Act4.お嬢様とダンスパーティ
社交界デビューってふつう14、5歳でするものらしい。
けど、私はまだ一度も社交界というところに出て行ったことがない。
理由は簡単。お父様が許してくださらなかったからだ。
曰く。
「おまえにはまだこどもでいてもらいたいんだよ。私だけの、小さなレディでね」
お父様の奥さん、つまり私のお母様はお体が弱くて早くに天へ召されてしまった。だからか、お父様は私を本当に大切にしてくださっている。
ふだんはお忙しいからあまりお会いする時間はないけれど、休みがとれれば必ず顔を見に来てくださるし、一緒にお出かけや食事に連れて行ってくださる。私としては、お疲れだろうからゆっくり休んでいただきたいのだけれど。
そう伝えると、私の顔を見て話をするほうが疲れがとれるんだっておっしゃる。
つまり、お父様はいわゆる親ばかなのだ。
小さなころはそれで私も満足していたけれど、いまは、外の世界にも興味がある。とくにユナちゃんが社交界デビューを果たしてからは、彼女が聞かせてくれる社交界の噂話に夢中だったりする。
あーあ。私も、公爵夫人が開かれる華やかなお茶会や、ダンスパーティに行ってみたいな。そこで素敵な王子様とロマンス!……は無理だとしても、胸を甘くとろけさせるようなひとときを味わってみたい。そしてそして、ロマンス小説のように素敵な恋をするんだ。
「お嬢様、お勉強が進んでいないようですけれど、どこか分からない箇所がありましたか?」
無粋な使用人の一言で、私はたちまち現実に引き戻される。
そうだった。いまは、つまらない歴史のお勉強の最中だった。先生が急用でこれなくなったって聞いたからさぼれるって思ってたのに、レオンのやつが代理を務めるとか言い出しちゃったんだよね。
「どうやったら素敵な恋ができるのか、わからないの」
「……。……はい?」
一寸の乱れもなく整えられた長い白髪を揺らして、レオンは軽く眉をひそめた。
「まずね、ふたりはダンスパーティで出会うの!緊張している私をやさしくエスコートして、星の見えるテラスへ行くの。そこで交わされる姫君と騎士の忠誠の誓い。星の下でダンスをして、語らったあと、ぐっとふたりの心は近づいて……。けどこれは許されない恋!再会を誓って二人は別れるの。そして再び二人が出会ったとき、恋の炎は大きく燃え上がって!」
「……お嬢様、また変な本を隠れて読みましたね?」
「読んだわ。この春に発売したばかりの、新作よ。タイトルは『初恋物語~恋のメロディ』私もあの本の主人公のように素敵な恋がしたーい」
「ペットの次は恋ですか。次から次へと欲のつきない方ですね」
「女の子は欲張りなくらいがいいんだもん」
「それも本ですか」
「うん」
「そんなゴミ本は燃やしてしまいましょう」
にっこりと笑みを浮かべて、レオンは言い切った。
今日の彼の出で立ちは、ふだんの使用人服ではない。私の気分でTHE 女教師!といったストイックな黒いワンピースを着用させている。そのせいか、なんだか彼に従わなくてはいけないような気にさせられる。
危ない危ない。雰囲気に流されてはいけない。私はやつの主人。偉いのだ!
「お嬢様には、恋もダンスパーティも早いですよ。いまはお勉強をして賢くならないと」
「私をいくつだと思ってるのよ」
「……16でございましたね」
ふとレオンは考えるようなそぶりを見せた。
「あまりにもお嬢様が幼稚な言動をされますので、常々忘れがちですが……ふむ」
「ちょっと、幼稚って失礼ね!」
ほんと、余計なひとことをいうやつだ。腹立たしかったので蹴りを入れてやるとレオンにこっぴどく叱られた。おかしい、私のほうが偉いのに。
その日の歴史の課題はいつもの倍あった。蹴りのことをうらんでいるんだろうか。レオンは本当に器の小さい男だと思う。
「え!お父様がダンスパーティに連れて行ってくださるの?」
「そうお聞きしていますよ。よかったですね、お嬢様」
セッカがもたらしてくれた嬉しいニュース。私はひざの上に乗せていたコトラを思わずぎゅーっと抱きしめて喜んだ。
にゃあとコトラが抗議の声を上げる。はっとして腕を緩めると、セッカに笑われた。
「でも急にどうしたのかしら。いままでずっと許してくださらなかったのに」
「お嬢様がすてきなレディになられたからですよ。きっと」
そうかな。うん、そんな気がする!きっとそうよね。私みたいにすてきなレディがいままで社交界にデビューしていなかったことがおかしいんだわ。いわば社交界の損失よね。うんうん。
嬉しくてベッドの上で、コトラと一緒に飛び跳ねて喜んでしまったら、優しくセッカにたしなめられた。たしかに、ベッドの上で飛び跳ねるなんてレディにあるまじき行為よね。
でも嬉しいんだもん、仕方ない!
ユナちゃんに急いで手紙を書いて報せないと。そうだ。ダンスパーティってなにがいるんだろう?やっぱりドレスはいるよね。うう。このあたりのこともユナちゃんに聞いておかないとね。
「お嬢様、ところでダンスは踊れますか?」
「……へ?」
嬉しくて眠れなかったその日の翌日。
おはようございますを言う前の、おき抜けの私に向かってレオンはそう言った。
ダンス?
……。……あ!
「どうしよう。踊れない!」
「……でしょうね。お嬢様のお稽古事にダンスの項目はなかったはずですから」
「ちょっと!それじゃあダンスパーティに行っても意味がないじゃない!」
ベッドから飛び起きて、レオンにつめよる。しかしやつは平然としたもので、すまし顔でこう言った。
「本日からダンスのレッスンをすることも可能です」
「ほんと?!」
「ですが、お嬢様。ふだんのスケジュールをこなした上での追加のレッスンという形になっております」
「えー」
「ご不満そうですね」
あたりまえだ。つまり、通常のお勉強をちゃんとやった上でダンスの稽古があるってことだ。正直だるい。
「お嫌ならば、ダンスのレッスンはしないで頂いてけっこうですよ。はじめてのダンスパーティで恥をおかきになりたいのならね」
嫌味たっぷりに、レオンは腰に手をあてて私をみおろした。
使用人のくせに!なんでおまえはいつも偉そうなんだ!一発けりをいれてやろうと立ち上がったところで、レオンは笑顔で私の部屋から下がっていった。むかつく。
「はじめまして、お嬢様。私はダンス講師のレーニャと申します。しばらくの間ですが、よろしくおねがいいたしますね」
レーニャは、金髪碧眼の、とてもスタイルのよい女性だった。聞くと、私と同じ歳くらいのこどもがいるらしい。
とてもそうは見えない若々しい身のこなしで彼女は私の手をとって広間の中央に導いた。
私の家にはダンスホールなんて洒落たものはないので、急ごしらえだけれど広間の一室でダンスのレッスンを受けることになったのだ。
「ダンスはまったくのはじめてと聞き及んでおります。お嬢様、あなたにとってダンスとはどんなイメージがありますか?」
「うーん、楽しいもの?」
「ええ。そのとおりです。ダンスはとても楽しいものですよ。けれど、楽しむためにはやはり作法が必要なのです。お嬢様にはまず簡単なステップから覚えていただきましょう」
レーニャははつらつとした感じのよい女性だったけれど、それはもう、厳しかった。
ちょっとステップを間違えると、鋭い注意を飛ばされる。右足と左足を出し間違えただけでも強く叱責されるし、また間違えたら怒られると思うと萎縮して、よけいに体が動かない。
そんなレッスンが一週間ほど続くと、私はもうダンス自体が嫌になっていた。
これくらいで根をあげるなんて根性なしかもしれないけど、楽しくないものは楽しくない。そりゃあ、歴史の授業やマナーの授業だって好きじゃないけど、嫌になることはなかった。きっと私はダンスに向いてないんだ。
何度、先生と踊ったっていつも同じところで間違えてしまう。私はできの悪い生徒だった。
「もうダンスなんて踊りたくないなあ……」
あんなに楽しみだったダンスパーティも、憂鬱になった。綺麗なドレスを着て、おしゃべりをして、すてきな男性とダンスをして。
無理だ。
ダンスなんて無理だ。
きっと失敗して、笑われるんだ。
いっそ、ダンスパーティなんてキャンセルしてしまおうか。
そう思ったけど、もうユナちゃんには話してあって、彼女もわざわざ予定をあけて同じダンスパーティに参加してくれるし、なによりお父様がせっかくパーティに出ることを許してくださったのに。
私が、パーティに参加できる素敵なレディになったって、思ってくださったのに。
そう思うと、参加を取りやめることなんてできなかった。どんなに無様な恥をさらしても、私は踊らなくてはいけない。
だからレッスンは休めない。どんなに嫌でも、難しくても、できなくても。
お父様の思いに報いるために、私は立派なレディにならなくてはならないのだ。
ダンスパーティは夜に開かれる。
さる公爵夫人主催のパーティで、有名な貴族子女が集まる豪華な顔ぶれらしい。とはいっても、私にとってはしらないひとばかりの集まりだ。
「え!お父様、急用ができてパーティに出られなくなったの?」
ダンスパーティ当日の、夕方にその報せはもたらされた。
急用ならば仕方がない。けれど、はじめてのダンスパーティに、私ひとりだけで出席するなんて心細すぎる。ユナちゃんも参加してくれるのでまったくのひとりきりではないにしろ、ひとりで会場入りするのは勇気がいる話だった。
ましてや、お父様が見てくださるからこそ、苦手なダンスを克服しようとがんばったというのに。拍子抜けとはこのことだ。
もちろん、ダンスパーティでの評判はお父様の耳にも入るだろうから、気はぬけないのだけれど。
「安心してください、お嬢様。責任をもって私がだんな様の代役を努めさせていただきます。会場までご一緒いたしますよ」
そう言って、レオンは私の髪の毛を整えはじめる。
鏡の中の私はあっという間にすてきなレディになった。レオンの器用な指は私のくせっ毛をいとも簡単に結い上げて、かわいらしい桃色の造花を左右にさして。ちょっとだけお化粧もしてもらった。さっと白粉を塗って、唇にピンク色の口紅を乗せるだけでずいぶんと華やかになったように思う。
お父様が見繕ってくださったベージュのふんわりとしたドレスの上に、ブラウンのストールを羽織れば完成だ。大きな姿見の鏡で全体を確認すると、どこから見ても満足のいく出来だった。
「ところで、レオン。あんた、ダンスパーティに着ていくような服もってるの?」
「ええ。非常に不本意ですけれどね」
氷のようにつめたい微笑を浮かべて、ため息を吐くようにいうレオンとは対照的に、私の部屋に控えていたセッカはずいぶんと楽しそうな様子だった。
使用人であるレオンが上等な服をもっているようには思えないのだけれど。まぁ、奴が大丈夫だというなら大丈夫なんだろう。
「じゃ、私、先に馬車に乗ってるからね。早くきなさいよ。遅れたら承知しないんだから」
精一杯の虚勢をはって、なんでもない風を装って馬車に乗り込む。
本当はいきたくない、ダンスパーティなんて。
憧れはまだ残っていたけれど、失敗することは分かりきっている。ああ、ダンスパーティにいけるって無邪気によろこんでいた頃が懐かしい。
憂鬱を隠すように、私はひっそりとため息をついた。
そして、ダンスパーティが開催された。
華やかなダンスホール、次々と舞う色とりどりの衣装、ひしめきあう人々のひそかな駆け引き。なにもかもが初めてで、私は完璧に呆けていた。なんだか本当に、別世界にきたみたいだった。
けど、なんだか、遠巻きに眺められているような気がするのは、気のせいだろうか。誰かに話しかけようと一歩踏み出すのだけれど、そのたびに、周囲が引き潮のように引いていく。
タイミングが悪いのかな。それとも、私のようなダンス初心者はお断りってことかしら。後者のような気がする。まぁ、ダンスに誘われても恥をかくって分かりきっているのだし、別にいいんだけど。
意気消沈する私とは正反対なのは、レオンだった。
あいつときたら、あいつときたら。
完璧な貴婦人に化けていた。
長い白髪を高く結い上げて、口紅を少し塗っただけの薄化粧なのに、とても魅力的だった。身に纏うのは少しゆったりとした藍色のドレスで、下手をすれば野暮ったく見えそうなのに上品に着こなしている。
それは言うまでもなく、ユナちゃんがレオンに贈ったドレスだった。
ダンスパーティに着て行けるような服をレオンが持っているとは思えなかったが、なるほど、ユナちゃんにもらったドレスならこのような場にも違和感なく溶け込める。
溶け込める。けれども。
圧倒的なその美貌で、レオンはパーティ会場の注目を一身に集めていた。あの娘はどこの家の娘だと囁き交わす声があちこちから聞き漏れてくる。
はじめは遠巻きに眺めていたひとびとも、ひとりが一歩踏み出せば、我も我もとレオンのもとに押し寄せた。レオンは怖気もせずに群集をてきどにあしらいながら、品のよい笑みを浮かべている。
そして、私は蚊帳の外。
「つまらなさそうですわね、私のかわいい天使ちゃん」
「ユナちゃん!……ちょっと、雰囲気にのまれちゃって。なんか、すごいねぇ。柄にもなく気後れしちゃう」
レオンから離れて、ひとりでぽつんと突っ立っていた私に話しかけてきてくれたのはユナちゃんだった。
薄い空色のドレスに、肩からストールを羽織った出で立ちは、いつもよりユナちゃんをおとなっぽくみせていた。声をかけられなければ、まるでしらないひとのようだった。
「あらあら、このこったら。自分の魅力がわかっていませんのね。気後れをしているのはあなたではなく、周りにんげんのほうですわ。あなたがあまりにかわいらしいから、どう話しかけたらいいのかわからないのですわ」
「えー……」
「なにか話しかけられたら、にっこりと微笑んでごらんなさい。笑顔ひとつで、あなたは万のにんげんをとりこにできますわ」
ユナちゃんの優しい言葉は、私の心を慰めてくれた。
とてもそうは思えないけど、重要なのは言葉の意味ではなく、いまこの場で彼女が私を気にかけてくれたことだった。
「にしても、レオナちゃんったら最低ですわね。あなたを差し置いてせっせと男漁りだなんて」
ドレスを贈った張本人だ。なぞの美女と囁き交わされているあいつの正体にも、当然ユナちゃんは気付いていたらしい。
つんっとそっぽを向いて、呆れ声でユナちゃんは言った。
「ほんと、男ってどうしようもありませんわね。傲慢で見栄っ張りで、自分のことばかりかまけていて、おまけに真実を見抜く目を持ち合わせていないのですから。レオナちゃんだって例外じゃありませんわ。あーあ、本当、男ってくだらない」
「ユナちゃんって、男のひときらいなの?」
「ええ。だーいっきらい。男とダンスなんて本当は嫌ですわ。けれど、ここで囁き交わされる婦人達の噂話が面白くてついパーティに出席してしまいますの。つまり、ダンスなんておまけですわ、お・ま・け」
そんな話をしていると、ユナちゃんにひとりの紳士からダンスの申し込みがあった。
背の高い、気のよさそうな男性で、ユナちゃんとも顔見知りらしい。気安い雰囲気のお誘いで、ユナちゃんも軽く了承した。
「ああ、ごめんなさい。もっとあなたとお話したいのだけれど」
「気にしないで。だって、また私の家に遊びにきてくれるでしょ?そのときおしゃべりしましょ」
本当は、気心のしれた彼女とずっとおしゃべりしていたかった。きっと、頼めば私の傍にずっといてくれたと思う。
けど、こんな公的な場で彼女を独占するのは気が引けた。全然なじみのない世界に飛び込んで、私の心は気弱になっていた。
このまま、壁の花でいいかな。
踊らなければ、恥をかくこともない。目立たずおとなしくパーティをやり過ごして、誰にも気付かれずに家に帰る。きっとそのほうがいいんだ。
そう思いかけていたときに、見知らぬ男性から声をかけられた。
年のころは、私よりもいくつか年上だろう。短く切りそろえられた亜麻色の髪に、同色の瞳、清潔感のある白いスーツがよく似合う男性だった。やさしい面差しで、少しお父様に似ている。
深みのある落ち着いた声音で、ダンスに誘われる。ひとりぽつんと立っていた私を気遣ってくれたんだろうか。
上手な断り方も分からず、とっさに私は頷いていた。
優雅に右手を攫われ、ダンスホールの中心に導かれる。男性に手を引かれるなんて初めてだし、男性と踊るのだって初めてだ。緊張で全身から嫌な汗が吹き出る。音楽隊が奏でるリズムに乗って足を動かそうとするけれど、私の体はちぐはぐでめちゃくちゃなステップを踏む。ついでに男性の足を踏んだ回数は思い出したくもない。
それでも彼は別れ際に笑顔をくれた。情けなく落ち込む私は、彼の笑顔にうまく応えることすらできなかった。
彼と別れたあと、すぐに違う男性からダンスに誘われる。ダンスパーティがこれほど忙しなく踊る場だなんて思ってもみなかった。もっとのんびりとしたお茶会のようなものだと甘く考えていたのに。
その後、何人もの男性の足を踏み、数え切れない悲鳴をあげさせた私は、失意のどんぞこに陥った。誘いを受けるのも断るのも億劫で、逃げるようにひと気のないテラスに忍び出た。
夜も深まり、わずかな月明かりがテラスを照らしている。薄いガラス扉一枚へだてて、明るい光と人々の熱気に満ちたダンスパーティ会場があるとは思えないほど、テラスは静寂に包まれていた。
やっと落ち着くことができる。
人影がないことを確認して、私はほっと胸をなでおろした。
ダンスパーティの夜、紳士と貴婦人たちの恋のかけひき、星の見えるロマンチックなテラス。憧れていたはずの絶好のシチュエーションなのに、ひとつも心が浮き立つことはなかった。
あーあ。
現実って厳しい。
ロマンス小説のように、すてきな騎士さまが現れることもなくて、ダンスすらまともに踊れなくて。
私が悲しくて泣いていても、見上げる星空はきらきらと輝いていて、きれいなものはいつだってどんなときだってきれいで、反対に、だめなものはいつだってどんなときだってだめなんだって思い知らされる気分だった。
「お嬢様、どうしたんですか。こんなところに、ひとりで」
テラスの柱の影から、ぼんやりと浮かび上がる白い髪。美しい紅玉の瞳を瞬かせて、姿を現したのはレオンだった。
初めからそこにいたのか、それとも。
私は慌てて涙をぬぐう。やつに気付かれないように、そっぽを向いて答える。
「な、なによ。ひとりじゃ悪い?」
「いえ。べつに」
レオンのひとをこばかにしたような言い草は、いつものことだ。だのに、なぜだか無性に腹が立った。
「あんただってひとりじゃない。私のこと、どうこういえないと思うけど」
「なにか誤解されているようですが、私はひとりが悪いとはいってませんよ。ひとが大勢いるところはなにかと疲れますからね。本当、疲れました」
心底つかれたといった様子で、レオンはテラスの床に腰を下ろした。けしてお行儀がよいとはいえない格好だ。
私がやったらぜったい叱るくせに、自分はいいのか。
「なによ。レオンなんて大勢のひとにちやほやされていい気になってるくせに。疲れたなんて贅沢だわ!」
「ちやほやって……」
「さぞかしダンスも楽しんだんでしょうね。私と違ってお上手でしょうし!」
「……お嬢様が努力されていることはみんな分かっていますよ。その努力はきっと報われます」
レオンの知ったようなその口ぶりに、腹が立った。
私が努力をしているのは、私自身がいちばんよく知っている。でも、結果がだせないのだ。いくら努力したって、上手にならなかったらなんの意味もない。レオンの安っぽいなぐさめなんてほしくなかった。
「うるさいな!いい気味だと思ってるんでしょ!どうせ私は踊れないもん!へたくそだもん!」
「お嬢様……」
か、悲しそうな顔を作ったってだまされないんだからね。
レオンは私がダンスパーティに参加するのを快く思っていないはずだ。恋もダンスも、私にはまだ早いって思ってるんだ。そしてそれは、きっとそのとおりなのだ。
癇癪を起こして地団太を踏む私の手をとって、レオンは冷静に私を静めようとした。
「お嬢様、こちらへ」
「やだ!」
「いいから。少し広いところにいきましょうか」
そういって、レオンは小さなテラスの中央へ私をひっぱっていく。
そして私の手をとり、片膝をついて私を見上げる。これは忠誠のポーズ。騎士が姫君に永遠の忠誠を誓う、物語の中の一場面。私の大好きな物語のそれを模して、やつは極上の笑顔を浮かべてこう言ったのだ。
「お嬢様、私と少し踊ってくださいませんか?」
「やだ」
反射的に拒絶する。
けど、気分は悪くない。単純だけど、こういうシチュエーションってすごく素敵だ。相手がレオンっていうのが難点だけど、とてもどきどきしている。
「星の見えるテラスで、ダンスを踊る。お嬢様、憧れていらっしゃったでしょう?」
「そうだけど……」
嫌がる私を少しだけ強引にダンスに誘うと、レオンはゆっくりとステップを踏み始めた。彼にリードされながら、おっかなびっくり私のたよりなげな足もステップを踏む。
「腰がひけてますよ。なにを怖がっているんですか、あなたらしくもない」
「だ、だって、ぜったい間違う……」
「いいじゃないですか、間違ったって。なんなら私の足を踏んでくださってもけっこうですよ。緊張なさらないで。気楽に踊りましょう。だって、ダンスは楽しむものなのですから」
レオンの言葉は意外だった。
だって、やつは、意地悪で融通が利かなくて、ぜったいダンスなんてステップひとつとっても間違ってはいけない!て考えてるクチだと思ってたのだ。
「簡単に言ってくれるわね……」
「いいじゃないですか。誰も私達のダンスをみていません。だから、気楽に踊れるでしょう?」
やつの言葉に乗せられて、どうにでもなれと思ってダンスを踊った。
互いの手を繋いで、見つめあい、絡まりそうになる足を巧みにさばいてみぎひだり。私達は背丈も近いし、レオンは女の子の格好をしているからきっと遠目には仲のよい姉妹がじゃれあっているように見えるだろう。
実際、私とレオンは仲がよい。と、思う。好きじゃないけど、憎くはない。そこにいてあたりまえで、腹が立つことはたくさんあるけど、彼の深い色をした目が私を見つめているこの時間は悪くない。……気がする。
「……なんだ、お嬢様、踊れるじゃないですか」
「へ?」
気がつけば、一曲分のダンスを踊りきっていた。いつも必ず間違えるステップも、つまづいてしまうターンも、すべて乗り越えて。
踊れたことが信じられなかった。実感がなく、呆けている私を、驚くほど近い場所でレオンが見つめている。
「大丈夫ですよ。お嬢様は踊れます。自信をもってください」
「本当にそう思う?」
「ええ。なんならもう一曲いかがですか、お嬢様」
腰に回された少し固い腕に、手を合わせれば分かる骨ばった少し大きな手。体をくっつけると柔らかさよりも薄い板のような感触で。
白い肌に白い髪、美しい紅玉の双眸の、私だけの着せ替え人形。こんなにきれいな顔をしているのに、レオンは、男の子なんだ。
当たり前のことだというのに、その夜、私は初めてその当たり前のことに気がついたのだった。