守護竜人ラピスの提案<前>
大陸全土で通常「竜」と呼ばれるものは、もっとも小柄で数の多い灰竜だ。感覚としては「翼を持った馬」的な立ち位置である。
体の大きさは馬の倍ほどで、比較的扱いやすい為、どの国でも伝令や高低差のある場所の運搬用にとそれなりに擁している。ただ、体が大きい分えさ代もかかるため、軍馬の代わりに出来るほどの数を持つのはよほどの大国でもないと難しい。
しかし領国ヴェルーリヤが属する王国テールエルデ一帯の森林地帯には、大陸全土に生息する竜族の中でも、最も高い知能と強い魔力を持つ『神竜』と呼ばれる種族が生息している。
おおむね灰竜の倍以上の体躯ながら、食べるのはわずかな木の実や果物、そして清涼な霧や水があればよいので、世話をするのに負担にならない。
そしてテールエルデ王家とそれに仕える五つの領国は、それぞれ固有の神竜を従えていることから、「竜に守護されし国」として近隣に知られていた。
しかし王国テールエルデには、他国に知られる以上に、竜族と深いつながりがあったのだ。
大陸中に生息する灰竜の多くは野生で、緑豊かな山林に住んでいる。それは王国テールエルデも同じだが、王国一帯に広がる広大な森林地帯には、灰竜のほかに、希少な神竜族も生息している。
神竜は『ゆりかご』と呼ばれる、この地方特有の樹木をねぐらにし、その実と大地からの霊気を糧にして暮らしていた。成長すると灰竜の倍以上の大きさになる神竜族も、その『ゆりかご』の中では容易に紛れてしまうほどだ。
ラピスのねぐらである『ゆりかご』は、ヴェルーリヤ領の東の森林地帯にある。
『ゆりかご』は人間の感覚的にいうなら、別荘のような場所だ。いや、ラピスから見たら『ゆりかご』が本来のねぐらで、テールエルデ領の城が別荘のようなものだろうが。
『ゆりかご』は、鳥の巣に丸くふたをしたような、不思議な形の大木だ。内側は大きな空洞になっていて、日中は木漏れ日が柔らかく差し込むし風通りも良いのに、強い雨風は遮る、不思議な枝葉の張り方をするのだ。
神竜も竜人も、その中の好きな場所に自分の巣を作る。竜人の場合、人間の姿のままでも快適に過ごせるように、それぞれ好みにあわせた居住空間が整えられていることが多い。
アルス達の来ることもお見通しだったのだろう、城の中庭を思わせる庭園風にしつらえられたねぐらで、ラピスはテーブルに三人分のお茶の用意をして待っていた。
「アルス、戻るのが意外に早かったね。王国の剣術大会はどうなったの」
蒼竜から降りたアルスとレクセルを見上げ、ラピスが穏やかに訊ねる。
人間の姿をしているときのラピスはいつも、碧い瞳に翠の髪を持つ幼い男の子の姿をとっている。背丈は、アルスの胸にやっと届くくらいだ。齢千年に達したばかりのラピスだが、竜人にとってはまだまだ子供と同じなのだろう。
普通の人間の子供と違うのは、額に輝く瑠璃色の鱗だ。竜の姿に戻ったときと同じ色の鱗が額に現れるのは、竜人が人間の姿をとるときの特徴で、こればかりは年長のものも同じだという。
「もちろん予選は通過しましたよ。本選は来月です。それより、姉上が契約を破棄とか口走ったそうですが、まさか本気にされてるわけではないですよね?!」
「本人は本気なんじゃないかなー。あれをつき返したくらいだし」
ラピスが示したのは、すみかの中でも一段高くなった場所だった。蔦でできた台座の上に、一振りの見事な剣が横たわっている。
ラピスの髪と同じ色の剣身と、鱗と同じ色の柄を持つそれは、守護宝剣フルグールと呼ばれている。
代々、ラピスと契約しヴェルーリヤ領主となる女子のみが扱える剣で、戦場においては天を裂くほどの威力を発揮する。
「ま、まさか真に受けたワケではないですよね? あの姉のことだから、かんしゃくが収まればけろっとした顔で戻ってきますって」
「レクセルが宮廷魔導師になってから、三回やったんだよねー。でも剣を返すまではなかったよ。よっぽど腹に据えかねたんじゃないのかな」
「あの直前に来た旅の騎士殿が、最悪なボンボンでしたからねぇ」
「問題はそこじゃない! お前はもう少し反省しろ!」
レクセルは世間話でもするように、用意された茶をのんびりとすすっている。噛みつきそうな顔のアルスに、
「まー、剣まで返されちゃったら、僕ももう城にいる理由ないもんね。それに僕は、たまたまヴェルーリヤ領主一族の女子と契約してきただけで、僕と契約した女子じゃないと領主になれないっていうのは、君らの都合できめたことだからさ。僕らにとって、土地を守ることと、国家を守ることは関係ないことだもの。だいたい、人間の国なのに、竜人が協力するのが前提になってる支配体制ってのがおかしいんじゃないかなー」
「またそんな。ラピス殿との契約があってこそ、領地を守護する霊力が供給されてるのではないですか。ラピス殿の契約が切れてしまったら、この土地は……」
「んー、徐々に普通の土地になっちゃうだろうねぇ。もちろんレクセルの魔力も供給源がなくなって」
「そ、それは困ります!」
初めてうろたえた様子で、レクセルが声を上げた。
「魔法が使えなくなったら、私、ただの美少女になってしまいます!」
「その自信はどこから来てるんだ」
「でも仕方ないよ、本人が嫌だって言ってるんだし、僕は女子としか契約したくないし」
「そういえば別の領国の守護竜人は、男子も女子も無関係に契約してますよね? どうしてラピス様だけは、女子じゃないとだめなんですか?」
「僕の趣味」
「……」
「僕のことは怒鳴れないからって、無言で圧力かけるのやめてくれる?! そういうとこ君の母さんにそっくり!」
半分本気で怯えた様子で、ラピスは身を屈めてテーブルを盾にするように顔を隠している。
「アルス様はこう見えて、大奥様の生き写しでございますからね。標準以上の美男子ですし、武芸もピカイチ、女子に生まれなかったのがもったいのうございます」
「そうだよね、アルスが女の子なら、何の問題もなかったんだろうねぇ」
「……」
更に何か言い返すかと思ったが、アルスは顔を引きつらせてしばらく黙った後、
「やはり、これしか手だてがないのか……」
「うん?」
「アルス様、ご決断なさったのですか?!」
怪訝そうなラピスとは反対に、いきなりわくわくした様子でレクセルが表情を輝かせた。