ダークサイド05
七月九日。ここ最近の異常に照っていた太陽はまるで幻想だったかのようにその姿を雲に隠していた。町は休日ということもあり、雑踏していたと言えるほどの人で溢れていた。
駅の前の広場。そこのシンボルである大きな大木の前のベンチに私は腰掛けていた。
只今、午前十時四十五分。待ち合わせ時間は十時ちょうど。その間にナンパされた回数――五回。
私のような目立つ人間がここにいることこそが悪いのだが、それにしてもうざったい。
もうこの場から一刻も早く立ち去りたいところであった。
「ねぇねぇ、君一人~?」
まただ。
チャラそうな男がお約束の台詞を並べて言い寄ってくる。
「今から友達とカラオケ行くんだけど、人数たんなくてサァ。良かったら一緒に行こうよ!カネはこっちもつし」
断ることはそれほど苦労しない、それよりも――。
「あの、私もこれから友達と遊ぶ約束してるんで。本当にごめんなさい!」
深々と頭を下げる。
男は鳩豆のような顔で一瞬唖然としてしまう。
「……ああっいいよいいよ!こっちはこっちで何とかするからこっちこそごめんね!」
早口で別れを告げると男は駅に隣接しているドラッグストアの前で別の女を捕まえていた。
あらかじめ何人か狙いを付けておいたのだろう。
私は深く長い溜息をついた。
それよりも――完璧な自分を演じるのも疲れる。ナンパの断り方も完璧でないといけないというのはさすがの私でもストレスが溜まる。
だから、休日はあまり外に出ないようにしているのに…………。
……あの男はなぜ来ない!?
吉江先輩が来ないことに対して次第に自分の中で苛立ちが募っていくのがわかる。
もうそろそろ待ち合わせから一時間が経つ。
もう本当に帰ってしまおうかと思ったが、しかし私にはするべきことがあった。
――東金凛々子。
あの女よりも――できれば警察よりも早く犯人を捕まえたい。
そしてあの女の高い鼻を折り曲げたい!
私の頭はそのことで一杯だった。
「あーーもしもし?」
……だから、こんな男たちに対して私の貴重な脳みそを使わなくてはいけないことが煩わしかった。
「もう……いい加減にしろよ!クソ野郎どもがッ!!」
それは私にとって――物心ついてから『完璧』という仮面を被る様になった私にとって、およそ十年ぶりに発した本音の言葉であった。
「はぁ!?えっ?ゴメンなさい?」
そこにいたのはおよそ一時間の遅刻をしてやって来た吉江晃、その人だった。
ウルトラミス。
『完璧』という壁が私の頭の中で崩れていく音が響く。
十年間積み上げてきた強硬な矜持の壁は内部爆発を起こし、いたるところに破片が飛び散る。
えまーじぇんしー!えまーじぇんしー!警報が発令しているようだ。
『何とかしろー!何でもいいからフォローを入れるんだー!』
清風王国(私の頭の中)のリーダーである髭の生えた私が必死に訴えている。
「あうっ……!あっえと……」
『やばい!予想以上にダメージは大きい!』
『とりあえず落ち着け!カルシウムだ!カルシウムを摂取しろ!』
私があまりのショックで言葉にならない声をあげている、その裏で頭の中では王国の住人であるたくさんの私が慌てふためいていた。
「清風さん?どったの?顔色が悪いよ。真っ青」
混乱している私を見て、吉江先輩は心配そうに聞いてきた。
――――!
「そう!ちょっと気分が悪くて、ついイライラしちゃって!本当にゴメンなさい!!ちょっと休みましょう!!」
言うや否や私は先輩の手を取り、無理やり引きずっていた。
駅前のハンバーガーショップを通り過ぎ、スクランブル式の横断歩道を一つ越えたところにあるファミレスに入る。
駅に向かう人たちと何度もぶつかりそうになったが今の私にはそんなことを気にする余裕は無かった。
カランと入店を告げるベルが鳴る。
「いらっしゃいませ~!何名様でしょうか?」
「二人!」
息切れ切れになっている私を見て店員は少し引いていたが、こちらのお席になります、と笑顔で応対した。
四人掛けの席に案内されそこに座る。
私はふぅ、と一息ついた。
「ぷ」
真正面に座った先輩がこらえ切れなかったようにふきだした。
「あはは!清風さん俺のこと『自分のイメージと違う』って言ってたけど、清風さんも全然俺の想像と違うよ」
……あれ?
フォロー失敗!?そんな、せっかくごまかせたと思ったのに!
えまーじぇんしー!えまーじぇんしー!再度、警報が発令している。
しかし、続けて先輩は言った。
「清風さんってもっと箱入り娘みたいな感じかと思ってたんだけど、驚いたよ、突然訳もわからず俺の手どんどん引っ張って行くんだもん。あっそういえば気分悪いんだっけ、大丈夫?」
先輩は私の言ったことなど気にも留めず、私の身を案じている。
……ということは私の本性はまだばれてはいないのではないだろうか?
そう思った瞬間。私の頭の中の警告音は壮大なファンファーレへと姿を変える。
頭の中の住人はちぎりを撒いて、お祭り騒ぎだ。
「はい、もう大丈夫です」
いつも笑顔を絶やさない私だが、このときばかりは心の底から生まれた笑顔だった。
適当にオーダーを済ませると、先輩は手を合わせ私に頭を下げた。
「いやー、それにしてもゴメンね、遅刻しちゃって。『今日こそ練習に出てもらうぞ!』って部活の連中に捕まっちゃってさぁ」
「あ、いえ気にしないでください。そんなに待ってないので……」
ほんの一時間ですよ。
心の中で毒づく。
「でも、本当に大丈夫なんですか、部活行かなくても?試合近いんですよね?」
一応気になってはいたのでそのことについて尋ねた。
しかもその人の言い方だと毎回サボっているようだった。
「うーん、いやもちろんまずいんだけどサァ。次の大会って三年生にとって最後の試合なんだよね――ホラ、俺まだ二年じゃん。出れない三年もたくさんいるのにその人差し置いて俺がでしゃばるっていうのがどうもね……」
先輩はうんざりしていた。
それはまるで周囲の期待に応えるために無理に頑張っているどこかの漫画の主人公のようだった。
「先輩は」
私は言葉を探るように紡ぎ出した。
「もしかしてバスケしたくないんですか?」
校内で知らない者はいない天才シューターに対して失礼なことを言っているなと感じていた。
しかし、先輩は答えた。
「……そうなのかもね。なんか自分がやれることの限界が見えてきちゃってるし」
衝撃発言だった。
「……ええええっ!?」
自分で聞いていおきながら私は大声を出して驚いた。
そんな記者会見物の爆弾発言をこんなところでしないでもらいたい。
「そんなっ!先輩、頑張りましょうよ!せっかくの才能がもったいないですよ!!」
ていうか私、責任取れません!
先輩は苦笑いを浮かべていた。
「おいおい、そんなことよりも今日は事件について調べるんじゃなかったの?」
「そんなことっ!?」
我が校の最高事項を何だと思っているのだろうか。
「ここ出たら俺の家に行こうか。事件について集めたデータがあるんだ」
「…………はい」
どうやら先輩は部活についての話はあまり語りたく無いようだった。
私はそれに応えるように短く返事をした。
先輩は窓のくぼみに肘をついて私に他愛も無い話をした。
その顔は先ほどよりも少し寂しそうだった。