第十七話 本性
試験開始から、およそ一時間。様々な激突が起こるその中で、唯一、開始直後から今までずっと争い続けている参加者がいる。
「こいつで……うわっ、何だ!?」「はっはっはー、このわしこそが一番……のっ!?」「きゃっ!? ちょ、危な……!」「見敵必さ……あれ?」
剣を合わせ、魔力弾を撃ち合い、争う幾人もの参加者達を路傍の石の如く無視して翔ける二人。
前を行くは女性ならば誰もが羨むような美貌を惜しげも無く振りまき飛翔する、この学園の生徒会副会長、九条礼菜。
後を追うは長い艶のある黒髪を靡かせ、地を滑り前を行く怨敵を撃ち落さんとするレストの弟子、二条綾香。
逃げる者と追う者、二人の関係はこと此処に至ってもまだ初めと何一つ変わってはいなかった。綾香が攻撃魔法や捕縛魔法で足を止めようと画策し、その全てを捌いて礼菜が前へ進む。
二人共確かな実力を持った者同士であるだけに、争いながらもその進行スピードは速い。彼女等の戦いに巻き込まれ流れ弾を喰らった他の参加者達が怒気を現す頃には、とっくに二人とも先へ先へと消えている。
あからさまにペース配分を間違ったような行動である。特に、ほとんど飛んでかわしているだけの礼菜に比べて、多様な魔法を絶えず放っている綾香の負担は相当に大きい。リエラや荘厳程の魔力保有量の無い彼女では、とっくに魔力が尽きていてもおかしくない程に。
「くっ、流石にそう簡単には落ちてくれませんか……でもっ」
前を飛び続ける礼菜に歯噛みしながらも、綾香は懐から取り出した小さな小瓶の蓋を開け、その中身を一気に飲み干す。
これこそが、彼女が未だ魔力枯渇状態にならず戦い続けていられる理由。呑むだけで魔力が補充出来る、特殊な魔法薬である。
普通ならばこの手の薬は高価で作成も難しい物であり、今のように何本も何本も浴びるように飲むことなど余程の富豪でもない限り不可能なはずなのだが……彼女の場合はその特殊な立場が、この無茶な作戦を可能とさせていた。
即ち、レストの弟子という地位である。高位のテイカーですら作成の容易でない魔法薬も、彼の手に掛かればレンジでチンするより簡単に出来上がりだ。
暇な時に作成・販売され、彼の豊富な資金源の一つともなっているそれ。それを、綾香はレストに頼むことで無条件に大量に手に入れていた。
無論、深くレストを敬愛し奥ゆかしい綾香のこと、普段は魔法薬を自らねだるような真似はしない。時々レストから、新作の魔法薬をお試しだと言われて貰う位である。
しかし今回の戦いに赴くに当たって綾香は、恥を承知でレストに頼み込んだ。どうか魔法薬を譲って貰えないか、と。
全てはあの九条礼菜の優勝を阻む為――そう決意し、事情も話せずただ頭を下げる彼女にレストは、友人に飴でも渡すような気軽さで大量の魔法薬を手渡したのである。
綾香の決意が、より一層固まった瞬間だった。
恐らくだが、レストは気付いているだろう。綾香が何の為に大量の魔法薬を欲したのか。
気付いていて敢えて、何も言わなかった。好きにしろ、とでも言うように。
(絶対に、彼女を優勝させる訳にはいきません。師匠にこうして助力して貰っておいて尚、失敗など……決して許されませんっ)
再度の決意と共に放たれた捕縛魔法は、この日何度目かも分からぬ礼菜の斬撃によって断ち切られた。それでも諦めることなく、綾香は彼女を追い続ける。
そんな、決死の覚悟で己を追う追跡者をちらりと窺い――礼菜は、突然その場で静止した。
(? 何を――)
疑問に思いながらも、魔法弾を放つ綾香。だがその弾丸は、
「っ!? 弾かれた!? そんな、動いてもいなければ魔法も使っていないはずなのに……どうして?」
礼菜の直前で、まるで壁にでも当たったかのように砕け散ってしまう。
驚く綾香にそっと微笑み、礼菜はふわりと揺れるように大きく左右に動きながら、奥へ奥へと逃げていく。
離れる距離。だが綾香は、その光景に焦るよりも先に疑問が浮かんだ。
(どうして、あんな動きを? 攻撃に備えているのだとしても、あんなに大きく動く必要はないはず。それにあの前進の遅さ……あれではまるで、障害物でも避けているかのような――っ!)
かちり、綾香の脳内で今の光景と先程の光景から得られた情報が嵌る。
もしかして――
「求め、探し、拡がれ――『リフィル・リフィレ』」
推測を確信に変える為、綾香は探索魔法を発動させた。
拡がった魔力の輪が周囲の情報を取らえ、彼女へと届けてくれる。
そうして理解した。この先の空間に広がる、『壁』の存在を。
「透明な壁……。これも障害の一つ、ということですか」
そこには、見えない壁が突き立っていた。まるで迷路のように複雑に、此方を阻むように。先程魔力弾が弾かれたのも、礼菜との間にあったこの透明な壁のせいだったのだろう。
(硝子よりも遥かに透明で、なおかつ強度もあり、当たり前のようにステルス性能まで備えている。何とか感知は出来ますが……かなり厄介ですね)
綾香が優れた補助魔法の使い手だからこそ、判明したことだった。これがもし凡庸な使い手であったのならば、壁の存在すら満足に把握出来なかったかもしれない。
掌握した辺りの情報を元に、再び前進。まだ何とか視界に居る礼菜を追いながら、しかし綾香の頭には新たな疑問が。
(九条礼菜は、一体どうやってこの壁の存在を……?)
彼女を落とそうとする者として、その挙動には細心の注意を払ってきた。だから分かる、彼女は己のように探索魔法の類は一切使っていない。
ありえない――そう断じる。壁の存在そのものは、此方の攻撃の流れ弾が壁に衝突していて、前を行く礼菜はそれを目ざとく見つけたのかもしれない。
だがそこから先は? 探索魔法を使わず、かといって魔力弾や魔導機を使っての物理的な探索でもなく。まるで壁が見えているように自然に飛行出来る、その理由は一体なんだ?
(まさか、自身の目を強化して……? いえ、それはありえません。この壁を目視しようというのならば、相当な強化を掛けなければならないはず。それ程の強化を、感知出来ないはずがありません)
見えない壁を正しく認識する為、今も綾香は定期的に探索魔法を発動させている。そしてそこから齎される情報の中には、先を行く礼菜についても含まれていた。
その情報が正しければ、彼女が発動させているのは飛行魔法のみ。感知に引っ掛からないよう工夫しているのかとも思ったが、このステルス性の高い壁を認識したいのならば、それなりに強力な魔法行使になるはず。それを完全に隠しきれるとは、綾香には思えなかった。
(ですが現実として、彼女はこの迷路を自分の庭でも歩くように容易く踏破しています。一体何故? どうやって?)
礼菜に続くように、迷路を無事脱しながら綾香は思考する。
よくよく考えてみればこのレース中、ずっと彼女はおかしかったのだ。幾つも仕掛けられていた障害の全てを、まるで知っていたかのように華麗に回避する。後から続く綾香ならばともかく、先行し先の分からぬはずの礼菜が、だ。
「もしかして、彼女は……」
浮上する疑惑。元より最高潮だった警戒を限界まで引き上げ、綾香は礼菜の後を追う。
しかし一度開いた距離を詰めるのは、なかなかに難しく――
「!? 止まった?」
どうやって距離を詰めるか、それを考えていた綾香の前で、礼菜がその動きを止める。しかも今度は先程とは違い、飛行魔法すら停止して、優雅にその両足で地に降り立って。
罠か? ――警戒する綾香だが、足を止めるわけにはいかなかった。例えどんな罠が待っていようとも、近づかないわけにはいかない。
距離が開いていては幾ら魔法を放っても容易く捌かれるだけであるし、様子を窺っている間に無視して先に行かれれば目も当てられない。
警戒し、僅かに速度を落としながらも近づいて来る綾香に、礼菜はにっこりと美しく笑う。
「……何のつもりですか。優勝が目的の貴女が、足を止めるなんて」
「いえ~。流石に綾香さんに追われながらでは、そろそろ厳しいな、と思いましたのでぇ。この辺りでいい加減、勝負に出ようかとぉ」
「勝負? 逃げてばかりの奇行を止めて、私を倒す、と?」
「はい~。丁度良い場所が、『この先』にありますので、ねぇ」
言って、礼菜が傍の壁へと手を当てる。その行動に疑問を浮かべるよりも先に、触れられた壁に異変が起こった。
彼女に触れられた箇所を中心に壁の一部が動き、ぽっかりと穴を開けたのだ。二メートル程の高さのその穴の向こうは綾香からでは見えなかったが、明らかに隠し通路であろうということだけは予想がついた。
(やはり……彼女はこのレース場について、熟知している)
何一つそれらしいヒントが無かったにも関わらず的確に隠し通路を露にしてみせた礼菜に、そう確信する。
彼女は今回の試験の為に作られ、直前まで存在すら秘されていたはずのレース場の構造やギミックを、ほぼ完璧に把握しているのだ。
生徒会副会長だから? 否、そんなはずは無い。それではあまりにも不公平だ。
この先の不透明なレースにおいて、コースを把握しているということはそれだけで大き過ぎるアドバンテージである。そんなものを許していては試験自体がまともに成り立たない。
もし彼女が副会長としてこのレースについて知らされているのなら、最初から参加出来ないようにするはずだ。しかし今こうして試験に参加している以上、彼女は本来ならばこのコースについては知らないはずなのである。
ほぼ完全に、嵌るピース。不本意ながら彼女のことを良く知る綾香には、彼女がどうやって情報を得たのか、その予想が容易くついた。
「それでは、此方へどうぞぉ」
だがそれを問い詰めるよりも早く、礼菜は穴へと足を踏み入れると、そのまま消えて行く。
待ち伏せに注意しながらも、綾香は急いでその後を追った。
予想通り、穴の向こうは細い通路になっていた。狭く長い、一本道。いつでも防御魔法を発動出来るよう待機させながら、その隠し通路を滑り駆けていく。
間も無く辿り着いたのは、教室の二・三倍程度には開けた、殺風景な広間だった。周囲を壁に囲まれた、完全なる行き止まり。
その真ん中に、九条礼菜は立っていた。何一つ憚ることなく、泰然と。笑顔さえ浮かべて。
「此処は……」
「所謂デッドスペース、というやつですぅ。作られたはいいものの、コースが完成するにつれて不要と判断されて、放置された部屋。なので此処にはぁ、監視魔法も来ることはありません。入り口に結界魔法も張りましたし、邪魔は入りませんよぉ」
「……やっぱり、貴女は」
「んん?」
「訊き出しましたね。このコースの製造に関わった男子生徒から。その身体を使って」
確信があった。否定など許さない、とでも言うような意思が。
じっと鋭い瞳で見詰められた礼菜は、しかしそれでも余裕を崩さない。
「それが、どうかしましたかぁ。流石に大本を造り上げたナインテイカーには接触出来ませんでしたが……仕掛けや改装に携わった生徒の内、ほんの数人から好意的に教えてもらっただけですよぉ。情報収集は基本、ですよねぇ?」
「貴女はっ……!」
いけしゃあしゃあと言ってのける礼菜に、綾香の顔が怒りに歪む。
「恥ずかしくはないのですかっ!? 表面だけは優等生として取り繕い、裏ではその内の欲望を満たす為に他者を利用し、貶める! 悪意に満ちた、心のままに!」
「酷い言いようですねぇ。綾香さんだって、レストさんの前では必死におしとやかな自分を演じようとしているじゃないですかぁ」
「私の愛と、貴女の腐った欲望を同じにしないで下さい!」
激昂する綾香に、溜息。
「本当に、酷い言いようですぅ。私はただ、レストさんの彼女になりたいだけなんですがぁ」
「それも、所詮はナインテイカーという地位を手に入れる為でしょう!」
確信に至った今、綾香の心に疑念という言葉は最早存在しない。かねてより考えていた、礼菜が師に近づいた理由――それを、断定と共に告げる。
「今までずっと、貴女という存在を警戒し、出来る限りの情報を集めてきました。その中で分かったことがあります。学内ランキングにおける貴女の順位に、幾度か不自然な変動があった、と」
「不自然、ですかぁ?」
「そうです。明らかに敗色濃厚と目されていた相手に、ぎりぎりの所で勝利を収める。そんな試合が、幾度もありました」
「それはぁ、私の努力と実力、そして運のおかげでぇ……」
「試合前に、相手と妙に親しくなっていても、ですか?」
強く問い詰めるように、綾香は言う。
「それまでは全く交流など無かったはずの相手と、試合前の数日で急速に接触を増やしていますね。それも他者からなるべく隠れるように」
「…………」
「そして試合が終わった途端、その相手との交流は徐々に減り……一月と経たない内に、完全に縁が切られています。そしてまた、次の相手に……の繰り返し。どう考えても、不自然です。上手く周囲を誤魔化し、相手を黙らせていたようですが、正しく疑念と警戒を持って外から見れば一目瞭然です」
それは、恐らくこの学園の生徒の大半が出来ない視点からの考察であった。
副会長という地位に着き、皆から尊敬される存在である九条礼菜という人間に対しては、ほとんどの生徒がプラスのフィルターを通してものを見る。
多少の不自然さを、自分達には分からぬ何かがあるのだろうと好意的に解釈し、番狂わせの連続を、流石副会長だと手放しで褒め称える。悪虐な噂という真実を、副会長に限ってそれは無いと考える前に否定する。
だから、皆辿り着けない。あからさまにおかしな――九条礼菜という人物の、真実に。
「貴女は自身の障害となるような相手を篭絡し、落とすことで勝ちを得て来た。そうして、今の座に――学内ランキング十六位という座に、着いた。違いますか?」
確認しながらも、既に答えは出ている。
そう言いたげな綾香の様子に、礼菜は苦笑。
「いえ~。違いませんよぉ」
そうして、呆気なく暴露した。元より自身の本性を知る彼女には、隠す必要など無い、とでも言いたげに。
「でもそれはぁ、そんなにいけないことですかぁ? 少なくとも、八百長だとばれないだけの実力は私にもあるわけですしぃ。私がしたことはただ、ちょ~っと相性の悪い相手とお話をして、一晩、二晩、共にする代わりに勝ちを譲ってもらっただけのことですよぉ」
「誇りはないのですかっ! 本来評価されるべき実力とは別の部分で勝ちを拾って、張りぼての地位に居座ることへの、情けなさはっ!」
「ありませんよぉ、そんなものは~。実力が伴っていようとなかろうと、大切なのは明確な数字による評価と地位ですぅ。それだけで下らない誇りなど一蹴するほど、多くのものが手に入りますからぁ」
「貴女という人は……!」
ぎり、と綾香は歯噛みした。あの女には何を言っても無駄だ、此方とあちらとの価値観はもうどうしようもない程決定的に違ってしまっている。
分かっていた、そんなことは。半年前のあの日から。あの時からもう、綾香の心に、九条礼菜と分かり合うという選択肢は微塵も無い、ありえない。
だから、綾香は――二条綾香という人間の全てで以って、彼女を阻むと心に決めたのだ。
「絶対に、貴女の思い通りにはさせません。貴女なんかに落とされるような師匠では無いと分かっていますが……そもそも貴女という存在が師匠の周りに居ること事態が、耐え難く不快です」
「まるで害虫のような扱いですねぇ。泣いちゃいますよぉ」
「ええどうぞ、泣いて下さい。ただし――自身の愚かさを悔やみながら、です」
綾香の魔力が、一際強く鳴動した。端から考えていなかったペース配分を、更に捨てたような、此処で全てを出し尽くす決断。
元より綾香自身、よく自覚している。礼菜が本気を出せば、自分は遠からず打ち倒されることになるだろう、と。
だからこの場所、この状況はうってつけだった。背後にある出口一つさえ気に掛けていれば、礼菜に逃げられることもなく、余計な邪魔が入ることもなく、純粋に時間稼ぎに徹することが出来る。
万に一つも無く、億に一つも無く。優勝の可能性を確実にゼロにする為に、綾香は己の全てを振り絞る。
そんな、憎悪に満ち溢れた瞳で己を見る綾香の姿に、礼菜は困ったように首を傾け、
「しょうがないですねぇ。もう反抗する気も起きない位に、躾て上げなければならないようですぅ。まぁ、その為に此処に来たんですし、良いんですけどぉ」
すっと魔導機を持つ両腕を左右に広げ、宣言した。
「機構融合」
途端、歪む周囲の空間。そこから飛来した翡翠色の小型の装甲板は、空中で二つに分解すると、それぞれ双剣と合体し一つとなる。
リエラや藤吾のものほど大型ではなく――けれどその分、より鋭く、より美しく、シンプルに。これこそが九条礼菜の本当の力。
「魔導真機――双凛令奏」
圧倒的な魔力の波動を伴って、礼菜の蹂躙が始まった。




