東金凛々子04
一章①→http://ncode.syosetu.com/n9717k/1/
目が覚めた時、僕は犬のように地面に寝転び、数多の星を眺めていた。
周りは土臭い。
脇では水が流れる音が聞こえる。
なぜこのような場所にいるのだろうか。
思い出せない。
僕は思考した。
そして、この答えにたどり着くのには五秒かからなかった。
「東金……凛々子」
そう。
自分以外の人間を見下しているような冷ややかな目を持つあの女。
美しい長い黒髪と神秘的な品性を擁するあの女。
僕はあいつに出会ったはずなのだ。
殺人事件が起きた、この土手で。
「犠牲者……」
教室が担任の言葉に静まり返る中、僕は誰にも聞こえない程度に呟いた。
それは、おそらく。
耳を疑いたくなることだが。
文字通りの意味なんだろう。
ド田舎とは言えないが、確実に絶対的に都会ではない事は断言できるこの町。
町で一番の犯罪と言えば住居不法進入くらいの平和な町。
そんな僕らの町で起こってしまった。
――殺人事件。
そんなもの、TVでは日常的だが。
僕にとってそれはTVの中でしか存在しないようなもので。
だから、こんな身近な場所で人が殺されたということに酷く違和感があり、とてもじゃないけど信じられなかった。
「橋の裏側」
担任は言う。
「仏さんは喉を裂かれた後、橋の裏側に吊るされていたそうだ。今日のお昼ごろ、近所を散歩していたご老人に発見されたらしい」
その橋は学校の通学路である。
だから、多くの生徒が今朝も通っていたはずである。
僕もその橋を利用して学校に来ていた。
死体が吊るされていたかも知れない橋の上を。
全身に鳥肌が立つ。
「かわいそうにな……。まだ十九歳くらいの女の子、いや、女の子とは言わないかもしれないけどな。それくらいの年の子らしい」担任はため息をつく。
「いいか、お前ら。今日、明日は警察の許可無くそこの橋は通れないから。穂山方面の生徒は迂回して帰るように。わかったな」
穂山の人間があの橋を使わずに迂回して帰るとなるといつもの三倍は歩かなくてはならないだろう。
当然、大ブーイングが起きるかと思いきや、教室では一言も文句を言う奴は出なかった。
みんな、わかっていた。
その犯人の異常性を。
だから、黙って従うのだ。
言っても無駄だから。
しかし、その沈黙を破ったのはやはりバカだった。
「おいおい!その通り魔が狙ってんのは女だけなんだろ?じゃあ男は関係ねぇじゃん!」
その一言は教室を気まずい雰囲気にした。
それはみんな、思っていたことなのだ。
被害者は四人、今回で五人目だが、全て女。
よって、その犯人は男にはおそらく、まず安心であることを。
男に対して橋を封鎖する意味は皆無であることを。
それはみんな感じていたことであった。
しかし、人が一人死んでいるのだ。警戒するのも当たり前だと、それくらい高校生にもなったらわかりそうなものだが。
まったくこいつは本当にバカである。
だが。
「黙っていろ、人一。」
シンとなった教室で口を切ったのは無口なクラス委員の宇佐美であった。
そのドスの利いた言葉に、さすがの幸村でも体をビクッと震わせそれ以上は何も言わずに――いや、言えずに席に着いた。
そして、また教室は沈黙に包まれた。
「まぁ、とにかく今日は早く帰るように。部活も全校休止だ。日直、号令」
きっかけを作るように担任がそう言うと、慌てて日直が号令をかける。
そして、そのまま今日は放課になった。
…………。
下校しようと校門に押し寄せる大量の生徒を、僕は四階の窓から見下ろしていた。
「なぁ~、帰らないのかよぉ」
幸村が赤ん坊が駄々をこねるように机をがたがた揺らしている。
「僕は人がたくさんいるところが無理なんだよ、頭痛くなるから。人がいなくなってからでもいいだろ、まだ日差しが強いし」
僕の隣、宇佐美は窓際に寄りかかってハードカバーの本を読んでいた。
真夏の温い風でも宇佐美にかかれば日本のさわやかな夏の風の様だった。
バックのオレンジ色の情景も様になっていた。
「えぇ~!早く帰って、こうクイッとやろうぜぇ!」
「ええい、うるさい!引っ付くな暑苦しい!」
無理やり、腰にまとわり付いてきた幸村をひっぺりがす。
もう昼ではないとは言え、楽に三十度は越えてんだぞこのやろう。
「暇なら、期末テストの勉強でもしてろっ!お前どうせヤバイんだろ」
「お前も頭悪いじゃん。その眼鏡は伊達なんだろ」
「……確かに僕は頭が良い方ではないがお前ほどじゃない!それにこの眼鏡はちゃんと度が入っている!!読者を混乱させるようなことを言うな!」
ちなみに僕の両目の裸眼の視力は0.1。
酷い乱視なので、眼鏡がないとスーパーの値札すら見えない。
幸村は不満そうな顔をすると机に突っ伏し、寝る体勢に入った。
……こんなに暑いのに良く寝れるものだな。
しかし、そう考えていたが数秒後。幸村は突然ガバッと起き上がると僕に言った。
「そうだ!テストといえばお前、三年の中間一位の奴知ってるか!?」
清風さんを知らなかった僕がそんなの知っているわけが無いだろう。
僕は、さぁと答える。
「そうだよなぁ、知らないよなぁ、清風しほりも知らないんだもんなぁ」
…………。
なんか、すげぇむかつく。
「で、その学年一位がどうしたって?」
僕はいらつくのを隠さずに聞いた。
「おお、そうそう。オレさぁ、そいつを見てきたのよ、三年の教室まで行って」
幸村は床を指差す。
「なんでそんな面倒くさいことを……」
「いや、学校始まって以来の秀才って言われる女がどんなガリベンなのか見てみたくてよ。……そしたら、オレはおったまげたね!これがエライベッピンさんなんだ!」
お前はドラクエの村人かっつーの。
今時の高校生はそんな言葉使わねぇ。
「ていうか、学校始まって以来の秀才って、その人そんなに頭いいのか。俺はそっちのほうが驚きだ」
「うん?まぁそうらしいけど、そんなの毎年言っているようなもんじゃん。そんなことはどうでもいいのよ」
どうやら幸村にとってはその人の経歴よりもその人本人に興味があるようだった。
毎年更新されているのか学校の秀才は。
「そうだなぁ、でも可愛い感じではなかったな、美人だったけど。どっちかっつーとカッコいい感じ。清風と比べると、まさに真虐って感じだ」
「真に虐めるのか。そりゃあ清風さんとは違うな」
どんなSなんだよ。
正しくは真逆。
決して筆者の打ち間違いではない。
「でもな」幸村は間を持たしてボソッと言った。
「……恐かったなぁ」
「恐かった?」
幸村の予想外の言葉に僕は聞き返す。
「ああ、なんか全身から殺気が出ているみたいな感じ。友達もいないみたいだったし。あの目なんて、平気で人を殺しそうなものだったんだぜ。もしにらまれたらオレ震え上がっちゃうよ」
「ふぅん……」
珍しい。
あの見栄っ張りの幸村が素直に負けを認めるだなんて。
それほどの人物なんだろうか。
ちょっと気になる。
「ちなみに名前は?」
僕は尋ねる。
幸村は、ああ忘れてた、という口の動きをした後にその名を言った。
「東金凛々子」
幸村はそう言うとその後は何も話さなかった。
僕はいつも、つくづく思う。
この時の僕はなぜこの女に興味を持ってしまったんだろう。
ここで少しでも興味を持たなければ、あんな事にはならなかったんじゃないか?
――あんな事には。
「久重、もうそろそろいいだろう。だいぶ人の流れは下火になったようだぞ。俺も今日は早く帰りたいんだ」
いつの間にか本を読み終わっていた宇佐美が横から顔を覗かせる。
「あっマジで?じゃあ帰ろうぜ」
「その気変わりの速さは一体何なんだっ!?赤縁メガネっ!!オレの意見は無視しといて!!」
「さて、じゃあ帰るか宇佐美」
「うむ」
「お願い、オレを無視しないで……」
涙目になっていた。
本当に情けない奴だ。
僕たちは教室を出て階段を下りた。
昇降口には人はもう数えるほどしかおらず、これなら持病の頭痛も起きないであろう人数だった。
三人で一年の下駄箱に向かった。
そこではあの天使が外履きに履き替えているところであった。
「あっ宇佐美君!それに、久重君。さっきはどういたしました」
「あっ!清風さん。さっきはどうも。助かったよ」
清風しほり。
この学校の天使、あるいは女神に属している人間。
「清風は今帰りか」
宇佐美は尋ねる。
「うん。ちょっと事務職員のおじさんと一緒に中庭で草むしりしてたら遅くなっちゃった。宇佐美君たちこそずいぶん遅いね」
事務職員のおじさんと一緒に草むしりをしていることをずいぶんさらりと言ったな……。たぶん、彼女にとって自然なことなんだろうが……。
花の女子高生が自ら草を摘んでどうする。
「こいつの持病でな。あまり人ごみには出れないんだ」
宇佐美は僕の病気についてあまり触れずに説明する。
「持病?それって重い病気なの!?久重君!」
清風さんは僕の顔に、鼻が触れ合いそうなんじゃないかと思うくらいにおもいっきり顔を近づける。
近い!
近すぎる!
「いっいや少し頭痛するだけだよ!小さいころからだし!それによっぽどの過密空間じゃなければ大丈夫だけどっ!」
あまりに心配されてしまったので、なんか慌てて対応してしまった。
意外と自分はあがり症なのかもしれない。
あぁ、でも清風さんにこんだけ近づかれてテンパらない奴なんていないか。
……宇佐美を除いて。
「そっか~、安心したよ。でもなんか助けになれることがあったら言ってね!力になるから」
清風さんは親指をグッと立てる。
「うん……ありがとう」
でも、僕の病気って他人がどうこうできるものじゃあないんだけどな……。
「そういえば」
僕はふと閃く。
「清風さん」
「しほりでいいよ久重君っ」
ええ、えっと。
女の子を名前で呼ぶのには勇気がいるな。
「えと、じゃあ、しほりさん。東金凛々子って先輩についてなんか知ってる?なんかずいぶん恐い人らしいんだけど」
学園のシスター、清風さんなら東金凛々子について何か知っているかも。
「東金凛々子?」
清風さんは記憶を探っている様だった。
う~んとしばらく唸るが。
やがて。
「……ごめん、それ多分、中間テスト三学年一位の東金凛々子さんだとは思うんだけど……ごめんなさい。話したこともないし、特に接点が無いから……」
そう言うと、清風さんは本当に申し訳なさそうに頭を深々と下げた。
そして、下げだした頭は止まることを知らず、両手両膝を付いた形で地面に額を擦り付けていた。
ていうか、土下座だった。
「いやいやいや!そんな謝んなくてもいいよっ!やめて!こっちこそごめんなさいっ!」
清風しほり。
この学校の天使、あるいは女神に属している人間。
――責任感は人三倍である。
「……じゃあ、私はここで」
校門を出て、最初の交差点。
僕たちは右に。
しほりさんは左に曲がった。
「ああ、またな。清風」
「あっ焼きそばパンのお礼はいつか必ず!」
しほりさんはあの時と同じようにクスクスと笑うと。
「うん……。お願いね。久重君」
そう言って、手を振りながら駅方面の道へ歩いていった。
しかし、その背中にはいつもの元気が感じられなかった。
足取りもおぼつかないものである。
「また、悪いことしちゃったな……」
僕は学園の天使をへこませたことに対し、それなりに責任を感じていた。
「ん、どういうことだ?」
「お前は、自分に素直でいいよな……」
宇佐美は本当にわかっていない様だった。
「なぁ」
「ああ、どうしよう。パンのお礼と共にお詫びのプレゼントも必要になってくるぞ。こりゃあ」
「なぁ」
「つーか、あれはあれで困った性格だよな。いつもああなのかな?」
「なぁってば!!」
「うるせぇな!こっちは校内中の男子から敵視されるかどうかの瀬戸際なんだよ!」
「オレのこと忘れてませんかっ!?」
「あれ……君、いつからいたっけ?」
「オレ透明人間っ!?」
こいつの存在をすっかり忘れていた。
ていうか、しほりさんが最初から気付いてなかった。
「お前、擬態でもしてた?」
「できねえよっ!今日のお前、俺に対して酷すぎるぞ!」
「今日より明日。明日より明後日だな!」
「そんな向上心はいらないっ!!」
幸村は叫んだ。
家に帰った時には、もう日が暮れかけていた。
僕の家と学校の位置関係は、あの事件のあった川を挟んでいるので、かなり迂回して帰宅する羽目になった。
途中、幸村が橋を殺人現場を見に行こうと橋に向かって突入を試みて警官に捕まったが、僕たちは他人の振りをして帰ってきた。
買い物にでも行くかな。
両親は共働きで夜遅くまで帰ってこない。
だから基本的に夕飯は妹と二人きり。
作るのは僕。
別に文句は無い。
もともと、料理するのが好きだったし、スーパーでの買い物も僕は大好きである。
割引商品を見つけたときのあのちょっとした幸福感。
あれほど気持いいものも無い。
僕は鞄を置くなり制服からTシャツとジーンズに着替えて、そのまま座ることなく玄関に戻った。
革靴の代わりにスニーカーに履き代え、ドアノブに手を掛ける。
――そこからだ。
――僕の非日常。
その瞬間から始まったのだ。
何も気にすることなく。
東金凛々子のこともそのときはすっかり忘れて、気にすることもできずに。
僕は非日常へと。
足を踏み入れた。