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萌黄優菜②

 学校で鬼島君と分かれた私は、キサラちゃんの家の車に乗せてもらって帰路についた。

 この世界に戻ってきてからそれなりに時間が経過したというのに、まだ心臓はバクバクと高鳴っている。

 未知の体験をした興奮か、それとも鬼島君の秘密を一つ知ることができたことへの喜びだろうか?


「キサラちゃん」


「ん?」


「興味が尽きない何かがあるというのは、楽しいことですね」


「ああ、そうとも。人間の心はオカルトと同じということだね」


「もうじき私の家ですけど……良かったら、晩御飯を食べていきませんか?」


「有り難い申し出だけど、やめておこう。家に帰って今日の出来事をちゃんと記録しておきたいんだ」


 キサラちゃんがパチパチとキーボードを叩くような仕草をした。


「そっか……それじゃあ、また明日。学校で」


「ああ。第三者の視点による情報を共有したいから、放課後になったらオカルト研究部の部室に来てくれたまえ」


「うん、良いですよ」


 私は自宅の前で下ろしてもらった。

 キサラちゃんを載せた車が夜の町に消えていく。

 新しい友人ができた。それも秘密を共有している友人だ。


「……猿のことは黙っていよう」


 私はキサラちゃんに大猿に襲われたことを秘密にすることにした。

 驚かされたり、ヤキモキさせられたりしたことへのちょっとした仕返しだ。

 キサラちゃんも簡単に答えを出したくないと言っていたことだし、これくらい許してくれるだろう。


 私の自宅は平屋の日本家屋だ。

 母方の祖父母の家で、かなり古い家だった。

 祖父母の家は何代か前までは市内でも有数の名家だったらしく、この辺りの土地は全て萌黄の家のものだったらしい。

 すでに没落して土地の大半を失っており、古い家が残っているばかりだが。


「ただいま」


 門扉をくぐって自宅に入った。

 母には帰りが遅くなったことを怒られるかもしれないが……不思議と気分は軽い。

 自分の新しい世界を開いたことへの喜びの方が優っていた。


「え……?」


 しかし、家に一歩足を踏み入れた途端にゾワリと背筋を撫でる生温かい風。

 寒気がする。鳥肌が立つ。

 おかしな匂いだって奥からしてくる。

 自分の家のはずなのに、中に入ってはいけない……そんな予感がした。


「な、何……?」


 家の中には電気の明かりもついている。

 母も祖父母もいるはずなのに……返事がない。

 いつもならば、すぐに「おかえり」という声が返ってくるはずなのに。


「お、お母さん?」


 少し声を大きめにして呼びかける。

 家の中は静まり返っていた。返事はない。


「お祖父ちゃん、お祖母ちゃん」


 返事はない。

 返事は……なかった。


「…………」


 私は先ほどまでの浮かれた気分から一転して、言いようのない恐怖に震える。

 それでも、勇気を振り絞って靴を脱いで玄関に上がり、家の中を奥へ奥へと進んでいく。


(ダメ……この先に行ってはいけない……!)


 頭ではわかっている。

 進んではいけない。

 できるだけ音を立てないように立ち去り、警察を呼ぶなり、近所の人に助けを呼ぶなりした方が良いと。

 だが……この先で起こっている何かを確認せずにはいられない。

 家族の安否を目にするまでは、ここから逃げ出すわけにはいかない。


「お母さん……?」


 廊下を進んでいった私はリビングの扉を開けて、中の光景を目にしてしまう。


「あ……」


 生臭い匂い。

 心臓が掴まれたような痛み。

 血液が凍りつき、一気に体温が低くなってしまったようだ。


 そこには地獄が広がっていた。

 床に広がるおびただしいまでの血。慣れ親しんだはずの家族の遺体。

 母が、祖父が、祖母が……全身を血まみれにして、ピクリとも動かず床に転がっている。


「やあ、おかえり……」


 そして……惨劇の中心には包丁を手に持ったその男がいた。


「お父さん……」


 それは両親の離婚によって離れ離れになったはずの……東京に置いてきたはずの父親の姿だった。


 新しい学校に転校してきた際、私は自己紹介で転校の理由が父親の仕事だと話した。

 だけど……それは間違い。真っ赤な嘘だった。

 本当の理由は、両親が離婚したことで母親の実家に越してきたからだ。


 私達は東京に暮らしているごく普通の家族だった。

 父親がそれなりに有名な企業の役員をしていることを除けば、別段、おかしなことはない。

 ホムラさんのように特別な力もなければ、キサラちゃんのような天才でもない。

 私は時々、男の子から告白されることがあったが……男性は苦手なので、それを優れたことだとは思っていない。

 ごくごく普通で、幸せな家族だった。


 しかし、そんな普通の幸せは突如として崩れ去ってしまった。

 父が勤めている会社の会長が病気で退陣して、後継争いが始まったのである。

 止せばいいのに、中途半端に権力を持っていた父親は騒動の渦中に身を投じて、その結果として敗北して会社を追われることになった。


 そこから先は地獄のよう。

 父は自分の失脚を認めることができず、会社の部下や同僚の手を借りて復権を試みた。

 しかし、すでに新しい会長の下で役員は固められており、父が入る隙間はない。

 役職の無い平社員としてなら雇うことはできると言われたが、父はプライドが高く、一からやり直すことを受け入れられなかった。


 仕方が無しに新しい仕事探しをする父であったが……四十代からの転職の窓口は狭い。

 選り好みしなければ何か見つかったかもしれないが、栄華を忘れられない父は妥協することができなかった。

 結果、仕事が見つからずに家で酒を飲む毎日。

 挙句の果てに、私や母に暴力を振るうようになったのだ。


 苦しかった。

 痛かった。

 辛かった。


 だけど……それでも、耐えていた。

 いつか優しかった父親が帰ってきてくれる。

 そんな思いで、母と二人で身を寄せ合うようにして耐えてきた。


 だけど……私と父の関係に決定的な答えを下す出来事が起こってしまった。


 高校の授業が終わって家に帰った私は、待ち構えていた見知らぬ男達に襲われてしまった。

 後から知ることになったが……その男達は父が借金をした債権者だった。

 父は彼らに娘の私を売り飛ばすことで大金を手にして、それで再起を図ろうとしたのだ。


 幸い、最悪の事態は避けられた。

 私の悲鳴を聞いて近所の人が警察を呼んでくれて、未遂で終わったのである。

 私を襲った人達も、そして、父も逮捕された。

 父がどういう罪になるのかはわからないが……弁護士を通じて、両親は離婚した。


 私は母親の実家がある八雲市に引っ越して、新しい生活を始めることになったのだ。


 クラスメイトの語った転校の理由は全て噓。

 そうであったら良いなという、私の虚構の願望だった。


 新しい学校に入って、友達ができて。

 鬼島君やキサラちゃんと不思議な体験をして。

 全てが終わったと思っていた。清算されたはずだった。

 だけど……過去は追いかけてきた。

 目の前に、過去を体現したようなの亡霊が立っている。


「お父さん……」


「優菜……ごめんよ……」


 血の海に立つ父親が私を見ている。

 ガラス玉のような空虚な瞳から涙を流して。

 父の身体は私が知るよりもずっとずっと痩せていた。

 子供の頃はあんなに大きく見えたのに、まるで枯れ木のようである。


「お母さんに何をしたの……お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに何てことを……!」


「ごめんよ、優菜。ごめんよ……」


「お父さん……!」


 私が震える声で叫ぶと、父がゆらりと身体を揺らしながらこちらに近づいてくる。


「嫌……来ないで……」


「違うんだ……謝りたかっただけなんだ……ただ、やり直したかったんだ……」


「どうして、なんでこんな……」


「謝りたかったんだ。ひどいことをしたから……傷つけた、から……」


 父の手にはいまだに包丁が握られている。

 尖った先端からポタポタと血の雫が落ちていく。

 あれで母を刺したのか。祖父を、祖母の命を奪ったというのだろうか。


「でも、こいつが優菜とは会わせないって……帰れって……だから、仕方が無く……」


「仕方がない? 仕方が無く、皆を刺したの……?」


「違うんだ……こんなことしたかったわけじゃ……」


「嫌! 来ないで!」


 私は恐怖に耐えきれなくなり、踵を返して逃げ出そうとした。


「優菜!」


「キャッ……!」


 しかし、背中に衝撃を受けて床に倒れてしまう。

 いったい、枯れ木のような体のどこにそんな力があるのか……私を片手で押さえつける。


「ごめん、ごめんよ……こうするしか、ないんだ……」


「お父さん……いたい……」


「痛いよな。苦しいよな……僕もなんだ。でも、すぐに楽になるから……」


 父は泣いていた。

 本当に悲しそうに、苦しそうに泣いていた。


「おとう、さ……」


 そこでようやく、私はふと気がつく。

 優しかった父が会社を辞めさせられて、酷い人になってしまったと思っていた。

 だけど……それは違う。

 父は弱い人だったんだ。弱いから流されて、失敗を認められなくて。

 周りに自分の弱さをぶつけることしかできなかったのだ。


「ごめんよ、優菜……ごめんよ……」


「かは……」


 父が包丁を振り下ろしてきた。

 腹部が貫かれる。息ができない。寒い。血が流れる。制服が汚れる。

 明日も学校なのに。


(ホムラさ……)


 ダメだ。

 こんな制服じゃ、彼に会えない。

 私だって女の子なのだ。血で汚れた服を着ているところを見せたくはない。

 それに胸に傷がついてしまった。

 ホムラさん、授業中にしょっちゅう私の胸を横目で見ていた。

 他の男の子だったら不快なだけなのに、彼に見られると不思議と悪くない気持ちになる。


「…………やだ」


 嫌だ。

 このまま死にたくない。

 死にたくない。死にたくない。死にたくない。

 死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。


「ごめんよ。痛いね。ごめんよ……」


 こんな男に、全てを奪われたくなんてない。


「ごめんよ……ごめ……がっ!?」


「…………?」


 そこで不思議なことが起こった。

 刺された胸から、傷口から血液とは別の黒い何かが溢れ出す。

 粘性を帯びた漆黒のそれが蛇のように父の首に巻きつき、細い首を絞めていた。


「ゆ……な……」


 父が苦しそうにこちらに手を伸ばすが……私にしてあげられることは何もない。


「…………」


 いつの間にか傷口から痛みが消えている。

 私は父の身体を押しのけて、立ち上がった。


「ゆう……たすけ……」


「サヨウナラ」


 私はかつての彼を真似して、そう別れの声を告げた。

 次の瞬間、グキリと鈍い音が鳴って父の首があらぬ方向に折れ曲がった。


「…………」


 少し目をずらすと、リビングの惨劇が目に映る。

 家族の死体がそこに横たわっているその部屋には、うっすらと輝く光の玉が浮かんでいた。


「……来なさい」


 私が手をかざすと、そこにあった三つの光玉が掌に吸い込まれる。

 美味しい。とても美味だ。


「あなたはいらない」


 父親の遺体からも同じものが出ていたが、私はそれを足蹴にする。

 淀んだ光の玉は悲しそうに瞬いてから、消えてしまった。


「……キサラちゃん、あなたはただしい」


 答えを出すのは恐ろしいことだ。

 わからないまま曖昧でいたのであれば、追求し続けることができるのに。

 答えが出たら終わるだけ。ただ終わってしまうだけなのだ。

 父は答えを出した。

 私も答えを出してしまった。

 もはや未来に可能性はない。選べるのは終わり方だけだろう。


「……ホムラさん」


 ああ、彼に会いたい。

 無性にホムラさんの顔が見たくなった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

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