Act1.お嬢様と下僕
私、女の子がほしかったの。
かわいく着飾れるお人形のようにすてきな女の子。
でも、私の願いは叶わなかった。
お父様がなかなか許してくださらなかったから、私がマーケットにつくころには、めぼしい女の子はみんな誰かに貰われたあとだった。
もう悔しくて悔しくて、私はお父様をひどくなじった。だって、すぐに許してくださらなかったお父様が悪いんだもん。
泣いて駄々をこねる私に手を焼いたお父様はおっしゃった。
「このマーケットにあるものなら、なんでもひとつだけおまえの好きなものをやろう」
最初からそういってくださればよかったのに。
遅い。
遅すぎた。
私のほしい女の子は既に、ほかの誰かのものになっていた。
悲しくて悔しくて、涙で濡れた視界に、ふと、白いものが映った。
真っ白い髪に、真っ白い肌のこども。ぼろぼろの布切れを頭からかぶって、積み重ねられた木箱の横に隠れるようにすわりこんでいる。年頃はたぶん私と同じか幼いくらいにみえた。
なぜか目が吸い寄せられて、じっと見つめていると、そのこどもと目があった。一晩中泣いたってあんなに真っ赤にはならないだろうっていうくらい赤い目をしている。
白と赤の色合いがとても神秘的で、幼い私は一目であれを気に入ってしまった。
「お父様、私、アレがほしいわ!」
『……さま……』
本当は妹のような女の子がほしかったのだけど、あまりお父様を困らせるのも申し訳ないから、あれで我慢してさしあげることにしたのだ。
『……うさま……きて……』
私って、本当にお父様思いのいいこだと思う。
「……うぅん……なのに、どうしてそんな苦い顔をしてらっしゃるの……お父様……」
「お嬢様!いい加減におきてください!!」
ふわふわとしたここちよいまどろみは、一瞬で吹き飛ばされた。
ひんやりとした冷気が私を包む。寒い。毛布をはぎとられたんだろう。私に対してこんなことするにんげんなんてひとりしかいない。
「さむーい。毛布かえしてよ、レオン!」
「だめです。返したらまた眠るつもりでしょう。今日は歴史とマナーの先生がいらっしゃる予定になってるんですよ。ほら、きちんと起きて、身だしなみをととのえて。授業の時間に遅れることは許しませんよ」
やつは毛布を返すどころか、起きぬけでぼんやりとした頭に嫌な現実を容赦なく叩き込んでくれる。
むくっと起き上がって睨みつけても、やつはどこ吹く風といった様子でてきぱきと手際よく私の身の回りの世話を焼き始める。
本当に、腹が立つくらい要領がいい。
朝食を私の部屋の小さなテーブルの上に並べて、私がそれを咀嚼している間に髪の毛を整える。ちょっと癖のある私の髪を扱うのは難しいはずだけど、なんの苦もないって感じだ。
「そういえば、今日はなにか夢をみてらっしゃったようですね。大きな寝言でしたよ」
大きな、は余計だと思う。
ほんと、こいつはなんでもできるけど失礼なやつだ。
「あんたを拾ったときのことを夢にみてたの」
「あんた、ではなく、あなた、でしょう?それにしても、またずいぶん昔のことを……」
「昔はレオンもかわいかった!」
「あら、ひどい言い草ですね。私はいまでもかわいいでしょう?」
頭の上で、くすりと笑う気配がした。
たしかに。たしかに、レオンはかわいい。さらさらの長い白髪、神秘的な赤い目。肌は抜けるように白いし、顔の造作は極上だ。
レオンがまとう女性用の使用人服は、装飾が少なく機能性ばかりを重視した地味なものだし、髪の毛も後ろでそっけなく束ねられているだけだけど、それでも目を惹くだろう。
これで性格がよかったら完璧なんだけど、天はひとに二物は与えないらしい。残念ながら、やつの性格はよろしいとはいえない。断言できる。
私はふんっと鼻を鳴らして、やつのてんぐっぷりを挫いてやることにした。
「かわいくなかったら、私のお人形になんてしないもん。いっとくけど、レオンは私の着せ替え人形なんだからね!そのためにお父様に頼んでもらったんだもん。つねづね忘れがちだけど思い出した!」
「ふふ……そうでしたね。おかげで、こんなふざけた格好をするはめになっています」
しまった。なんだか、背後からものすごい冷気がする!
「えっと……似合ってるわよ。うん。ほんと、レオンが男だなんて言っても誰も信じないと思うなぁ」
「嬉しくありません。ふざけたことばかり言ってないでさっさと食べてください。食べないなら私が手ずからお嬢様のお口に朝食をつっこんでさしあげますよ」
本気でやりかねない気配に、本能的な恐怖を感じて急いで朝食を平らげた。
なんだかよく分からないけど、レオンの機嫌を損ねてしまったらしい。
「はい。次はお着替えですよ。本日はどの服になさいますか?春らしくやさしい色のドレスもありますし、新緑をイメージしたものもありますよ」
「今日は緑色にする」
「かしこまりました」
ぴりぴりしているくせに、レオンは恭しい手つきで私を着替えさせる。器用なことだ。
寝巻きを脱いで、新しい服に着替えるのは気分がいい。
さて。いつもならば、授業の時間になるまでは部屋でのんびりとくつろぐのが日課なのだけれど。
不機嫌なレオンのせいで、なんだか部屋にいづらい。
この部屋の主は私なのに!
そう思いながらも、いつもより早く歴史の授業の先生のところにいくことにした。先生には褒められたけれど、腑に落ちない。
お昼ごはんをひとりで食べて、午後からはマナーの授業。
マナーの授業はつまらないし、意義がわからないし嫌い。
面白くない先生の話はてきとうに聞き流して、授業をやりすごす。そしたら、楽しいおやつの時間がやってくる!
というのに。
いつもなら楽しいはずのその時間も、不機嫌なレオンのせいで台無しだった。
多少、彼の機嫌を損ねても、お昼をすぎれば自然と元に戻っていたのに今回は妙に根に持ってるみたいだ。
だんまりを決め込む彼の給仕は完璧で、文句のつけようがない。用意されたケーキだって、お父様お抱えのコックの自慢の品だ。
なのに、おいしくない。おいしく感じられない。拷問にすら思える。
おいしいおやつの時間を取り戻すために、一万歩くらい譲って私からやつに声をかけてやることにする。きっとやつも態度を改めるタイミングを逸して困っているはずだ。ほんと、こーんな優しい主人をもってレオンは幸せだと思う。
「……なにを怒ってるのかしらないけど、機嫌なおしなさいよ。空気が重くてぜんぜんおいしく感じられないわ」
「へぇ。お嬢様でもその場の空気とか感じ取れるんですね。私、安心しました。お嬢様が頭脳的にはともかく人間的には、それほどばかじゃないって分かって嬉しいです」
にっこりと愛らしい笑顔を浮かべて、レオンは毒を吐いた。
こっちがせっかく折れてやったっていうのに、主人の好意を無にするなんて信じられない。そっちがその気なら、こっちだって考えがある。
おまえなんて無視してやる!
ぷいっとレオンから顔を背けて、私は椅子に腰掛けて、その上で両足を抱えてまるまった。ぜったい、ぜったい、話しかけてきても無視してやる!そして自分の日ごろの行いを悔いるといいんだ。
でも、喋らないって、すっごく退屈だった。
給仕を終えたレオンはだまって私の部屋の隅に仕えていて、話しかけてくる気配はない。
そういえば、話を振るのはいつも私からだったような気がする。なんて気の利かない使用人なんだ。
つまらないので、てきとうにその辺にあった本を手にとる。
あいつが泣いてお嬢様、私が悪かったです!っていうまで、こっちから声なんてかけない。
声なんて、かけない。
かけない。
……。
そうしているうちに、夕食の時間になっていた。
信じられない。おやつの時間から夕食の時間まで何時間あると思ってるんだろう。その間、やつは一言も発しなかったのだ。一言も!
おかげで、まるまる一冊の本が読めてしまった。
部屋においてある本をてきとうにとったのだけど、私の知らない物語だった。物語というか、どちらかといえばこの国の歴史書といったほうが正しいだろう。
建国の歴史から始まって、代々の国王の経歴が延々と記されていた。そういえば、つい最近、この国の国王様がお亡くなりになられて、いま、王族は新国王の選定に追われているって先生が言ってたっけ。
その本の綴じ込み付録に、白魔女様の話も載っていた。王族と白魔女様はワンセットみたいなものだから不思議じゃないか。
白魔女様というのは、この国の民と王を建国の時代から支えてきた魔女の一族のことで、未来を予測したり、失くなった大切なものをみつけたり、と不思議な力を持っているらしい。
この国の人間なら、子どものころにみんな必ず一度は絵本で見ている有名人だ。
「お嬢様、そろそろ夕食のお時間です。どちらのお部屋に用意させましょうか」
「ここで食べる。だって、今日はお父様いらっしゃらないんでしょ」
「そう聞いております。では、準備をしてまいりますね」
はっ!しまった!
やつがあまりに自然に話しかけてきたから、つい、返答してしまった。
内心、悔しがっていると、コックを引き連れてレオンが部屋に戻ってきた。今度こそ!無視してやる!と思うのだけど、つい返答してしまう。そうしているうちに、だんだん無視しようと思うのがめんどくさくなってきた。
私はやつに負けたんじゃない。私自身のひとのよさに負けたのだ!
夕食を終えて、デザートに手をつけていると、珍しく用事以外でレオンが話しかけてきた。
「そういえば、先ほどは熱心に読書をされていたようですが、何をお読みになっていたんですか?お嬢様がお好きな、姫と騎士のロマンス小説の新作はまだ発売していなかったように思いますが」
「国王様の経歴が延々と載ってた歴史書と白魔女様のおはなし。白魔女様ってこの国の王様を支えた偉大な魔法使いなのよね」
そう答えると、レオンは目をぱちくりとさせた。
私がロマンス小説以外を読んでいたことが相当意外だったらしい。レオンが驚くことってめったにないので、なんだか胸がすぅっとした。
レオンは心なしか優しい声で言った。
「噂では、いまも白魔女の子孫がこの国を支えているそうですよ」
「ふーん。……白い魔女の容姿ってレオンにそっくりよね」
白魔女様が白魔女様といわれる所以は、その容姿にある。国王に代々仕える白魔女様は、必ず雪のように白い髪に、深い紅色の宝石のような瞳をしているらしい。
まぁ、一代の国王に仕える魔女は一名だという不思議な不文律があるみたいで、次期国王に仕える白魔女は既に決まっているらしい。
「白い髪に赤い目なだけです。珍しくはありますが、ぜったいにない容姿ではありませんからね」
言われ慣れてるんだろうか、レオンはさらっとそういうと、食後の紅茶を淹れてくれた。
いれたての紅茶のよい香りが鼻腔をくすぐる。ひとくち口にふくむとまろやかな渋みが広がった。
「美味しい。レオンのお茶がやっぱりいちばんね」
「私は何においても一番ですよ、お嬢様」
「なにいってるのよ。あんたなんて謙虚さとか遠慮深さとかそういった類のものが最低じゃない」
「やだな。お嬢様。よく考えてみてください。最低だって一番ってことでしょう。一番下なんですから」
しれっとレオンは言った。へりくつっていうか、開き直りにもほどがある。
つくづく、こんなやつと小さな頃からよく一緒にいられたなぁと思う瞬間だった。