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城での夜<後>

 中には、市場で食べた小さな林檎のようなもの、いちじくに似たもののほかに、ラピスが市場で買っていた火龍果がいくつか入っている。

「皮ごとでいいの?」

「うむ、新鮮であればよいのだ。要は大地から生命力を取り入れるのであるからな」

 英美は火龍果を手に取ると、手のひらにのせて恐る恐る差し出した。蒼竜はゆったりとした動きで首を伸ばした。動きが緩やかなのも、口をあまり大きく開かないのも、英美を驚かせないためのようらしい。

 大きな口と大きな牙を器用に使い、英美の手から握り拳大の火龍果をくわえ上げ、蒼竜は満足そうに目を細めながら咀嚼している。ワニのようないかつい顔つきだが、仕草はまるで猫のように愛嬌があった。

「……すっかり失念しておったのだが、エイミー殿が帰らぬと、心配する家族があるのではないか」

「うーん……」

 実を言うと、自分が違う世界に来たと納得せざるを得なくなった今になっても、どうしても帰らなければいけない、という気分にならないのが不思議だった。

「一人暮らしだから、しばらくは留守にしても心配するような家族はいないし……。ファントム・キャッスルも、どうなのかなぁ……」

 自分がいなければ舞台に穴が開く、というのは考えないでもなかったが、そもそも英美は集客力抜群の目玉キャストというだけで、代役が全くいないわけではない。セシル目当ての客も多いし、英美がいないときはセシルが主役の演目に切り替わったりもする。すぐに困ったことになるとも思えなかった。

 もとから、仕事と割り切って女騎士の格好をしていただけで、あの役をやりたくて仕方ない、というわけでもなかったのだ。

 もちろん、嫌なのをずっと我慢していた、というわけでもないけれど、あんな不躾な取材を受けた上に、店長の草壁に冷たくあしらわれた後だ。余計に、あの姿で店に出るために必死で帰る努力をしたい、とも思えない。セシルは心配するかも知れないけれど。

 ああ、でも、自分が帰りたいと強く思わないと、アルス達には都合が悪いのだ。契約をしないと、転移の魔法に使う霊力が回復しないと言うし。

「……考えたのであるが」

 更にいくつか果物を蒼龍に与えながら、アルスは英美を見た。

「最初は、エイミー殿にラピス様と契約してもらえば、双方丸く収まると簡単に考えていた。あちらとこちらを行き来する不便は、相応の待遇と報酬で補えばよいと思っていた。しかし、まったくこの世界と関わりのなかったエイミー殿を突然呼びつけ、領国ひとつを守る力を得るために協力して欲しいなどと責任を負わされるようなことを言われても、抵抗があるのは当然だ。もし元の世界に帰ることに、さほど必要性を感じていないのならなおさらだろう」

 このひとは、天然でずれてるようでちゃんと物事を考えてる人だなぁ。英美はぼんやり考えた。

「私には、自分の目が間違っているとは思えぬし、ラピス様がエイミー殿を気に入っておられることも考えれば、エイミー殿には十分契約者としての条件が備わっていると思う。でもそのようなこと、エイミー殿にしてみれば、それこそ『そっちの都合だろう』ということになるだろう。きっと姉上なら、突然見も知らぬ誰かに連れ去られてそのような頼み事をされたら、同じように答えるだろう。私は自分たちの益を守ろうと思うあまり、大事なことを失念していた」

「……」

「この状況でエイミー殿を元の世界にお返しする、現実的で、一番楽なのは、エイミー殿にラピス様と契約してもらうことなのだ。しかし、帰る必要を感じない、全然関わりのないことに責任を負いたくない、元の世界より不便だとしてもこの世界に留まっていたほうがましだ、などという思いがあって、契約が嫌だというのなら、それも当然だと思う。その場合でも、エイミー殿がこの領内の住人としてごく普通に暮らせるようにとりはかりたいと思う。そなたになにも選択肢を与えずに、この世界に連れてきたのは私であるからな」

「……それだと、あなたたちが困るんじゃないの?」

「確かにそうであるが、そうなったとしても新たな道を探すだけのことだ。魔力を消耗してしまったので、再び別の世界から誰かを、ということは出来ぬが、きっと方法はあるだろう。ひょっとしたら姉上が突然気分を変えて、ひょっこり戻ってくるかも知れぬ」

「……」

「自分の努力だけではままならぬのが、口惜しくはあるがな」

 アルスは寂しそうに笑った。

 この人も、突然自分の肩に責任が乗ってきて、身動きできないような気分を味わっているのかも知れない。

 自分がファントム・キャッスルで女騎士の姿をしていたのは、なかなか客足が伸びず困っていた店長に泣きつかれたからだ。女性である英美には、見た目だけがセンセーショナルな『女騎士』の姿を、現実に喜ぶ人がいるとは思えなかった。流行っているのは、アニメや小説の話だろう。

 それでも、一度やってみてダメならまたあきらめもつくだろうし、当たればセシルもみんなも助けられると思って引き受けた。

 それが今や、看板キャストと呼ばれるまでの人気ぶりだ。セシルは、「エイミーだからこそだよ」と言ってくれるけど、正直同じだけのプロポーションの人なら、誰でも出来そうな気もする。たまたまあの場には、自分しか、できる者がいなかっただけなのだ。

 この人も、それまでは領主の弟としてあれこれ自分なりに先を模索していたのに、突然領国の責任を背負わされ、ただ一生懸命だったのかも知れない。

「勝手な言いぐさではあるが、エイミー殿には少しゆっくり考えていただければいいと思う。こちらの希望に耳を傾けてくれれば助かるが、そうでなかったとしても、最善の対処はしよう」

「うん……」

「折角だから夜の空を一緒に飛んでみたい所だが、慣れないうちは怖いだろうからな。明日の明るいうちに、一度お誘いしよう」

 アルスは果物を与え終えると、蒼竜の顔に頬を寄せた。

「私は休むが、部屋まで送ろうか?」

「あ、大丈夫……少し、ここにいてもいい?」

「構わぬよ。むしろ一人より、竜が側にいた方がいいであろう。ここもなかなか景色がよいから、少しゆっくりされるがいい」

 確かに、中庭に面した駐留場は、余計な灯りが少なく、部屋のベランダから見上げるよりも夜空が映えた。月もまだ、こちら側からは見えない。

 アルスが駐留場から出て行ってしまうのを見送って、英美は北側の手すりに手をかけた。すぐ側で風が動く音がして目を向けると、蒼竜が翼をたたんで丸くなっていた。

 目は閉じているが、顔をこちらに向けている。それとなく英美を気にかけているのだろう。

 たまたま目にしたのが自分だっただけのはずなのに、ここの人達はみんな英美に優しい。このまま帰らなくてもいいかな、と思ってしまうのは、知らないうちに普段の生活の中で疲れていたのかも知れない……

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