第十話 夕暮れの告白
夕陽に暮れる道を、俯いて歩いて行く。とぼとぼと、情けない程ふらついて、一人で。
午後の実技試験を終えた二条綾香は、そのまま友人たちと合流することもせず、ただ学園内を彷徨っていた。すぐに寮に帰るという手もあったが、そうすると丁度帰路で皆と会ってしまいそうで、ついふらふらと弱い心に負けて時間潰しの繰り返し。
気付けば日はもうほとんど落ち掛けで、流石にそろそろ帰らなければならないだろう。まさかこんな時間に偶然彼等と出会う、なんてことはありえまい。
そう、考えていたのが悪かったのか。歩き出した綾香の耳に入って来たのは、良く聞きなれた二人の男女の声だった。
「っ!?」
慌てて近くの木陰に隠れる。頭は今すぐ離れるべきだと訴えていたが、しかし心は止められない。そっと、気配を消して影から声の元を窺う。
「それで、話というのは何だい?」
「それはぁ、ですねぇ~……」
思った通りの人物だった。この世の何より敬愛する師と、絶望的に嫌悪する女の二人が、向かい合って話している。学園の外れであるこの場所に来る生徒などそうそう居るわけも無く、この小さな広場は彼等二人だけのスペースとなっていた。
ぎり、と歯噛みする。あの女は一体何を――そう考えながらも、一言一句決して聞き逃さないよう、慌てて聴覚強化の魔法を自身に掛ける。
そうすれば、風の音にも負けずはっきりと届く会話の声。
「私とぉ……お付き合いして、欲しいんですぅ」
一瞬、目を見開いた。しかしそれはすぐに、怒りに変わる。
告白だった。間違いない、この状況で、あの表情で、まさか買い物に付き合ってくれなどという古典的なギャグなわけが無い。
思わず飛び出そうとする綾香の前で、二人の会話は尚続く。
「お付き合い、ね。それは恋人として、ということかい?」
「勿論ですぅ。私は、九条礼菜は、貴方のことが好きなんですよぉ……レストさん」
ぎゅっと自身の手を握り締め、不安げに瞳を揺らし、上目遣いで見上げてくるその姿。それを見れば、大半の男は二つ返事でオーケーを出してしまうだろう。それだけの魅力が、九条礼菜には間違いなく存在している。
だがそう認めながらも同時に、綾香には確信があった。己が師が、あのレスト・リヴェルスタが、彼女の申し出を受けるわけが無い、と。
だがそんな彼女の思いは、最悪な形で裏切られることになる。
「ふむ、そうか。……まあ、良いよ」
数秒考えた末に彼が出した結論が、それだった。瞬間、綾香の頭の中が真っ白に染まる。
今、師匠はなんと言った? 良い? それはあの女と、九条礼菜と付き合っても良い、と? そんな、ありえない、ありえるはずが――
動揺が、彼女の身体を震わせる。呼吸は安定せず、意識は今にも飛んでしまいそうだった。
けれどどんなに否定しても、現実は変わらない。
「ほ、本当ですかぁ~!」
先ほどまでの不安は何処へやら、実に嬉しそうに歓喜の声を上げる礼菜の姿に、再び現実を突きつけられる。自分の今生きるこの世界の全てが、真っ黒に塗り染められたような錯覚に陥った。
絶望の淵に落とされて――しかしまだ、終わっていない。
「ただし、条件がある」
「条件、ですかぁ?」
礼菜が小首を傾げた。ああ、と頷いて、レストが続ける。
「君が私と付き合うに足る人間だと、そう証明することだ」
「証、明?」
「ああ。それが出来たのなら、君と付き合っても良い」
何とも曖昧な条件だった。偏に証明するとは言っても、その方法は千差万別。そもそも何をすれば彼が認めてくれるかも定かでは無い。
特に相手が変人であるレストだということを考慮すれば、尚更だった。まだ付き合うことが確定したわけでは無いという事実に、綾香はかろうじて意識を繋ぎとめる。
「それはぁ、どんなことをしたら認めてくれるんでしょうかぁ」
礼菜が問い掛けた。どうやら彼女は、下手に自分で考えるよりも直接聞いた方が早いという結論を出したらしい。果たしてそれは正解だったのか、レストは実に呆気なく答えを教えてくれた。
「そうだね。今度の、高天試験」
「高天試験、ですかぁ? それが何か……」
「あれでもし君が全ての関門を突破して優勝することが出来たのなら、その時は君を認め、付き合おう。どうかな?」
「優勝、ですかぁ……」
提示された条件を受け、礼菜は少々考え込んだ。高天試験での優勝。毎年万を超える生徒が参加するそれにおいて頂点に立つことは、非常に困難であるといえたからだ。
しかも、今年の試験内容はまだ明らかになっていない。年度毎に発表のタイミングは異なるが、今年は特に遅いようだった。はっきりいって、賭けとしては分が悪過ぎる。
が、それらを分かっていても、尚。
「分かりましたぁ。その代わり私が優勝した時には、ちゃあんと約束守ってくださいねぇ」
礼菜はその条件を受け入れた。
そもそもとして、レストと付き合うということ事態が天文学的に難しいことなのだ。ならばその程度のリスクに乗らないで、どうやって彼と付き合う。
例えどんなに困難でも、必ず成し遂げてみせる――そんな思いを乗せて答えれば、彼は小さく笑みを浮かべて、
「ああ、勿論だとも。その時を楽しみにしているよ、九条礼菜」
「はい。絶対優勝してみせますから、待っていて下さいねぇ。レストさん」
まるでライバルか何かのようにバチバチと視線を交差させた後、礼菜は背を向けて颯爽と立ち去って行った。どうやら優勝を掴み取るまでは、下手な馴れ合いをする気はないらしい。或いはもう、優勝に向けて動き出しているのか。
どちらにしろ、彼女の決意は相当に固いものらしかった。
「…………」
そして、立ち去る影がもう一つ。あまりに自分にとって非情な現実を見た綾香は、声を出すことも出来ず、ただ無言でこの場を去って行った。混乱した頭のまま、ひたすらに休みを求めて一路、寮の自室を目指し歩いて行く。
遠ざかるその気配を知覚して、佇むレストは呟いた。
「さて。場を整えるには、少々準備が必要か」
そうしてそっと、魔法を発動させる。
「ああ、学園長。私だが――」
様々な人々の思惑を乗せて、時は流れる。高天試験まで、後僅か――。




