Act2.お嬢様とペット
私には長らく文通をしているともだちがいる。
もともと親同士が仲がよく、幼いころは一緒に遊んだり、ときには悪戯をして怒られたりした。
彼女の両親は地方領主で、居を遠くに構えていたため頻繁に出入りがあったわけではなかったが、会えば不思議と会話は弾み、ずっと一緒にすごしている家族みたいな感覚で付き合っている。
そんな彼女が単身、王都にやってくると知ったのは三日前。
なんでも王都にある、王立学院に入学するためらしい。
「王立学院といえば、国内最高の学術施設ですよ。貴賎の区別なく入学が許されますが、相当に難関だと記憶していますね」
すごい!思えば彼女は昔から頭が良かったし、努力家だった。
「お嬢様の頭では百年かかっても入学はできませんからね。友人が入学したからといって、自分も入りたいなどと世迷言を吐かないでくださいよ」
レオンにしっかりと釘をさされる。
こいつには主人を敬う心とかそういう使用人にとっていちばん大切なことを教え込んだほうがいいと思う。
「私にとっては、ユナちゃんが王都に来てくれるってことが重要なの!最近会う機会がなかったし、会ってたくさんおしゃべりするんだもん」
「ユナ様の邪魔はくれぐれもしないように、と旦那様じきじきにお達しがきていますよ」
「彼女の邪魔なんてするわけないでしょ。遊びに誘うのは息抜きよ、息抜き。あーあ。はやくユナちゃん王都にきてくれないかなぁ」
手紙によると、王都に到着するのは約一週間後になるらしい。
もうすでに滞在場所は手配しているようで、落ち着いたら遊びにきてくれる約束になっている。
けど、ユナちゃんもみずくさい。どうせ王都に滞在するなら、私の家にすればいいのに。交通の便だって悪くないはずだ。なにせ、王都のど真ん中にあるんだから。
「ユナ様に会うのは一週間以上先のことでしょう?いまからそわそわしていないで、目の前のことをさっさと片付けましょうね」
そういって、レオンが指をさしたのは、机の上にどっさりと積まれた本の山。歴史の先生に出された宿題を解くために、家の図書室から資料をレオンに運ばせたものの、おもしろいくらい手付かずになっていた。
「ねー。レオン、答え教えて!」
首を傾げて、だめもとでレオンに助力を頼んでみる。
彼はぴくりと形のよい唇を震わせると、汚いものをみるような冷たい目で私を見下ろした。
「問題を読みもせず、取り組む前から与えられた課題を放棄ですか」
美人が凄むと迫力があるって本当だ。思わずごめんなさいと言い掛けた。けど、忘れがちだけど、私はレオンの主人である。つまり、レオンよりえらいのだ!いまこそ権力をふりかざしてやる。
「あんたは私の使用人でしょ。私のいうことはちゃんと聞きなさいよ!」
どうだ。言ってやった!
「主人の間違いを正すのも、使用人の務めです。お嬢様、嫌なことから逃げて、楽をすることばかり考えてはいけません。あなたはいずれ多くの人間を従えることになる立場です。だからこそ、あなたは誰よりも多くを学ばなくてはならないのですよ。歴史はわれわれ人間の思想や行動を理解するための一助になるでしょう。歴史を顧みて未来を予測することも必要になります。いまは大変でしょうが、逃げてはいけません。分かりましたね、へっぽこお嬢様。返事は?」
「……はい」
有無をいわさぬ口調で完膚なきまでに言葉で叩きのめされる。ついでに罵倒までされた気がする。
レオン、顔は笑ってるけど目はぜんぜん笑ってない。これは本気でおかんむりだ。この沸点の低さはなんとかしたほうがいいと思う。こう、人間として。
鬼のようなレオンの冷たい視線を全身に浴びながら、私は泣く泣く課題をするはめになった。
まじめに取り組めば、レオンもそれなりに教えてくれるけど、スパルタすぎる。ちょっと間違えただけでネチネチいじめに掛かるんだからたまったものじゃない。
あーあ。勉強って本当に嫌いだ。私はおしゃべりして、お菓子を食べて、眠れたらそれでいいのに。こんなささやかな願いすら叶わないなんてひどすぎる。
こんなとき、心のなぐさめになるようなものがあればいいのに。特にレオンに散々いやみを言われて私の繊細な心がこなごなに砕けてしまったときには、切に思う。
「なら、ペットなんていかがですか?」
そう提案したのは、仲良しの使用人セッカだった。神秘的な黒髪に黒い目の、優しい顔をした女性だ。初めて顔を合わせたときは、私と年が近いのかと思ったけど、彼女は童顔らしく、実際は私より十ほど年上だと知ってびっくりした。
彼女は年上の女性らしい穏やかな物腰でテーブルの上に乗ったティーカップを片付けながら、言葉の理解が追いつかない私に微笑んで見せた。
「私の生まれた国では、疲れたときや、悲しいとき、動物が傍にいてくれると心が癒されるとよく言われていました」
「そうなの?」
「ええ。犬やネコがとくに好まれていましたね。中には蛇やトカゲ、魚などを好むひともいました」
犬やネコか。たしかに、かわいいだろうな。ふわふわした毛玉のかたまりが私のひざの上にちょこんっと乗って、愛らしいつぶらな瞳でこちらを見つめてくる姿を想像してみる。
うん。悪くない。癒されるかも。
「ありがとう、セッカ。いいかもしれない」
「ふふ。少しでもお嬢様の助けになったのであれば、これ以上うれしいことはありませんよ」
一通り部屋を片付けて、セッカはお辞儀をして出て行った。
ほんと、レオンにはセッカの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。いくら洗練された完璧な給仕が出来たって、人間性が最低ではたかがしれるというものだ。
私はお父様にペットをねだるべく、お父様の部屋にむかった。
「だめです」
もちろん、お父様に反対されるわけはない。なにせお父様は私のことがかわいくてしょうがないのだ。たいていのおねだりは聞いてくれる。
それを。この。鬼が!
「お嬢様、生き物の世話なんてできないでしょう」
ベッドに腰掛けた私の前に仁王立ちをして、腕組みをしたレオンが冷たい目で私を見下ろしている。
さながら鬼お局様があらわれた!という感じだ。
なんでレオンなんかにペットを飼う許しを請わないといけないんだろう。お父様は、最初、ペットを飼ってもいいよって言ってくださった。けど、ふと思い立ったように、私の身の回りの世話をしているレオンにも聞いてごらんっておっしゃった。
だから一応聞いてみたんだけど、取り付く島もなく答えはノー。即答だった。
お父様は聡明であられるけど、レオンに関しては思い違いをこうやってときどきされる。レオンが私の身の回りをしているのは事実だけど、私が、レオンに、身の回りの世話をさせてやっているのだ。あんな性格の悪い使用人、私以外に誰が耐えられるっていうんだろう。
「いーもん。お父様には許してもらっているから!」
「ではなぜ、私に聞いたのですか。必要がないでしょう」
「そ、それは……」
「おおかた、旦那様はこうおっしゃったのでしょう?ペットを飼ってもいいけれど、私にも許可をもらいなさい、と」
長い白髪を揺らして、赤い唇を勝ち誇ったようにゆがめるレオンが憎らしくて仕方がない。ことの真相を言い当てる勘のよさも気に食わない。それに、いくら顔がよかったって、性格が最悪じゃあにんげんとして終わってるって事をレオンはそろそろ自覚したほうがいいと思う。
「なにかいいたそうですね、お嬢様?」
「言いたいことがありすぎて、なにから言ったらいいのか分からないくらいよ」
威嚇するように、おもいっきりレオンを睨みつけてやる。
けれどレオンのやつはどこ吹く風。
「ともかく、私はペットを飼うことは反対ですよ。動物の命は、長いんです。お嬢様の気まぐれよりも、ずっとね」
「ずーっとかわいがるもん」
「かわいがるだけでは、いけません。世話をしてやらないと。最初は新鮮で楽しいでしょうが、慣れれば煩わしいただの作業にすぎなくなるでしょう。かわいがるだけかわいがって、飽きたら捨てられる動物はごまんといます。お嬢様には、そのように不幸な生き物を作り出すことに関わってほしくないのですよ」
「しらないもん!レオンのいじわる!」
淡々といいくるめようとするレオンに腹が立って、私はレオンに枕をおもいっきりぶつけてやった。一糸の乱れもなく整えられた白髪がわずかに乱れる。いい気味だ。
出て行けと命令をして、レオンを部屋から追い出す。
私はただ、日常にいやしがほしいだけだ。そして、私がいやしを必要とする原因は、ほかならぬレオンだ。つまりレオンが悪い。私はなんにも悪くない。
その日のうちに、私はセッカにお願いをしてペットを手に入れた。
王都のペット専門店からセッカがつれてきてくれたのは愛らしい茶トラの子猫だった。
大きな耳に、まんまるで大きな目。小さな口元に甘えるような優しい鳴き声。感動で震えるくらい愛らしい子猫!
「かーわいい!ありがとう、セッカ!」
出会ったばかりの子猫にほおずりをして、セッカにお礼をいう。
このこの名前はなんていう名前にしよう。トラ模様の子猫だから……。
「コトラ!コトラっていう名前にするわ。よろしくね、かわいいコトラ」
われながら単純なネーミングだが、分かりやすいし、かわいらしいしとてもいいと思う。セッカもかわいいって言ってくれたしね。
それから数日、私はコトラに夢中になった。お勉強?もちろん上の空。私に会えなくて、コトラが寂しがってないかそればっかり心配だった。おかげでマナーの先生にも語学の先生にもこっぴどくしかられた。
でもいいんだ。部屋に帰ったらコトラがいる!そう思うだけで楽しかったし、いくらしかられても堪えなかった。
「このごろのあなたの態度は目に余ります。もっとまじめに勉強なさい。先生方に失礼でしょう」
部屋でコトラと遊んでいると、機嫌の悪そうなレオンが入ってきた。やつは私の手からコトラを取り上げると、悪魔のような笑みを浮かべた。
「お嬢様、勝手に子猫を屋敷にあげたところまでは譲りましょう。けれど、あなたの生活態度がこれ以上悪くなるようでしたら、子猫の処分も検討しなくてはいけなくなりますね」
「レオン、あんた、使用人のくせに態度が大きすぎ!その子を返しなさい」
「いやです」
綺麗な少女人形のような男は、コトラを頭上に持ち上げる。やつに飛び掛って、コトラを救出しようとするけど、すんでのところでやつはひらりと身をかわす。
私とレオンはさほど背丈はかわらないので、取り返すのは難しくないはずなのに。悔しい!
「なにこどもみたいなことしてるの、レオン。お嬢様にコトラを返してさしあげなさいな」
「……セッカ」
レオンの手から、一瞬でコトラの姿消える。
かわいい子猫は、黒髪の女性、セッカに腕の中で安心したように鳴いていた。すごい。ふいうちとはいえ、あのレオンを出し抜くなんて!
なんだかセッカには頭が上がらない予感がしてきた。
「ありがとう!セッカ!」
「いえいえ、不届きな使用人がいて申し訳ないです」
優しいセッカの手からコトラを受け取る。無事でよかった。あんな悪魔みたいなやつに一瞬でもコトラを奪われるなんて、私はなんてふがいない主人なんだろう。
甘えたように鳴くコトラにほおずりをして、私はコトラの無事を盛大に喜んだ。
「セッカ、あなたは甘すぎます。お嬢様にペットの世話なんてできるわけないでしょう」
「レオンこそ、過保護ですよ。お嬢様のことを侮りすぎではないでしょうか」
そうだそうだ。セッカのいうとおりだ!
私はコトラを抱っこしてセッカの小さな背中に隠れると、レオンに向かって思い切りあっかんべーをしてやった。
すると、レオンは私を一瞥して、小ばかにしたように笑った。
「いい歳してやることですか、これ」
「……お嬢様、すみません、反論できません!」
墓穴を掘ってしまったらしい。セッカに謝って、私はうなだれた。そんな私を慰めるように、小さなコトラがにゃあっと鳴いた。癒される……。
最初はみんなおっかなびっくりだったけれど、一週間も経てばコトラという子猫の存在は屋敷に受け入れられていた。
老若男女問わず、使用人には可愛がられていたし、お父様のお客様にも受けがよかった。
小さくてか弱い生き物を嫌う人間なんていない。いるとすれば、鬼のように心が冷え切っているやつだけだ。
動物って無頓着のようで、きちんと人間のことをみている。とくに小さな動物ほど、自分に害をなすものかそうでないかに敏感だ。
コトラを飼ってみて、それがよく分かった。
コトラはひとなつっこい子猫だったけれど、なぜかレオンにだけは懐くそぶりがなかった。やっぱりね。動物って人間をよくみてるんだ。
「かわいいなぁ。よしよし、ここがきもちいいの?なでてあげるね」
ランチの時間、早めに昼食を平らげた私は、午後の授業まで屋敷の庭でコトラとひなたぼっこをすることにした。
ちょうど日差しは春めいていて、ぽかぽかとあったかい。
行儀は悪いけれど、整えられた芝生の上にコトラと一緒に寝転がっていると、とても幸せな気分だ。
ちょっとだけの休憩のつもりだったけれど、ついついまぶたが重くなってしまう。
眠っちゃだめだ、だって、次は歴史の授業があるんだもの。
でも、気持ちいい。
ちょっとだけ、ちょっとだけなら目を瞑ってもいいよね。
コトラだって、ほら、あんなに気持ちよさそうに眠っているんだから。
ちょっとだけ、ちょっとだけ。
……。
…………。
………………はっ!
どれくらい眠っていたんだろう。まぶたをこすって、私はのそりと芝生から起き上がった。太陽を見てみると、だいぶ傾いているみたいだった。
どうしよう。完璧に授業をさぼってしまった。
先生も怖いけど、レオンのお小言もたっぷりだろう。考えるだけで憂鬱だ。
「どうしよう、コトラ……」
かわいい子猫に癒してもらおうと芝生に手を伸ばすが、予想していた柔らかな猫毛の感触はなく、少し湿っぽい芝生が私の手のひらにあたった。
あれ。慌てて私は周囲を見回す。
小さな茶トラの子猫の姿がない。屋敷の庭の中を、コトラの名前を呼びながらひととおり探したけれど、コトラは見つからなかった。
先に部屋に帰ってしまったのだろうか。
私は歴史の先生に授業をさぼってしまったことを謝りに行ってから、すぐに私室に戻ってみた。
ベッドの上にも、お気に入りの木の籠の中にもコトラの姿はなかった。
どうしよう。私は慌てて、近くの使用人たちに声をかけた。
けれど、コトラの行方を知っている使用人はいなかった。屋敷の中にはたくさんの人間が働いているというのに、誰一人コトラをみていないなんて、そんなことあるんだろうか。
私はもう一度、コトラとはぐれた屋敷の庭を探してみるが、どこにもコトラの姿はなかった。
どこにいってしまったんだろう。
あんなにかわいい子猫だ。誰かに攫われてしまったんだろうか。
人間に攫われたのなら、まだいい。きっと可愛がってもらえる。
でも、万が一、大きな肉食の鳥に捕まっていたりしたら……。考えれば考えるほど、暗い考えにとらわれてしまう。
あまりに悲観的になってしまって、涙がこぼれそうになるのをぐっと堪える。泣いたってコトラは見つからないんだ。とにかく、探さないと。
「お嬢様、コトラが行方不明って伺ったのですが、本当ですか?」
「セッカ……」
黒髪の優しい使用人は、他の使用人仲間から事情を聞いて慌てて駆けつけてきてくれたらしい。
要領を得ない私の話を辛抱強く聞いて、彼女は言った。
「もう一度、庭の中を探して見ましょう。それで見つからなかったら、だめもとでレオンに頼んでみましょう」
「……レオンに?」
考えても見なかった名前が、ぽんっと出てきたので私は面食らった。
しかし、セッカは真剣な顔で頷いた。
「ええ。レオンは昔から探しものが得意なんですよ。とくに、元気がよくて、小さくてかわいいものを見つける天才だったんです」
そんなの初耳だった。ずっと小さなころから一緒に育ってきたけど、そんなそぶり見せたことがない。
セッカの話を聞いたときは半信半疑だったけれど、もう一度彼女と一緒に庭を探してコトラが見つからなかったときには、いよいよ、藁にもすがる思いでレオンに頭を下げることに決めた。
というのに。
必要としているときに限って、レオンの姿は見つからなかった。要らないときにはいつもいるのに。
「困りましたね。まさかレオンまでいないなんて」
「あのお小言大王め、肝心なときにいなくちゃ、単なる役立たずじゃないの」
半ばやつあたりで悪態をつく。
窓をみやると、もう日が落ちかけている。どうしよう。もしコトラが外にいたら、さぞかし心細い思いをしていることだろう。
そんなことを考えてセッカと屋敷の廊下を歩いていると、裏庭からかすかに人の声が聞こえてきた。
独り言、だろうか。なにかに話しかけているようではあるけど、聞こえるのは一人分の声だった。
「なんでしょう。ちょっと様子を見てきます」
「セッカ、私も行く」
「万が一がありますから、お嬢様はここでお待ちください。不審者だと危険です」
「だめ。もし不審者だったら、セッカだけじゃ危ないでしょ。ふたりでいきましょ」
しぶるセッカを説得して、私は彼女と連れ立ちしのび足で裏庭に降り立った。
たしかに、ひとの声が聞こえる。声は聞こえるけれど、姿は見えない。裏庭はもともと見通しがよいわけではなく、大きな樹木が何本か生えていて、ちょっとした草むらになっている。
屋敷側からは見えない樹木の裏側にひとが隠れているのだろうかと一本一本確認していったが、どうもそういうわけではないらしい。
「……なんでしょうね」
セッカと顔を見合わせて、樹木の下で首をかしげていると、がさりと木の枝が揺れて木の葉が数枚落ちてきた。
はっとして上を見上げると、そこには。
「レオン!」
白髪の少年がてっぺん近くの細い木の枝にすがりつくようにまたがっていた。
笑っちゃいけないんだろうけど、なんというか、スカートをはいてるからぱんつは丸見えだし、すごく間抜けな格好だった。
「な、なにやってるの?」
だめだ。笑いを堪えるのが精一杯で、思わず声が上ずってしまう。
とうぜん、レオンにもそれは伝わったのだろう。憮然とした声で「すぐに降ります」といわれた。
そしてやつは言葉通り、するすると器用に地上まで降りてきた。女性用の使用人服のスカートの裾は長いので、さぞ動きにくいだろうに、それをものともしていない。
「あんなところでなにをやって……」
めったに見られないやつの醜態だ、根掘り葉掘り聞いてやろうとしたところで、私はそれ以上なにかを言うことはできなかった。
やつの腕の中には、ずっと探していた愛らしい子猫がちょこんとおさまっていたのだから。
「コトラ!!ここにいたの?」
「正確には、この木の上のてっぺん付近に。どうやって登ったのかは知りませんけど、降りられなくなって困っていたようでしたので」
レオンはコトラの首根っこをぞんざいにつかみあげると、私に向かって差し出した。
奪うようにコトラを抱きしめて、無事を確かめる。どこも怪我はしていないようだった。柔らかくてあったかい体温に、愛らしい鳴き声にほっとしてしまう。
「おおかた、その猫からうかつに目を離していたんでしょう。成猫ならともかく、子猫なんですからもう少し気をつけてください。飼った以上は、その命に責任をもつべきです」
「……はい」
レオンの言葉はごもっともで正論だ。だからこそ、改めて言われると、心にぐさりとくる。
たしかに、今回、目を離したのは私だし、悪いのは私だ。でも、けど、もっと他に言い方ってものがあると思う。
うらみったらしい目で見ていることがばれたのか、非常に冷たい目でレオンに一瞥された。軽蔑のまなざしとでもいうんだろうか、とにかくそんな類の目だった。
「お嬢様、レオンがいつにも増して不機嫌なのは、コトラに嫉妬しているだけですよ。最近、お嬢様、コトラにかまいっきりだから寂しいんだと思います」
「……うそぶくのはいい加減にしてください、セッカ」
心底あきれたようにレオンはため息をついた。
べつに否定しなくっても、そんなの冗談だって分かっている。レオンが嫉妬だなんてありえない。
「ともかく、今後はこのようなことがないように気をつけてくださいね。私も毎度毎度、そいつを助けてやれるほど暇ではありませんので」
そう言って、レオンはくるりと背をむけた。
どうしよう。まだ助けてもらったお礼、言ってないのに。レオンが畳み掛けるように叱りつけるから完全に機を逸してしまった。
でも、なにも言わないのは気持ちがわるい。引きとめようか引き止めまいか迷ってやつの背中を見やると、とんでもないことに気がついた。
「レオン、腕」
コトラを片腕に抱えて、私はレオンの腕をとった。
やっぱり、血が出てる。破れた使用人服の中から、少しだけ赤いものが見えたから気になったのだ。
「……ああ、これくらい平気ですよ。あとで適当に薬を塗っておきますので」
「だめよ、すぐに治療しないと。傷が残ったらどうするのよ」
「男の勲章ということで」
「だめ!レオンは私のお人形さんなんだから、こんなに綺麗な肌に傷が残るなんて私ゆるせない!」
渋るレオンを引っ張って、私の私室まで連れて行くと、服の袖の部分をめくって、きれいな水で傷口をそそぎ清めた。セッカに頼んで傷薬を持ってきてもらったので、傷口にたっぷり塗って、その上から白い包帯を巻いた。
うん、我ながら上出来だ。初めて包帯を巻いたなんて誰にも分からないはず。
「……ずいぶんいい薬ですね。もったいない」
「いいの。コトラを助けてもらったお礼。ね、コトラ」
レオンを治療している間、ずっと私の傍でおとなしくしていたコトラに同意を求めてみると、まるで私の言葉が分かるみたいにコトラはにゃあっと鳴いた。
すると、レオンは意外そうな顔をしてコトラをみた。
「どうしたの?」
「ああ、いえ。ちょっと思ってもみなかったことを言われましたので」
お礼のことだろうか。
失礼な。私はきちんとありがとうっていえるレディだ。感謝の気持ちはどんなときにでも持たなくてはいけないよってお父様にちゃんと教えていただいたのだから。
「なによ。私がお礼をいうのはおかしい?」
「いえ、そうではなくて……」
「じゃあなんなの」
「……なんでもありません。怪我をみていただいてありがとうございました。そろそろ夕食の準備がありますので、失礼しますね。お嬢様、今夜はどちらでお食事をとられますか?」
すっかりいつもどおりのレオンは、いつの間にか新しい使用人服に着替えていて、いつものように完璧な給仕をしてくれた。
この日以来、私のかわいいペットとお人形さんの仲はすこぶる良好になったようだった。
めでたしめでたし。