厳罰主義では性犯罪を無くすことは出来ません。
紫苑さんの
性犯罪について考える事〔N0365BO〕
http://ncode.syosetu.com/n0365bo/
に思わず長文のコメントを着けたら、思いがけずこれまた真摯で長文のご返事を頂いてしまいまして。
コメント欄で議論するような事でもないので、164k側の見解はこちらに記載する事にします。
ですので、ここで「あなた」といった場合、それは紫苑さんの事ではなくこれを読んでいるあなた自身の事です。
例えば、あなたが常に
「性犯罪を犯した者は厳罰に処されるべきだ」
と思っているとするでしょう?
そうすると、その願望を叶えるためには「厳罰に処されるべき性犯罪者が必要」という事になってしまうのです。
だから、結果としてあなたの目に入る世界中のどこかで厳罰を受けるにふさわしい性犯罪者が涌いて出る。
[思考は現実化する]と言うのはそう言うことでもあるのですよ。
想定される最悪の被害に比べて、性犯罪に対する刑罰が軽すぎると言われるのは非常に良くわかるのです。
でも、「強姦してはいけません」といわれて強く意識に残るのは「強姦」の方なんですよ。禁止されるとなおさらやってみたくなる心理というのはこうして発生します。
付け加えるなら、戦争まで含めてありとあらゆる攻撃的な言動は、満たされない魂が助けを求めて上げている悲鳴なんです。
だから、捕らえて刑罰を与えて反省を促すというのは緊急避難以上の物にはなりません。
性犯罪者を憎むと言うのであれば、憎む対象となる性犯罪者が必要です。
逆説的に言うなら、性犯罪者を憎む人が必要としているからこそ、性犯罪が無くならないのです。
これはただの言葉遊びではありません。
基本的な欲望に基づく欲求は、禁止してみても効果が無いどころか地下にもぐって犯罪の温床になります。例えば、アメリカの禁酒法時代が良い例ですね。
ざっくりと言ってしまえば、飲酒を好まない勢力が教会権力や国家権力を利用して好き放題に暴走しただけなんですよ。禁酒法って。
お酒を飲む事自体は禁止する根拠が無いので、製造と販売と輸送を禁じた。
その結果がどうだったかと言うと、別名暗黒時代とも呼ばれてしまう訳です>禁酒法時代。
もしあなたが性犯罪被害を減らしたいと本気で願うのでしたら、まず最初にしなければならないのは、あなた自身のセックスに対する考え方を変える事です。
ある事にまつわる犯罪を撲滅するには、対象となるその[ある事]を、犯罪というリスクを背負うことが馬鹿馬鹿しく成る程ありふれた物にしてしまうことが一番効果的です。
希少価値を見出だせない物をわざわざ強奪しに行く人はいませんね?
実際問題として、セックスに対してオープンな国や地域の方が性犯罪が少ないのは世界的な事実ですが、セックスに対する不自然な文化と慣習については回を改めてお話ししましょう。
ここでは、最悪の性犯罪「レイプ」についての迷信を正しておきましょう。
報告されたレイプの半数は普通の家の中で起きています。また、約3分の1は被害者の自宅でおきています。
報告されたレイプの約半数において、被害者は加害者と顔見知り以上の関係にあり、被害者の1~2割は親しい友人や家族の一員にレイプされたと報告しています。
さらに、身近な人にレイプされた人は、知らない人にレイプされた人に比べて報告しない傾向が強いので、実際には報告されない例も含めた場合には知り合いによるレイプが全レイプの大部分を占めると予測されます。
多くのレイプは、部分的あるいは全体にわたって計画的に行われています。また、レイプの加害者は普段は普通の暮らしを送っています。レイプ犯に心理テストを受けせても、ほとんどは特に変わった特徴や精神異常を見せることはありません。さらに、ほとんどの加害者にはレイプという手段に及ばなくてもセックスのできる相手がいます。
殺人にしてもレイプにしても、実行する本人はそれを悪い事だとは思っていません。仮に社会通念上許されないことだと認識はしていたとしても、自分だけは特別だと思っていたり追い詰められているのだからやむを得ないのだと確信していたりします。
こういった場合には、そもそも「厳罰に処される」事が抑止力にはなりません。
「性犯罪者が厳罰に処されることを望む」というのは、だれかの思考や言動を力ずくで変えようとすることと一緒ですから、発想の方向性が犯罪者と大差ありません。
そのこと自体を悪いと言うつもりはありません。義憤というのも確かにあります。ですが、犯罪者と同じ方向の発想で犯罪を減らすことはできません。
求めるものとは違う方向に力を費やしているから、少しも効果が表れないだけなんです。
例えば、家族の一人一人がありのままの自分自身で居られて、衝突することはあっても基本的にいつも笑顔で満ちているような家庭であれば、問題行動を起こすような子供は育ちません。
だから、犯罪を減らすのに最も効果的な方法というのは、あなた自身を含めて一人一人が「誰からの要求に従った結果」ではないありのままの自分自身で居られるような社会を作っていくほかはないんです。
最後にもう一つ付け加えれば、例えば仮に性犯罪の加害者が極刑に処されたとしても、それはあなたや被害者の周りの人たちにとって憂さ晴らしにはなったとしても、被害者本人に対する救済にはつながりません。
なぜなら、被害にあう前のその人自身は戻ってこないからです。
もしあなたが、性犯罪の被害にあった人にたいして「傷物になったからかわいそうだ」とか「価値が下がってしまったから気の毒だ」と感じてしまうようなら、それはそのまま被害にあった人の人的価値を下げていることになります。
被害にあった人が恐怖におびえ、フラッシュバックやPDSTに苦しむのはやむを得ない事です。ですが、たとえそのような状態であったとしても、その時のありのままのその人自身を受け止めて、
「大丈夫。あなたの価値は下がったりしていない。あなたが傷ついてなんかいないことは私が保証してあげる」
と受け入れてあげられるかどうかが被害者救済の肝なんです。
レイプの動機は単なる性的欲求ではありません。攻撃や支配、優越や男性性の誇示、接触や依存などのさまざまな欲求を、性という手段を用いて自己中心的に満足させようとする「暴力」の一種です。誰かを屈服させて支配下に置くことが目的と言い換えてもよいでしょう。
可及的速やかに被害者が救済されて解放され、レイプに及んでもろくに目的を達成することができないという状況を作った方が性犯罪を減らすのに効果があるとは思いませんか?
とりあえずここまでなんですが、本文中に記したように実はまだ続きがあります。予想されるタイトルは、
「ルールと犯罪心理と歪められた感情」
そう遠くないうちに投稿したいと思います。