異世界に契約者を求めるのは間違っているだろうか<後>
「実は、それも心当たりがございまして」
「まさかとは思うが、既に異世界の様子も、こっそり水晶鏡で遠見していたとか……」
「さすがアルス様、大奥様譲りの勘の良さ」
言いながら、レクセルが水晶鏡に手を触れると、それまで中に鏡を仕込んだだけの水晶張りの板だったそれが、淡い光を放った。
鏡の表面にフレアの写実画が映し出され、その脇には、小さな魔導書の絵が均等に並んで表示されている。
「わたしの『理想のお姉様手帖』が火を噴くときが参りましたわね」
「なんかもうさっさと憲兵隊に引き渡した方がいいような気がしてきたぞ」
「お戯れを……趣味が国益に貢献するとは、今日の今日までわたしも思いませんでしたけど」
レクセルが魔導書の絵に触れると、その絵が鏡の表面で大きく表示され、更に表紙が開かれた。指先で触れるだけで勝手にページがめくられて、『理想のお姉様』の姿が鏡の上に映し出される。
どの女性も皆美しいが、この地方では見ない独特の顔立ちや髪型、服装の者が多い。
「んーと、今回の条件に合致しそうなのは……」
かなりの速さでページをめくっていたレクセルの指が、ふと止まった。
「この方なんていかがでしょう」
「ほう……」
それは、明るい栗色の髪に褐色の瞳を持つ、アルスと同じ年頃の女性だった。
映っているのが胸から上なので全体の服装は判らないが、どうやら身につけているのは洗練されたデザインを施された金属の鎧らしい。
全身ではないとしても、金属の鎧を身につけるなど、華奢な見た目にはそぐわない屈強な戦士であるのかも知れない。金属鎧を身につけているのに、首元から胸元までの素肌があらわなのが気になったが。
「顔だけではなんともいえぬな……もっと詳しい情報はないのか」
「ありますよー、音声なしですけど、遠見の時の写実動画が」
「そんな事まで出来るのか……」
「魔法ですから」
語尾に音符でもつきそうな弾んだ声で、レクセルが水晶鏡の表面に触れる。一転して鏡に映し出されたのは、どうやら薄暗い路地のような光景だった。
柄の悪い三人の男に、貴族風の青年が囲まれている。濁りのない短い金髪に、熟れた苺のような艶やかな赤い上着がよく似合う、身長の割に割と華奢な体格の青年だ。アルスとはまた違ったタイプの、繊細な造形の美男だ。
「お前は特定条件の女子にしか関心がないと思っていたが……」
「なぜそんな身の危険を感じたような顔をしてらっしゃるのです、この殿方もアルス様も余裕で圏外です! 大事なのはここからなのですよ」
音声はないが、彼らの会話はなんとなく察せられた。治安の悪い路地裏に迷い込んだ貴族の青年と強盗、あるいは青年の命をつけねらう刺客、といったところか。
青年は自分を囲む者たちに、毅然とした表情でなにか話しかけた。しかし男達は薄ら笑いを浮かべ、短剣や鎖のついた双節棍、鞭といった獲物を取り出し始める。
まるで舞台劇のような彼らの動きに、アルスは思わず手を握りしめた。
剣を抜いた青年は、三人を相手に鮮やかな剣裁きを見せた。しかし不意を突かれて鞭に手首を捕らえられ、剣を取り落としてしまう。
野卑な笑いを浮かべる三人と、唇を引き結ぶ青年。
その三人が急に、驚いた様子で背後に視線を向けた。
現れたのは、先ほど水晶鏡に映し出されたあの女性だった。
栗色の髪をなびかせ、大剣を構えるその姿は、確かに美しく勇ましい。しかし剣はともかく、その鎧は、アルスの知っているそれとはまったく理解を超えた形状をしていた。
どういう構造の鎧なのか、肩あてと胸甲が独立している上に、金属ではない部分の布地も必要最小限しか身につけていない。本来、金属鎧が体に触れる部分は、厚手の中衣で保護しないと痛くて動けないはずだ。
それに、籠手や膝当てを身につけてはいるのに、首から胸元にかけての広い部分、二の腕や腹、腿などの守らなければいけない部分があらわで、体の線がやたらと強調されている。
率直に言うと、なんのために身につけているか判らない鎧なのだ。
「こ、これは……」
どちらかというと扇情的なものすら感じさせる鎧姿に、思わずアルスは生唾を飲み込んだ。これは実は鎧に見せかけた、踊り子の衣装なのではないのだろうか?
しかし鎧姿の女は、特徴的すぎる装備とは裏腹に、凜とした立ち姿で悪漢達を見据えた。
逆に男達は、かなり緊張した様子で身構え直している。この女性は、彼らの界隈では有名な、凄腕の戦士であるのかも知れない。
鎧姿の女に怒りの表情で咎められ、短剣と双節棍を持った男が、なにか叫ぶように歯をむき出しにして襲いかかった。女は大剣を軽々と構え、それを迎え撃つ。
その流れるような剣裁きに、アルスも目を見張った。鮮やかなだけでなく、動き自体に無駄がない。美しい外見といい、まるで戦女神のようだ。
男達は全く刃が立たず、あっというまに叩きのめされてしまった。
彼女は倒れた三人に向かって、なにやら最後の説教めいたものを口にすると、貴族風の青年の前に片膝をついた。どうやらこの青年は、彼女の主のような立場らしい。
貴族の青年が、感謝に溢れた表情で何か告げているところで、水晶鏡の写実画像が揺らぎ、途切れてしまった。
「ここで、フレア様に見つかってしまって、集中力が切れてしまったのです……」
「ふむ……」
申し訳なさそうなレクセルの声に、アルスはうわの空で頷いた。
どうやら、美しさと強さを持ち合わせていながら、忠誠心に厚い女のようだ。アルスが考え込んでいる様子をどう捉えたのか、
「でも、素敵でしょう、あの美しさ、あの気品、なによりお強い! ボンキュッボンで最高です!」
レクセルにたたみかけられ、アルスは一応は頷いたものの、
「しかしなぜ、あのような鎧なのだ? あのように足や腹を出していては、鎧の意味などないではないか」
「でもアルス様、あれ見て生唾を飲み込んでましたよ」
「要らぬ所ばかりはよく見ているな! それはそれ、これはこれというものだろう!」
「まぁ、わたしも最初見たときは、なぜこんな嬉しい……じゃない、危険な意匠なのかと思いましたけど」
本音を漏らしながら、レクセルは水晶鏡に映る栗色の髪の女に視線を移した。
「思うにあの防具は、魔法でなにがしかの強化が施されているのではないでしょうか」
「魔法で強化……」
「普通の全身鎧からみれば金属の割合は少ないとはいえ、鎧は鎧です。あのような素早い動きも普通は難しいはずです。鎧そのものが、魔力で強化されていると考えた方が自然です」
「……確かに王国の魔導騎士連隊など、革鎧程度の装備でも平気と言うからな」
アルスは真面目な顔で頷いた。しかし、魔法で強化するなら重い金属鎧などにせず、普通に露出の少ない兵服でよいのでは、という考えには至らない。
「洗練された動き、冷静な判断力、姉上や母上には及ばぬが、女性であれだけ戦える者がいるとは、異世界とは侮れぬものであるな」
先ほどの映像を思い起こしながら、アルスはある意味感動に近い感想を覚えていた。
「強いものに物怖じせず立ち向かう勇気、厚い忠誠心、そして美しく強い……、あの女性なら、ラピス殿も文句は言うまい」
「ボンキュッボンで、ぎゅっとした時にもふもふできますしね! わたしも賛成です! 」
「お前に力一杯賛同されると逆に不安になるな」
「なにをおっしゃいます! わたしとラピス様の好みは割と近いはずでございますよ!」
謎の確信に満ちた声で応え、レクセルは水晶鏡をぎゅっと抱きしめた。
「善は急げと申しますし、すぐに迎えに行く準備をいたしましょう」
「あ、ああ……って、お前も行く気なのか?!」
「当たり前でございます、異世界にアルス様一人放り出すわけに参りません!」
「そうか、悪い病気を持ってはいても、宮廷魔導師としての忠誠心は本物であったのだな、レクセルよ」
なにやら感動した様子で、アルスはレクセルを見返した。レクセルも応えて力強く頷き、
「理想のお姉様に、生でお会いできるなんて感激です! そうと決まれば、一番いい魔導ローブと勝負下着と、マジカメの魔力補充を……」
「お前完全に実益に入ってるだろう?」