領主フレアスティ失踪す<前>
瑠璃色の矢が、薄雲のかかった空を切り裂いていく。裂かれた雲の隙間から細くのぞく青空が、航跡のように矢の後ろに続いていく。
「ああ、アルステリア様がお戻りになったんだね」
町外れの井戸から水をくみ上げていた女達が、切り裂かれた空を見上げて眩しそうに目を細めた。その声に応えるように、瑠璃色の矢が陽光を受けてひときわ大きな輝きを放つ。
その輝きが目指しているのは、町の高台にある領主の城だった。瑠璃色の矢はいくらか動きを緩め、それこそ鏃のようにぴんと伸ばしていた翼をゆったりとはためかせ始めた。
蒼竜。
『竜に守られし国』と呼ばれるテールエルデでも、王族や限られた領主の血族にしか騎乗を許されない神竜の一種で、美しい瑠璃色の鱗を持つ竜だ。
伝令や下っ端騎竜兵の扱う灰竜とは大きさは二回り上、移動速度はもちろん、竜としての生命力、戦闘力も桁違いだ。
知能も高く、喋れないだけで人間と意思の疎通も可能だが、彼らは自分たちと同じ色の鱗を持つ竜人の仲介がなければ、人間をその背に乗せることはない。
蒼竜は大きく羽ばたきながら、石造りの城の中でも一番高い場所に設けられた円形の駐留場に降り立った。
大人の背丈ほどの高さはあるその背から、マントを翼のようにはためかせ、アルスは滑るように飛び降りた。整った顔立ちもさることながら、紫がかった銀髪と、濃い青紫色の瞳が特徴的だ。
「アルステリア様、お帰りなさいませ……」
王国騎士団の制服姿のまま降り立ったアルスを、衛兵達が並んで出迎える。だが、まっすぐにアルスが向かったのは、扉の近くに控えていた年配の侍女だ。
「ハンナ、父上はご自分の部屋か?」
「あ、は、はい」
「すぐ会ってくる、蒼竜に果物を用意してやってくれ」
なぜか返答に戸惑ったハンナの様子には気付かず、アルスは早足で城内につながる扉に向かった。控えていた使用人達が慌てて扉を開く。
駐留場自体は城内に何カ所かあるが、蒼竜が使えるほど大きなものはここを含めて二カ所しかない。城の中心にあるこの駐留場は、城主でありヴェルーリヤ領国領主一族の私室に一番近い場所でもあった。
アルスは使い慣れた階段を駆け下り、城主の間……と同じ階の外れにある、割と素朴な扉のついた部屋へと迷わず突き進んだ。
「父上! 騎乗中に落竜して 大けがをなされたとのことですが、お加減は……」
蹴破るように扉を開け放つと、
「おお、おかえり我が愛する息子よ!」
部屋の隅に敷かれた細長い緑の絨毯の上で、孔球用の打棒を構えていた中年男が呑気に手を振り、部屋に駆け込んだアルスは盛大に床を横滑りした。
「いやぁ、ただ球を転がして穴に入れるだけの遊戯が、こんなに奥深いとは思わなかったよ」
「あんた瀕死の重傷で生死の境をさまよってたんじゃないのかあぁぁ!」
「アルスは相変わらず、怒鳴り声が母さんみたいで怖いなぁ」
瞬間移動したかのような勢いで胸ぐらを掴み、詰め寄るアルスに、アルスの父は首をすくめて見せた。言葉ほど怖がっている様子はない。
「なんなんですか! 今夏の剣術大会の本戦出場が決まって、ルシエール姫が出場者を招いた昼餐会を行うって話まで出てたんですよ! いったいなんの真似ですか!」
「僕じゃないよー。レクセルが、アルスを呼び戻すにはこれが一番いいだろうって言うから、お任せしたんだよ」
「レクセルが?! なぜこの大事な時期にいたずらで呼び戻されなければならんのです。私は領地がもらえないから、必死で王国竜騎士団で実績を積んでいるのではありませんか! それに今年の剣術大会で優勝したら、ルシエール姫の許嫁の座だって夢ではないんですよ! ルシエール姫の許嫁って意味判りますか? 下手すればテールエルデの時期国王ですよっ!!」
「アルスにはそういう大役向いてないと思うけどなー」
「向いてる向いてないじゃなくて! というかレクセルは?! いくら宮廷魔導師でも、父上と一緒にこんな悪ふざけなど、母上と姉上が聞いたらただじゃ……」
「悪ふざけではございません」
父親を振り回す勢いで怒鳴りつけていたアルスは、背後からの声に、父親の襟首を掴んだまま振り返った。
扉の前にはいつの間にか、蒼色のローブをまとった娘が立っていた。
それ以外は、まったく魔導師らしくない。手に持っているのは杖ではなく、自分の好みで特注した、先端に月とハートをかたどった銀のステッキだ。桃色の髪は地毛ではなく、趣味で染めているらしい。
宮廷魔導師の後任と決まった際、領主一族を前にした自己紹介の一発目に、
「魔法が使える美少女なら魔法少女でいいですよね! 私のことは宮廷魔法少女レクセルと呼んでください!」
と言い放ち、先代魔導師から華麗な右ストレートを喰らって星になったのは未だに記憶に新しい。
「その大事な時期だからこそ、こうでもしないと、アルス様はお戻り下さらないと思ったのです」
「だから、なぜ私を呼び戻す必要があったのかと聞いているのだ!」
「領主フレアスティ様が失踪なされました」
「……は?」
予想外の答えに、アルスは間の抜けた声を上げた。
「失踪とは? 姉上のことだから、いつもの気まぐれで身分を隠して『ごうこん』とか『おふかい』とかに行ってるんじゃ?」
「気まぐれで、ラピス様に守護宝剣フルグールを返して飛び出されるとお思いで?」
「はぁ?!」
ラピスは神竜族の中でも高位の竜人種で、ヴェルーリヤ領主と代々守護契約を交わしている、この国の霊力の源とも言える存在だ。守護宝剣フルグールは、ラピスとの契約者しか扱えない、いわば聖剣なのだ。
深刻な顔つきのまま、レクセルは目を伏せた。
「いくらなんでも宝剣まで返したら、それこそ守護契約の打ち切りという事になるのではないか?! そんなことをしたら、この国を維持する魔力はどうなってしまうのだ?! ……ラピス様は? まさか姉上の気まぐれを真に受けて、本当に契約を解除など」
「まさかにございます。『フレアが要らないって言うんだから、僕もここにいる意味がないよね』と、守護宝剣フルグールを抱えてご自分の『ゆりかご』に戻ってしまわれたのが一昨日の話で」
「……一体なにがあった?」
あまりのことに、かえって冷静になってしまったアルスは、神妙に膝をつくレクセルに問い返した。