第十五話 それぞれの立ち回り
リエラが快調に足を飛ばし、ゴールに向かって突き進んでいるその頃。何処とも知れぬ場所に一人飛ばされた藤吾もまた、足を動かし高い壁に囲まれた通路をひた走っていた。
途中仕掛けられていた魔法によるトラップもその速度を活用して突破し、未だ他の参加者の妨害も無い。一見すれば順調に思える道程だが、しかしその道の穏やかさとは違って彼の表情は優れない。
それは苦しい、というよりも焦っている、と形容するのがぴったりな表情だ。
「くっそ~。せっかく優勝させるって約束したのに、そもそも合流出来ないんじゃあ意味ねえよー!」
彼の焦りの原因はただ一つ。試験が始まる前、協力し優勝へと導くと誓った相手――即ち九条礼菜と逸れてしまったことである。
正確に言えば転移魔法によってランダムに別の場所に飛ばされてしまったのだがそれはともかく、幾ら協力の意思があっても、その相手が何処に居るのかも分からないのではどうしようもない。
今こうして一人駆けている間にも、彼女は他の参加者に襲われ危機に陥っているかもしれないのだ。彼女が高い実力を持っていることは良く知っているが、乱戦になりやすいこの試験のルール上、とてもではないが楽観視は出来なかった。
「待ってて下さい礼菜さんっ。貴女の騎士が、今行きますよー!」
焦りと悩みを吹っ切った反動で少々おかしなテンションになりながらも、藤吾は殺風景な通路を走り抜けて行く。
序盤からハイペースで飛ばす彼に追いつく者は、それから暫く現れなかった。
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藤吾が孤独な道を一人駆けている、その頃。彼の追い求める礼菜はといえば、飛行魔法を使用して、空中を高速で滑空し移動していた。
はっきり言って、これはあまり得策では無い。確かに地を走るのに比べれば、総合的な速度や機動性では飛翔した方が勝るだろう。しかし魔力消費量の観点から見れば、身体強化を掛けて地を走った方が圧倒的に効率的である。短時間の移動や勝負所ならば別だが、少なくともこんな序盤から使うべき魔法では無いことは確かであった。
無論それは、豊富な魔力保有量や優れた魔法効率を持つ礼菜であっても例外では無い。そして彼女は、その程度が分からぬ程愚かなわけでもない。
では何故、彼女が飛行魔法を使っているのかと言われれば、
「そんなに怖い顔しないで、仲良く行きましょうよぉ~」
「そんな誘いに乗るつもりはありませんっ! これなら、どうですっ!」
今正に、襲撃者との戦闘を繰り広げているからである。
放たれた七つの魔法弾を、華麗な空中遊泳で全弾かわす。困った顔で背後に振り向けば、地をホバーのように滑りながら己を追随する二条綾香の姿が。
逃げる礼菜と、追う綾香。この追いかけっこは、試験開始間も無くからずっと続いている構図であった。
礼菜にとっては運悪く、そして綾香にとっては僥倖に、彼女達はすぐ近くの通路へと転移していたのだ。
そうして小道から出てきた互いを認識した瞬間、彼女達の戦いは始まっていた。一方的に追い、攻撃する綾香と、ひたすらに逃亡する礼菜という形で。
「何故反撃しないんです……! 私など眼中に無い、ということですかっ」
「そういう訳ではないんですけどぉ。ん~」
またも放たれた光弾を避けながら、礼菜は顎に指を当てて考える素振りを見せる。
その余裕に溢れた姿に更に怒気を増した綾香が糸状の捕縛魔法を展開するも、それは礼菜が両手に持つ西洋剣によって切り裂かれ光となって消え失せた。
礼菜の持つ双剣型の魔導機、『両令混』だ。美しい彫刻の刻まれた美麗な双剣は、持ち主の美貌にも見劣りしない程素晴らしい。そしてその価値は決して見た目だけのものではなく、凡百の魔導機を容易に凌ぐ高性能さを持った、礼菜専用のカスタム機でもある。
礼菜自身の優れた技量、高性能な魔導機。それらから来る高い実力を持ってすれば、戦闘型のテイカーでは無い綾香など、容易く圧倒出来るはず。流石に一蹴するとまではいかずとも、こうまで一方的にやられっぱなしというのは、些か以上におかしな状況であった。
(一体、何を狙って……! 本気で魔力を節約したいならば飛行魔法を使うわけがないですし、このまま私を放置していても彼女にはデメリットしかないはず。特に、この先他の参加者や障害と遭遇した時、彼女だけを狙う私の存在は最大のネックになります。そのことが分からない程、愚かではないでしょうに)
礼菜の思惑が分からず混乱しながらも、魔法を行使し続ける綾香。しかしその全ては容易く捌かれ、彼女は悔しさから一層魔法の構築に力を入れた。
一方、余裕綽々に見える礼菜の方も、万事順調とはいっていない。
(う~ん。まさか綾香さんがこんなに邪魔だなんて、思いませんでしたぁ)
『二条綾香が自身を妨害してくる』という可能性は考慮していた礼菜だが、此処までやっかいだとは想定外だ。あくまで補助型のテイカーである彼女なら、自身がちょっとその気になれば簡単に引き離せると思っていた。これでも速度には、結構自信があるほうなのだ。
だが今彼女は、本気では無いとはいえ己にしっかりと付いてきている。その上で、大した脅威では無いものの攻撃も仕掛けてくる始末。これは完全に、彼女を侮っていたと言わざるを得ない。
(補助型であるが故に、移動や捕縛という点には優れているということですかぁ。おまけに、自衛する程度の攻撃もこなせるようですしぃ……。この調子だと、防御も堅そうですねぇ)
そう、それが礼菜が、未だ一度も反撃を行っていない理由であった。
恐らく本気で戦えば、彼女に勝つことは出来る。出来るがその場合、命一杯粘られ、相当な時間と魔力を消費させられることになるだろう。
何せ綾香にしてみれば、少しでも此方の妨害が出来れば万々歳なのだ。此処で彼女との戦闘に耽るのは、それこそ思惑にまんまと嵌ってしまうだけ。
(とはいえ、いつまでもこのままという訳にも行きませんしぃ。何処かでは、仕掛けなければなりませんねぇ)
目の前に展開された捕縛魔法を切り裂きながら、この後の展開を脳裏に描く。
(とすれば最適なのは、あそこ、でしょうかぁ)
新たに想定したプランに心の内だけで満足気に頷きながら、礼菜はちらりと上空やコースの所々に浮かぶ、指先ほどの小さな光球に一瞬だけ視線を流した。
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『さーて試験開始から既に十分が経過したわけだが、皆楽しんでっかなー!? まぁまだ序盤だし派手な戦闘は少ないかもだけど、まだまだレースは続くから、目を離さないでくれよ!』
元気と勢いの籠もった大声に、マイクが耐え切れず僅かに揺れ、スピーカーからは若干ハウリングした少女の声が学園中に響き渡る。
総学に多数存在する放送室の一つで、黒髪を短く切った活発そうな女子生徒、波野安奈は急いで機材を弄り音量を調整した。
同時に、自分の声も少々抑え気味にしよう、とこっそり反省。再び試験のコース内を映す、監視魔法のモニターへと目を戻す。
彼女は今回の試験に際して、学内ランキングの製作などを行っている『み~んな仲良くお手手繋いでテイカー研究会』から派遣されてきた実況役である。コース中に設置された多量の監視魔法のモニター切り替えやレース状況なども伝える、非常に重大な役目を担った人物なのだ。
今もまた、幾多のモニターを忙しなく切り替え、盛り上がりそうな中継先を探しながら実況を行っている。それらの動作全てを淀みなく行える辺り、彼女の能力の高さが窺えた。
『状況はまだまだ団子状態みたいだっね。まだまだ皆散らばったままだし、今後も考えてあまり魔力を消費しないようにしているから、当然と言えば当然か。でもその中でも、徐々に差は開いてきているみたいだぞー』
言いながら機材を操作し、中継に幾つかの画面を表示させる。映っているのは何れもが現状、レースの先端を走っていると言える参加者達だ。
『うーん、流石に始まる前から注目されていた、速度自慢の選手が多いなー。とはいえ中には、彼のように……三年Bd組所属、ハーン・ローベル選手のように短距離転移魔法を巧みに使って、距離を稼いでいる参加者もいる様子。これから先に待ち受ける障害も考慮すれば、まだまだ様子見! という状況か』
中継が一画面に切り替わり、細長い体躯の男子生徒の姿がアップになる。
画面向こうの彼は、バッタのように飛び跳ねて移動しながら、転移魔法を織り交ぜ使用して大きく距離を稼いでいるようであった。
一通りその様子を映した後、再度モニターの表示が複数に変化する。
『っと、実は此処で皆に一つ、お知らせがあるんだ。今はまだ良いんだけどこれから先、レースが激化してくると、私じゃ分からない戦いや魔法を使ったり、なんてことがあるかもしれない。そこで! 特別にこの放送室に、解説役のテイカーを呼んでいるぞー!』
誰だろう? と、画面の向こうで観客達が疑問の声を上げた。
教員の誰かだろうか、と当たりを付ける皆の心を読んだかのようににやりと笑い、安奈はマイクを握り締める。
『解説役は、何とこの人! 二年A組所属――『魔導戦将』、レスト・リヴェルスタ!』
学園中が一瞬ピタリと静寂に包まれ、直後俄かに騒がしくなる。それ程までに彼女の継げた名前は、この学園で過ごす者ならば衝撃を受けざるを得ないものだったのだ。
名前を告げられて尚本当に? と疑う聴衆達にその存在を証明するように、安奈の背後に控えていた影は彼女の隣の席に腰掛けると、目の前のマイクへと口を開く。
『――こんにちは、この放送を聴いている皆さん。先に一つ告げておきたいのだが……私が本物かどうか、という疑念は無意味なものに過ぎないよ。何故ならこの学園には、私の名を騙るような愚か者など存在しない。そうだろう? では、以後よろしく』
学園全土に流れる放送での、あまりに大胆不敵で傍若無人な態度。そして彼自身の告げた内容から、この放送を聴いている誰もが納得した。
ああ間違いなく本人だ、と。
そう納得出来るほどに、彼という人間は有名で――大きな存在なのだ、この学園では。
ただそんな誰もが半分悟ったように頷く中で、驚愕を顕にしている者もいるわけで。
「レストぉっ!? ちょっと、何であいつが放送に出てんのよ!?」
相も変わらず先の見えないコースを駆けながら、リエラが素っ頓狂な声を上げた。
実はこの放送、学内ネットワークを通じての配信もしている関係上、ネットに接続できる機器さえあれば試験に参加している者達でも見ることが出来るのだ。
初めからこの放送を見られることを想定してか、異次元空間にも関わらずこのレース場、ネットに繋がるのである。おまけに高性能な器機の集合体である魔導機には、デフォルトでネット接続の機能が付いている始末。レースの状況を知る為にも、放送を聞かない手は無かった。
更に、驚く彼女へと届く、おまけの衝撃。
『それからもう一人、レストさんのメイドである、ニーラちゃんも来ているぞー。彼女は解説に加わるわけじゃあないんだけど、声が入るかもしれないから一応、紹介しとくぜっ!』
『……ニーラです。私のことはどうか気にせず、レースを楽しんでください』
最早リエラは声も出せなかった。いや、別に悪いことでは無いのだ、友人が放送に出た所で。
ただ何と言うか、まさかあの二人が、という思いが彼女の頬をひくつかせ引き攣らせていた。
若干足の鈍ったリエラのことなど知る由も無く、二人+αの放送は和気藹々と流れ続ける。
『早速ですけどレストさん、貴方から見た今回の試験の優勝候補、というやつを教えて貰えないだろーか!』
『優勝候補、か。ふむ、そうだね……』
これにはリエラも耳を傾けざるを得ない。あのレストが優勝候補と見る存在、そんなもの間違いなく本物の強敵に決まっている。
まだレースが忙しくない今ならばその相手について学内ランキングなどを参照して調べることも出来るし、要警戒対象としてチェックしておけば不意を突かれる危険性も大きく減るはず。
が、そう考えながらもリエラには、レストが上げるであろう名前に大方の予想が付いていた。というより、今回の試験の参加者を知っていれば、誰もが一番に上げるだろう名前が。
『実に順当でつまらない意見かもしれないが……まあ間違いなく、彼が一番の優勝候補だね』
『彼、というのはやっぱり!?』
詰め寄るような声を上げながら、安奈はスイッチを操作した。学園中のモニターが複数画面から単独画面へと切り替わり、件の少年にピントを合わせる。
大きな四角い枠の中央に、レースだというのに一歩も動くことなく、両目を瞑り静かに佇む少年の姿が映った。
この学園の白を基調とした制服とは真逆の、黒い学生服。あまり興味が無いのか、邪魔にならないよう無造作に切られただけの黒髪。そして左手は、腰に付けられた魔導機でも何でも無い一振りの無骨な刀の柄に添えられている。
レストに比する程に有名な、この学園の頂点の一人。そう、彼こそが――
『学内ランキング、第八位。『極剣』――四字 練夜君だ』
昨年度高天試験一年生の部優勝者にして、今年度の高天試験優勝、その最有力候補者である。
『レストさんから見ても、やはりそうなっちゃいます?』
『当然だね。何せ今回の参加者の中では、彼が唯一のナインテイカーなのだから』
『そう、そこだよっ!』
憤慨、とばかりに荒ぶる安奈。
『せっかく全学年合同になったのに、どーしてナインテイカーからの参加者が一人だけなんだぁ!? 今年こそとんでもない激突が見られると、期待していたのにっ!』
『それを私に言われてもね。何かにつけて一括りにされてはいるが、別段私達はチームを組んでいるわけではないのだが。それでも敢えて言うのなら、そもそもナインテイカーの内数名は生徒では無いから参加者として出ることが出来ないし、試験とは別に用事のある者も居る。後は……何かと気難しい者が多いからね。私が言えることでも無いが』
『それで最終的には、四字選手一人になってしまった、と。どーして貴方は出なかったんですか、レストさん!』
『ん? それは勿論』
『勿論?』
『こうして横からちょっかいを掛けていた方が、面白いからだよ』
怪しい笑みと共に零れた言葉に、安奈の頬が引き攣った。横から見ている、では無くちょっかいを掛ける、という辺りが実に彼らしい。
とはいえこれは学園公式の試験、幾らレストとはいえ干渉出来るはずが無いのだが……彼ならば出来るかもしれないと思えてしまう辺り、安奈もレストのことを少しは理解出来ているらしい。
故に彼女は、それ以上突っ込むことを止めた。
『そ、そっかー。それにしてもレストさん、どうして四字選手は未だにスタート地点から一歩も動いてないんだろう? 特に妨害を受けているわけでも無いみたいだけど』
『さあ。彼の考えなど、私には分からないが……きっと備えているんじゃないかな?』
『備えている? 何に?』
『最終関門。……きっと彼は、感じ取っているのだろう。自身を阻む最大の壁が、そこに立ちはだかっていることを。故にああして精神を集中させ、力を高めている』
『なる程ー。でもそれにしたって動かないで良いのか? 皆に先を越されちまうぞ?』
『問題無いさ。彼の実力ならばこの程度のコースの踏破、一瞬で終わる。焦る必要は無い』
『流石同じナインテイカーのレストさん、実力はよーく把握しているってことか。んじゃあ、いつ彼が動くのかにも注目しつつ、皆の様子を見ていこうか!』
再び複数画面へと戻り、切り替わっていくモニター。その画面越しに見える参加者達の動きを楽しそうに眺めながら、レストは従者の入れた紅茶に手を掛けた。




