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5年後の約束

 カタ、コトとぎこちない足音を響かせながら、遼は目の前の煌びやかな光景に目を輝かせていた。


 一緒に行く友達などもなく、毎年組が出している屋台の手伝いで行くことが恒例となっていた地元の納涼祭に、遼は今、初めて家族以外に手を引かれてやって来ている。


 色鮮やかな綿あめ。甘い匂いをふりまくチョコバナナ。

 食欲をそそるしょうゆの焼けた香りと、見ているだけで真夏の夜のじっとりとした暑さを和らげてくれるかき氷。 


 そのどれもが、遼の心を躍らせるモノではあったが、それより何より、今日の遼の目を奪って仕方がないモノは、すぐ隣を歩く柊人の浴衣姿だった。


 向出 柊人(むかいで しゅうと)――遼の大切な、年上のカレシだ。


 黒の布地に、シンプルな赤い帯を巻いた柊人は、普段のお洒落な大学生みたいな緩い格好――柊人は童顔を気にしているようだが、顔そのものというより、いまいち服装や言動が年齢にそぐっていないのが年若くみえる原因のように遼は思っていた――より随分と大人びて見えた。

 限りなく地味な色合いが、逆に柊人の肌の白さと、目を見張るほどの綺麗な顔を際立たせていて、遼の心臓は破れそうに鼓動が早くなる。


「本当にタツさんも一緒じゃなくて良かったの? 僕の責任重大なんだけど……」

「この辺はうちの組の連中がそこかしこにいるし、祭り中に俺に手出そうなんてやつはいねぇよ」


 上の連中が抗争を起こしたせいで、俄かに鬼島組の周辺も騒がしくなっている。遼になにかあっては組長の顔に傷がつく――そう思って、監視を厳しくしている皆の気持ちはわからないではないが、折角のデートを邪魔されてはたまらない。

 早く、柊人を独り占めにして、二人っきりになりたかったのだ。


 遼は柊人についてあまりよく知らない。

 会社勤めをしていないと言うのは知っているが、その仕事の内容まで詳しく訊いたことはない。最初は無職なのではと疑っていたが――遼の近くにはそもそも定職についている大人の方が少なかった――仕事が立て込んでいる時などは、頻繁に連絡が入って、遼の前でも忙しそうにしているのを知っているから、働いてはいるのだと思う。


 ただ、柊人自身があまり自分のことを語りたがらないせいか、家の場所は愚か、家族構成だとかそう言った基本的なことすら知らない。柊人の身元を洗ったというタツの方がそういったことには詳しいのだろうが、敢えて訊こうとも思わなかった。


 遼の通学路の途中にある公園が、彼と遼の交流地点であり、そこに行けば会える、という絶対の信頼があればこそ、遼は柊人の素性について興味が無かった。

 柊人が、そこで自分のことを待っている。

 時には自分の方が待たされることもあったが、どちらにしろ会えればそれで遼は満足だったし、正直余計なことを考えている余裕なんてどこにもなかった。

 なぜなら、小学生の分際でませたことに、遼は彼に恋をしていた。

 同性だとか、年上だとか、そんな難しいことは全く考えつかない”ただの子供”だ。柊人の心労など思い至ることもなく、ただ只管に遼は柊人が好きで好きでたまらなかった。


 今だって、遼の熱を帯びた真っ直ぐの視線は、惑うことなく柊人の横顔を見上げている。幾ら見ても、見飽きない。彼の美しい横顔を一番近くで眺めるのを許されている、と思えば、現状不満はない。ただいつか、その顔を見上げるのではなく、柊人と同じくらいの背丈になって、並んで覗き込んでみたいとは思う。


 遼の熱視線に、耐え切れなくなったのだろう。柊人は気まずそうにほんの少し眉尻を下げて、「見すぎだよ、リョウちゃん」と、ほっそりとした指で、遼が頭につけていた戦隊ヒーローもののお面の紐を引っ張り、遼の視界を隠してしまった。


「あっ……! 何すんだ、柊人! 前が見えねえだろ」

「”前”じゃなくて、”僕の顔”がだろ」

 柊人の呆れた溜息が聞こえて、それからくすっと笑う声がする。


「リョウちゃんはもうちょっと、子供らしいことに夢中になれよ。ここには君の好きそうなモノが一杯あるよ? りんご飴食べる? 甘くておいしいよー。あ、金魚すくいでもする? それとも、たこ焼き食べようか。お腹、そろそろすいたでしょ?」

「……っ! いらねえ、そんなの!!!」


 あからさまな子ども扱いに、思いっきり頬を膨らませて、顔をそむける。そういう所が子供なのだと、すぐに柊人にからかわれるのは分かっていた。それでも、やめられない。柊人が構ってくれるなら、なんだって利用する。


 遼の子供っぽい仕草を見ると、柊人がホッとしたように表情を緩ませるのを知っている。それはまだ、遼に大人になって欲しくないという、柊人の願いのようなものなのかもしれない。それ自体は面白くないが、どうせあと数年もすれば、望むと望まざると大人にはなるのだ。だったら、この状況にとことん甘え尽くしてやるのも悪くない。



「あははっ、リョウちゃんがムクれてる。可愛いなあ」


 お面の端から、空気の入った頬をつんつんと突かれる。

 本当は、今すぐにでもお面を捨てて、また柊人の顔を見上げたかった。

 だけど、柊人はそれが嫌で遼の視界を塞いだのだ。柊人が嫌がることをするのは、本意じゃない。でも、見たい。だったら、素直に許しをもらえばいいと思いついた遼は、くいっと柊人の袖を引いて立ち止まった。


「なあ」

「ん?」

「どうしても、見ちゃいけねえの?」

「え?」

「―――柊人の顔、やっぱ見てえし……ダメか?」


 精一杯、甘えた声を出した。

 柊人は遼が大人ぶれば面白がってからかい半分気まぐれに大人扱いもしてくれるが、子供ぶったらぶったで、今度は柊人の方が無理をしてでも大人ぶって、大体の遼の要求には応えてくれる。


「リョウちゃんそれ反則。タチ悪い。狙ってやるのとかは、全然可愛くなんてないんだからね!」


 ぶつくさ言いながら、まんまと遼の思惑通り、柊人が遼のお面を引っ張り上げる。

 開けた視界に再び写りこんできた柊人の顔は、ほんの少し頬が赤く染まっていて、不機嫌そうに唇が尖っている。下手をすれば、さっきの自分よりガキ臭い表情に、思わず遼は吹き出した。


「ははっ……柊人でもそんな顔すんのか」

「そんな顔ってどんな顔だよ!?」

「あーいや、なんつーか」


 それは、小学生の自分が大人の柊人に言うべき言葉じゃないのは、遼にだって分かっていた。

 それでも気付いたら、自然と口を突いて出ていた。


「……かわいい――」

 

 それを聞いた柊人は、呆気にとられたようにぽかんと口を開け、遼は遼でなんて恥ずかしいことを言ってしまったんだと、慌てて両手で口を押さえると、真っ赤になった顔を隠すようにして俯いた。ざわざわと賑わう人の声に混ざって、恥かしさに震える自分の心臓の音がやたらと大きく聞こえる。いつの間にか向かい合って、お互い絡ませた視線は、戸惑いを隠せずにあちらこちらへと彷徨っている。


 しばしの沈黙を破ったのは、祭の最後を締めくくる花火の音だった。


 ドン、パっ、ドン、と。

 まだ開始を知らせる程度の軽めの花火の音に勇気づけられるようにして、遼は柊人の両手を握ると、自分の背の高さまでしゃがませた。そして見上げるのではなく、真正面から柊人の顔を見つめて、もう一度。


「可愛い、し……綺麗、だった」


 今日ずっと思っていたことを、ようやく口に出して言えば、柊人は「うわー」となんだか分からない声を上げて、しゃがんで立てた膝の上に顔を突っ伏してしまった。


「柊人、どうした? 腹でも痛ぇのか?」

 オロオロと柊人の背をさする遼に、ぐすっと鼻を鳴らした柊人が涙目を向ける。


「リョウちゃん、今のヤバイ。君がもうちょっと大きくなってさ、せめて今の僕の背を追い越すくらいになった時にまた同じことしてみなよ」

「あっ? それでどうなるんだ?」

 遼は目を丸くして首を傾げる。

「うん……そうなったらさ、多分――」

 ナイショ話をするように、遼の耳近くに柊人の唇が近づいた。

 柊人の纏う甘ったるい香水の匂いがふわり香って、ドキドキする。


「キスとか、もうちょっとエロいこととか、許しちゃいそう、僕」


 熱い吐息と共に囁かれた言葉を、遼はもちろん、忘れなかった。

 そうしてそれから5年後、柊人はまたこの場所で涙目になるのだった。

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