あの日、なんで俺は言っちまったんだろう【掃除係アイリス外伝】
――あの日、なんで俺は、あんなことを言っちまったんだろう。
第一騎士団の大部屋は、あの日も相変わらずだった。書類が机から滑り落ち、団長が騒ぎ、若い連中が走り回る。見慣れた、いつもの光景だ。
その空気を、少し軽くしてやろうと思っただけだった。
若手は照れる。女の子は、からかえば輪に入る。
古株の俺は、場を和ませる役――
そうやって、自分の立ち位置を決めて、長年やってきた。
俺にとって「からかい」は、“若い連中と距離を縮めるための愛嬌”のつもりだった。
第二騎士団の副団長は真面目すぎる。
だから、少し茶化してやるくらいがちょうどいい。
そういうもんだと、思い込んで疑わなかった。
彼女のことも、同じだった。
若くて、細くて、控えめで。
無難に返事をしてくれる、無難な若手。
第二の副団長に気に入られてるのも、まあ可愛いからだろう――そんな、浅い認識のまま。
「おー? いい空気じゃんか。逢引きの帰りかぁ?」
その言葉が、どれだけ場を濁したか。
あの時の俺は、分かっていなかったんだ。
副団長が言った。
「やめろ。そういう冗談は不快だ」
低くて、静かな声だった。
だが俺は、心の中で舌打ちしただけだ。
(まぁた真面目全開かよ~)
(俺は場を和ませてやってるだけだろ~?)
本気の嫌悪だと、気づかなかった。
理解しようとも、してなかった。
性格の問題だと、勝手に片付けていた。
――あの瞬間までは。
「スズークさん。一つ、聞いてもいいですか?」
その声で、世界が凍った。
柔らかいのに、死ぬほど冷たい。
怒鳴り声でも、罵声でもない。ただ、逃げ道を許さない声だった。
(……え?)
彼女は、怒らない人間だと思っていた。
反論しない。若いから、こっちの話なんか軽く流す。
その思い込みが、ガラガラと崩れた。
「面白いと思って言っているんですか?」
心臓が止まるかと思った。
(え……。本気で怒ってる?)
(なんで? そんな大ごとに……)
軽い冗談が、いきなり重罪扱いされた。
そのくらいの落差に感じた。
つまり俺は、自分が何をやらかしたのか、分かっていなかった。
彼女の問いは、続いた。
「ここ、男性だらけですけど」
(そうだった)
今まで気にも留めなかった。
「私、誰と話しても“逢引き”になっちゃいますね?私は、誰とも話さず黙っていればいいんですか?」
背筋が、ぞっとした。
女性が黙るしかない状況。
自分が、そんな空気を作っていたことをようやく理解した。
副団長の視線が、怖かった。
団長も、ルーカスも、固まっている。
「次は“注意”じゃなくて、“正式な処理”をします」
その一言で、俺に残った選択肢は一つになった。
「……すんません」
それしか、言えなかった。
それからだ。
彼女を見ると、背筋が伸びる。
話しかける時は、自然と丁寧になる。
若手に対する言葉も、慎重になった。
元に戻れるとは、思っていない。
夜。
部屋で一人、反省文を書く。
書いて、捨てて、また書く。
誰にも出さない。
悪気はなかった――
そう言い訳したい自分が、まだどこかに残っている。
だからこそ、戒めとして書く。
書いては捨てるその紙の数だけ、昔なら気にも留めなかった感情が増えていた。
出さないまま、心の引き出しにしまって。
――それでも、
あの日の彼女の声だけは、消えずに残っている。
本編 第十二話の、スズーク視点でした。




