表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/32

4.猿 × 雷

 バスに乗った俺は駅まで移動して、そこからさらに電車に乗って自宅の最寄り駅まで帰り着いた。

 駅から歩いて自宅までやってくると……一日ぶりに帰ってきた我が家に、涙が出てきそうになる。


「帰ってこれた……良かったあ」


 彼女の浮気を確かめようとしただけなのに、まさか刺されて死ぬことになるとは思わなかった。

 俺は安堵の息をつきながら玄関の扉を開き、そのまま靴を脱ぎ捨てて前のめりになって廊下に倒れる。


「ただいま……父さん、母さん……」


 などと口に出してみるが、玄関に両親が現れることはなかった。

 二人とも仕事で海外に赴任しているため、自宅を空けているのだ。

 両親には俺が刺されて死んでいたことも伝わっていないはず。そうでなければ、自宅がこんなにも静かなわけがない。


「このまま寝オチしちゃおうかな……もう、クタクタだ……」


 俺は廊下に倒れたまま、目を閉じる。

 本当は風呂に入りたかったし、腹も減っていた。

 しかし……それ以上の精神的な疲労が身体を支配していて、睡眠を欲している。


「色々あった。あり過ぎた……だから、今日くらいはここで寝たって良いよね……?」


 俺はそのまま瞼を閉じて、廊下で眠ろうとする。

 夢の世界に意識を飛ばし、睡魔の手を取ってダンシングをしようとしたのだが……急にブワリと背中に悪寒が走って、慌てて身体を起こす。


「ッ……な、何だあ!?」


 ビシビシと細い針が肌に刺さるような感覚。

 生まれてから一度として感じたことのない不気味な感触。

 得体のしれない何かの気配を感じる……気配は外から、おそらく、自宅から見て西の方角から伝わってくる。


「何だよ、これ……俺の身体に何が起こってるんだ……?」


『何をしておる。小僧、約定を果たせ』


「…………!」


『生き返らせてやる条件として出したじゃろう? 黄泉から逃げた堕神を討つのじゃろう!?』


 耳朶を冷たく震わせてくるのは……間違えるはずがない、死後の世界で会った『常世の媛』と名乗る女性の声だった。

 慌てて周囲を見回すが誰もいない。

 いったい、どこから声が響いてきているのだろう?


『わかっているじゃろう……小僧、お主が約定を果たさぬのであれば、それで終いよ。与えた物を返してもらうことになるぞ?』


「それは……」


『死にたくなければ、さっさと約定を果たせ。為すべきことを成すのじゃ!』


「…………」


 繰り返し要求されて、俺は仕方がなしに立ち上がる。

 玄関で脱いだばかりの靴を履き直し、重い身体を引きずるようにして夜の町に飛び出した。


「クッソ……本当に最っ悪だ……!」


 玄関にカギをかける手間すら惜しんで、気配がする方角に向けて走っていく。


「ああ、畜生め! これも全部全部、詩織が浮気したせいだ!」


 大声で悪態をつきながら、全力疾走でアスファルトの道路を駆け抜ける。


 わかる。

 わかってしまう。

 先ほどの声は……『常世の媛』の言葉は、脅しではない。

 もしも、俺が約定を果たさなければ……『常世の媛』に命じられたように、堕神とやらを討たなければ、彼女は容赦なく与えた物を奪い去るだろう。

 俺を殺して、与えた命を持っていくに違いない。


「死にたくない……もう、二度と死にたくなんてない……!」


 一度、命を失くしたからこそ、いっそう生に執着してしまう。

 もう二度と、誰にも命を奪われたくはない。殺されるわけにはいかない。

 生きるためならば、誰が相手でも戦う。

 堕神だろうが、人間であろうが変わらない。


「フウッ……ここだな」


 全力疾走で走ること五分。目的の場所に到着した。

 やってきたのは住宅街にある公園である。

 昼間であれば多くの子供と保護者がいるのだろうが、時間が時間だけあって、誰の姿も見えなかった。


「文字通りに生まれ変わったみたいだな……本当に生きてるって素晴らしいよ」


 ペース配分を考えずに走ってきたはずなのに、不思議なことに疲れはない。

 これも『常世の媛』から与えられた力の影響だろうかと首を傾げていると、どこからか悲鳴が聞こえてきた。


「キャアアアアアアアアアアッ!」


「…………!」


 悲鳴は公園の奥から聞こえてきた。

 おそらくではあるが、若い女性のものである。


 悲鳴がした方角に走っていくと、そこでは同年代と思われる少女がゴリラのような人型の生き物に襲われていた。


「あれは……!」


『あれは『狒々神(ひひがみ)』じゃな。年を経た猿が神格化しおったもので、人を(さら)って喰らい、堕神となったものよ。若い娘を犯してから喰らうという習性を持った醜悪極まりない怪物じゃよ』


『常世の媛』の声が補足する。

 黒い体毛を生やした怪物猿はごちそうを前にしているかのように舌なめずりをして、へたり込んで震える少女に手を伸ばしていた。


「危ない!」


 考えるよりも先に身体が動いた。

 咄嗟に地面を蹴った俺は、勢いをつけて怪物猿の横っ腹に飛び蹴りを喰らわせる。

 体重60㎏弱の俺が放ったキックなんて、巨体の怪物猿にとってはなんてこともないだろう。

 そう思ったはずなのに……何故か怪物猿が車に撥ねられたように勢いよく吹き飛んだ。


「グモオッ!」


「あれ……効いてる?」


『当たり前じゃろう。妾の加護を受けているのだから、アレくらいはできて当然じゃろうに』


「よくわからないけど、これならやれるか……!」


 理屈は知ったことではないが、やはり俺の身体は『常世の媛』の力によって強化されているようだ。

 この身体にどれほどの力が宿っているのかはわからないが……あの怪物猿にも対抗できるかもしれない。

 俺は拳を握りしめて、地面から起き上がった猿の顔面を殴りつける。


「うりゃあ!」


「グウッ!?」


「これが俺の分、これも俺の分……そしてこれが俺の怒りだあああああああああっ!」


 浮気された怒り、殺された怒り、自分が置かれている理不尽な状況への怒りを込めて、何度も何度も怪物猿に拳を叩きこむ。

 怪物猿は女性を襲って油断していたところでの不意打ちに、されるがままにサンドバックになっている。


「このまま倒す……!」


 いける……そう思った矢先、怪物猿がギョロリと赤い眼球でこちらを睨みつけてきた。


『ギャオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』


「うわっ!?」


 不意に怪物猿が顎が裂けるほどに口を開き、絶叫を放った。

 文字通りの猿叫(えんきょう)を近距離からぶつけられて、俺は思わず身体をのけぞらせてしまう。


『何をやっている! 気を抜いてはいかんっ!』


『常世の媛』がどこからか叫んでくるが、直後、怪物猿が太い腕を振るった。

 丸太をぶつけられたような衝撃が胴体を襲い、堪らず横に吹っ飛ばされてしまう。


『油断をしおって……みっともない!』


「ゲホッ、ゲホッ……う、うるさいなあ……」


「ギシャアアアアアアアアアアアアアアッ!」


「ッ……!」


 怪物猿が大きく跳躍して、俺を踏みつけようとする。

 慌てて横に転がって回避すると、「ズドン!」と大きな音を立てて怪物猿が地面に着弾した。

 見れば、踏みつけられた公園の地面に大きなひび割れが生じている。いったい、どれほどのパワーと体重で踏みつけたら、あんなふうになるのだろう。


「最悪だ……参るなあ、これは……」


 恐ろしい。怖い。痛い。

 殴られた右脇がズキズキする。ひょっとしたら、肋骨が何本か折れているかもしれない。

 身体能力では負けていないと思うのだが……いかんせん、実戦経験が足りなさすぎる。

『常世の媛』に命を握られ、死にたくない思いだけで戦ってきたが……正直、逃げ出したくて仕方がなかった。


『わかっていると思うが、逃げたら命を返してもらうぞ? わかっておるな?』


「わかってる……本当に最っっっ悪だよ……」


 うめきながらも、慎重に距離を取って怪物猿に向き合った。

 怪物猿もまたこちらを警戒している様子だ。こちらを睨みながら、「カチカチ」と上下の牙を合わせて挑発的に鳴らしている。


「グルルルル……」


「さて……どうしようかな……」


 正直、攻めあぐねていた。

 身体能力では負けていないと思う。殴られた胴体は痛むが、行動に支障があるほどではない。

 しかし……こちらの攻撃もそこまで大きなダメージを与えている様子はなかった。どうやら、相手も見た目の通りにタフなようだ。


「決め手がない……せめて、武器があればいいんだけど……」


『小僧、見当違いなことを言っておるな。武器ならばあるではないか』


「は?」


『妾とて、無手で神に挑めと命じるほど鬼ではないわ。小僧、お主はすでに武器を持っておる。使い方がわかっておらぬだけじゃよ』


「……いや、武器が何処にあるんだよ。黄泉の国に忘れてきたんじゃないか?」


 周囲を見回すが、武器らしいものはもちろんない。

 俺は理不尽な状況に唇を噛みながら、怪物猿を睨みつけるが……ふと、恐ろしげな形相が明後日の方向に向けられる。


「ギイッ!」


「あ!」


 そして、一瞬の隙をついて怪物猿が駆けだした。

 まさか逃げるのかと怪物猿の進行方向を見ると……四本足で走っていく先に、気を失って倒れている少女の姿がある。


「まさか……!」


「ギハハハハハハハハハハッ!」


 怪物猿が片手で少女の身体を抱きかかえて、そのまま背を向けて遁走していく。


『ああ……どこぞに連れていって、ゆっくりと喰らうつもりじゃな。奴らは武神でも闘神でもない。若いおなごを食えれば正々堂々と戦う理由などないのじゃ』


「悠長なことを言って……逃げちゃうぞ!?」


『逃がせば、お主に与えた命を返してもらうことになる。黄泉に逆戻りじゃな。あの娘も喰い殺されるじゃろうし……さてさて、どうするかのう』


「…………!」


 自分が死ぬのも嫌だったが……それ以上に、自分の間抜けのせいで無関係な誰かが死んでしまうことが許せない。

 俺がもっと警戒していれば、あの怪物猿に気後れしていなければ、彼女を救い出すことができたはずなのに。

 どうにかしなければ……そう強く思った時、胸からこみ上げてくる熱い何かがあった。


「熱っ!? こ、これって……!?」


『ほう? 己の命よりも他者のために力を発現するとは……意外と情に厚い小僧ではないか。見直したぞ』


「おい、これが加護なのか? どうやって使えばいいんだよ!?」


『使い方は説明せずとも、己が魂に聞けばわかるじゃろう。ほれ、やってみよ。今ならばできる。さっさと抜くが良いぞ』


「魂に聞けとか最悪にいい加減な説明だな! もう、どうなっても知らないぞ!」


 俺は歯噛みしながら叫ぶ。

 少女を抱えて逃げ去ろうとしている怪物猿にめがけて、胸から噴き出してきた灼熱のごとき力をぶつける。


「『八雷神(やくさのいかずち)』」


 その言葉は自然と口から出てきていた。

 胸の奥にある何かを右手で引き抜き、そのまま振り抜くと……(ほとばし)る電撃が怪物猿の背中を切り裂いた。


『グギャアッ!?』


 電撃に打たれた怪物猿が少女を投げ出し、そのまま地面に転倒した。

 一方で、投げ出された少女の身体が宙をクルクルと回転していき、公園にあったジャングルジムに激突しそうになっている。


「あぶな……」


 危ない……そう言い切るよりも先に身体が動いた。

 稲妻のごときスピードで空気を切り、少女との間にあった十数メートルの距離を一瞬でゼロにする。

 直後、俺は少女の身体を空中でキャッチしており、そのままの勢いでジャングルジムを両足で踏みつけて着地していた。

 金属の支柱が衝撃と熱によって変形し、グニャリと折れ曲がって俺達の身体を受け止める。


「お、おお……!? 何だあっ!? 何をしたんだ俺は!?」


『驚くほどのことではなかろうに。妾の力があれば、それくらいできて当然じゃよ』


 人間にはあり得ない動きをしてしまったことに驚く俺であったが、本当に驚愕させられるのはここからだった。

 少女を抱きかかえる両腕の片割れ……右手に怪物猿を切り裂いた『それ』を握りしめていたのである。


「これは……日本刀、なのか?」


 手の中にあったのは一本の刀だった。

 刃渡り90センチほどの長さの大太刀。刃は透き通るように美しく、淡く青白く光っていた。長く伸びた刀身は帯電しているかのようにバチバチと瞬く雷光をまとっており、刀の鍔は蛇の形状をしていて俺の右腕に巻きついて一体化している。

 手と融合しているのだから当然かもしれないが……驚くほどの一体感だ。

 刀を握るのは初めてなのにもかかわらず、まるで先端の切っ先にまで神経が通っているかのように感じられた。


 この刀こそが『常世の媛』より賜りし力の顕現。

 あの世から逃げ去ろうとする者をどこまでも追いかけ、その身を焼き尽くす地獄の雷の化身。

 黄泉を統べる女王の身体より()でし八柱の雷神の集合体……『八雷神やくさのいかずちのかみ』である。


『グウ……ギイイッ……』


 雷撃によって背中を焼き切られた怪物猿が起き上がり、のそりのそりと這ってどこかに逃走しようとしていた。

 あの猿神は人間を喰らう。特に若い女性の血肉を好んでいる。

 ここで逃がしてしまえば、腕の中の少女のように被害が出てしまうに違いない。


「…………殺す」


 覚悟はすぐに決まった。

 俺は少女の身体を地面に横たえて、紫電を纏った日本刀を上段に構える。


「スー……」


 ゆっくりと息を吸うと、頭の中から恐怖や痛みなどの雑念が消える。

 感覚が極限まで研ぎすまされていく。敵を斬るという覚悟が雷へと変換され、刀身から溢れ出る紫電が勢いを増していった。


「『大雷(おおいかずち)』!」


 刀を振り下ろすと、特大の雷撃が怪物猿の身体に降りそそぐ。

 目を焼くような雷電が猿の巨体を包み込み、全身を余すところなく焼き尽くした。


『ギ……ハ……』


 喉の奥から小さなうめきを残して、黒い体毛に覆われた巨体がサラサラと砂のように崩れていく。

 やがて完全にその身体が消滅し、夜の公園に静寂が訪れたのである。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

よろしければブックマーク登録、広告下の☆☆☆☆☆から評価をお願いします。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ