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逃げたい僕と、残りたい母

夕方、家に戻ると、母は窓の外をじっと見ていた。

まるで誰かを待っているみたいに。

その「誰か」が誰なのかは、聞かなくてもわかっていた。


「ねえ、母さん。父さんって……まだ、生きてると思う?」


ふいに口からこぼれた言葉。

母は少しだけこちらを見て、すぐに視線を戻した。


「わからないよ。でも、生きてると信じなきゃ……私たち、もう保てないでしょ?」


その言い方が苦しかった。

信じることって、そんなに消耗するものなのか。

壊れかけた柱みたいに、ただ倒れないためだけの支えになってしまうなんて。


「僕ね、昨日、支援の人に外の世界の映像を見せてもらったんだ」

母は何も答えなかった。


「向こうは、すごく綺麗だった。

道路にゴミが落ちてなくて、水も透明で……。

みんな笑ってて、普通に歩いてて、誰も爆発の音なんか気にしてなかった」


母の目が、ほんの少しだけ細くなった。


「だから、母さん。僕たちも行こうよ。逃げようよ。

そしたら、安全に暮らせるかもしれない」


僕の声は震えていた。

希望で震えたんじゃない。

拒まれることがわかっていたから、怖かった。


「……私は行かない」


母の声は鉄のように冷たくて、鋭かった。


「ここには、あの人との思い出がある。

この壁も、この椅子も、この窓から見える景色も、全部、あの人と過ごしたもの。

それを置いて、私は……生きていけない」


僕は、何も言えなかった。

母にとって、この町は「心」なのだろう。


でも、僕にとっては「檻」だった。

空は灰色で、風は焼けた匂いを運んでくる。

人が死んでも、誰も泣かない。


そんな世界で生きる意味が、僕にはわからなかった。

だけど一つだけはっきりしている。


——僕は、死にたくない。

誰かを殺してまで、生き残りたくもない。

でも、ただここで腐っていくのも違う。


「……母さん」

僕はゆっくりと立ち上がった。


「僕、逃げたい。父さんのいない世界でも、生きてみたい」


母は泣かなかった。

怒りもしなかった。


ただ、一度だけ、僕の名前を呼んだ。


「アスラン……」


それだけだった。

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