ミソジニスト外科医・種田の異世界転生
「ちょっと!タネダ!何してるのよ!」
甲高い叫び声が耳に入るなり、タネダこと種田岩男は内心で大きく舌打ちした。岩男は女が嫌いなのだ。いわゆるミソジニストというやつである。
特にメスガキはいけない。キンキンと甲高い声で岩男の神経をガリガリと削ってくる。
──やれやれ、本当にあのガキは凄腕の魔術師様なんですかねぇ
何してるもクソもない、と岩男が内心で再度大きく舌打ちした。
──回復魔法ってのが何なのかわかっていやしない。まあ顔は良くてもオツムはド低能なんでしょうね
非常に差別的な事を考えながら、岩男は目を細めた。
眼前には腹部を大きく切り裂かれた女が横たわっている。剣士アリーシャだ。
「早く魔法をかけなさいよ!アリーシャが死んじゃうでしょ!」
──いっそそのままくたばってくれるとありがたい
そんな事を思いながら、岩男はアリーシャの傷口に指を突っ込んだ。
「なっ!?」
今度はやや低い声。それに対して岩男は──
「アオイ殿、ご心配召されるな。これをご覧ください」
いうなり、岩男は傷口から指を引き抜いた。ソーセージのようなデブ人差し指とタラコの様なデブ親指の間には一匹の芋虫が蠢いている。
「ちょっ……それなによ……」
メスガキ──レイアに対して、岩男は「魔蟲ですな」と事も無げに言った。
「ワーム種の魔物はその強力な再生力ばかりに目がいきがちですがね、一番厄介なのはこうして子供を敵対者に植え付ける寄生行為を行う種もいる点なんですよ。ちょっとした返り血も要注意ですな。もし気づかずに傷口を塞いでしまえば、孵化した幼虫どもが内臓を食い荒らすわけですわ」
岩男はそう言いながら、指でつまんだ魔蟲を近くにあった金属製のトレイに放り投げた。
カランと乾いた音がする。
魔蟲は半透明の粘液を分泌しながら、のたうつように蠢いていた。
「うげえ……」
レイアが心底気持ち悪そうに顔をしかめる。
無理もない反応だ。
だが岩男にしてみれば、この程度のことで騒ぎ立てる女の神経が理解できなかった。
前の世界では、もっと凄惨な現場を山ほど見てきたのだ。
「タネダ先生、的確な判断でした。ありがとうございます。しかし、ワーム種がそういう事をするなんて……」
「まあ余り知られてはいないことです。寄生行為を行うワーム自体、かなり少ないですからねぇ。あの魔物はひとくくりにワーム種とまとめられてしまっていますが、実際は数十数百種いるんですな。見た目が余り変わらないからまとめられがちですが」
説明をしながらも、岩男の視線はねっとりとアオイの顔を舐めまわすように撫でる。
(やはり美青年は良い)
岩男は内心で深く頷いた。
アオイの整った顔立ち、青みがかった黒髪、そして何よりその誠実そうな瞳。
全てが岩男の好みだった。
彼のような存在がいなければ、この女尊男卑の世界でとっくに発狂していたかもしれない。
「本当にありがとうございます……」
「ま、アオイ殿の大切な仲間を、みすみす死なせるわけにはいきませんからな」
岩男の声は、先程までとは打って変わって砂糖菓子のように甘くなった。
我ながら現金なものだと思う。
だが仕方がないではないか。
美しいものは美しいのだ。
「ですが、まだ安心はできません」
岩男は医者の顔つきに戻り、表情を引き締めた。
「どういうことです?」
アオイが問い返す。
「まだ体内に残っている可能性があります」
岩男はそう言うと、再びアリーシャの傷口に指を突っ込んだ。
今度は人差し指と中指の二本だ。
麻酔などない。
ぐちゅりという生々しい音が響く。
「ひっ……」
レイアが息を呑んだ。
意識が朦朧としていても、痛みは感じるのだろう。
アリーシャの体がビクリと跳ねた。
「う……あ……」
苦悶の声が漏れる。
「動かないでください。命が惜しければね」
岩男は冷たく言い放ち、同時に微弱な魔力を体内に浸透させる。これはいわばエコー診断だ。
(む。感あり……)
指先に微かな違和感を覚えた。
あった。
岩男は慎重にそれを摘まみ出す。
結局、さらに三匹の魔蟲が見つかった。
「これで全部でしょう」
岩男は最後の魔蟲をトレイに放り投げた。
そしてすかさず懐から小瓶を取り出し、中の液体を蟲に振りかける。
ジュッという音と共に刺激臭が漂った。
強力な酸だ。
魔蟲は断末魔の叫びを上げる間もなく、溶けて消えた。
「これで下準備は完了です」
岩男はやっと回復魔法を使う気になったらしい。
彼は両手をアリーシャの傷口の上にかざした。
掌から淡い緑色の光が溢れ出す。
回復魔法である。便利な能力ではあるが万能ではない。
岩男は集中力を高め、魔力を精密にコントロールしていく。
イメージするのは、前の世界での手術の手順だ。
切断された血管を繋ぎ合わせ、裂けた筋肉組織を縫合し、皮膚を再生させる。
魔法は、そのプロセスを劇的に短縮してくれる便利な道具に過ぎない。
前の世界の医療知識と組み合わせることで、岩男の治療は他の癒し手とは一線を画していた。
光が強まるにつれて、アリーシャの傷口がみるみるうちに塞がっていく。
まるで時間を巻き戻しているかのようだ。
「すごい……」
アオイが感嘆の声を漏らす。
「他の治療院では、ここまで完璧には治らないのに」
「まあ、私は少々特殊な訓練を受けておりますので」
岩男は曖昧に微笑んだ。
まさか異世界から来た元外科医だとは言えない。
数分後、アリーシャの腹部には傷跡一つ残っていなかった。
滑らかな肌がそこにあるだけだ。
「終わりました。これで大丈夫でしょう」
岩男は額の汗を拭いながら言った。
さすがに大怪我の治療は骨が折れる。
魔力もかなり消費してしまったようだ。
「ありがとうございます、タネダ先生!本当に助かりました!」
アオイが岩男の手をしっかりと握り締めた。
その手は温かく、そして力強かった。
岩男の心臓がドキリと跳ね上がる。
ああ、この感触。
たまらない。
岩男は恍惚とした表情を浮かべそうになるのを必死で堪えた。
「い、いえ。当然の事をしたまでです」
彼は平静を装いながらも、内心では舞い上がっていた。
やはりアオイは素晴らしい。
彼のような美青年に感謝されることこそ、岩男にとって最高の報酬だった。
「ふん、これくらい当然でしょ。癒し手なんだから」
レイアが憎まれ口を叩く。
せっかくの余韻が台無しだ。
──このアマ……お前が重傷を負った時、覚えていろよ。
岩男は怒りを堪えながら、アオイに向き直った。
「アオイ殿。治療費の請求ですが」
「ああ、そうでした。いくらになりますか?」
アオイが尋ねる。
「金貨十五枚です」
岩男は即答した。
「じゅ、金貨十五枚!?」
レイアが再び噛みついてきた。
「ちょっと、高すぎるんじゃないの!?ぼったくりよ!」
──また始まった。
岩男はうんざりした気分になった。別にぼったくってはいないのだ。
「高いと思うなら他を当たればよかったでしょう。魔蟲の摘出と完全治癒。これだけの高度な技術を提供したのですから、妥当な金額です。なんでしたらお金はお返ししましょうか?その代わりあなた方は出禁とさせてもらいますがね」
「な、なんですって!?」
レイアが顔を真っ赤にして岩男に詰め寄ろうとする。岩男は内心でやや冷や汗をかいていた。というのも、岩男の身体能力ではレイアにはとても敵わないからである。
だが引く気はなかった。なぜなら、岩男にもプライドがある。自分の技術を安売りするつもりなどは毛頭なかった。
「レイア、やめろ」
アオイが有無を言わせぬ口調で制止した。
「先生はアリーシャの命を救ってくれたんだ。金貨十五枚は安いものだ」
そういって腰の袋から金貨を取り出すと、岩男に手渡した。
「ありがとうございます、先生」
「ありがとうございます」
岩男は金貨を受け取りながら、アオイの整った顔立ちに見惚れていた。
やはり彼は素晴らしい。
判断力があり、仲間思いで、そして何より美しい。
彼のような青年となら……という邪悪な考えが浮かんでくる。
だが岩男はそこで思考を打ち切った。
──いけないいけない。
「しばらくは無理をさせないように」
「わかりました。ご配慮痛み入ります」
アオイは素直に頷いた。
■
その夜。
岩男は自室で一人、今日の出来事を反芻していた。
アオイの手の感触、彼の真剣な眼差し、そして感謝の言葉。
それらを思い出すだけで、胸が高鳴る。
「アオイ殿……」
岩男は無意識のうちにその名を口にしていた。
そう、岩男には若く美しい青年を好む性質がある。
アオイはまさに岩男の理想を具現化したような存在だった。
だが同時に、一抹の不安も感じていた。
アオイはノーマルだろう。
しかも、アリーシャやレイアといった女たちと親密な様子だった。
(あの二人のどちらかが恋人なのかもしれない)
そう思うと、無性に腹が立った。
なぜあんな凡百の女たちがアオイの隣にいるのか。
怒りが昂ったところで、ふと鏡をみた。
そこには岩男でさえも唾棄したくなるような不細工面が映っている。
それをみて、岩男はフゥと切なげに溜息をつくのだった。
(叶わぬ願いだな)
岩男はアオイに惚れている。
なぜなら自分の技術を素直に尊敬してくれるから。
そして優しいから。
単純だと思うだろうか?しかし人間、他者からの尊敬やいたわりを極度に欠けば狂うのだ。
“以前”の岩男は狂いかける寸前だった。
だからこそ、自分などが、という思いもある。
嗚呼、と岩男は窓から空に浮かぶ二つの月を眺めた。
アオイは実は女だったという裏設定あり。アオイが種田に惚れ、種田もそれを受け入れるが、女ということが分かって──みたいなかんじ。ラブコメより。




