快楽の中の純愛
窓から射し込む陽の光が、部屋を照らす。真冬の朝は空気が冷たくて、まだ毛布にくるまっていたくなる。僕は毛布を自分に巻きつけながら寝返りを打った。それを許さないらしく、上から僕の額を軽く叩くげんこつが降ってきた。
「こーら。起きろよ」
「むー……」
朝日の眩しさに眼を細めながら見上げると、すでに着替えている東理浩輔さんがいた。肩にかかりそうなくらいの黒髪は、まだ結ばれていなかった。
「今日は学校ある日なんだろ? これ以上寝てると完全に遅刻するぞ」
「うう……サボる」
「だーめ。俺だって忙しいんだから、いつまでもここに居座られると迷惑なんだって」
そう言われると、いくら冬の朝が苦手でもベッドから出て行かなければならない。僕は思いきって毛布をはね飛ばす。やっぱり寒い。思わずベッドに戻りたくなったけど、そこはこらえた。Yシャツ一枚だけってのも、寒くてやってられない理由の一つかも知れない。何で朝はこんな冷たいんだ。昨夜は暑くて汗かきまくったっていうのに。
「浩輔さん、シャワー貸して」
「へいへい。着替えは脱衣所に持ってってあるから、支度が終わったらいつでもお引き取り下さいよ」
浩輔さんはこっちを見向きもせず、ただひょいひょいと手を振る。なんかあっち行けって仕草に見えるんだけど、さっさと帰れって?
僕は少しぶすったれながらYシャツを脱ぎ捨てて浴室に入る。頭から熱いシャワーをかぶって、完全に僕の眠気は逃げ去った。それから、念入りに体を洗う。事後独特の、匂いを洗い流しておかないと気が済まない。一通り洗い流して、バスタオルをひっかぶる。がしがしと頭を拭いて、きちんとたたんである着替えに手を伸ばした。
さっきの寝室はすでに片づけられていて、僕がこの部屋で一晩過ごしたことが、まるでなかったようにされている。浩輔さんて、隠蔽がうまいのかも。寝室の隣にある浩輔さんの『仕事部屋』を覗くと、すでに仕事の顔になっている浩輔さんが、パソコンのメールをチェックしていた。
「ねえねえ、浩輔さん」
「んー?」
「今夜は空いてる?」
「仕事」
「なーんだ」
僕は心底つまらなくなった。今のところ、今日の夜はフリーだ。僕にとって、それは一番退屈になる。
「分かったらさっさと行く。ユウが帰って来ちまうだろ」
「僕より有也さんが大事なわけ?」
「いや、どっちもどうでもいい」
浩輔さんはしっしっと、まるで蝿をはらうみたいに僕を追い出す。僕と有也さんは蝿と同等か。有也さんというのは、浩輔さんと一緒に仕事してる相棒みたいなものなんだって。中学校の頃からの付き合いで、高校を卒業してすぐに『仕事』に就いたらしい。その仕事っていうのは、あんまり褒められるものじゃない、どっちかというと表沙汰にできないもの。そんな仕事をずっとこなしてきて、ここまで生きて来れているのだから、きっと強い何かで繋がってるんじゃないかなあといつも思ってるんだけど、浩輔さんは、あくまで有也さんを『仕事上の相棒』としか見てない。長年一緒に暮らしていて、それなのに必要以上に触れない二人を、僕はいつも不思議に思っていた。欲求とかは自分で処理してるんだろうか、とか、外で鬱憤を晴らしてるんだろうか、とか。下世話だと分かっていても、考えてしまうのが、僕の悪い癖だったりする。
「じゃ、浩輔さん。またね」
「おう。もう二度と会わないことを祈るよ」
「何それ」
僕は苦笑して、ドアを閉めた。階段を下りる途中、浩輔さんの仕事上の相棒である斎賀有也さんとすれ違った。
「おはようございます」
「うん。何、キミはあんなのでもいいわけ?」
有也さんは階段を上りきって立ち止まり、僕を見下ろす。その目は、浩輔さんのようにどうでもよさそうな目とは違う。汚いものを見るような、もの。有也さんにとって、僕は、汚物と同等らしかった。
「気持ちよければなんでもいいので」
僕は笑って答える。そのまま、階段をかんかんと下りていく。
「どうでもいいけど、浩輔の体目当てであんまり出入りしないでよね。仕事に支障が出たらたまんないから」
有也さんは僕の背中にそう投げかけた。僕は何も言わない代わりに、手を振って答えた。なんだ。結局二人ともお互いのことを大事に思ってるんじゃないか。僕は、なぜか少しうらやましくなった。
僕は、エミリオ・グリニッジという。国籍は西の島国であるニーベルング王国。極東の島国・千歳皇国に留学している学生というのが、僕の身分。といっても、それほど勤勉じゃない。必要最低限の単位が取れればいいと思っているので、学校に行く日はその時の気まぐれによる。最後に学校に行ったのは、一週間くらい前だった気がする。
懐中時計で時間を確認したら、もう九時半を過ぎていた。僕の取っている授業は十時二十分からなので、まだ少しだけ時間がある。学生寮の自室に戻って、のんびりするには中途半端な時間だ。とりあえず暇がつぶせればいいので、学校図書館で退屈を紛らわすことにした。
この学校の創立者はきっとお金持ちなんだろう。校舎は広いし、校庭も広いし、学生寮だって完備されてるし、購買や学食その他の施設も設備も充分すぎるほどに整っている。ここの図書館もそう、どれくらいの本が、この広い空間に詰め込まれているんだろう。浩輔さんと有也さんは、この学校の卒業生なんだそうで。きっと、この楽園とも言える学校の恩恵を受けたんだろう。……それでどうやったらまっとうとは言えない仕事を選ぶんだろうか。
僕は本棚から適当に一冊持ってきた。千歳の言葉は、生活に困らない程度にはわかる。椅子に腰掛け、ページをめくる。
内容は、児童向けの小説だった。心臓を患っている友達が外で遊べるようにと願った男の子は、自分の心臓を友達に差し出すのだ。正直、馬鹿みたいと鼻で笑いたくなるような話だったけど、なぜか続きが気になってしかたがなかった。主人公の名前が、僕と同じ“エミリオ”なのも理由のうちかも知れない。一限終了の鐘が鳴るまで、夢中で読んでいた。僕は鐘の音で我に返り、その児童書を本棚に戻して、一週間ぶりに授業を受けるのだった。
その授業ってのがまた風変わりで(授業より先生かな?)、先生は授業の後半あたりになると、とことんギャンブルを勧めてくる。仮にも勉強を教える立場の者がそんなんでいいのかと心配したくなるけど、授業自体はおもしろいからおあいこかな。この授業を取っている生徒はとても少ない。五十人くらい入りそうな教室が、余計に寂しい。
「……でさあ、ボクの娘がねえ、最近生意気になっちゃってさあ」
海外から雇われで非常勤講師をしているセレネ先生はぼやきはじめた。
「昔は素直で純粋でかわいかったのに、ダーリンが死んでからしっかりだして。まあ自立してるってことだから母親としては喜ばしいことなんだけど、どうも口うるさくなっちゃってもう」
「そうですねえ、親の顔が見てみたいですね」
「おいそれはボクに対する皮肉か」
「自覚はあるんですね」
そうやって言い合いをしているうちに、授業終了の鐘が鳴った。もうこれ以外の授業を受けたくないのっで、学食へ行って早めのお昼ご飯を食べることにする。今日はサンドイッチが食べたいなあ。
学食でのんびりサンドイッチを食べながら、僕は携帯電話のアドレス帳を開く。暇そうな人はいないかなあと、今夜の相手をしてくれる人を探す。浩輔さんは仕事で忙しい。それが嘘だと分かってるけど、有也さんに今朝睨まれたばかりだから、よそう。この学校の学生の連絡先ならいっぱいあるけど、同性と一夜を共にしてくれる人は少ない。今日も夜の町を歩いて誰かを引っかけるしかないかあ。僕は携帯電話を閉じ、空になった食器を戻して学食をあとにする。
ふと、さっき読んでいた児童書の続きが読みたくなって、僕の足は自然と図書館を目指していった。本のある場所は、鮮明に覚えていた。迷うことなくその本がある本棚を見つけた。図書館で読むこともできるけど、一人になりたい気分だったので、貸し出し手続きを済ませて寮に戻る。ルームメイトは、まだ授業だろう。
部屋に行く途中、食堂を兼ねたロビーを通らなければならない。そのロビーで、寮母さんが、僕を見つけて声をかけてきた。
「リオン君、お電話がありましたよ。かけ直してあげて下さい」
「分かりました。誰からでした?」
「ご家族さんからです」
僕は嬉しいような気まずいような、おかしな気持ちになった。対して勉強に意欲的でない僕がわざわざ遠い極東の島国へ来た原因は、その家族にあるようなものだったからだ。僕はロビーの隅っこにある連絡室に入り、受話器を取った。
少しして、家族が出た。
『はーい、ロックウェル診療所ですよー』
「ソール兄さん? リオンです」
『おー、リオン!』
電話の向こうにいるソール兄さんは、嬉しそうだ。
「さっき、電話くれたんだって?」
『ああ、ちょっと声が聞きたくなってさ。そっちの生活は慣れたか?』
「うん。もともと言葉に不自由しなかったからそんなに苦労してないよ」
『そっかそっか。そりゃ安心だ。あ、今ユウヤに替わる』
ユウヤとは、ニーベルングにいる僕の家族とも言える恩人であって、浩輔さんの相棒ではない。同じ名前だけど。
しばらくして、ユウヤ兄さんが出た。
『もしもし、替わりました』
「ユウヤ兄さん? 久しぶり」
『リオン! 久しぶりだなあ。最後に声聞いたのは先月くらいだっけ? 早いもんだなあ』
「そうだね。それくらいかなあ」
『そっちの生活はどうだ?』
「それ、ソール兄さんにも言われたよ」
僕は苦笑する。
『あ、そうなのか? でも元気そうでよかったよ』
「うん。……ところで、電話もらったって寮母さんに聞いてかけたんだけど、何かあったの?」
『いや、大した用はないんだ。ちょっと声が聞きたくなっただけだよ』
「それだけで?」
『怒らないでくれよ? そっちの都合も考えずに勝手やってるのは承知の上だ。でもさ、こうでもしないと、お前、全然連絡くれないじゃないか。ナノも心配してたぞ』
僕は何を言えばいいか、一瞬だけ分からなくなった。
『こっちに連絡する暇もないくらい忙しいのは分かってるんだけどさ……』
ユウヤ兄さんの声は気まずそう。僕はなんて弁解するべきか考えていた。だって、一ヶ月前の電話から今まで、忙しかったことなんて一度もなかったのだから。嘘をつけばいいんだけど、僕の嘘は下手だからすぐにバレる。とりあえず、適当にはぐらかした。
「ごめんね。こっちも色々あってさ」
『そっか。……悪かったな、一方的に押しかけた感じになって』
「ううん。僕も、兄さんたちの声が聞けてよかったよ。ナノ君にも、元気だから心配しないでって伝えておいて。頼むね。じゃ」
僕はユウヤ兄さんの返事を無視して、強引に電話を切った。
ロックウェル診療所を経営している兄弟、ソール・ロックウェルとユウヤ・ロックウェルは、僕の恩人である。身よりのなかった僕が、ある日ちょっとした怪我で二人の診療所で治療を受けたのがきっかけで、彼らと暮らすようになった。明るくて陽気なソール兄さん、穏やかで世話好きなユウヤ兄さんは、僕にとって、血のつながりはなくとも本当の兄弟だと言える。向こうの友達ナノ君も、かけがえのない親友だ。
そんな、とてもやさしくていい人達だから、僕は彼らから離れたかった。
僕は、気持ちいいことを最優先で考える。そうなったのがいつからかはもう覚えてないけど、この性格というか思考が定着してからロックウェルの家を離れたくなったのは確かだ。
気持ちいいことって、要するに性欲を満たすための快楽で、僕はそれが欲しくていつも相手を探しているとんでもない尻軽なのだ。自慰を覚えたのも、かなり早かった気がする。よく、兄二人と寝ることを妄想した。その妄想で自分を慰めて、最後には罪悪感に駆られた。なんだか、善意で僕を家族として迎えてくれた二人を汚しているようで、本当に申し訳なかった。申し訳ないと罪の意識を感じていたのに、気持ちいいことに忠実な僕は妄想をやめなかった。
だから、千歳へ逃げた。離れていれば、彼ら以外の男と寝ていれば、妄想で二人を汚すこともなかった。連絡をできるだけ疎遠にしたのも、そんな理由からだ。
寝る時は、僕が女役。女と寝るのは嫌だった。多分、母親と呼ぶべき女があまりにひどかったから、その反動で女と近しくなりたくないのだろう。つまり、僕は、とことんおかしな性癖を持っていて、それに悩まされているのだった。
自分の部屋に戻ったけど、案の定ルームメイトの凪はいなかった。一人で静かに本を読んでいたい気分だから、かえって都合がよかった。ベッドに寝転んで、覚えていたページを開く。あまりにもご都合主義で、現実を考えれば絶対にありえないような内容だった。だって、主人公もその友達も、誰も死なないんだよ。死別のない、犠牲の成り立たない幸せなんだよ。現実なめてるとしか思えないって。児童文学だから、そういうところは甘いのかもしれない。
現実に拗ねているというか達観した感のある僕にとっては、いろいろと言いたくなる内容だった。でも、どうしてか惹かれた。友達のために必死になる主人公が、何となく羨ましかった。僕にも、こんな風に真心こめて付き合える友達がいたらなあ、とかないものねだりした。ナノ君がいるのにね。
一気に読んでしまった。別の本でも借りてこようと、もう一度図書館へ向かった。
今度は何を読もうか迷った。本棚を巡っても、これといったものが見あたらなかった。全部の棚を見て回ったというのに、読みたいと思う本がなかった。ためしにもう一回回ってみたけど、やっぱりダメだった。今夜の相手も見つからない、いない場合の退屈しのぎもない。今夜は、確実に暇になる。出入り口付近のカウンターに、返却ボックスなるものがある。その時、そのボックスに本を返した生徒がいた。僕が気になったのは、生徒じゃなくて、返却した本だった。千歳の昔話をまとめた本だった。ほんの少しだけ興味を持てたので、ボックスに入れられた本を借りた。
今度は気まぐれで、奥庭にて読むことにした。奥庭は、あんまり人が来ないから丁度いい。たまには、外の空気を吸いながら優雅に読書なんてのもいいかも知れない。空いているベンチに腰掛け、表紙をめくる。
これも、前に読んだ児童書と同じく、友達がテーマの話だった。ざっくりまとめれば、友達をとるか主君をとるかという話。僕にはどっちと決めることができなかった。命を賭してまで仕えたい主君というのに、いまだかつてなかったからだ。大切な友達ならニーベルングに一人いるんだけど、主君と比べられないんじゃ価値も分からない。本文の言葉が全体的に難しくて、読むのにやたらと時間がかかった。でも、かなり集中してたんだと思う。
いつの間にか、僕の隣に誰かが座ってるのに気づかなかったんだから。
「……な」
控えめに、横から声をかけられた。我に返って、そちらを向く。見覚えがあった。今、僕が読んでいる本を返却した生徒だった。
千歳人の特徴とも言える黒髪、少しだけ悪そうな目付きの、男子生徒。この学校は私服で構わないのに、律儀に制服を着ている。ただ、ブレザーじゃなく羽織を肩にかけているのが気になるけど。
「なに?」
僕は素直に聞いてみる。
「それ、おもしろいか?」
「この本? 今、やっと一編読み終えたばっかりで、まだ分かんない」
「そっか」
「だけど、こういう友達の話は嫌いじゃない、かも知れない」
彼は、へえ、と頷いた。顔をうかがうと、少し嬉しそうだった。よく分かんないけど。
「ところで、随分久しぶりに授業受けてたな」
「あれ、僕のこと知ってる?」
「さっき同じ授業受けてたから。……それに、前から気になってたんだ」
「へー」
彼の顔は心なしか赤い。暑いのかな。今日はそんなに気温高くはないはずだけど。
「あのさ!」
初めて、正面向き合った。真剣な目をしている。真面目な話でもするのかな。
「えーと、……名前」
「エミリオ・グリニッジ。リオンて呼ばれてる。……君は?」
「昴。藤枝昴」
「すばる、ね。で、なに?」
「あのさ……その、マジメに聞いてくれよ?」
歯切れが悪いなあ。用件を早く聞きたくて、頷いた。
「えーと……俺と、付き合ってくんねえ?」
こういう場合、どう答えればいいんだろう。千歳の言葉で、付き合って下さいとは恋人になって下さいと同じ意味。つまり、僕は千歳人の男から求愛されたわけで、女ではないわけで、好かれたわけで。
念のため、聞いてみる。
「僕、男だよ?」
「知ってる」
「昴も男」
「知ってる」
千歳では、同性愛ってどういう立場なんだろう。許容されてるんだろうか。一部の国じゃ死刑ものだって聞いたけど。
昴は真剣だ。でも、僕は昴を知らない。今日はじめて意識した。そんな僕が、真剣に悩んでいる彼と軽々しく付き合うのは、何だか彼にすまない気がするのだ。
「僕、昴が思ってるほどいい人じゃないよ」
「それでもいい」
「昴のことを全然知らない僕と、付き合って嬉しいの?」
「嬉しいから打ち明けたんだが?」
僕が気持ちいいこと優先でも昴のことをそんなに強く意識してなくても、昴は許容してくれるらしかった。なら、昴とおつきあいしている仲になっても、昴以外の不特定多数の人と寝ても、問題ないってことだろう。それにもしかしたら、毎晩この男と寝られるかも知れない。
「じゃ、こんな僕でよろしければ」
僕は、それほど乗り気じゃなかったけど、色々と下心を隠しておつきあいに承諾した。
一週間で、付き合ったことを後悔した。昴はとてつもなくうぶだったのだ。目を合わせて会話するくらいのことなら大丈夫そうなんだけど、手を繋ぐことさえ恥ずかしいやら照れくさいやらでためらっている。手を繋ごうと勇気を出して、結局手を引っ込める。こんな状態だから、寝るどころか、キスもハグもまるでだめ。一週間くらい、様子を見てずっとおあずけにしていた。だから、一週間誰とも寝ていない。ルームメイトにばれないように、自分で慰める程度。欲が溜まるって、これじゃ。仕方ないから、もう別の人と寝よう。
今日、僕は休日を利用して昴と学校の外へと出かけた。映画観たり、買い物したり、見ようによってはデートに見えなくもない。観た映画ってのが、千歳の時代物で、境遇も性格も立場もまるっきり違う二人が、生涯唯一無二の親友となるまでの話だった。なんだろう、最近僕は友情物とよほど縁があるようだ。そりゃ、友達欲しいなあとは思ったけど、ここまで友達の話と出逢うと食傷気味になるって。
映画を観たあと、適当に喫茶店を見繕ってそこでお昼を食べた。普通の話をするだけなら、昴も照れくさくなったりぎこちなくなったりすることはない。
「昴は、あの映画、おもしろかった?」
「おうよ。前から観たかったもんなんだ。友情ものは結構好きだし、チャンバラは燃えるからなあ」
「そうなんだ。僕は、ちょっとよく分からなかった。ガンアクションなら向こうでよく観たんだけど、刀での戦闘って初めて観た」
「ニーベルングだと刀はマイナーなんだろうなあ」
「そうかも。今まで、魔法とか妖精とかと長く付き合ってた歴史があるから」
「あ、なるほどねえ。なじみがないんだな」
のんびりした後は買い物した。女の子みたいにきゃいきゃいしながらなんてかわいいもんじゃないけど、流行りのカードを選んだり、文具を物色したり、寒さに負けないよう帽子とかマフラーとかをお互いに似合うのをプレゼントしたり。
僕は昴に似合いそうなマフラーを選んでプレゼントした。昴は、なんとなく淡い緑色が似合う男だった。黒い髪に黒いコート、黒い靴、と全身黒い昴に、新しいマフラーはよく目立つ。
「ありがとな。あったけえや」
そう言って、昴は僕の頭をぽんと撫でた。手袋をしてないのに、昴の手は温かい。
僕がもらったのもマフラーだった。帽子でもよかったんだけどなあ。と、そんなことをぼやいたら、
「リオンの髪、綺麗だからさ、隠すのもったいないだろ」
と、照れもせず褒めた。恋人を褒めるのは照れくさくないらしい。もらったマフラーも、僕の髪と目を引き立てるようなものだった。淡い淡いクリーム色。あったかいや。
「ありがとう。大切にする」
「おう」
友達のような付き合いなら、緊張しないんだな、昴は。
冬になれば、暗くなるのも早くなる。帰り道は、ビルや店の灯りと外灯が頼りだ。二人並んで学校の寮を目指すけど、相変わらず昴は手を繋ぐことさえ難航している。もう限界。僕は手袋を外した右手で、昴の左手をぎゅっと掴んだ。昴が驚いて飛び跳ねそうなのが、手を通して伝わってくる。本当に純粋だな。呆れながら、ちょっと笑った。いたずら心から、右手に力を込めてやった。そしたら、かすかにではあるけど、繋いだ左手は握り返してくれた。
一月くらいもすれば、純情な昴も少しは慣れてくるようで、手を繋ぐことにためらいを見せなくなった。キスはぎこちないけど、ちゃんとしてくれる。……舌が入ってくることはなかったけど。学校ではあまり露骨に付き合ってるそぶりを見せはしないけど、行動を共にすることが多くなった。そのせいか、学校が広くなった気がした。今までは、ろくに授業も受けてなかったし、夜の相手を探すことに情熱を注いでいたからだろう。学生の癖に学校と疎遠だった僕を、昴は引っ張り込んでくれたのだ。たまにやかましいこともある。でもそれは、僕にとって心地いいものだったりする。
冬休みがやってきた。学校は全寮制で、みんな親元を離れて学校で暮らしているから、こういう長いお休みの時はほとんどの学生が家に帰る。僕は、帰らなかった。帰れなかった。帰りたくなかった。昴も帰らないらしい。定期的に電話をしたり、日帰りで実家に帰ったりするから、まとまったお休みの時に実家に泊まることはないんだって。学校に残る学生は少ないから、学生寮はがらがらだ。かなり大きな学校だから、寂しさというか静かになる落差が激しい。
そんな冬休みのとある晩、夕食を終えた僕は昴の部屋に遊びに行った。その時昴は、カードのデッキを組んでいた最中で、デッキの組み方なんかを教えてもらった。正直ちんぷんかんぷんだったけど、昴は楽しそうにしゃべってた。
「それにしても、珍しいな。リオンが俺の部屋に来るなんて」
「あー、確かに。いつもは昴が僕の部屋に遊びに来るからね」
「おかげで、リオンとこのルームメイトとも親しくなったよ。ありがてえこっちゃ」
遊びに来るのに、手ぶらはちょっと気が引けたので、ロビーの自動販売機でコーヒーと紅茶を買っておいた。
「昴、コーヒーとミルクティ、どっちがいい?」
「コーヒーくれ。ありがとよ。……いいねえ、微糖は好みだよ」
「それはよかった。適当に選んだからさ」
僕は昴のベッドに腰掛ける。昴は、二段ベッドの下を使ってるらしい。
「昴のルームメイトは帰省中?」
「おー。おかげで部屋を好きほーだい使えるから嬉しい」
「帰ってくるのはいつ?」
「冬休み明けの数日前には戻って来るって言ってたな。なんで?」
僕が昴の部屋に遊びに来たのは、単なる気まぐれでは、ない。ちゃんとした下心を連れて、来た。僕は飲んでいたミルクティーの缶をデスクに置いた。隣に座っていた昴を、じっと見つめてみる。
「あのさ、昴」
「うん?」
「僕ら、付き合ってるんだよね」
「どうしたんだ、いきなり?」
「質問に質問で返さないで欲しいな。で、付き合ってるんだよね」
「ああ、そうだよ」
うん。付き合ってることに間違いはない。確認を終えた僕は、昴にじりっと近づいた。少し力を入れれば、昴をそのままベッドに押しつけられそう。
「手を繋いだし、デートもしたし、……まあ下手っぴではあるけどキスもしたよね」
「お? おう、下手なのは我慢してくれ、なにぶん経験不足でな」
「だったらさ」
昴の肩に手を置いて、力を入れる。あっさりと、簡単に昴はベッドに倒れ込んだ。僕が、昴を見下ろしてる形になる。
「……リオン?」
「キスの先のこと、してもいいよね?」
昴のYシャツのボタンを、外す。筋肉質ではないけど、かといって貧弱でもない胸があらわになった。いいなあ、僕って筋肉つきにくいんだもん。その胸に、顔を埋めてみた。服越しとそうでないのとでは、昴の胸は感じが違った。そりゃ感覚的に当たり前だけど、肌に直接触れると、今までおさまっていた僕の情欲が、目を覚ます。ぽかんとしていた昴は、ようやく僕の言ったことと自分の現状を把握できたみたいで、
「へ、ちょいと、リオン!?」
なんて、ずいぶん素っ頓狂な声を上げた。慌てて、上半身だけ起こした。顔が近くなる。彼は真っ赤だった。
「だからさあ」
僕はわざと昴の耳元で低く囁いた。
「……しようよ?」
なんかもう、それだけのことで頭がいっぱいだった。僕のYシャツのボタンも外していく。昴は、それを留める。手が、冷たい。緊張してるのか。
「や、ちょっと! ちょいっと待った!」
「何? 大丈夫、女役は僕だから」
「そーゆーことじゃなくて!」
昴はやけになって頭をぶんぶん横に振る。
「いきなりすぎんだろ。俺たち、まだ学生でガキだぞ?」
「誰かと寝るのにガキも大人も関係ないよ」
「いや、そうかも知れねえけど……」
「昴は、気持ちいいこと、嫌いなの?」
「そうじゃねえよ。嫌いでも、ないけどさあ」
「ならいいじゃない」
僕は昴の手をすり抜けて、顔を赤くして戸惑っている彼のズボンのベルトをゆるめようとする。が、外すまでには至らなかった。昴が必死に妨害したのだ。
「だめだ!」
初めて聞いた、昴の厳しい声。目の前には、さっきまで戸惑っていたとは思えない、僕の恋人がいる。その男の目は、拒絶しているようだった。何を拒絶してるかって言ったら、そりゃ目の前にいる僕でしょう。
僕は、この男に拒絶されている。これ以上の領域に踏み込むなと、軽蔑に近い眼差しで睨まれている。
「…………そう。わかった」
僕は自分のYシャツのボタンをかけ直すことも忘れて、でも飲みかけのミルクティーを忘れることなく持って、昴の部屋を逃げるようにして出た。自分の部屋を目指す僕の足は、なぜか速かった。
気持ちいいことが大好きな僕にとって、昴のした行動は僕を否定するに等しいことだ。今まで寝てきた男達に、誘いを断られることはなかった。その中で、ただ一人、恋人の昴が断った。昴にしてみればただの拒否だろうけど、僕にとってはそれが一番のダメージになる。僕を否定された気になる。
昴の馬鹿。昴なんて嫌い。やっぱりうぶはうぶ。おつきあいを承諾するんじゃなかった。
もうやけになって、ルームメイトのいない自室のベッドで、僕は自分を何度も何度も慰めた。昴と喧嘩(っていっても、僕が勝手にそう思い込んでるだけだけどさ)した数日後、ルームメイトの凪が帰って来た。見境なくなった僕は、誘い込んで凪と寝た。ルームメイトと関係を持った。恋人がいながら、別の男と寝た。こんなことは、いつもやってることだったりする。つきあい始めの一週間は様子見でずっとお預けだったけど、それ以降は夜の街に出て相手を探していた。気持ちいいことが好きだから、恋人以外の誰かと肉体関係を持つことに、何の罪悪感も持ち合わせていなかった。
凪と寝た後、僕は妙な感覚になった。最中は気持ちよさに夢中で考える余裕なんてなかったんだけど、ベッドで放心していると、何だか虚しい気持ちが襲ってきた。凪がシャワーを浴びてる音が微かに聞こえ、素肌に感じる毛布の心地よさを味わいながら、確かに感じたのだ。虚しさを。
昴と付き合ってから別の誰かと寝た時も、実は感じていた。その時は、本当に微かだったから気にもとめてなかったけど。冬休み中、昴と会うことはなかった。僕が彼を避けていたから。そうして、僕は昴じゃない別の男と寝た。その中には、凪も含まれている。気持ちいいことにおぼれてしまえばいずれ消えていくだろうと思っていたが、甘かった。寝れば寝るほど、虚しさは確かに強く感じる。
どうしろっていうの。
冬休み明け、僕は初日から授業をサボった。学校を出て、近くの広場で寒さに耐えたり、店で適当に食べたりした。夕方になると、学校へ戻って、奥庭でやっぱり寒さにぶるぶる震える。授業終了の鐘が鳴った。休み時間の間だけ、学生達のざわざわする音が聞こえる。今は本も持ってきてないのだ。退屈しのぎが何もない。こんな冷たい風の吹く日に、外で過ごすこともないのに、僕には正常な判断ができなくなってるらしい。ざわざわが、じょじょに小さくなって、授業開始の鐘が鳴る頃には、消えてった。
今日は授業を受ける気がしない。僕はベンチから立ち上がって、学食を目指そうとする。考えごとに集中していたんだ、きっとそうに違いない。
目の前に、昴がいることに気づかなかったんだから。
「リオン」
「……なに」
「凪と、寝たんだってな」
「うん」
たぶん、凪から聞いたんだろう。別に不思議ではない。秘密にして欲しいとは言ってないのだから。
「凪だけじゃなく、他の奴とも寝てるって聞いた」
「その通りだよ」
「なんで」
「何が?」
「何で、そうなんだ?」
昴の目に、拒絶の色はない。どうも、僕のことが理解できないようだった。やっぱり、この男はうぶだった。
「僕、気持ちいいこと大好きだから。いつまでも昴がそうして嫌がるから、別の奴と寝てるの。それだけ」
「けど! それって、なんか、変だろ」
「何で? 気持ちいいんだからいいじゃない」
風が吹く。うわ寒。マフラーが飛んで行ってしまわないように、巻き直した。
「だって、うまく言えねえけどさ……その、恋人がいるのにそれっておかしくねえ? リオンは俺の恋人だろ? それを差し置いて別の奴と関係を持つって、リオンはそれでいいのかよ」
「いいよ。……昴は、気持ちいいこと、好きじゃないの?」
「や、そういうわけじゃねえけど」
「じゃ、なんでそう思うの? 人間なら、気持ちいいことをしたくなるのは当然じゃないかな」
「そりゃ分かるさ。俺だって健全な男だからな」
昴の中では、同性を好きになるのも健全の内に入るらしい。
「だけどさ、その、気持ちよさだけじゃなく、もっと別の気持ちを味わいたいのも人間だろ? まして恋人なら。好きな奴と気持ちいいことしたいと思うけど、同時にそいつに対して愛情を持つのだって自然じゃねえか?」
「愛情?」
僕にとっては、縁遠い言葉だった。
「俺はリオンが好きだよ。好きだから、リオンと一緒にいるだけで満たされるし、ドキドキするけどそれが心地よかったりするし、リオンが俺以外の野郎と寝ると嫉妬もするんだよ」
「それって、ヘンな独占欲だよ」
「だろーな」
昴は僕の皮肉に苦笑する。
つまり、昴は、行為に及ばなくても、僕がそばにいるだけで幸せなのだ。だから手を繋いだくらいであんな赤くなるし、一緒にご飯食べたり勉強したりすると笑うのだ。それは、僕に対して愛情を抱いているからなんだろう。
でも、僕は違うのだ。何事も、気持ちよさがなくちゃ始まらない。淫乱だって、思われるだろうけど、僕はもともとそういう性格なのだ。昴とは、考え方からして違うんだ。
「勝手な独占欲だとは重々承知してるよ。だけどさ、リオン、俺はお前が俺以外の野郎と寝て欲しくないんだよ」
「さっきから、自分だけべらべら言いたいことしゃべってくれるよね……」
僕は、昴の願いをちょっとだけ無視して、自分の言いたいことをべらべらしゃべる。
「そもそも、おかしいんだよ最近。昴と付き合うようになってからかな、この際だから白状するけど、他の男とも寝たんだよ。気持ちよかったよ。昴と違ってみんな経験豊富だし、上手だし。でもね、気持ちいいことだったのに、それが終わるといつも虚しくなるんだよ。しかも強く。ヘンだよ、これ。昴のせいだよ。昴のせいで、僕は気持ちいいんだかなんだか分かんなくなっちゃったんだよ」
僕の言いたいことは、これだった。独占欲なんて持ってない。ただ、快楽に忠実な人間なんだ。快楽に忠実だったから、虚しさの正体が分からない。この怒りのぶつけどころも分からず恋人に八つ当たりする。
ところが、昴はこの虚しさをすぐに見抜いた。
「それはな、うぬぼれじゃないけど……お前が愛情を持ってるってことだよ」
「昴に?」
「そ」
僕は頭をフル回転させて考えた。
虚しいってのは、昴が好きだから? 昴に対して、少しでも愛情を持ってるなら、別の誰かと寝て得た快楽は、快楽じゃない。気持ちよくなっても、それは一時的な気持ちの高ぶりに過ぎないのだ。
「なーんだ」
そうか、と僕は納得した。気持ちいいことが大好きだったはずの僕は、いつの間にか気持ちよさよりも昴のことが大好きになっていたのだ。一緒に気持ちいいことを味わって欲しかったから、昴以外の誰かと寝ても、それは昴じゃないから、虚しかったんだ。
「僕って、酷い恋人だね」
「んなことねえって。俺は、そういう短所もひっくるめてリオンが好きなんだから」
昴は照れくさそうに笑う。僕は、昴にぎゅっと抱きついた。これにはさすがに驚いたようで、服越しでも確かに、昴の心臓がどきどきしてるのがよく分かった。
「お、おお? どした!?」
「……さむい」
「寒い?」
「真冬だもん。ずっと外にいたら凍えちゃうよ。ねえ、あっためて?」
僕は、どんな表情をして彼を誘ったのだろう。僕を見下ろす昴の顔が、ぽかんとした表情から、優しい微笑に変わる。
「おうよ。むしろ暑くしてやる」
気持ちいいこと優先主義の僕は、ようやく純粋な愛情を自覚した。今年の夏は、ニーベルングに帰ろう。恋人を連れて。
急に思いついたお話です。またも昴とリオン。何でこう、女性向けの話に限ってすぐに思いついてすぐに書き上がるんだろう……
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。