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怒涛の借金取り

 十二月も半ばの月曜日、かじかんだ手を擦りながら学校から帰ってくると、家の電話がけたたましく鳴っていた。あわてて受話器を取り、耳に当てた。

「もしもし。浅田社長はいますか」

 切迫した様子の男の声だった。いませんと答えると、どこにいったと語気が荒くなった。

「知りません」

「隠すんじゃないよ」

「隠してません。本当に知らないんです」

「あんた誰。娘さん? いいかい、あんたのおとうさんはね、うちの会社に多大な迷惑をかけたんだよ。早急に埋め合わせをしてもらわなきゃ、社員に今月分の給料さえ払えないんだよ」

「……」

 男はわたし相手に延々と文句を言った後、連絡先をメモらせ、居場所が分かったら必ず一報するようにと言い残して、電話を切った。

 受話器を置いた途端、また電話が鳴った。

「もしもし」

「おい、浅田の野郎はどこだ!」

 別の男の声だった。

「留守です」

「嘘をつけ! 浅田を出せ。早く出せ!」

 怖くなって受話器を置いた。その途端、また着信音が鳴る。わたしはその場で凍て付いた。

「もしもし。浅田省吾はいません。昨日死にました。もう電話かけてこないで下さい」

 いつのまにか隣に来ていた静香が、わたしの代わりに受話器を手に取っている。

「そう。昨日、上野動物園でボアに丸呑みされたんです。今喪中ですから。そういう話止めてください」

 静香は言うなり受話器を叩き付け、電話線を引っこ抜いた。

「ったく。ふざけやがって。オヤジの居場所を知りたいのはこっちの方だ。あいつをとっ捕まえて、もう家に帰ってくんな、でも生活費は置いてけって、怒鳴ってやりてえ」

 次の日。静香と二人で晩御飯の仕度をしていると、家のチャイムが鳴った。インターホンには、コートを着た見慣れない男の人が映っている。

「あれが、おかめさんかな」

「違うだろ」

「本人じゃないとしても、使者をよこしたとか」

 わたしと静香はこんなことを言いながら、応対すべきか迷っていた。

「もしもし。お手間は取らせませんよ。ちょっとだけおとうさんの件で、お話をお伺いしたいだけです」

 男の物言いは穏やかだった。

「シカトしちまえよ」

「でも――」

 結局わたしは出ることにした。静香はぶつぶつ言いながらも、わたしの後について玄関まで来た。

 ドアチェーンを外すと、山のように大きな男がぬっと入ってきた。縦横に広いので、その男がいるだけで、玄関は一杯になってしまった。

「浅田はどこにいる」

 男の吐く息は白かった。声を出せずにいるわたしの前に、静香が立ちはだかった。

「いねえよ」

「嘘をついちゃいけねえぜ、ボウズ」

「嘘じゃねえよ。帰ってくれ」

 静香が、はじけた焼きおにぎりのように言った。

「おいボウズ。大人に対してその口の利き方は何だ。近頃の小学校じゃ、躾も教えねのか」

「うるせえな。関係ないだろそんなこと」

「何だと。ゴラア~」

 男は土足のまま廊下に上がり、静香に顔面を近づけた。男の頭蓋骨は、優に静香の三倍はあり、顔面は雷おこしのようにでこぼこだった。

 さすがの静香も血の気を失い、後退った。

「まあ、待て白鳥」

 大男の陰から、もう一人の男が姿を現した。防寒コートを着た男は、色白で痩せていた。さっきインターホンに出たのは、こっちの方だ。

「坊ちゃんはなかなかの美形だが、血の気が多そうだな。そっちのお姉ちゃんのほうが話が分かりそうだ。お姉ちゃん、おとうさんはどこにいるんだね。いや、失敬。まずこちらが何者なのか、名乗らなければいけないな。

 おじさんたちは怪しい者じゃない。とある金融機関の人間だよ。英語ではファイナンシャルインスチチューション、フランス語ではアンスチチュシオンフィナンシエールだな。地球温暖化や、高齢者福祉なんかにも関心のある、極めて真っ当な人たちなんだ」

 大男が腕を組んで頷いた。その顔はどことなく、マッコウクジラに似ていると思った。

「その真っ当な人たちから、きみのおとうさんはお金を借りたんだが、返してくれないんだな。だからおじさんたちは、おとうさんを捜している。おとうさんを呼んできてくれないか」

「父は先週の木曜日に家を出て行ったまま、戻ってきません。あたしたちもどこにいるか、知らないんです」 

「本当だろうね。人から物を借りて返さないというのは犯罪なんだよ。わかるだろう」

「わかんねえよ。いったい利息はどん位なんだよ。まさか九割とか言わないだろうな。そういうのを出資法違反って言うんじゃないのかい。この間新聞に書いてあったぞ」

「このガキ。減らず口ばかりたたきやがって」

 大男は蜂の幼虫のような指を、静香の左右の頬っぺたにめり込ませた。静香の顔が一瞬にして、ひょっとこに変わった。

「止めてください!」

 わたしが声を上げた。

「まあ、待て白鳥」

 華麗な名前にまるで見合わない男が、「ちっ」とワザとらしく舌を鳴らしながら、静香から離れた。どうやらこの二人には、役割分担があるらしい。

 静香の顔は普通に戻ったが、両頬には指の跡が赤くくっきりと残っていた。

「おじさんたちは基本的に平和主義者だが、時にはちょっとばかし手荒な真似をすることもある。でも本当は、そんなことしたくないんだ。大変なことになってしまうからなあ。わかるだろう」

 色白の男が初めて、凶暴な一面を覗かせた。

「まあ今日のところはこれで帰ることにしよう」

 男はわたしに名刺を渡した。

「おとうさんの居場所がわかったら、会社のほうに連絡を入れて欲しい。いいね、お姉ちゃん」

 再び凶暴な表情を見せた男に、わたしは思わず「はい」と答えていた。

「けっ」

 最語に白鳥が、もう一度わたしたちを睨みつけた。

 二人が出て行ってしまうと、静香がぽろぽろと涙をこぼし始めた。

「ちくしょう……」

「泣くことなんかないよ。静香がんばったよ」

「本気でやったら、あんなやつの腕くらい、へし折ることができたんだ」

「うん。わかるよ……」

「あいつ、おれのこと小学生だと思ってたな。ふざけやがって」

 ボウズと呼ばれたことに対し、静香は憤慨しない。

「おれ、今はこんなチビだけど……毎日牛乳飲んでっから、来年には百八十センチ超えるから。そうすりゃあんな野郎膝蹴り一発でぶっ飛ばすから……」

 静香は鼻をぐすぐすさせながら言った。

「ヤクザみたいな人たちだったね。ああいう人に狙われてるから、おとうさんは雲隠れしたんだね」

「そのおかめさんとか言うのも、あんなやつらと同じじゃねえのか」

「まさか。そんなに悪い人じゃないって言ってたよ、おとうさん」

「そんなにかよ。『そんなに』がついてるってのは微妙なんじゃないか。さっきの白いほうだって、そんなに悪いやつじゃないといえば、そうなんじゃないのか」

「そうかな。あれは悪いやつだったよ」

「ともかくオヤジの言うことは、昔から信用できね」

 その日から家に様々な人間が現れるようになった。

 彼らは家の近くの、電柱の陰かなにかにじっと身を潜めているらしく、わたしたちが学校から帰るのを見計らうように、現れるのだった。

 中には紳士的な人もいたが、最初に来た二人のように、粗暴な輩もいた。

「そうですか。おとうさんはやはり行方不明なんですか。はー」とため息をつきとぼとぼと引き上げていく、なで肩のおじさん。静香と睨み合いの果てに「親も親なら、子も子だぜ」と捨て台詞を残して去ってゆく、サングラスの人。わたしたちのことを哀れんだ目で見つめ、取立てに来たのに、逆に小遣いをくれた(といっても五百円だったが)おばさん。わたしの太ももと腰を穴の開くほど見つめ、「いい働き口がある」と口元を歪めた赤シャツの若い男。「ちょっとゴメンよ」と家に上がり、メモを取りながらテレビや家具に赤札をベタベタ張ってゆく、銀縁メガネの人、等々。

 そういった有象無象の応対をしながら、一週間ばかり経つと、わたしも静香もへとへとになっていた。おとうさんからの連絡は、あれからぷっつり途絶えた。おかめさんとやらも現れない。生活費も底をついている。

「この分じゃ来週食いものがなくなるぜ」

 静香が冷蔵庫と台所の戸棚を点検した。

「缶詰もカップ麺も全部食っちまった。冷蔵庫にあるのはマヨネーズだけ。どうするよ、美里」

「バイトとかできないかな」

「中学生でバイトか。う~ん。高校生ならともかく、おれたちなんか雇ってくれるとこあんのかな」

「モー娘とかに応募してみる?」

「やだよ。冗談じゃねえよ」

 と静香は言うが、彼女は女の子として、かわいい部類に属していると思う。ベリーショートを止め、肩まで伸ばしたレイヤーとかにすれば、女の子らしくなるのに、静香はそういうのが嫌いらしい。もっとも頭が小さいので、ショートもそれなりに似合ってはいるが。

「アメリカの家みたいにさ、芝刈りとか近所でやらしてくれたら、お小遣い稼げるのにね」

「この辺りじゃ無理だよな。芝生生やせるほど庭がでかい家なんてねえし」

「近所の小学生に勉強教えてあげるとか」

「おれは体育くらいしか教えてやれねえよ」

「あたしも高学年はヤバイかも。三年生くらいまでなら何とかなるかな」

「でもよお。隣近所を見渡せば、おれたちなんかより大人で高学歴の連中が、わんさかいるわけじゃんか。わざわざおれたちなんかに、家庭教師頼むか?」

「じゃあ、ドーナツ作って駐車場で売ろう」

「そんなことするより、作ったドーナツ食えばいい話だろ。でも卵も牛乳ももうねえよ」

「最後の手段は、ゴミ漁りだね」

「カラスとか猫に仁義切らないとな。あとはホームレスとか」

「ってか、ゴミ出し代行のバイトすればいいんだよ。それでお小遣いもらって、なおかつ美味しそうな生ゴミはちゃっかりあたしらがキープする」

「美里、マジで言ってるよな」

「言ってない」

 わたしは大きくため息をついて、居間のソファに腰を埋めた。


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