辺境の暮らし
王都を発って十二日目。
俺はようやく目的の地にたどり着いた。
見渡す限りの荒野。遠くにぽつぽつと木々が見えるが、集落らしきものは一切ない。乾いた風が砂埃を運んでくる。
普通の人間なら絶望するような光景だろう。だが俺の口元には、自然と笑みが浮かんでいた。
「よし。ここにしよう」
まずは家だ。
生活魔法に意識を集中させる。地面に手を当て、頭の中で間取りを思い描く。一人暮らしに十分な広さの平屋。居間、寝室、そして何より──広い厨房。
魔力が手のひらから地面へ流れ込む感覚があった。次の瞬間、地面が隆起し、土と石が組み合わさるように形を変えていく。壁が立ち上がり、屋根が架かり、窓が開く。ものの十分ほどで、石造りの小さな家が完成した。
中に入ると、思い描いた通りの間取りだった。壁は滑らかに仕上がり、床も平らだ。生活魔法の精度に自分で驚く。
次に家具。テーブル、椅子、ベッド、棚。これらも生活魔法で木材を生成し、形を整えていく。
そして──厨房の設備。
「包丁」
掌の上に、銀色に光る包丁が現れた。重さ、バランス、刃の角度。長年の料理人としての経験が、理想の一本を正確に思い描かせた。指先に馴染む柄の太さ、刃渡りの長さ。完璧だ。
「鍋。フライパン。まな板。ボウル」
次々と調理器具を生み出していく。鋳鉄の重厚な鍋、使い込んだような手触りのフライパン、厚みのある木のまな板。どれも俺の手に馴染む、理想の道具たちだ。
竈も生活魔法で作った。火は生活魔法で自在に操れるから、薪の心配もない。火力調整も思いのまま。料理人にとって、これほど理想的な環境があるだろうか。
水は──地面に手を当てて鑑定すると、地下に水脈があることがわかった。生活魔法で井戸を掘り、きれいな水が湧き出した。
「さて」
俺は空間収納から、王都で集めた野菜の端くれや果物の種を取り出した。
家の裏手に広がる荒れ地。石だらけの痩せた土地だが、五穀豊穣には関係ない。
人参のヘタ、大根の切れ端、じゃがいもの皮に残った芽、トマトの種、りんごの種、この世界特有の青い果実の種──それらを等間隔に土に植えていく。
手を合わせて、五穀豊穣を発動。
三時間後。
「……すごいな」
目の前に広がる光景に、我ながら言葉を失った。
つい先ほどまで荒れ地だった場所が、みずみずしい野菜畑に変わっていた。立派な人参が葉を広げ、丸々としたトマトが赤く輝き、じゃがいもの株が地面をこんもりと盛り上げている。りんごの木は──さすがに果実はまだだが、苗木としては十分な大きさに育っていた。
一つ鑑定をかけてみる。
-----
**【人参】**
品質:高品質
効能:体力微回復(栽培者レベル1)
備考:通常の人参より糖度・栄養価が高い
-----
レベル1でも効能がつくのか。レベルが上がればさらに強力な効能が付与されるのだろう。
その日の夜、俺は初めてこの世界で本格的な料理を作った。
採れたての人参、トマト、じゃがいも。市場で買った香辛料と塩。井戸から汲んだ澄んだ水。
人参の桂剥きは手が覚えている。包丁が滑るように進み、透けるほど薄い人参の帯が板の上にくるくると巻かれていく。じゃがいもは丁寧に皮を剥き、均一な大きさに切り揃える。トマトは湯剥きして──生活魔法で湯を沸かし、皮がはじけたところで冷水に取る。
鍋に水を張り、じゃがいもと人参を入れて火にかける。生活魔法の火は理想的な火力を維持してくれる。弱火でコトコトと、野菜が柔らかくなるまで煮込む。
仕上げにトマトを加え、塩と香辛料で味を整える。
素朴な野菜スープだ。定食屋で何百回と作った、俺の十八番。
木のスプーンですくって口に運ぶ。
「──うまい」
思わず声が出た。
野菜の甘みが凝縮されたスープは、これまで作ったどの野菜スープよりも深い味わいだった。五穀豊穣で育った野菜は、素材としての力が違う。
一人きりの食卓。石造りの家の中、魔法の灯りに照らされた小さなテーブル。
孤独──のはずだった。だが不思議と寂しさはなかった。孤児院で育った俺は、一人でいることに慣れている。むしろ、誰の目も気にせず、好きなだけ料理ができるこの環境は、望んでいたものに近い。
翌日から、俺の辺境生活が本格的に始まった。
毎朝起きたら畑の手入れをする。収穫して、また植える。端くれを植えるだけで三時間後には立派な作物になるのだから、畑はどんどん広がっていった。
収穫するたびにレベルが上がる。レベルが上がるたびに作物の効能が上がっていく。レベル5を超えたあたりから、人参は「体力小回復」に、トマトは「活力増強」に効能が変わった。
空間収納に、時間の止まった新鮮な食材がどんどん蓄えられていく。
料理の幅も広がった。最初は王都で買った限られた調味料だけだったが、ハーブ類の種を見つけて畑の隅に植えたところ、見事に育った。バジルに似た香草、ローズマリーのような芳香を持つ灌木、唐辛子に近い辛みのある小さな実。
朝は焼きたてのパン──小麦の種も市場で手に入れていた──に、目玉焼きと野菜のソテー。昼は冷製パスタ風の麺料理。夜は煮込み料理やグリル。この世界にない日本の味を再現しながら、この世界ならではの食材を組み合わせて新しいレシピを生み出していく。
味噌や醤油に似た発酵調味料は、この世界の大豆に似た豆を使って仕込んだ。空間収納に入れれば時間が止まるが、あえて外に出して発酵を待つ。毎日様子を見ながら、かき混ぜ、温度を管理する。
こうして一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎた。
荒野の中に、緑豊かな畑と果樹園に囲まれた小さな石造りの家。竈から立ち上る煙と、風に乗って漂う料理の匂い。
レベルは地道な収穫の繰り返しで既に30を超えていた。作物の効能も「中回復」「状態異常耐性」「魔力回復」など、もはや高級ポーションに匹敵するほどになっている。
もっとも、そんな効能を実感する機会は俺にはほとんどなかった。たまに近づいてくる弱い魔物は、生活魔法で追い払えばそれで済む。
平和で穏やかな日々。料理を作り、食べ、畑を耕す。それだけの毎日が、俺にはこの上なく幸せだった。
──そんなある日のことだ。




