東金凛々子06
一章①→http://ncode.syosetu.com/n9717k/1/
七月八日、昨日ほどではないが十分に暑い今日この頃。
四時間目を回っても僕はまだ生存していた。
昨日、買い物のビニル袋を失った僕は、仕方なく駅前の牛丼屋でテイクアウトをした。
妹の裕香からはかなり文句を言われたが、口喧嘩する気力も僕には無かった。
そのまま、僕は寝た。
あれだけのことがあってので、今日、学校に来ようかどうかはさすがに迷った――が結局来る事にした。
その理由の一つに、昨日の彼女が東金凛々子では無いかもしれなかったからだ。
昨日はその女性を東金凛々子だと信じきっていたが、後になって冷静に考えてみると、あの時僕には彼女を東金凛々子だと証明できるものが無かった。
そんな曖昧なものに命の危険を感じて、学費を無駄にするのはバカらしいと考えたのである。
そもそも、もし彼女が東金凛々子だとしても、あれはあっちの勘違いから起きたのだから話せば和解できるはずである。
……たぶん。
「よおし終わったぁ、昼飯どうすんだ!?」
幸村がいつものテンションで話しかけてくる。
「どっかのバカが自販機ぶっ壊したからな。学食だよ」
飲み物無しではパンは辛いと昨日学習したのである。
「うぅ!……へっ!どうせそうやってみんなオレのせいだと思ってんだろ」
「思ってんだろってかそうなんだろ」
「違うね!あれはオレのせいじゃない!オレはただちょうど自販機の前にいた一年に『ちょっとボクの分も買っておいてくれるかなぁ、お金は今度払うから』って交渉してたら、後ろで並んでた二年生が『知り合いでも無い奴にたかるな』って言ってきやがったんだ。だからちょっとビビらせてやろうと思って、回し蹴りをそいつの顔にぶちかましてやろうとしたんだけど、相手にかわされてそのままの勢いで自販機に……」
「だから?」
「そいつが悪い!」
「お前が百パー悪いわ!!」
どんな思考回路してやがんだ、こいつは。
ハムスターが頭ん中で車輪を回してんじゃねえの。
そう言いたくなるほど見事な責任転嫁だった。
「まぁ、そんなことよりも、早く学食に行こうぜ!席なくなっちまう!」
「話を逸らすなっ!」
しかし、実際その通りだったのでそれ以上は突っ込まず、この騒ぎの中横で読書していた宇佐美を呼ぶ。
「宇佐美行くぞ」
宇佐美は本を閉じると黙って立ち上がり、机の横にある鞄から真っ黒な箱に入った自作の弁当を取り出した。
こいつは常日頃から弁当は自作である。だから僕たちが学食に行くときはその弁当を食堂に持っていく。
ちなみに僕は作らない。妹がまだ給食なので一人分だけ作るのは面倒だからだ(母親は鍋を爆発させるレベルの才能の無さなので作らせない)
「よし行くか」
教室の扉の方向に向かう。
その時。
僕の目に信じられない、いや、背筋が凍るようなものが映った。
それは廊下の窓際を背にもたれかかり、暑さを感じさせない冷ややかさな様子で誰かを待っているようだった。
三年生の印である赤いタイが、青いタイをつける一年しかいないこの廊下ではかなり目立っていた。
僕が佇んでいると彼女は僕に気付き、笑顔を浮かべた。
もちろんそれは昨日と同様にいい印象とは到底呼べる代物ではなかった。
一年の教室に堂々と彼女は入ってくる。
美しく長い黒髪が風で靡く。
横では幸村が何か言っているようだが、今の僕の耳には届かなかった。
彼女は僕の眼前まで迫ると言った。
「屋上までご足労願えるかしら。久重君」
間違いない。
こいつは東金凛々子だ。
「初めに」
東金は屋上へ向かう階段の踊り場で僕に話しかけた。
どうやら屋上というのは言葉の綾で、僕を連れてきたかったのはここらしい。
幸村と宇佐美には先に食堂のほうへ行ってもらった。
幸村が『どういう関係だ』的なことを言っていたが、知られると面倒なので、適当にごまかしておいた。
というわけで、噂の東金凛々子さんと二人きりである。
「何かあなたから言いたいことは無いかしら」
東金は階段を一段登り、まるで僕を見下すかのように、ていうか、実際見下して言った。
背高いな、こいつ。
「僕はストーカーでもないし、殺人犯でもありません」
「それは今から私が決めることね」
…………。
じゃあ聞くなよと言いたい。
「他には」
東金は短く発する。
「……何で僕のクラスがわかったんですか。いや、それ以前に何でこの高校だって……」
僕はあの時私服だったのだ。
お世辞にもファションセンスがいいとは言えない服装だったが、制服ではなかったのだ。
「それについてはこれね」
東金はそう言うと持っていた紙袋から見覚えのあるビニル袋を僕に差し出してきた。
「これのスーパーの店員に聞いたのよ。『赤縁メガネの男の子がさっき買い物していかなかったか』って。それはそれは簡単に教えてくれたわ。個人情報駄々漏れね。常連さんなんだって?久重君」
長い髪を揺らして、嘲笑する。
「……それでもまだせいぜい半分ってとこでしょう。学年とクラスについてはどうしたんですか」
「あなた、バカなのね」
質問してから0.7秒ほどで返答が返ってきた。
「そんなの名前さえわかってしまえば簡単に割り出せることでしょう?今はネットもあるんだし。いちいちそんなことで私の口から声を発させないでくれるかしら」
「………………」
こいつ何様のつもりなんだ。
あのバカよりも全然腹が立つぞ。
「質問」
東金は短く僕に聞いた。
「……無いです」
だから、僕もそれしか答えなかった。
「そう」東金はあまり興味がないのか、ため息混じりだった。
「じゃあ私の質問と参りましょうか、久重君」
階段を一段降り僕と同じ目線に立つ。
こうしたらよくわかるけど、こいつ背が高いというよりもめちゃくちゃ足が長いな。
「なぜ、私を付けて来たの」
東金は僕から目を逸らさず聞いた。
「……昨日殺人事件があったから、あの土手に向かう女子を見て危ないなと思ったんです」
「それは、危ないなと思って注意を促そうとしたの?それとも、危ないなと思ってそのか弱い女の子が赤帽子に殺されるのを見たかったの?」
「んな訳ないでしょう?もちろん前者です」
ていうか、か弱い女の子はサバイバルナイフなんて振り回さないと思う。
「ふぅん。そう」
東金は半信半疑といった様子だった。
「でも、あなたはあのスーパーから昨日の橋までかなり距離があったのに話しかけなかった。それはどうして」
「それは……」
言えない。
思いつかなかったなんて恥ずかしくて言えない。
僕は東金から目を逸らした。
「危ないと思うんだったら話しかけてくれてもおかしくないわよね。ねぇどうして。答えられないの」
尋問のような容赦ない言葉攻めが続く。
「もっもしかしたら家がすぐそこなのかなって思ったんですよっ!その場合、話しかけるだけ無駄ってもんでしょう」
よぉし、ナイス自分。これでごまかせたはずだ。
僕は東金の様子を再度見る。
「ふぅううん」
明らかに疑われていた。
「まぁいいわ」東金は記憶を探るように次の質問を並べた。
「私がナイフであなたを切りつけたとき、なぜあなたは私を倒した際にナイフを奪わなかったの。そして私から逃げた後、なぜ警察に通報しなかったの。突然ナイフで切りつけられたなら通報してもおかしくないでしょう」
東金は僕に尋ねた。
僕は正直に答える。
「ナイフを奪わなかったのはそこまで頭が回らなかったからです。早くこの場から逃げなくちゃと思っていましたから。それと警察に通報しなかったのは、なぜあなたが僕に切りつけてきたか理由がはっきりしていたからです。あれは明らかな勘違い起こったことですから話せば解決できると思ったんです。ていうか、僕には今日まであなたが東金凛々子さんだと言う確証は無かったんですから……」
「ふんふん、なるほど」
東金は今までの質問を見て、まるで僕自身を評価しているようだった。
「いいわ。わかった。あなたはストーカーの可能性はあっても赤帽子の可能性はゼロだわ」
「ストーカーの可能性もゼロです」
踊り場の窓から外の世界を眺めながら東金は僕に無罪判決を言い渡した。
その横顔は妙に残念そうであった。
「もう行っていいわよ。お友達が待っているんでしょう」
「ああ、すいません。その前に僕からもう一つだけ質問していいですか」
僕の言葉に振り向いた東金は明らかに意外そうな顔を浮かべていた。おそらく僕から質問が来るとは思っていなかったのだろう。
「何であんなところにあなたはいたんですか。もしかしてその赤帽子を探しているんですか」
「それでは質問が二つになっているわね」
東金は呆れる。
「あっすいません」
「――まぁいいわ。答えは一つだから」
東金はまた外の世界を眺めると今度は目を合わさずに話した。
「この前の殺人事件の被害者、私の友人だったのよ」
「………!」
担任は確かに十九歳くらいの女性と言っていた。
「家が近所でね。小さいころからずっと一緒に遊んでいたわ。でも最近はずっと会えなくて、久しぶりの再会がこれよ」
東金は遠くを見るようなまなざしで風を感じていた。
そのたびに揺れる長い黒髪はなぜだかとても儚かった。
「だから私がエサになって犯人をおびき出して殺してやろうと思ったのよ。同じ様に喉を引き裂いてやってね」
「……あまり賛同できた作戦じゃあないですね」
「あなたの意見なんてどうでもいいわ。むしろ不愉快よ」
どうやら僕に発言権はないらしい。
受信しかできないようだった。
「ふぅ、それにしてもやっと赤帽子が釣れたと思ったのにまさか勘違いだとはね」
外の景色を見るのをやめ、東金は大きく伸びをした。
「ていうか、普通、推理小説とかだと先に現場の状況や死体を調べたりして犯人を捜すもんですけどね」
それは単なる世間話のつもりで。
僕はきっとまた無視されるものだと思っていた。
そしたら、僕は食堂に向かう予定だったのだ。
しかし、それを聞いた東金の動きが止まった。
「……なるほど、盲点だったわ。プロファイリングね」
独り言のように呟くと僕の方に向き直った。
「明日、現場検証に行ってみましょう。明日は土曜日だから暇でしょう。朝十時にあの橋へ集合」
「……はい?」
何のことだ。ていうか、それよりも。
「僕も行くんですか……?何で?」
そう尋ねると、東金は不思議そうな顔で答えた。
「あなたは助手よ。私に使ってもらえるんだから光栄に思いなさい。レッドアイズ」
「僕は助手でも真紅眼の黒龍でもないっ!!」
しかし僕がそう訴えたときには目の前に東金はいなくなっていた。
やはりあいつには瞬間移動能力があるのではないかと僕は思う。
「……そういえば」
僕はそこにあった空のスーパーのビニル袋を見て思い出す。
「昨日の食材返しやがれっ!!」
五階の屋上から二階の三年生の教室まで届くほどの大きな声で。
僕は叫んだ。
東金凛々子一章終了です。