Act6.お嬢様と白魔女
「おもしろい冗談でしたね」
「そうね。真剣だったアルフレッドには悪いけれど、間違いって誰にでもあるものだもんね」
結論から言えば、アルフレッドはレオンを「白魔女」だと思い込んでしまっていたらしい。
どう言葉で言い聞かせても納得してくれないので、レオンはアルフレッドを物陰につれていって「男だと証明してきました」と笑顔で言っていたが、対するアルフレッドの顔は青ざめていた。なにをしたんだか。
そのまま彼はふらりと姿を消した。レオンが男だってことがよほどショックだったみたいだ。
「けど、あそこまで思い込むなら、よほど似てるんでしょうね。あんたと白魔女様って」
「髪と目の色が同じというだけでしょう。私のような奇跡の美貌が他にあるとは信じられませんね」
しれっとそう言って、レオンは肩をすくめた。
屋敷に帰ると、セッカが出迎えてくれた。そのままセッカに身の回りの世話を焼いてもらい、夕食をとる。
レオンとセッカの役目の入れ替えは突然だったが、セッカはソツなく仕事をこなしていた。ネコのコトラもセッカになついてごろごろと甘えている。
仕事を入れ替えてくれなんて無茶なお願いをしてから何日も経っていない。これで不平なんていえば、快く引き受けてくれたセッカに失礼だ。
けど、なにか物足りない。
不足があるわけではない。隅々まで行き届いた心配りに細やかな女性らしい気遣い。ときおり新しい洋服屋や小物屋の話や使用人の間の噂を聞かせてくれたりと、セッカの給仕は最高で完璧だった。
けど、なにか物足りない。
セッカとレオンの給仕、なにが違うんだろう。
好ましいのは言うまでもなく、セッカの給仕だ。気さくに話かけ、私を楽しませようとする意図がよく分かる。実際、話していて楽しいのはセッカだし、女同士ということもあって気楽にすごせる。
対してレオンの給仕は、セッカに比べると窮屈だ。私の興味を引くような話題を振ってくるわけでもないし、口を開けば勉強しろだの、マナーがなってないだのお説教ばかりだ。いいところなんてひとつもない。
でも、気を許せていた気がする。いま思えば、私はレオンを口うるさい友達のように思っていたのかもしれない。幼い頃から一緒にいたし、やつは私のいいところも嫌なところも知っていて、だからどんなわがままも勝手も言えた。
「お嬢様、どうしたんですか。寂しそうな顔をして……」
コトラを腕に抱っこして、セッカが私の顔を覗き込んできた。
「なんでもないわ。ちょっと考え事してただけ」
やつと距離をおいたのは私のほうだ。
いまさら、こんなことを思うのはとても気まずい。寂しいだなんて言えるわけがない。
どうせレオンはこの屋敷にいるんだ。急ぐ必要はない。少しずつ時間をかけて元通りになればいいのだ。問題があるのはレオンじゃなくて、意識をしすぎる私なんだから。
けれども、悠長に構えていられるのはこのときだけだった。
アルフレッドとうやむやのうちに別れてから数日後、私の屋敷に一通の手紙が届いた。
あて名は私。差出人の名前は書いてなかったが、封をする蝋印には見覚えがあった。この国の人間なら誰もが一度は目にしたことがある紋章だ。三角形の真ん中に長剣があり、その周囲を百合の花が円を描いている。
この国の治政者である王家の紋章。蝋印にそれが使用されているということは、すなわち、この手紙は王族からの手紙ということになる。
この手紙が届いたとき、屋敷はにわかに騒然とした。
性質の悪いいたずらかと思われたが、王家の紋章を偽造する罪は重い。言うまでもなく極刑だ。そのようなリスクを犯して、私のような小娘に意味のないいたずらをしかける理由などあるだろうか。いや、ない。よって、この手紙は高確率で本物であるはずだった。
「……うーん」
「開けないんですか?」
興味津々といった様子で、セッカが私の手元の手紙を見る。
「お父様がご不在なのに、開けていいのかなって」
「宛名はお嬢様ですから問題はないと思いますよっ。届いているのに手紙を放置したほうが具合が悪いと思いますし」
たしかに、セッカのいうとおりだ。けど、セッカはなんだか面白半分といった感じがする。
おそるおそる、私は手紙の封を切る。
そして、その内容に唖然とすることとなる。
「レオン!!」
「はい、お嬢様。お久しぶりです」
「お久しぶり、じゃないわよ!ちょっと、これどういうこと!」
使用人たちの休憩室にのりこんで、私はレオンにさきほどの王室からの手紙をつきつける。
他の使用人たちがなにごとかと騒然としているけれど、そんなの知ったこっちゃない。こっちの用件は重要で重大で優先されるべきものなのだ。
レオンは手紙を手に取ることもなく、目で文字を追うだけで内容を把握したようだった。そして、いつものように、腹が立つくらいの平静さで、こう言った。
「それで、どうかされましたか?」
「どうかされましたか、じゃないわよ!あ、あんたねぇ、この手紙に書いてあることは本当なの?!」
「さぁ……しかし、この手紙の内容を鑑みるに、現国王はよほどの考えなしであることは分かりました。このようなことを手紙にしたためるなんてどうかしていますね」
「そうじゃなくて!」
私が本当に聞きたいこと、やつが分かっていないはずがない。
わざとはぐらかしているのだ。腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ!
「お嬢様!だ、だめですよぅ。こんなとこに乗り込んでは。ここは使用人の部屋なんですから、もっと別のところにいきましょうね」
部屋を飛び出した私を追いかけてきたらしいセッカが、息も絶え絶えにそういった。
「そうですね。セッカ、あなたは正しい」
セッカに賛同したレオンは、私の腰にひょいと腕をまわした。その瞬間、体が宙に浮く。抵抗をする間もなく、レオンに抱えあげられたのだと分かったのは、やつの腕の中に体が納まってからだった。
「は、離しなさいよ!」
「だめです」
そりゃ、私だってアルフレッドとデートをして、多少は男に免疫がついた……はずだ。けど、でも、たった一回のデートで平気になれるはずがない。
レオンが男だということを意識すまい、意識すまいとすると余計に意識をしてしまって、心臓はうるさいし、絶対、顔も赤くなっているはずだ。体が熱いし、嫌な汗はかくし、もう散々だ。おとなしくするからさっさと離してほしい。
そんな私の祈りが届いたのか、間もなく私はレオンの腕から解放された。
ふんわりとした地面に下ろされて、ほっとする。どうやら私の私室に戻ってきたらしい。私が下ろされたのはベッドの上で、レオンはベッドの端に腰掛けていた。
「セッカには席をはずしてもらいました。彼女がご存知かは私にも量りかねるところがありまして」
「……それで」
今日のレオンは、珍しく男装をしていた。もともと男なのだから男装というのはおかしいけれど、そうとしか言い表せない。
私の世話をしていないときは、きっとこういう普通の格好をしているのだろう。生意気だ。やつは私のお人形なのに、私の知らないところで、私の知らない格好をしているのは許しがたいことに思えた。
「手紙には、その手紙の内容を確認しだい、私を王城へ連れて行くように書いてありましたでしょう。ですから、そのようにされたらよいと思いますよ」
あくまで自分の口からは話す気はないらしい。
「長期ご不在の旦那様は、もともと王城に宿泊されておりますので、いまさら許可をとる必要はないでしょう。おそらく、旦那様も感知されているものと思われます」
「あっそ」
レオンがその気なら、私にだって考えがある。
乗り込んでやろうじゃないか、王城に。
レオンが「白魔女」だなんて、そんなわけがない。私とレオンは、幼いときから年がら年中一緒にいたのだ。そんなそぶりがあれば、気付くはずだ。
だから、王家からの手紙に書いてあろうが、レオン自身がそれを否定しなかろうが、そんなわけがない。
レオンは私の着せ替え人形だ。それ以上でもそれ以下でもないのだ。
国王への謁見はあっさりと許可された。
王室からの手紙を門番に見せて、名前を名乗るだけで、あれよあれよという間に王城の奥へと案内された。
セッカや他の使用人に屋敷の留守を任せて、レオンと私だけで王城にやってきたわけだが、ふたりの間に会話はない。行きの馬車の中でも、案内をされた客室でも、レオンはだんまりを決め込んでいたし、私もあえて話しかける気にはなれなかった。
レオンが黙っているのは怒っているからかもしれない。男装が許せなかったので、ちゃんと女装しなおしてくるように命令したのだけど、それが気に食わなかったらしい。結果はもちろん私の勝利で、隣に座るレオンはきちんと女装している。
長い白髪を後ろで編み込んで大きな水色のリボンで留めて、同系色のドレスを誂えてやった。もともとレオンは色素の薄い体質なので、淡い色を合わせると儚さが漂っていい感じに仕上がった。
しかし、つい勢いでここまできてしまったけれど、冷静に考えると、国王様にとって非常に迷惑だったんじゃないだろうか。だって王様だもん、忙しいに決まってる。
たしかに手紙には、王城にくるように書かれていたし、実際、来て見ればあっさりと通してもらえた。でも、事前に訪問の日時を報せるとかもうちょっとやりようがあったように思える。
お父様に恥をかかせてしまってたらどうしよう。
長い間、待っているといろいろと嫌な考えが浮かんでは消える。気持ちを紛らわせようにもレオン相手では紛れるどころか逆にへこみそうだ。
セッカを連れくればよかったな。
「お嬢様」
「なによ」
「いよいよ、お出ましのようですよ」
はたして、レオンのいうとおり、ほどなくして客間の扉が開かれた。
まず最初に部屋に姿を現したのは、黒髪の青年だった。質のよい深い青色の礼装をしている。
「……アルフレッドだ」
「みたいですね」
そして次に、金髪の男性が姿を現した。パレードで遠めにしかみたことがないが、きっと彼が国王様なのだろう。アルフレッドとは対照的に、緋色をベースにした礼装だった。色味は強烈だが派手さはなく、不思議と威厳が漂っているように思える。
最後に、小柄な女性が入室した。
白く長い髪を背中に流している。薄い黄色の花飾りを頭に乗せて、同じ花のイヤリングを両耳につけていた。長いまつげが縁取る紅玉の瞳は、私のよく知るものと似ている。少し低めの鼻に、ぷっくりとした赤い唇。淡い桃色のシンプルなドレスを身に纏っていた。全体的に小作りで、触れたら消えてしまいそうな、儚い雪の妖精のような女性だった。
「……似てる」
「私のほうが可愛くて美しいですよ」
訂正。似てない。きっとあの女性はレオンみたいに図太くない。
レオンと白い髪の女性、ふたりが向かい合って並び立つ。まるで神様に祝福されて作られた一対の絵画のような、この世のものとは思えない美しい光景だった。
この女性が、白魔女様なのだろう。
私は安心した。
なんだ。白魔女様はやっぱりいるんだ。じゃあ、やっぱりレオンはただのレオンで、なんの間違いかたまたま彼女によく似ていただけで、レオンは白魔女なんかじゃないんだ。
「お会いするのは初めてになりますね、変態さん」
鈴の鳴るような聞いていてうっとりするかわいらしい声音で、白魔女様は白魔女様に似つかわしくない単語をのたまった。
「私のほうが美しいからといって僻むのはおよしなさい、無能」
安心のレオンクオリティでやつが暴言を吐くのは想定内として。
見た目だけでなく、中身も似ているかもしれない。
「あなたがそんな変態な格好をしているせいで、私、アルフレッドにひんむかれましたのよ。もちろん相応の報復はさせていただきましたけれど」
ぎくりとアルフレッドが肩を揺らしたのが分かる。
「ちょっと待て、それは本当か?」
「ええ。ひどいですよね」
白魔女様が肯定すると、国王様からなんだか不穏な空気が立ち昇るのがわかった。かわいそうにアルフレッドは青ざめている。
哀れみはするけど、同情はできないかも。
「あの、国王様。このたびは突然の謁見の申し出に応えていただき、身に余る光栄です。それで、その、父は」
「ああ、そなたの父上には席を外してもらっている。が、すでに彼から事情は聞いている。そして、白魔女であるルイスからも」
こうして向かい合って座っていると、国王様の威厳に圧倒されてしまう。鷹揚な話し方なんだけれど、緊張するなというほうが無理がある。
しかし、その事情をいっさい私は知らないのだけど、なぜ私あてに手紙が届いて、なぜレオンを同伴させなければならなかったのか。レオンが白魔女だなんて嘘をどうして私についたのか。
疑問は多々あれど、それらをうまく言葉にして国王様に伝えられる気はしなかった。
私の預かり知らないところで、レオンに関するなにかが行われている。私が気に入らないのはその一点なのだ。
私が次の言葉を考えていると、レオンが先に口を開いた。
「国王様、お嬢様はこの件に関してはなにもご存知ありません。しかし、旦那様が国王様からお嬢様への手紙をみすみすお見逃しになられたということは、つまり、お嬢様にも報せるべきと旦那様が考えられたということなのでしょう」
「ふむ」
「国王様、なぜ私を呼び立てられたのでしょうか。事情はすでに旦那様と……そこにいる白魔女様にお聞きになったのでしょう。まぁ、恐らく、事の発端はそこに控えていらっしゃるアルフレッド様の弾劾でしょうけれど」
ちらりと横目でアルフレッドを見やると、レオンはすぐに国王様に視線を戻した。
弾劾?
レオン自身はなにか身に覚えがあるんだろうか。そしてそれを、私にずっと隠していたということだろうか。
「アルフレッドの言は事実の判明を早めたにすぎない。いずれは明るみにでたことだろう。白魔女自身が、己の死期が近づけば、俺に告げたと言っていた。そして、その時期は近かったと」
「そうですか」
わずかに、レオンは眉をひそめた。心なしか動揺しているようだった。
しかしその揺らぎはほんの一瞬で、すぐにいつもどおり、平静なレオンの顔になった。
「お嬢さん」
「へ」
話においてけぼりを食らっていた私に、国王様から声がかけられた。突然だったので、間抜けな返事をしてしまう。
「今日、あなたをお呼びたてしたのは、他でもない。レオン殿を我々に返していただきたいからだ」
「レオンを、返す?」
どこに?なんで?
国王様の言葉の意味がよく分からなくて、返答に窮してしまう。
「お断りします」
私の代わりに、勝手にレオンが答えた。やつは私の手を握ると、勢いよく立ち上がり退室しようと客室の扉に手をかけた。
「彼女の父上、レオン殿の主人はすでに了承済みだ。我々は君を必要としているし、君だってそうなのだろう」
一瞬だけ、国王様の視線が私に向けられる。
なんなんだろう。ぎゅっと強くレオンに手を握られたので、驚いてレオンを見上げると、今までにないくらい苦々しい顔をしていた。
そしてやつはあっさりと私から手を離すと、国王様に近づいて、片膝を折る。それは、忠誠のポーズ。ダンスパーティの夜に、私に誓ったはずのそれを、私の目の前で、裏切るというのだろうか。
「レオン?」
「お嬢様、帰りはセッカか他の使用人に迎えにきてもらってくださいね。あなたひとりを帰すなんて、心配でできませんから」
結局、私はレオンについてなにひとつ分からないままで。
分かったのは、レオンが私のもとからいなくなってしまうという事実だけで。
迎えにきてくれたセッカに抱きついて、なにが悲しいのか訳も分からないまま、大声を上げて泣いた。