことですしぃ、一緒に優勝目指して頑張って行きましょー」
まるで悪びれることも無く、そう宣言して見せたのだった。
理解、出来ない。ここ最近ずっと、彼女のことを考え、彼女と共に過ごして来た藤吾にも。今の九条礼菜を、まるで理解出来る気がしない。
「そんな……そんなことは後回しで良いでしょう! それよりも教えて下さい礼菜さん、真実を! まずは綾香を手当てして、その上で、全部!」
「ん~……協力してくれないんですかぁ、藤吾くん。約束、しましたよねぇ?」
「礼菜さんっ!」
媚びるように甘い声を出す礼菜を一喝する。普段であれば心を溶かされていたかもしれないその声も、今目にしている状況を前にしては、何の意味も齎すことは無い。
今はただ、礼菜に否定して欲しかった。こんなのは嘘だと、何かの間違いだと。最早そんな段階などとうに過ぎていると分かっていても、それでも彼女を信じたかった。
藤吾の必死な様子を見て、誤魔化しは通じないと判断したのだろう。礼菜は困ったように小首を傾げ、綾香の頭から脚を離すと、彼に歩み寄る。
「藤吾くん」
「ちゃんと、話して下さい。全、部……?」
「それならぁ。貴方はもう、いりません~」
突き刺さっていた。真実を問い詰めようとした藤吾の腹部に、礼菜の右手の魔導真機が。
「え? ……ぁ」
「残念ですねぇ。せっかく、丁度良い協力者が手に入ったと思ったのですがぁ」
ずぶりと深く突き刺さったそれは、あくまで特殊な魔法による魔力的干渉であり、直接人体に危害を加えることは無い。
故に血も出ず、傷も付かず――ただ痛みと、精神的ダメージだけを、対象に抉りこむ。
「れい、な、さん……」
「悪いですがぁ、貴方と話している時間は無いんですぅ。綾香さんのせいで、予想以上に時間を取られてしまったのでぇ。なので、藤吾くん……貴方とは此処でさようなら、ですぅ」
「れ、い」
シュン、と軽い音と共に振るわれる、もう一つの双剣。
それは狙い違わず、藤吾の首を切り抜けて。無情にも彼の意識を刈り取った。
「ぁ……」
「では、行きますかぁ。優勝して、恋人になってぇ……ナインテイカーの座を、譲って貰わないといけませんからねぇ」
崩れ落ちる藤吾に最早、一片の興味も示さず。
礼菜は静かに小部屋を抜けると、試験へと舞い戻って行った。
~~~~~~
――そして、現在――
『……起きたか』
『んん? どうしたんだいレストさんっ、急に。もしかして、ナインテイカーの二人に何か動きでもあったとか!?』
安奈が実況を中断し問い掛ければ、レストは静かに首を振る。
あの二人の戦闘を観測できるのが現状レストだけの為、何かあったら教えて欲しいと頼んではあるのだが、どうやらまだまだ決着には遠いらしい。
じゃあ何が、と更に問おうとした安奈だが、レストの顔を見てすぐに口を噤んだ。何やら、彼から感じる雰囲気が少し違う。
何処がどう、と訊かれても答えられないのだが、とにかくこれまでとは違うのだ。
祭りを楽しむように上機嫌だった今までに比べて、妙な真剣さと哀愁のようなものを滲ませている。
(まあ、私の勘違いかもしれないけっどなー)
胸の中でそう結論付けて、安奈は再び実況に戻った。
触らぬ神に祟りなし。親しい訳でも理解者な訳でも無い自分がレストに下手に口を出しても、碌なことにならないのは目に見えている。
『しっかし流石は副会長、凄いもんだっ。中盤頃は影も形も見えないくらい上位陣から離されていたはずなのに、もう一位! あっ、いや、二位! 上手くペース配分をして、終盤に掛けて一気に追い上げた結果かな!?』
どうも現状一位の少年が規格外過ぎるせいで、ついつい順位から外しそうになってしまう。今はあの暴力教師と共に、何処かへと消えてしまっていることだし。
というか隣の解説者によるとあの二人は遥か高い次元を越えた『何処か』に行ってしまったらしいが、それはレース上ありなんだろうか? ついでに言えば、今コースに居ない四字選手を暫定一位として良いのだろうか?
色々疑問は尽きないが、その全てを安奈はとりあえずぶん投げた。ナインテイカーを自身の持つ真っ当な常識で考えようとすること事態が間違っているのだ。そこらへんは、状況に流されるまま臨機応変にやれば良い。
と、実況を続ける安奈を余所に、レストが突然立ち上がる。
そうしてそのまま、実況席に背を向け歩き出す。
『お? どうしたんだ、レストさんっ』
『いや。少々、行く所が出来た。暫く席を外させてもらうよ』
『ええ!? そんなー、それは困りますぜレストさんっ! もしあの二人の戦いに動きがあったら、どう伝えれば良いってんだあ!?』
『心配せずとも、そう時間は掛からないよ。すぐに戻って来るさ。あの二人の戦いは……そもそも、解説する必要もないだろう。どうせ見えないのだし、結果だけ分かれば十分。違うかい?』
うぐ、と安奈は押し黙る。
確かにエンターテイメントという観点からすれば、何も見えず分からない二人の戦いをレストに解説してもらうことに大した意味は無い。仮にしてもらっても、先程までのようにまるで理解出来ず、ぽかんとして終わるだけだ。
ナインテイカー同士の対決という一大事も、見世物として使えないのならばわざわざ実況を入れる必要は無いのである。そういう意味では今のうち、レースがラストスパートに入って盛り上がるその前に、用事を済ませて戻ってきてもらった方が何倍も良いだろう。
『わっかったよ。けど約束だよレストさんっ、ちゃんと戻ってきてね!』
『ああ。それまでは……ニーラ、それからリッカ。後を頼むよ』
『はい、レスト様』『かっしこまりましたー! レスト様ー!』
『誰っ!?』
何処からともなく現れた、クラシカルなメイド服を身に付けた妙齢の女性に、素っ頓狂な声を上げる。
だがそんな安奈の驚愕に目もくれず、女性は黄緑色のポニーテールをぴょんぴょんと揺らしながら、レストへと問い掛けた。
『でも良いんですかー? レスト様! 私はー』
『何。これも君の成長の為の、ちょっとした試練というやつだ。別段今のままでも困りはしないが、やはり人に慣れておいた方が出来ることも増えるだろう? 此処には他人は彼女――波野安奈一人だけだし、ニーラも居る。少し、頑張ってみると良い』
『なるほどー! かっしこまりました、レスト様っ!』
ビシィ! と効果音付きの元気な敬礼を見せて、主に応える女性――リッカ。
そんな彼女と、無表情で小さく手を振るニーラに見送られて、レストは颯爽と放送室から出て行った。
『あ~。とりあえず、レストさんの代わりに二人が解説に入ってくれる、ってことかい?』
『……はい』『……よろしく、お願い、します……』
『えぇ……?』
先程までとは打って変わって消え入りそうな声で、途切れ途切れに話すリッカに、安奈困惑。
爛々と輝いていたはずの虹色の瞳も今はずんぐりと薄暗く、全身に影を背負っていた。心なしか、体勢も縮こまっているようだ。
『え~と二人とも、レースももう終盤だっけど、どう思う!?』
『……皆さん、頑張っていると思います』『……別に、何も』
『えぇ……?』
何とも会話し辛いことだった。特に、それなりに返してくれるニーラと違い、反応も感想も淡白を通り越して薄暗いリッカには、無駄な勢いが信条の安奈でもいまいち突っ込んで行き辛い。
かといって無理に会話を求めても、彼女のあの様子では無視どころか拒絶されかねない。
(下手するとレストさんに怒られっかもしれんし……気を付けとこ)
逆に此方が無視するという判断に出ないのは、レストの言葉からリッカの事情を薄々感づいたからだ。
波野安奈、その性格からは分かり辛いが以外と気が利く人間なのである。
『まぁとにかく! 新しい仲間も増えたところで、各所の様子を見ていこうっ! まずは――』
手早くモニターを操作して。その元気と明るさで場を引っ張りながら、安奈の実況は変わらず続く。
その画面に映らない所で……一人の少年が今、動き出していた。




