招かれざる訪問者<前>
時計のない世界では、太陽が生活の基準になる。遠くで鳴る鐘の音に目を覚ますと、ラピスだけでなくなぜかレクセルが隣に潜り込み、寝ぼけながらも幸せそうな顔で、
「お姉様、夢のような夜でございました……」
思わず英美は、自分がちゃんと服を着ているか確認してしまった。安堵する間もなく、鐘の音と一緒になだれ込んできた侍女達がレクセルを放り出し、
「エイミー様、朝食前のお支度を済ませましょうね」
「あ、あの、私一人でも……」
「とんでもございません、今日は暖かい日和でございますし、少し薄手のお召し物がようございますよね」
手取り足取りで顔を洗った後は、髪を結われ、服を合わせられ、あれよあれよという間に中庭の一角のオープンテラスに設けられた朝食の席に座らされていた。アルスとラピスとレクセルは既に席に着いていたが、英美が身支度を終えて来るのを待っていたらしく、彼らの前で手がつけられているのはお茶だけだ。
アルスの父の分も用意されているが、アルスの父は少し離れた芝生で、かなづちを長くしたのようなスティックを振り回し、芝生に刺された小さなアーチにボールを通す遊びに夢中になっていて、なかなか席に着かない。そしてそれをその場にいる誰も気にとめない。
並べられているのは、喫茶店のモーニングのような簡単なものだが、侍女達が至れり尽くせりで給仕してくれる。高級レストランでもここまで面倒を見てはくれないだろうというほどのかいがいしさだ。
温められたティーカップに目の前で紅茶を注がれ、恐縮している英美に、当然のように隣に座っているレクセルが小声で囁いた。
「ハンナさん気合い入っちゃってますねー」
「気合い?」
「お姉様をアルス様の奥方候補と思ってますからね。貴族の娘さんじゃない、市井のお嬢さんだというのが逆に点数高いみたいですよ」
「お、奥がっ……?!」
思わず声を上げかけ、向かい側で視線を上げたアルスに気付いて、英美は慌てて取り繕った笑顔を見せた。アルスもよく判ってなさそうな様子ながらも、穏やかに笑みを見せる。
アルスとは昨日初めて会ったどころか、そもそも自分はこの世界の住人ですらないのに、そんな扱いをされていてもいいのだろうか。
「しかし、これは逆に好機なのではと思えてきました」
「好機?」
「貴族の結婚など一時盛り上がるだけで、あとは形式ばかりのことでございます。むしろ、アルス様の奥方としてお姉様がこの城に住まわれれば、私とお姉様の愛も育みやすいというもノッ!!」
「妄想を口からただ漏らしにするなといつも言っているだろうが!」
片面にジャムを塗りたくったパンがアルスの手から放たれ、顔面を直撃されたレクセルが椅子ごと後ろにひっくり返った。蕃茄のゼリー寄せを美味しそうに食べていたラピスが、
「エイミーがいるから手加減してるねぇ」
「これで?!」
「私のフードには犯罪問題相談員並の特殊ポリマーもとい衝撃を緩衝する防御魔法が施されております故、少々の妨害ではこの情熱の炎を弱めることは出来ませぬ」
「防御魔法をもう少し正しい方向に使いなよ」
「公私混同ほど楽しいものはございません!」
「言い切るんじゃない!」
「ちなみに暗号名はラブリーエン……」
「皆まで言ってはいかん!」
「いやぁ、ただアーチを通すだけの球技もなかなか奥深いねぇ」
流れるようなつっこみの応酬に英美が目を白黒させていると、全く流れを読まないアルスの父が、さっぱりした様子でテーブルに割り込んできた。場は一気にトーンダウンしたが、侍女達は慣れっこらしく、特に相手にせずに淡々と飲み物を用意している。
「……レクセル、今後について検討せねばならぬことがある。食事の後少々時間をとってくれ」
「私とお姉様の愛の巣についてのご提案でしょうか」
「あなたの趣味にごく自然にあたしを絡めないで!」
「そうであるぞ、レクセル」
一緒になって突っ込むかと思えば、アルスはしごく真面目な顔で、
「お前には公務に私情を挟むなと言っておきながら、私も同じようなことをしていたのかも知れぬ。たまには空気を読んで真面目に話に付き合え」
「アルス様……なにか悪いものでもお食べになったので?」
「昨日からお前とおなじものしか口にしておらぬ!」
「えー? 城の食べ物に悪いものが混ざってたのかい?」
「ややこしくなるからきみまで話に混ざらないでよ。それでなくてもボクが会話に入りにくくて存在感が保てないんだから」
レクセルに噛みつきそうなアルスを横目に、ラピスがアルスの父をたしなめている。侍女達が生暖かく見守る中、英美だけは少し気後れした気分だった。
昨日の夜自分に話していたことを、レクセルにも話すつもりだろう。もし英美が、ラピスとの契約を頑なに拒否したとしたら、彼らにとって英美をこの世界に連れてきたのは、少ない霊力を大幅に消費しただけ、無駄な行為になるはずだ。確かにそれは英美のせいではないが、その徒労を怒りに変えたり、英美を冷淡に扱おうという発想がないのには驚いた。
接客業をやっていると、自分の勘違いや理解不足を理解してくれない店員が悪いと、理不尽に当たり散らす客も珍しくない。なんの権力もないはずの一般人がそうなのに、支配者階級のアルスが全くそういう正当化行為を行わないのだ。
いや、本当に教養と思慮があるひとであればこそ、怒鳴ったり当たり散らすという生産性のない行為はしないものなのかも知れない。
気を取り直して食後のお茶をすするアルスを眺めていたら、ふと中庭の上空が騒がしくなった。




