8.青春 × 遭遇
「よーし、それじゃあ行こうぜ! 案内するからついてきなよ!」
「はい、よろしくお願いします」
「…………」
武夫と萌黄さんが学食に向かって廊下を歩いていき、俺も後に続いていく。
周囲には昼休みになって堅苦しい授業から解放され、気を抜いた様子の生徒の姿がちらほらとある。
彼らは友人と雑談をしていたり、カップルで仲睦まじそうに会話をしていたり、部活の相談をしていたり様々である。
日常的な光景だ。
ほんの数日前までは俺もその一部だったのだが、今は随分遠く感じられる。
「鬼島君、どうかしましたか?」
「あ、いや。問題ないよ」
前を歩いていた萌黄さんが心配そうに訊ねてきた。
「もしかして……私がご一緒したら迷惑でしたか?」
「いやいやいやっ! それはない! 誘ったのは武夫だし、むしろ萌黄さんの方が迷惑だったんじゃないかなって思うくらいだよ!」
「ああ、それだったら大丈夫ですよ。鬼島君とお昼を一緒にできて嬉しいです」
萌黄さんはこちらを振り返り、上目遣いでそんなことを言ってきた。
社交辞令だとわかっているが……Sランク級美少女からの思わぬセリフがとんでもない威力で胸に突き刺さってくる。
「……惚れてまうやろ」
「え?」
「ごめん、何でもないよ。それよりも……萌黄さんは東京から来たんだよね? こっちじゃ不自由してないかい?」
八雲市は田舎というほど閑散としてはいないが、やはり都会と比べると人も建物も少ない。
この町で生まれ育った俺には理解できない苦労があるのではないか。
「うーん……特に思いつきませんね。ヤマゾンからの宅配便に時間がかかることくらいでしょうか?」
「ん? そうなの?」
「はい、東京だったら午前中に注文したら午後には着きますから」
「早っ! 怖っ!」
ヤマゾンのお届けが早いのはもちろん俺だって知っているが……まさか当日に届くのか。
ヤマゾンを怖がればいいのか、それとも東京を怖がればいいのだろうか?
「都会はゴミゴミとしているから疲れるんですよね。星だって、この町なら同じ空とは思えないくらい綺麗に見えますし。昨日の夜も思わず散歩に出ちゃったんですよ?」
「へえ……婦女子が夜の散歩とはいただけないね。危ない目に遭ったりしなかった?」
それとなく探りを入れて見ると、萌黄さんは小首を傾げて「いえ?」と答える。
「何故か貧血で倒れてしまって警察の人に迷惑をかけてしまいましたけど、他は特に問題なかったですよ」
「貧血……?」
「はい、貧血です」
まさか……大猿に襲われた記憶がないのだろうか?
あんなインパクトのある出来事を忘れるわけがないと思うのだが……。
『……おそらく、退神師どもが記憶を消したのじゃろうな』
胸の内から八雷神がささやいてきた。
『奴らは秩序を守ることを自らの使命として課しておる。この娘も何らかの術によって記憶を書き換えられているのじゃろう』
(ああ、そうなんだ? それじゃあ、俺が怪物猿から助けたことも忘れているんだな?)
『ウム。しかし、あくまでも忘れているだけじゃ。何らかのきっかけで思い出す可能性は十分にあるがのう』
「気絶している間におかしな夢を見たような気がしますけど……そういえば、鬼島君って似てるんですよね。夢の中に出てきた男性に……」
「…………!」
さっそく、萌黄さんが何やら思い出しかけていた。
「いやあ、夢か! うんうん、変な夢を見ることはあるよな! 僕もこの間、元カノが他の男と腕を組んでラブホテルに入ってく夢を見たような……って、アレは現実だー!」
「は、はあ?」
「いや、ジョークだよジョーク! 笑ってくれると嬉しいね、うん!」
「はい……えっと、面白かったですよ?」
萌黄さんが小さく拍手してくれた。
うん、わかっている。
完全にスベっていたし、焦って言わなくても良いことまで言ってしまった。
俺は馬鹿なのだろうかとなじりたくなるような醜態だ。
「彼女に浮気されたって……つまり、鬼島君はフリーってことですよね」
「へ?」
「いえ、鬼島君には恋人さんとかいないのかなーって」
「あー……いないよ。今は」
別れ話こそしていないものの、詩織とはもう完全に終わっている。
「そうですか! ちなみに、私も彼氏はいないんですよ?」
「は、はあ。そうなんだ……?」
「はい、だからお互いに遠慮はいりませんね!」
「え、遠慮って……」
予想を飛び越えてくる萌黄さんの言葉に困惑する俺であったが、前を歩いている武夫が手を振ってくる。
「おーい、早く来いよー! 学食の席が無くなっちまうぞー!」
「あ、いけない! 鬼島君、行きましょう!」
「あ、は……はい?」
萌黄さんが……清楚系アイドルのような美少女が俺の手を引き、小走りで駆けだす。
右手を包み込む柔らかな手の感触。温かな体温。
まるで青春マンガの1ページのような出来事に俺は思考能力を失ってしまい、されるがままに引っ張られていった。
〇 〇 〇
学食に入ると、そこは学生で溢れかえっていた。
すでにほとんどの席が埋まっており、生徒達がガヤガヤと騒ぎながら昼食を食べていた。
「お、あそこの席が空いてるな。行こうぜ」
武夫が隅のテーブルを指差した。
運良く空いているスペースがあった。学生服の上着を置いてキープして、料理を取りにカウンターに向かう。
「ウチの学食は食券制だから。カウンター横の券売機で食券を買ってから、奥に持っていくんだよ」
「はい、わかりました」
「ちなみに、俺のお勧めはチキン南蛮定食かな。タルタルソースが絶品だから、いつか食べてみると良いよ」
萌黄さんに学食のシステムについて説明しておく。
券売機の前にできた列に並んで、順番が回ってきたら食券を購入する。
悩んだが、今日は日替わり定食にしておいた。武夫が奢ってくれるということなのでデザートに杏仁豆腐も追加しておく。
萌黄さんは少し悩んだ様子だったが、おすすめしたチキン南蛮定食の食券を買っていた。
武夫はカツカレーと肉うどんという組み合わせ。炭水化物を二品頼むという冒涜的な注文の仕方である。
厨房前のカウンターで食券と料理を交換して、キープしておいた席に着く。
俺と武夫が向かい合うように座り、左隣に萌黄さんが座ってくる。
「あ、このチキン南蛮、本当に美味しいですね。タルタルソースも良いですけど、唐揚げも良く下味がついてます」
「そうだよね。俺も三日に一回は食べちゃうんだよな」
「ホムラって鶏肉好きだよな。コンビニだといつも唐揚げかチキン頼んでるし」
「別に良いだろう。美味いんだよ、鶏肉」
「私も鶏肉派ですよ。ローストチキンとか美味しいですよね」
「そういえば、学校の近くのコンビニでローストチキン売り出したよね。骨付きのやつ」
「そうなんですか? それは気になりますね」
「最近のコンビニ総菜はクオリティ高いからね、俺も今度食べてみようかな」
俺達は和気藹々と食事をとる。
武夫とは幼馴染で、もちろん慣れ親しんだ仲だったが……意外なことに、萌黄さんもわりと話しやすかった。
外見は長い黒髪をなびかせたお嬢様っぽい雰囲気なのに、こちらの冗談にもキチンと乗ってくれるし、聞き上手で話しやすい。
周囲からは美貌の転校生を珍しがる視線が集まっているが……それが気にならないほど、会話が弾んでいた。
「ところで……こんなことを聞いては失礼かもしれませんけど、鬼島君は彼女さんと別れたんですか?」
料理を食べ終えたタイミングで、萌黄さんがその話題を切り出してきた。
「あー……さっきの話か。そうだよ。はっきりと『別れる』って宣言したわけじゃないけど、もう交際は続けられないかな?」
「そうなんですか……大変だったんですね」
俺の表情を見て、萌黄さんが痛ましそうに言う。
「私も前の学校で交際していた男性がいたんですけど、他の女子とも付き合っていたようで別れたんですよ。相手の男性は渋っていましたけど……ちょうど良いタイミングで転校が決まったので助かりました」
「そうなんだ……何というか、相手の男も馬鹿だね。萌黄さんみたいな彼女がいて浮気するとか」
萌黄さんほど話しやすくて綺麗な女子はいないだろう。いったい、どんな不満があったというのだろう。
「相手の女性はただの遊びで、本命は私だと言っていましたが……そんなこと言われても信じることなんてできないですよね」
「……そうだね。まったくその通りだ」
「裏切られた方はそのことを忘れられない。どんな理由であったとしても、傷つけられた痛みは消えませんから」
「…………」
萌黄さんがこんな話をしているのは、辛いのは一人ではないと慰めてくれているのだろう。
初対面に近い俺のためにわざわざプライベートな話を明かしてくれるなんて、本当に良い子じゃないか。
「……守れて良かったな。本当に」
「え? 何かおっしゃいましたか?」
「いや、こっちの話。お互い浮気性の恋人のことは忘れようか。忘れて幸せになることが一番の復讐だよね」
「そうですね、同感です」
「ふーん、へー……」
笑い合っている俺と萌黄さんに、何故か向かいの席の武夫が愉快そうな顔をしていた。
「……何だよ、気持ち悪いな」
「失恋したばかりの友人が思ったよりも元気そうだったからな……いや、どうやら心配無用だったようだ」
「……たぶん、お前が思っているようなことじゃないぞ。余計な気を回すなよ」
「へいへい、わかりましたよー……っと」
わかっているのかいないのか……武夫はニヤニヤとした笑みで口笛を吹く。
いちいち、そっちに話を持っていかないで欲しい。
俺は憮然としつつも、食器を載せたトレイを持って立ち上がる。
「もういいよ……コイツは放っておいて、片付けよう」
「アハハハ、そうですね」
「そうだ……良かったら、この後、学校を案内しようか? まだ時間はありそうだし」
「良いんですか、お願いしても?」
「もちろん。えっと、武夫は……」
「おっと、俺はこれから部活のミーティングがあるんだった。お先に失礼しやーす」
冗談めかして言いながら、武夫はさっさと食器を片付けに行ってしまった。
どうやら、変な気を回して俺と萌黄さんを二人きりにしたようだ。本当に余計なことばかりする男である。
「……行こうか」
「はい、案内お願いします」
俺と萌黄さんは食器を返却口に戻して、学食から出ようとする。
しかし……食堂の入口のところで、もっとも会いたくない人間と顔を合わせてしまった。
「あ……」
「え……」
学食の入口に呆然と立っているのは、俺の元・彼女……舞原詩織である。
詩織は俺の顔を見るや大きく目を見開き、まるで幽霊でも見たかのように顔を引きつらせた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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