城での夜<前>
「ここで美少女と美女の入浴シーンだと思いましたか? 残念、割愛でした!」
「君は血の涙を流しながら一体誰に向かって説明してるんだい」
ベッドの上で魔法の水晶鏡に向かって叫んでいるレクセルを、ラピスが不思議そうに眺めている。
窓際に用意された椅子に腰掛け、テーブルに肘をついて外を眺めながら、英美はため息ともつかない息をついた。
夢のような時間だった、と思う。
浴場から出ると、一息つく間もなく侍女達総出で身支度を施され、領主一家の晩餐に主賓として招かれた。一家と言っても、領主であるフレアスティも先代である母親も不在で、同席したのはラピスとレクセルと、無責任会社員のような容姿のアルスの父だったが。
晩餐の後のお茶では、招かれた楽師がいくつか曲を披露し、英美はアルスに手を取られてダンスのまねごとまですることになった。上流階級の育ちなので、人前でなにかすることにアルスは抵抗がないらしい。
「時間があれば、町の貴族達も呼んで舞踏会でもと思ったのだが」
とアルスは言うのだが、そこまでされたところでこの国のダンスがどういったものかも判らない。簡単にワルツのステップを教えられただけで終わったが、侍女達と並んで控えていたハンナが、まるで娘を嫁に出した母親のように涙ぐんでいるのは正直反応に困った。
「ハンナさんは、先代の頃からの侍女頭ですからねー。アルス様もフレア様も自分の子供みたいに思ってるんじゃないでしょうか」
「それはいいけど、なんで君がここにいるのさ。自分の部屋があるでしょ」
英美の寝室として整えられた部屋で、なぜか自分も夜着に着替えたレクセルが、ラピスの問いに当然のように、
「そりゃあ、お姉様をお一人にして心細い思いをさせられませんから。というか、ラピス様こそ自分のお部屋がおありでしょう」
「エイミーを君と一緒に休ませるなんて、一人にしておくより危険だからだよ」
「ラピス様まで人を変質者のように! 女には、女同士でしかできない会話というものがございますよ、ねぇ、お姉様!」
「うーん……どっちかというと、寝るときくらいは一人になりたいかな……」
「お姉様は照れ屋さんなのでございますね……」
多少がっかりした様子を見せたものの、出て行く気はさらさらないようだ。ベッドは二つあるし、人気が多いのも慣れているから、構わないと言えば構わないのだが。
テーブルには水差しだけではなく、冷たい水で冷やされた飲み物のビンに、果物やドライフルーツ、クッキーなども置かれて、高級ホテルさながらの待遇だ。
自分がラピスと契約しないと国の存亡に関わってくるような話だったが、侍女達の好意的な態度は、またそれとは別の所にあるらしい。
ふと英美は立ち上がり、大きな窓からベランダに出てみた。領主一族の生活する部屋は城の中でも高い場所にあり、その大事な客人である英美も同じ階に部屋を与えられている。
窓から見える夜景は、東京で見るものほど光に溢れてはいない。素朴で暖かな色の光が、身を寄せ合う町並みを控えめに示している。
むしろ、その控えめの光のおかげで、空にはどんな高性能なプラネタリウムでも再現できないような、素晴らしい星空が浮かび上がっていた。
「こっちにも、天の川があるんだ……」
いや、実際の空で天の川を目にしたことなどあっただろうか。少なくとも、ある程度成長してからの、生で美しい星空を見た記憶を、英美は探し当てることは出来なかった。
残念ながら英美はあまり星に詳しくないため、この夜空が自分の世界の夜空とどれほど似通っているか、比べることが出来ない。それでも、北極星や北斗七星といった一般的なものに近いものは、この夜空にも見て取れた。
「異世界とは、『可能性の世界』だと聞いたことがございます」
陶然と星空を見上げている英美の横で、いつの間にか後を追いかけてきていたレクセルが口を開いた。
「可能性?」
「過去のどこかでの、『もしかして』『ひょっとしたら』の世界でございます。例えば、遠い昔のある戦争で、東の某が勝ったことで今のこの国があるとして、もし西の某が勝っていたらどうなっていたか。ひょっとして、文化の発達も、支配制度も全く違う国が出来ていたかも知れません。異世界とは、その無数の『ひょっとして』の世界なのではないかと聞きます」
「分岐から生まれた平行世界ってことかしら……」
「平行世界とは、面白い言葉でございますね。そういう概念が、エイミー様の世界にもおありなのですか」
「まぁ、お話の中でだけど……」
「エイミー様の世界も、私どもの世界も、元を辿ればひとつの出発点から生まれたものなのかも知れません。魔法の水晶鏡を利用した遠見の術でなら、ほかにも様々な異世界をかいま見ることが出来ますが、ほとんどの世界では人は同じような姿形をしていて、文化程度に差はあれど、人間以外のものが主役となっている世界はほとんどございません」
「ほとんどって……全部が全部、人間の世界ではないってこと?」
「私が見た中で印象深かったのは、草木の何もない、空にも雲すらない、ただ一面赤茶けた荒野のような世界でした。水晶鏡で見る限り、そこに生きるものはなにひとつありませんでした」
「……」
「もうひとつは、太陽も月も輝いているのに、空は夜のように黒い世界でした。地は灰色の冷たい岩石でできていて、緑もなければ湖も川もございませんでした。どうやら、人間のいない世界には、草木もほかの動物もないようでございます」
英美は、いつか見た太陽系を題材にしたテレビ番組を思い出した。今レクセルが言ったのは、火星と、月の環境に似ている。火星は環境によっては地球と同じになり得たかもしれないとも聞くし、異世界がパラレルワールドだというのなら、生命が生まれる以前に既に終わりの分岐を迎えた世界もあったのかも知れない。
「そう考えると、私たちが世界を越えて出会えたことは奇跡に近いことでございます。私とお姉様が出会えたのも、やはり運命かと!」
「それはちょっと違うかもしれないけど」
どさくさで抱きついてこようとしたレクセルの頭を思わず片手で押さえ、英美はまた町を見下ろした。
根っこが同じなら、双方の世界で、似たような概念や世界観が存在するのもおかしくない話だ。
これが『もしも』の世界なら、流れによっては自分たちの世界にも竜や魔法が存在していてもおかしくなかった、ということなのだろうか。逆に言うなら、この世界にも竜や魔法など存在しない形が合ったのかも知れない。
「そういえば、ラピスさんと契約してたフレアスティさんがいなくなって、霊力が落ちてるって話だけど、今日見た感じだと、町のひとは特に困った様子はなかったよね? お水も困ってないみたいだし、何が問題で代わりの人を探すのに急いでるの?」
「えっとですね、……本当はこの領国では、人の手で井戸から水をくみ上げる必要はないのです」
渋々英美に抱きつくのをあきらめ、一緒に町を見下ろしてレクセルが説明する。




