阿貴の内心、阿矢の決意
阿貴の内心、阿矢の決意
阿貴が、自分が“本当の子供ではない”と知ったのは、まだ中学に上がるかどうかの頃だった。
誰かに教えられたわけではない。両親から聞いたわけでもない。
ただ、偶然に。
ふとしたきっかけで、知ってしまっただけだ。
その事実を知ったところで、幼かった彼にできることは何もなかった。
怒ることも、問い詰めることもできず、ただ胸の奥に、小さな影が落ちた。
家族は変わらなかった。
今まで通りに笑い、食卓を囲み、普通の家庭として日々を過ごした。
今さらその関係を変えるつもりなど、阿貴にはなかった。
けれど。
影は、消えなかった。
だから阿貴は、青碧学園を選び、寮に入ろうと思った。
逃げたいわけではない。
家族は大切だし、感謝もしている。
それでも、一度家から距離を取り、外に出る必要があると、そう思った。
甘え続けるわけにはいかない。
ならば、早いほうがいい。
そう考えただけのことだった。
その理由を、阿貴は誰にも話していない。
――そして、その変化を、一番近くで見ていたのが、妹の阿矢だった。
阿矢は阿貴より一つ下で、すでに兄の身長を追い越している。
並んで立てば、自然と見下ろす形になる。
手足は長くなり、体つきも年齢のわりに大人びてきていて、初対面の人には年上に見られることも多い。
けれど、それは外側だけの話だ。
中身はまだ子供で、感情が先に走る。
不安になれば理由を探す前に、胸の奥がざわつく。
阿矢が最初に違和感を覚えたのは、兄の制服の扱いが変わった頃だった。
玄関に掛かっていた上着が、いつの間にか部屋に移されている。
洗濯物も、以前より丁寧に畳まれ、きちんと引き出しに収められていた。
段ボールが増えた。
机の上から、少しずつ物が消えていく。
参考書が束ねられ、ノートが箱に入れられる。
阿貴は、何も言わない。
寮に入るという話は聞いている。
けれど、それ以上を語ることはなかった。
いつも通りの顔で、いつも通りに過ごしながら、
ただ、前を向いている。
阿矢は、その背中を見ていた。
背丈ではもう追い越しているはずなのに、
距離だけが、少しずつ広がっていくように感じていた。
ある日、兄の部屋のクローゼットが半分ほど空になっているのを見て、阿矢は足を止めた。
胸の奥で、何かが静かに沈む。
――ああ。
――本当に、行くんだ。
誰も悪くない。
引き止める理由もない。
それでも。
――兄が、遠くに行く。
それが、阿矢にはたまらなく嫌だった。
理屈じゃなく。一緒に暮らしてきた兄が遠くに行く、その事実が。
遠く、と言ったが、通えない距離ではない。
その気になれば、青碧学園は、連休でも土日でも会いに行ける距離だ。
阿矢が感じた遠く、という表現は、そんな事ではない。
兄は、何も語らない。
語らないまま、何かを心に決めている。
理屈じゃなく、
――そんなのは、嫌だ
強く、心に落ちた感情を自覚してしまえば。
阿矢には止まる選択肢など浮かばなかった。
その夜。阿矢は自分の部屋で、一人机に向かう。
迷いはなかった。
その先の事も、試験の難しさも、そんなもの、彼女を止める根拠になりえなかった。
ただ、兄を追いたい。近くにいたい。
まっさらなノートを開き、1ページ目に、決意を記す。
「目指せ、青碧学園」
ページいっぱいに大書された決意の文字は、わずかに震えていた。
だが、書き直すつもりにはならなかった。
――あたしも、行く。
目指す理由は、それだけで十分だった。
この章で中学生編は終了、次はいよいよ寮生活編(仮題)がスタートする予定です。




