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平坦な日々の話

作者: 氷川変電所

 たとえば、醤油のボトルにウスターソースが入っていたとする。僕はそれと気付かず冷奴にソースをかけてしまい、口に運んだ瞬間、予期せぬ強烈な酸味にその過ちを悟る。ああ、どうして僕は冷奴にソースをかけてしまったのだろう。いや、どうして醤油とソースのボトルが入れ替わっているのだろう。いやいや、どうしてこれがソースだと口に運ぶまで気付かなかったのだろう。色合い、粘度、匂い等々気付くべきポイントはいくらでもあったはずだ。幸い、豆腐とソースの組み合わせは僕の庶民的な舌にはさほど苦痛を与えなかった。むしろちょっとおいしかった。

 今のはただの些細な例だ。でも、もしかしたら、僕が知らないうちに何かと何かが入れ替わっているかもしれない。僕はそれに気付けるだろうか。さらに言えば、もし誰かと誰かが入れ替わっていたら、僕はそれに気付けるだろうか。

 

 今日もこうして何百回目かの学校に行き、何百回目かのクラスメイトと会い、何百回目かの授業を受けて、何百回目かの部活に出て、何百回目かの帰り道をゆく。今日も朝は寒いし、坂は急だし、山崎はうるさいし、松下さんはかわいいし、小倉先生は禿げてるし、数学はつまらないし、先輩はおもしろいし、基礎練はきついし、テニスはうまくならないし、下り坂は気持ちいいし、夕飯はおいしい。

 今日という日は、二度と訪れないんだぞ。という言葉をよく先生をはじめとする大人たちが知った顔で僕たちにプレゼントしてくれるが、僕よりもずっと長生きしているんだったら、もっと毎日は平坦で冗長なものなんじゃないかと思えてどうもありがたく受け取る気にはなれなかった。そりゃあ西暦20xx年の2月6日は今日しかないし金輪際経験することはできないだろう。タイムマシンみたいな何かを偉い科学者とか青い猫型ロボットとかが僕に与えてくれるなら話は別だけど。

 というように、僕はとても平坦な毎日を過ごしている。特別嬉しいこともなければ特別哀しいこともつらいこともない。何か大きな悲しみの中にいる人から見ればいくらか幸せそうには見えるんだろうが、それなりに人生を楽しんでいる人から見れば、つまらなそうな人生に見えるだろう。僕自身は自分の人生に満足している。というよりむしろ、不満が無い。「不満が無い」ということを「二重否定は強い肯定」とかいう漢文の知識を用いて解釈すると「満足」ということになるんだろうか。僕は少し違和感があるように思えるが。例にもれず今日も今日とて不満無き一日であった。強いて言えば、今日は松下さんとちょっとだけ長くしゃべれた、という良い事があった。

 今朝の「冷奴にソース事件」の話が思いのほかウケたのだ。物静かな松下さんが、顔を赤くして笑うのを初めて見た気がした。その後、豆腐に合う調味料の話になったり、好きな豆腐料理の話になったり、大豆の無限の可能性の話にもなったりして、昼休みはずっと話しっぱなしだった。こんなに松下さんと話せるなんて。いやいや、話しただけだ。その後の発展も見込みはないだろう。ともかく、意外な一面を見れて嬉しかったのと、それが一面だけだったことが悔しくもあった。

 その点以外は、前述の通り、平坦な一日であった。きっと今日という日を記憶することはないんだろう。日記を付けるほど実な性格でもない。今日は未来の自分にとって「あの頃」くらいにしか記憶されない。それが幸せとも不幸せとも思わない。だから平坦。これでいい。

 

 翌朝。朝食の冷奴には、松下さんが言っていた青紫蘇ドレッシングをかけてみた。うん。普通においしい。今日も朝は寒い。坂は急。でも、今日はなんだかいつもと違う日になりそうな気がする。今日は僕の記憶に残る出来事が起こるんじゃないか、なんて期待してもいいかな。


 























 20xx年2月7日。松下さんが飛び降りた。

 

 僕はこの日を一生忘れない。


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