9.決別 × 悪霊
昼食を終えて食堂を出ようとしたタイミングで、もっとも会いたくない人間……舞原詩織と遭遇してしまった。
「…………」
その瞬間、俺の胸に湧き上がってきたのはどうしようもない虚しさ。プラスでもマイナスでもない虚無感である。
自分でも意外なことに、恨みや憎しみといった感情はなかった。
てっきり、詩織と会ったら激情のままに怒鳴り散らすか、さもなくば泣きわめいてしまうかもしれないとばかり思っていたのに。
(まさか、悲しいとすら思えないだなんてね……俺はどうなってしまったんだ)
『別におかしいとは思わぬがな。「愛情の反対は無関心」というやつじゃろう? 殺されたことで相手への興味が消え失せてしまったのではないか?』
俺の疑問に八雷神が愉快そうに笑う。
揶揄うようなその声を耳障りに思うことはあっても、やはり詩織に対して負の感情はなかった。
「そんな……どうして……?」
詩織が震える声でつぶやいて、俺に向けて手を伸ばしてくる。
「……行こう、萌黄さん」
「あ……」
俺は詩織の手を振り払って、代わりに萌黄さんの腕を掴む。
「え、あ……はい」
驚いている萌黄さんの手を引いて詩織の横をすり抜け、食堂から出ていった。
「サヨウナラ」
「ッ……!」
あの時、口にすることができなかった別れの言葉をすれ違いざまに告げると、詩織の肩が大きく跳ねる。
そのまま崩れ落ちるようにしてその場に座り込んでいたが、振り返ることなくその場を立ち去った。
そのまま無言で廊下を歩いていく俺であったが、背後からの控えめな声で足を止めることになる。
「あの……鬼島君?」
「え?」
「その……手が……」
「あ、ごめん!」
ようやく俺は萌黄さんの腕をつかんだままであることに気がついた。
慌てて手を離すと、萌黄さんが困ったような表情で掴まれていた腕を撫でる。
「ごめん、本当に! 痛くなかったかな!?」
「いえ、大丈夫です。痛くありません。ただ……ちょっと恥ずかしかっただけで……」
「うわっ、そうだよね……ごめん。悪かったよ……」
俺はガックリと肩を落とす。
転校してきたばかりの萌黄さんに、クラスメイトに腕を掴まれ引きずられていくなんて恥ずかしい思いをさせてしまった。
「マジでごめん……反省してます」
「いえいえ、それは別に良いんですけど……」
萌黄さんが首を傾げて、照れ臭そうに笑う。
「これから、学校を案内してくれるんですよね? お願いできますか?」
「あ、ああ……もちろん!」
俺は気を取り直して、萌黄さんに学校案内をすることにした。
すでに教室、食堂、それに職員室の場所は知っているだろう。音楽室や理科室など移動教室で使う教室の場所を近い順番に連れていき、体育館と武道館、購買などにも時間が許す限り連れていった。
「あとは部活棟だけど……萌黄さんは部活動をやる予定はあるのかな?」
「前の学校では吹奏楽部だったんですけど……かなり厳しいところだったので、こっちの学校ではもういいかなって」
「ああ……吹奏楽部って厳しいっていうもんね」
アニメやマンガの知識で申し訳ないが、吹奏楽部は文化部の中ではかなり体育会系のノリで大変なイメージがある。
「軽めの部活だったら入って良いかと思うんですけど……ちなみに、鬼島君は何か部活動をやっているんですか?」
「うーん……一応、オカルト研に入ってはいるんだけど……」
俺は苦笑した。
声を大にして言うのは恥ずかしいが、俺はオカルト研究部のメンバーである。
決して、オカルトやら心霊現象やらに興味があるというわけではない。
中学校からの友人がオカルト研究部に入っており、人数が足りなくて廃部になってしまうからと数合わせで入れられたのだ。
「幽霊部員だからね。実際はほとんど帰宅部だよ」
「ふうん、そうなんですか……」
萌黄さんは少しだけ考え込むような仕草を見せた。
萌黄さんと一緒に部活動ができたらさぞや楽しく青春を謳歌できるだろうが、場所がオカルト研究部では台無しだ。
オカルト研に所属している友人ともできれば会わせたくはない。絶対に迷惑をかけてしまうのが目に見えている。
(オカルト研か……黄泉の国で女神と会って、復活して変な力を与えられて。アイツが知ったら、さぞや興味を持つだろうな)
『変な力とは無礼な小僧め。そんなに灸をすえて欲しいのか?』
(いや、身体から刀とか雷とか出せるんだから……十分、変な力だろうが。間違ったことは言ってないよ)
言い返すと、胸の奥で八雷神が不機嫌になっているのが伝わってくる。
『まったく……黄泉の女王たる御方から力を授かることが、どれほど名誉なことかわかっておらぬようじゃのう。天地開闢より五人しかおらぬのじゃぞ?』
(裏を返せば、俺以外にも四人いたってことか?)
『ウム、お姫様が地上に干渉することは珍しいが、どうしても必要に駆られてしまうことはあるからの。ただ、他の神と比べるとやはり少ないな。退神師の中にも神と契約して力を与えられていたり、反対に神を騙して力を奪い取った者もいるはずじゃ』
(へえ……神を騙して、ね。それはまた怖いもの無しな奴もいたもんだ)
『その通り……無礼千万、不遜極まりないの』
そんなやりとりを八雷神としてから、俺は改めて萌黄さんに向き直る。
「部活に入る予定がないのなら、とりあえず部活棟は案内しなくても良いかな。まだ少し時間はあるけど、そろそろ教室に行こうか?」
「はい、今日はありがとうございました。おかげで助かりました」
萌黄さんが丁寧にお辞儀をしてくる。
本当に礼儀正しくて、育ちが良いのが伝わってくるような女の子だ。
「別に良いよ。こっちこそ、良い気分転換に……」
……と、途中まで話したところでブワリと悪寒が背に走った。
「これって……」
「鬼島さん?」
「あ、いや。何でもないよ」
不思議そうな顔の萌黄さんに慌てて両手を振る。
『どうやら、堕神が現れたようじゃな。場所は校内か』
(校内って……いや、堕神は夜にしかでないんじゃなかったのか!?)
『天ツ神の目が届きにくい夜に活動することが多いが、まるで出ないわけではない。どこの世にも傾奇者や破天荒な輩はいるということじゃ』
「ごめん、萌黄さん! 急用を思い出したから、先に教室に帰ってもらって良いかな!?」
「え、あ……大丈夫ですけど……」
「ごめんね! それじゃ!」
一方的に言い置いて、俺は堕神の気配がする方角に駆けていった。
「…………」
萌黄さんが複雑そうな表情で俺の背中を見つめていることに、気がつかないまま。
〇 〇 〇
堕神の気配を追っていき、たどり着いたのは校舎裏である。
都合が良く人気のない場所。それゆえに、イジメやカツアゲなどの良からぬ行為にも使われそうな場所だった。
「ヒャハハハハハハハハハッ! 死ね、死んじまえよお!」
「…………!」
そこには常識から外れた光景が広がっていた。
校舎裏には複数の男子生徒が倒れており、彼らに囲まれて眼鏡をかけた痩せ身の少年が哄笑を上げている。
倒れている男子生徒はいずれも怪我をしており、苦痛のうめきを上げていた。
「ヒャハハハハハハハハハッ! アハハハハハハハハハハハハハハッ!」
そして、狂ったように目を剥いて笑っている少年の身体を黒いモヤが覆っていた。
見ているだけで怖気がするような不気味なモヤは、少年の口から出ている様子だった。
「これは……」
『ほお? アレは『禍津霊』じゃな。これは奇遇なこともあることよ』
「禍津霊……奇遇ってどういう意味だ?」
『見覚えがないとは言わせぬぞ。アレはかつてお主に憑りついていた堕神と同じものじゃよ。人間の心の隙間に巣食い、その者の肉体を支配する影のような存在じゃ』
「俺が殺された原因になった堕神……まさか、あの時の……!」
俺は詩織に刺されたときのことを思い出す。
そういえば、あんな黒いモヤに身体が包まれていたような気がする。
「あの堕神……生きていたのか。てっきり、俺もろとも詩織に刺されて消えたんだと思ってたけど……」
『奴は黄泉に落ちて穢れた人間の魂の集合体じゃ。一匹ではなく、複数体いる』
「元々は人間ってことか……いや、何でもいい。どうせ倒すから」
別に復讐するつもりはないが、許せるかと聞かれたらもちろんノーである。
俺は地面を蹴って前に飛び出した。
あの少年は操られているだけ……大怪我しない程度に加減をしながら、ゲラゲラと笑っている少年の腹部を殴りつけた。
「フンッ!」
「グベッ!?」
少年の身体が『く』の字に折れ曲がるが、すぐにギョロリと俺を睨みつけてきた。
「何だあっ!? お前もコイツらの仲間かあ!?」
「わっ!」
少年がデタラメに手を振り回して攻撃してきた。
あまりにも強く振り回したためか、勢いに負けて肘の先がおかしな方向に折れ曲がっている。明らかに骨折していたが、少年の顔に痛みはない。
「全然、効いてない……手加減しすぎたか?」
『かなり深いところまで浸食されておるな。このままでは完全に堕神と一体化してしまい、引き剥がせなくなるぞ』
「かつての俺のように殺すしかなくなるってことか……させるかよ!」
「ギャハハハハハハハハハハハハハハッ! 壊れろ、壊れろお!」
俺はブンブンと振り回されている腕をかいくぐり、今度は顔面を掴む。
メガネの上から少年の顔を完全にホールドして、力を発動させる。
「抵抗するなよ……そのまま倒れろ!」
「ヒギイイイイイイイイイイイイイイッ!?」
顔から直接、電流を浴びせかけた。
人間は0.1A以上の電流を流されると死に至ると聞いたことがあるが、正直、どの程度が1Aなのかまったくわからない。
お願いだから死んでくれるなと願いながら、後遺症が残らないギリギリを見極めて電撃を放つ。
「ギイイイイイイイイッ! ぐおおおおおおおおおおお……」
「ッ……!」
絶叫の後、少年の口からブワリと黒いモヤが飛び出した。
肉体が壊れるよりも先にこちらが限界を迎えたらしく、そのままどこかに逃げ去ろうとする。
「させるかよ……八雷神!」
『ウム』
少年からモヤが剥がれたのを見て、体内から大太刀の形状をした八雷神を取り出した。
宙を飛んで逃げようとしている禍津霊めがけて、紫電を纏った斬撃を放つ。
「消えろ」
『~~~~~~~~~~~~~~~!?』
電撃を浴びせられた黒いモヤは声にならない叫びを上げて、そのまま跡形もなく消滅した。
「フウ……勝ったか」
怪物猿……狒々神に比べるとかなりあっけなかった。
おそらく、禍津霊はそれほど強い堕神ではないのだろう。
「こっちも……生きているな、一応」
「が、は……」
刀をしまって、倒れている少年を確認するとピクピクと動いていた。
プスプスと白い湯気を口から出しており危なそうに見えるものの、心臓は動いているし呼吸もしている。
もしかすると身体のどこかに後遺症が残るかもしれないが……堕神に乗っ取られ、そのまま退治されて命を落とすよりはずっとマシだろう。
「とりあえず最悪の事態は免れたとして……コイツら、ここで何やってたんだ?」
俺は怪訝に思って周囲を見回した。
校舎裏には堕神に操られていたメガネの少年の他にも、数人の男子生徒が地面に倒れている。
おそらく、メガネの少年にやられたのだろうが……彼らはいずれも制服を着崩し、ピアスやチェーンのアクセサリーを付けており、いかにも不良といった格好である。
現場に居合わせなければ、メガネの少年の方が絡まれてたい被害者であると判断したことだろう。
『禍津霊は人間の負の感情に付け込む。憎しみや悪意、悲哀、そして絶望。そこな少年がそういった感情を持つに至る何かがあったのは確実じゃろうな』
「まあ、想像はつくけど……詮索は無用だな」
俺の使命はイジメや恐喝を止めることではない。
あくまでも、堕神と呼ばれる黄泉からの逃亡者を討つことなのだから。
「とりあえず……先生くらいは呼んでやるか。それと養護医の先生も」
俺は同情するような視線をメガネの少年に向けてから、助けを呼ぶべく職員室に向けて駆けていくのであった。
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