人類愛を騙る方が簡単です。
[語る]の間違いじゃないかって?
違ってませんよ。
だって、半端な人物のが口に出す人類愛とか人間愛とか世界愛なんて妄想だから。
近くにいる人の気に入らない言動を許容する方が、根拠の薄い人類愛を垂れ流すよりも遥かに大変です。
あぁ、隣人をきちんと受けとめる事が出来ないから、人類愛を騙る事に逃避している側面もあるのか。割合としてはこちらの方がたくさんありそうですね。
例えば、
「家族っていう物はだねェ、」
なんて言うふうに[家族愛]を語り始めると家族を構成する一人ひとりについて考えが廻らなくなっています。
同じ様に、例えば[母親]という属性について語られている時に、それぞれの家庭で家族構成も環境も事情も異なる事にあなたは考えが及んでますか?
因みに、
「腹を痛めて生んだ子には愛情を感じるのが母親の本能だ」
ってのが完璧に嘘だという事が分かってます。
本能だというなら、例外が二割も三割もあったらおかしいでしょう。百人が百人、千人が千人同じ様にならなければ本能とは言えませんねぇ?
心理的な縄張りを無制限に拡大しちゃって、世の中全体が俺様ルールで動いているような気になっていると、人類愛とかを騙り出してしまったり属性で括った話をし始めてしまいやすくなります。
だから、もしあなたが物語を綴ろうと思っているなら、[人類全体の事を考えて]とか[家族を愛しているから]とか、あるいは[人間だから、エルフだから、メンバーだから、]というような属性で括った文章は書かない方が良いんです。
なぜなら、属性で括った文章は世界観を薄っぺらくし、薄っぺらい世界観はあなたが普段あまり物を考えていなくて、しかも観察力も大して持っていないことを丸分かりにしてしまうから。
小説を書くにしても感想を付けるにしても、説得力のある相手に伝わる文章を書きたいなら、あなたの隣人が本当はどうして欲しがっているのかを観察する事から始めてみれ?
遠回りのようでもそれが多分一番の近道ですよ。