「ためになってほしい」と言う嘘
「あなたのためを思って」
の九九パーセントは嘘です。
何故なら、基準が主観でしかないからです。
徹頭徹尾人間は本人の主観に基づいてしか行動出来ません。だから、あなたがもし
「こうすればもっと良くなるのに」
と思ったとしても、それはあなたの価値観に基づいてそう感じているだけなんですよ。
だから、本当はあなた好みの作品が読みたいだけなんです。
でも、
「ためになってほしいから」
って言えば何となく良いことをした気分に成れるでしょう?
でもそれは、作者をあなたの思い通りに動かしたいという支配欲の表れに過ぎないんです。
あなたの心理的な縄張りに、あなたの好みに合わない作品を置いておきたく無いだけ。
つまりは感情や感覚の問題で、それ以上でもそれ以下でもありません。
ところがそういった自覚のない人は、感情や感覚で発言しているとは思われたくないので、
「ためになってほしい」
という言い訳をする。
あるいは[普通]とか[常識]とかの、不特定多数が背後に居るかのように連想させる言葉を使って虎の威を借りる。
もしあなたが普通とか常識だとかを無意識に口にしてしまっているようなら、それはあなたがあなた自身のことを
「本当に存在するかどうかも定かでない不特定多数を背景に背負わなければ意見も言えないような小さな存在である」
と感じている証拠に他ならない。
あなたの脳はどこに繋がっていますか?
あなた自身にしか繋がっていないでしょう?
確かに、集合無意識といった[全ての意識は奥深い所で繋がっている]という概念は複数あるけれども、あなたが願っただけで明確に相手に伝わる程便利には出来ていない。
作品だろうと感想だろうと変わらない。
言いたい事が相手に伝わるように書けなければ、上手に伝えられなかったという事実が残るだけです。
受け止めてもらえる文章を書きたいなら、なろうにある物で構わないから[小説の書き方]といったガイダンス位は目を通して置きましょう。
できれば複数。
基本中の基本は、あなたがどんな立場や立ち位置で発言しているかを明示する事。それから、虎の威は借りない事。
付け加えるなら、最低でも主語と述語の関係が破綻したような文章は書かずに済むようになっておくこと。
この項、続く。